20 包み紙
「おや、綺麗だねぇ」
声をかけてくれたのは、祖母の客だっただろうか? 白髪の混じり始めた髪を襟足で束ねた、和服を品良く着こなした穏やかな顔立ちの男の人だった。
幼い彼女には、祖母の職業はよくわからなかったが、千代紙を貼った小箱を日々作っては問屋に卸し、週に何度か大人が訪ねてきて祖母の暮らす離れの大きな部屋で、和小物を作る教室を開き、時々展覧会のような物があってたくさんのひとに挨拶をされていたので、ある種の成功した作家であったのだろう。教室の生徒でなくても、祖母を『先生』と呼びしたい訪れる大人は多かったので、その男の人もそういった関係だったのかもしれない。
「おばあちゃんが、教えてくれたの」
彼女は、母屋の縁側で空き箱に包装紙を貼り付けていた。以前、祖母から筆入れとしてもらった長方形の小箱を珍しがった同級生にいたずらされ、表面に傷を入れられて悲しんでいた時に、それならば……と祖母が教えてくれた傷を隠す方法だった。
「おばあちゃんも子供の頃は、こうやって自分だけの箱を作っていたんだって」
それは同時に、そうすることで自分だけの物にすることにもなると祖母は自慢げで、なんだか格好いいと思った彼女は以来、手頃なサイズの空き箱をもらっては自分好みに仕立て上げることを楽しみにしていた。
祖母が作品に使用する千代紙や和紙は、さすがに子供の手慰みには高価過ぎるものであったので分けてもらえることはなかったが、代わりにお土産物をもらった際のカラフルな包装紙をたくさん譲ってもらえた。
「わたしも大きくなったら、おばあちゃんみたいな箱を作る人になりたい」
作業台の隅で一人前の顔をしてせっせと自分の箱を飾る彼女に、祖母はいつも目を細めて喜んでくれていた。
祖母は、間もなく亡くなった。
取り立てて病みついていた記憶はないので、年齢的な衰えによる突発的な心停止か事故死だったのだと思われる。そのあたりの詳しい話を聞いてわかる年頃になる前に、父は行方不明になってしまい、母は間もなく心労から遠くを見る人になってしまっていた。
幸い母方の親族は母に同情的であり、祖母の遺産と父の蓄えを適切に管理してくれたので、彼女が路頭に迷ったり自由な進学の道を絶たれてしまうようなことにはならなかった。
デザインの勉強をしながら、最初は祖母の跡継ぎとして――次第に小箱以外にも自分の作品の発表を始め、成人する頃にはある程度の信用を得ることもできてきたため、二十歳の誕生日を期に正式に家屋敷を含む財産を相続することになった。もっとも、ひとりで管理をすることは難しかったので、引き続き母方の親戚を頼りにさせてもらっていたが。
祖母の暮らした離れをアトリエとした。
それから半年ほどして、母は眠るように息を引き取った。葬儀は、また母方の一族があれこれと世話を焼いてくれる間に終わり、彼女はついにひとりになった。
しかしながら、もう子供ではなし――寂しいとは思わなかった。
学生時代からの友人もいたし、作家同士の交流もあった。祖母のように作家活動の傍らで自ら教室を開くことはなかったが、いくつかのデザイン専門学校やカルチャークラブで講師を務めたり相談役も務めていた。
人間関係も仕事も順調に適度に忙しく、寂しいなどという感情の割り込む隙はなかった。
それに、お父さんがいてくれるもの――。
アトリエで作品と向かい合い、丈夫ばかりが取り柄の素材を美しい紙や布で包み込む時間が、彼女にとって何よりも満ち足りた時間だった。
祖母が亡くなって以来――彼女がアトリエと定める以前から、離れは彼女以外の誰も入れないことにしていたので、さすがに手入れが行き届かず、経年による劣化で壁紙が変色し始めていたが、自分だけが眺めるのであれば気にならなかった。剥がれてきてしまったら、また彼女が自分で包んでしまえばいい。
そこは、祖母が亡くなり父が姿を隠してから、彼女だけのものだったから。
『お前さん、継いでしまったんだねぇ』
涼を求めて中庭を臨む吐き出し窓を開くと、室内からこぼれる灯りの届くぎりぎりの隅に、するりと白い影が滑り込んだ。襟足で束ねられた真っ白になった髪に、夏物の白い着物姿――ため息混じりの声には、不思議と驚かなかった。記憶にあるよりは、少ししゃがれただろうか? 暗がりではっきりとは見えないが、目尻や口元に皺が増え、頬も少し弛んでいるかもしれない。それでも、立ち姿には変わらぬ品が漂っていた。
「おばあちゃんが、教えてくれたのだもの」
いつかの日とよく似た言葉を繰り返す彼女に、老人は眉尻を下げた。
「壁に傷があったの。おばあちゃんが壁紙を貼り直すから、お手伝いしたの」
そこには、彼女の会ったことのなかった祖父がいたと、彼女はアトリエの壁を指して告げる。祖母は、そうする事で祖父を自分だけの物にしていたのだと。
「だから、わたしも大好きなお父さんを包んだのよ」
技術が未熟だったために壁紙の貼り甘く、母親に見られた際には、さすがに焦ったらしいが――行為の発覚よりも、父を取り上げられてしまうことを心配したのであろう。
その後、改めて貼り直したのだと示された淡い花模様の壁紙は中央が変色し、ぼんやりと人間を思わせる輪郭を浮かび上がらせていた。
『お前さんのお祖母さんは、そうやって逝ってしまったのさ』
次はどんな壁紙にしようかしら……ぶつぶつと思案する彼女をそのままに、老人は再び庭の暗がりへと消えていった。
『そんなとこまで、継ぐこたなかったろうにねぇ……』




