『ウンディーネさんと術式魔法』
下層へと続く、やや傾斜の激しい下り坂。
ここから先は本当に危険な場所になります。
なにせモンスターさんの巣窟になっていますから。
にもかかわらず、ダークエルフさんは下層の手前にある大きな岩に腰を下ろしていました。
それも余裕のある素振りを見せながら。
とは言っても表情までは、わかりません。
ベリアさんの情報通り、黒いローブを纏い、顔はフードで隠れてますからね。
唯一確認できるのは口元だけ。
その口の端が吊り上がりました。
「領主自らボクを捕まえに来たのかい? 光栄な事だね」
なんだか男の子みたいな話し方をしてますね。
声も少しばかり高い感じがしますし。
もしかすると、女の子なのかもしれません。
そんなことを考える、わたしの隣では、お兄さんがダークエルフさんを睨みつけていました。
「貴様が神獣様を殺める不届き者か。大人しく投降せよ!」
「投降だって? 嫌だよそんなの」
「この状況で逃げられるとでも思っているのか?」
「ボクは逃げないよ。だって……逃げる事になるのは、キミたちの方だからねっ!」
そう言うと、ダークエルフさんはローブの袖から小瓶をひとつ取り出したのです。
そして、その小瓶をこちらに向かって放り投げました。
渡すつもりで投げたわけでは、なさそうですね。
距離が全然足りていませんから。
その証拠に、小瓶はお兄さんの数メートル手前で割れました。
すると、そこから緑色の光が放たれます。
なにかを燻したと思われる香りと共に。
「なっ、何だこの匂いはっ?!」
動揺する、お兄さん。
その姿を見て、ダークエルフさんは笑い声を上げました。
「アハハ! 何だと思う? 解らないよね。エルフには無縁な物だし」
「エルフには『無縁な物』だと? 貴様もエルフの血を引いているではないか!」
「はあ? 都合の良い時だけ、エルフとか言わないでよ。教えてあげようと思ったけど、もう良いや。これが何か知らずに……」
お話ししている途中のことです。
「コイツは、デンジャラスボアの燻製の匂いさね」
ベリアさんが、ダークエルフさんの言葉を遮りました。
デンジャラスボアさんの燻製ですか。
確かにそれならエルフさんにとって無縁なものかもしれないですね。
エルフさんは、お肉を食べませんから……。
それはさておき。
ダークエルフさんは一瞬驚くも、ベリアさんに対し、見下すような態度を取ります。
「誰かと思えば、未だに神獣の一匹も狩ってこれないクズ奴隷じゃないか。領主側にいるって事は、僕を裏切ったって事かい? お友達を助けてあげたのに酷いなあ」
ベリアさんは神獣さんを殺めたことがなかったんですね。
こんな状況ですけど、ホッとした気持ちになります。
ただ……胸をなでおろすわたしとは対照的に、ベリアさんは怒りを露にしてました。
「ナニが『助けてあげた』だよっ! あの毒だって、アンタが仕込んだモノじゃないかっ!!」
「何だ、バレてたのか。つまんないなあ……もう良いから、そこに跪いてろよ。命令だっ!」
一瞬、時が止まったかのように辺りが静かになります。
でもそれは、ほんの数秒のこと。
ベリアさんは跪くどころか、ダークエルフさんに近づいて行きました。
「そんな命令は聞けないわ~」
最近は耳にしてなかった、この口調。
今度はベリアさんが、ダークエルフさんを見下すような態度を取りました。
まあ、視線は上を向いていますけどね。
「な……何故、ボクの命令が効かない?!」
「どうしてだと思う~? 教えて欲しい~?? でも残念、教えてあげないわ~」
「人族のくせに……ボクを馬鹿にするなーっ!!」
「ナニ言ってんだい。アンタだって、半分は人族じゃないか!」
「うるさい、うるさい、うるさーい! お前らなんて、全滅しちゃえばいいんだーーーーっ!!」
激しく声を荒げたあと、ダークエルフさんは先ほどと同じ小瓶を両袖から取り出します。
小瓶は両手に、ひとつずつ。
右手にある小瓶はベリアさんの手前に、左手にある小瓶は下層に向かって投げつけました。
なぜ、こんなことをしているのか?
お兄さんを含め、兵士さんたちも、ダークエルフさんの行動が理解できない様子。
でも、わたしには、わかります。
ダークエルフさんの真の目的が……。
ぐずぐずしている暇は、ありません。
「お兄さん! すぐに皆さんを、ここから避難させてください!!」
「何故、避難せねばならぬのだ?」
「下層のモンスターさんたちが、中層に押し寄せてくるからです」
「そ、それは誠か?!」
お兄さんを見据え、わたしはコクリと頷きます。
「この匂いの素になっているデンジャラスボアさんですが……モンスターさんにとって、最高のご馳走なんですよ。さっき、ダークエルフさんは、その匂いのする小瓶を下層にも投げてましたよね? 恐らく下層のモンスターさんたちは、ここにデンジャラスボアさんがいると判断するはずです」
「その匂いを辿って中層に上がって来ると言う訳か……くっ、まさか本当に退かねばならぬとはな……」
奥歯を噛みしめ、悔しそうな表情を浮かべるお兄さん。
最後に再びダークエルフさんを睨みつけていました。
「怖い顔をしても無駄だよ。もう手遅れだからねー。アハハ!」
嘲笑うダークエルフさんの言葉に苛立ちを感じます。
でも今は構っている余裕はありません。
下層に続く下り坂から、ものすごい地響きが聞こえていたからです。
その音を聞いて、冒険者さんと兵士さんたちが、慌てて逃げ出します。
そこから少し遅れて、わたしとお兄さんが、皆さんの後を追いました。
300メートルは進んだと思うのですが……。
ここでわたしは、違和感を覚えます。
「下層の入り口から、結構離れましたけど……デンジャラスボアさんの匂いが残ってますね」
「ふむ、あの小瓶には風の魔石を用いた、術式魔法が組み込まれていたからな。恐らくだが中層全体に充満しているのだろう」
風の魔石?
あー、だから小瓶が割れた時に緑色に光ったと言うワケですか。
その光は今もなお、わたしたちの周囲を照らしています。
お陰で炎の杖を使う必要はありませんが。
それと、術式魔法でしたっけ。
ポーナさんから聞いてはいましたけど、確かに魔道具よりも強力ですね。
え? ポーナさんを覚えていない??
やだなぁ、ポルトヴィーンのギルド職員さんですよ~。
そんなことよりも、なぜ術式魔法を良いことに使えないのでしょうか?
理解に苦しみます。
深いため息を吐くと、なぜかお兄さんの乗っているお馬さんの足が止まったのです。
「あの~、どうかしましたか?」
「後悔しているのだろう? 此処までついてきてしまった事に……殿は私が務める故、其女は神獣様と共に先に行くが良い」
お兄さんは、なにを言っているのでしょうか?
そんなこと、できるはずもありません。
「いやいや、わたしも一緒にいますよ? そうしないと、お兄さんを守れませんから」
「ティーニヤとの約束なら気にせずとも良い。あれも解ってくれる筈だ」
「わたしは、全然わからないんですけど……」
「其女の気持ちは嬉しく思うが……あの大軍を前に、如何にして立ち向かうつもりなのだ?」
振り返った先には、100体を優に超えるモンスターさんたちの群れ。
シャドウラビットさんに、デッドリースコーピオンさん。
ロックリザードさんの姿も見えます。
デンジャラスボアさん目当てだと、そんなに早く動けるんですね。
ちょっと驚きました。
その他にもブラックタイガーさんや、ダークベアさんの姿もあります。
今は説明している場合ではないので省略しますが、この2体はモンスターさんではありません。
モンスターさんよりも強い、魔獣さんと言う扱いです。
もちろん深淵の谷のモンスターさんと同様に、暗闇の中だと攻撃力や防御量が上がります。
現在、周囲は薄っすらと緑に光ってますが、この程度の光では弱体化されません。
でもまあ、逆を返せば……強い光に対しては滅法弱いんですよね。
深淵の谷のモンスターさんって。
そこで、わたしは両手を真っすぐ上に伸ばします。
「神聖領域!」
魔法名を告げると、わたしを中心に眩い光が放たれました。
まるで白い空間にいるような、そんな明るさです。
神聖領域は、神官さんのレベルが110に上がった時に覚える魔法だったりします。
蘇生を超える、究極魔法のひとつ。
この魔法の本来の用途は、邪悪なものを退ける結界魔法なんですよね。
ただ、一度発動すれば長時間効果が続くので、深淵の谷に来た時は、よく使ってました。
だったら、もっと早く使えば良いんじゃないかって?
まあ、そうなんですが……。
魔法が切れると、次の発動までに時間が掛かるんですよねぇ。
それに下層の入り口付近で使っても、遮蔽物が多くて十分な効果が得られるか微妙なところ。
なので、確実な効果を得るために、避難と言うカタチで後方に移動したワケです……はい。
言い訳は、このくらいにしておいて……。
強い光を浴びたことで、モンスターさんたちは、急激な弱体化状態に陥ります。
もちろん、魔獣さんたちも一緒に。
再び力を取り戻すには、かなり時間が掛かるので、ひとまずこれで大丈夫。
それを証明するように、モンスターさんたちはとぼとぼと下層に帰っていきました。
いやあ、なんとか防げましたね。
そう思ったのですが……。
神聖領域の光が消えたあと。
こちらに向かって歩いてくる人影が見えたのです。
ダークエルフさんでは、ありません。
それ以上に、危険な存在と言っていいでしょう。
魔人さんのひとり……ゴルゴーンさんが立っていたのです。