第86話 夢?
……
空が赤く燃えている。
辺りは暗いため夜だと思われる。
周囲には金属の焼けた鉄くさい香りとツンと鼻をつく肉の焦げた刺激臭が混じった、最悪の臭いが充満している。至る所から怒号と悲鳴、断末魔と思われる叫び声、うめきが止むことなく聞こえてきていた。
現在進行形で大量殺戮が行われている戦禍の直中のようだ。
「まさか、こんなことになるとは……」
大柄で銀髪の男がつぶやいた。
眼下には、大型魔獣の群れで溢れた城下町、その魔獣に逃げ惑う人々が食い殺されている阿鼻叫喚の地獄絵図が見える。もちろん大型魔獣だけでなく武装した人間の兵士達も大勢で押しかけて蹂躙している。
外の景色から察するに、銀髪の男が立っているここは建物の四階か五階付近のようだ。
男の姿からは歴戦の戦士……のようにも見えなくはないが、所作に気品が感じられる。
手には黒光りする片手剣が握られており、その刀身からはポタポタと液体がしたたり落ちていた。
「もらった!死ね!」
下から上ってきたのだろうか?
銀髪の男に一人の兵士……らしき男が背後から斬りかかった。
しかし、その凶刃は男に届く事なく弾かれる。
「ご無事でしたか?カザルス様」
兵士の剣を弾いたのは金髪の女性剣士の一閃である。従者……であろうか。
「あぁ、まあなんとかな。しかしこのような事態となってしまうとは。亡き兄王は悲しんでおられるであろう」
銀髪の男が振り向きざまに黒刀を振り抜くと先ほどの兵士は身に纏った鋼鉄の鎧ごと二つの肉塊となった。女性剣士は銀髪の男に向かってひざまずく。
「悔しくて……残念でなりません!あの奸臣ウォルスさえいなければ」
女性剣士が、ダンッ!と床を殴る。石畳と思われる床が少し砕けた。恐ろしい力の持ち主のようだ。
銀髪の男は赤く燃える空を眺めた。
「兄王はお優しい方だ。あのようなウォルスさえ最後まで信じようとしたのだ。結果がどうあれ、俺はそんな優しき兄王を尊敬している」
そしてひざまずくミュールの肩に手を置き、語りかける。
「ミュールよ。たら……れば……など、後悔したところで仕方なし。ウォルスの手引きで最後の砦であるこのタルテシュが落ちたのは事実だが……もはやあまり時間はない。我らは今やれることをやろうではないか」
銀髪の男がそこまで言った時、今度は三人がかりで兵士が飛びかかってくる。
そのうちの一人をミュールと呼ばれた女性剣士が斬り飛ばした。
残りの二人は銀髪の男が黒刀であっさりと斬殺する。
「時に……オルフィとエスタシアは無事か?」
銀髪の男がミュールに問う。が、ミュールの顔が苦渋に満ちた表情に歪む。
「奥方……オルフィリア様は、敵の放った魔導爆撃からエスタシア様を庇ってお亡くなりになりました……。エスタシア様は奸臣ウォルスに捕らえられ、彼奴の手に」
「そうか……オルフィは逝ったか。彼女には本当にすまないことをした。……エスタシアは生きているのだな?」
ミュールはうなだれたまま力なくうなずく。その震える手に銀髪の男は一つの木箱を手渡した。
「この化粧箱は?」
不思議そうに主である銀髪の男を見るミュール。
それには答えず、銀髪の男はただただ静かに言葉を紡いだ。
「悔しいだろうが、こらえて俺の言うことを聞いて欲しい。お前はこれからウォルスに下れ。そして娘を……エスタシアを守り抜いて欲しい」
「何を仰いますかっ!オルフィリア様亡き今、カザルス様をお一人になど出来ませぬ!共に命を燃やし最後まで戦い抜く所存でございます!」
銀髪の男はそんなミュールに向かってゆっくりと首を横に振る。
「ダメだ。お前は生きよ。俺はこの後、野に下る。人々には俺は死んだことにせよ。確か、ウォルスの馬鹿はエスタシアにご執心だったはずだ。であれば、恐らくは妻か妾か……いずれにしてもエスタシアの命を取ろうとはすまい。結局辛い思いをせねばならぬのなら、せめて妻扱いであって欲しいが……」
銀髪の男はミュールの両肩を掴んだ。
「この先、娘の盾となり、矛となり、時に友人のように接し、守っていくことが出来るのはお前だけだ。お前だけが頼りなのだ」
ミュールは号泣する。溢れる涙を拭おうともせずまっすぐに銀髪の男を見つめる。
「ゆけ。この俺も一人ならばこの包囲網……何とか出来るやもしれん。娘ともお前とも……そして最後の時を過ごすことが出来なかったオルフィリアとも今生の別れだ。仮に俺が生きていたとしても、決して探すな。いいな」
銀髪の男は黒刀を腰に差すと、懐から……なんと【王者のタクト】を取り出した。
一振りするとタクトは光り輝く剣へと一瞬で変化する。
「……どうか、その木箱を娘に」
その言葉を最後に、銀髪の男は窓から空へ飛び出していった。
……
「んあ?!夢か。ずいぶんリアリティのある夢だったな」
レドウが朝のけだるい身体を起こした。そこはアスタルテ家のいつもの寝室である。
いつもと違うのは、朝なのにシルフィが隣にいないことだ。
昨晩の使用人長ルシーダさんの話によると、今日から『淑女のたしなみ』講座が再開するらしい。
恐らくはその講座に出席させられるため、昔のようにルシーダさんに拉致されていったに違いない。
「大変だなぁ」
他人事のようにシルフィを思いやるレドウにも、魔?の手が忍び寄っていた。
気づくと寝室のドアが開いていたのだ。
「レドウく~ん。やっと捕まえたよ~」
レドウの脇……つまりベッドの横には満面の笑みを浮かべた当主アレクが立っていた。
「げ……おっさん!」
そう、レドウもここ数日アレクから逃げ回っていたのだ。
理由は簡単だ。次期当主のための学習を迫られていたからである。
講師はアレクとアイリスである。捕まったら逃げ場がない。
「ま、待て。そうだ!今日は俺は騎士団員に稽古をつけにいかなきゃ」
「そんな事実はないとアイリス君に聞いてるよ?そのそも今日彼らは非番だぞ」
「……な、なら」
「ならじゃないわ!その場で理由を考えようとするんじゃない!それは当主のすることじゃないぞ」
アレクに一喝されるレドウ。
結局ついにアスタルテ家流、当主講座は開講したのであった。
ちなみに、ヴィスタリア連合王国で定められた税収は非常に少なく、国民に課せられた負担は非常に軽いものである。
簡単に言ってしまえば、いわゆる消費税のようなもの……しかも高級贅沢品のみである。
剣などの武器や防具、魔法の為のタクトに至っても生活必需品扱いであって課税対象ではなかったりするため、一般人にとっては税金など取られている意識がなかったりするのである。
そんな税収で国の政が回るのか?という話になってくるが、当然回らない。
八輝章家のそれぞれが得意とする分野で、個々に稼ぐ必要があるのだ。
例えば第一位国王家であるヴィスタリア家は、ヴィスタ聖教の守手として信徒からのお布施をいわゆる税収にしている。
第二位ロイスウェル家の場合は国立大学院の経営を行い学生からの入学金や受験費、国家研究院の成果販売などを収入としている。
といった具合だ。
これまでのアスタルテ家は、遠方地域の統括という役割ゆえに観光地の観光収入などが主たる財源であったが、他家と比べるとその額は非常に少ないものであった。そのため家の規模を縮小することで、一般税収配分金のみでまかなっているくらいの状態であったのだ。
しかしマーニスから奪ったことで財源の出来た今、商取引に力を入れられれば、どんどん力をつける事が出来る。
取り扱い商品の流通経路、原価、売値、取引すべき商人の特徴。などの説明をしているうちはレドウも講義になんとかついていけていたのだが、利益率や販売価格の地域差の導入、収益予測を見据えた商品開発などの話になったあたりでレドウの意識は離脱していった。
冒険者として日銭暮らしだけしていたレドウに、先を見据えた金銭感覚や収益予測などの話したところで分かるわけがないのだ。
思考回路を使い切って抜け殻のようになったレドウに、残酷な言葉が告げられる。
「続きはまた明日な」
寝室に戻るとそこには同じように抜け殻のようになったシルフィがいた。
彼女もまたこってりとルシーダさん達に絞られていたようである。
明日こそ全力で逃げ回らなければならない。と心に誓ったレドウとシルフィなのであった。




