第85話 嵐の前の……
風吹く丘の探索を実質、ジラールに丸投げしたレドウとシルフィは、秘密基地のカスタマイズに着手した。なお、アイリスはアレクの手伝いをしている。レドウも同じく手伝いをさせられるところだったが、間一髪逃げ切ったようだ。
いずれはやらざるを得ないのだろうが、まずは秘密基地を快適に過ごせるプライベートルームにするのがレドウとシルフィの二人にとって、最優先命題である。
まずは、この空間の調査からである。
滝に囲まれた部屋であるため、湿気が凄いかと思えば言うほどでもない。
元々南岸遺跡の付近は、南方のタガデア砂漠から吹き込む乾いた風の影響で、空気が乾燥しているのがその理由だ。
むしろ滝があることで適度な湿気が保たれており、とても快適である。
そうした自然の環境を生かしつつ、レドウは《快適空間》と名付けた魔法を部屋全体に展開した。
野営地などで、テントの中に使うと外気温と、環境に左右されずに過ごせる……などに使えそうな魔法だが、レドウたちにとってはこれこそが最大の使い道である。
そんな快適な環境に持ち込む予定であるのは、カフェテラス風のカウンターに、テーブル、ソファ、それからキングサイズのベッド、である。あとは食器や食器棚、非常食なども用意するとここで一通りの生活できるほどの空間に早変わりする。
人をダメにする空間と言ってもいいかもしれない。
古代、この場所に『水の祭壇』を設置した人も、まさか後世でこのような使われ方をするとは夢にも思っていなかっただろうとレドウは思う。
ちなみに祭壇にはテーブルクロスが敷かれ、立食バーティが出来そうなテーブルに早変わりしている。
他人がくる予定はないのだが。
調度品の一部はアスタルテ家の使われていない家具を利用し、足りない物……ベッドやソファなどはシルフィがポケットマネーで発注をしている。アスタルテ家まで配送されてしまうと、遊ん……カスタマイズしているのがバレてしまうので、臨時で都市区画に部屋を借り、そこに運び込んでもらっている。
運び込んだ家具・調度品はレドウがその部屋からゲートで繋ぎ、運び込む作戦である。
家具屋に在庫のあるものを優先的に揃えたので、数日もすると予定していたほとんどの家具が秘密基地に揃った。
すぐに用意できなかったものは、カフェテラス用のカウンターテーブルくらいのものである。
そのためここ数日の夜は、五階の寝室で寝るふりをしながら、実際には秘密基地で過ごしていた。
新婚の二人としては、ベッドの使い心地を毎夜確かめることも忘れていない。
アスタルテ家五階寝室とは別の意味で、周りに気兼ねする必要がないのである。
結果的に秘密基地で過ごすことが多くなったが、いくら魔法でアスタルテ家五階に繋がっているとはいえ、この地は遠隔地である。
五階にいると思われている状態で部屋に来られて、その場にいないと知られるのは都合が悪いというのが秘密基地の一番の弱点であった。
いろいろ人の接近を監視するための魔法も考えたのだが、結果としてそれはやめることにした。
秘密基地にいる時くらい、俗世?から離れてゆっくりしたいという意図からである。
『どこにいるのか分からない』といったことで皆に心配をかけるのも良くないので、基地にいる頻度については少し考える必要がありそうだ。
万一のことがあってもいけないと考えたレドウは、シルフィには内緒でアイリスに存在を伝え、入場権限を渡しておくことにした。
夫婦間に生まれた最初の秘密である……。
……
「ここが『風吹く丘』ですか……」
アスタステ家を出た数日後、ジラールとレーナの二人はカザルス夫妻と別れ、直接『風吹く丘』に向かっていた。
『風吹く丘』と呼ばれている土地は、リーデル大河と支流であるセーリア川に挟まれた小高い丘である。
リーデル大河がこの丘にぶつかることでセーリア川が生まれたと言ってもおかしくない立地だ。
ウィンガルデからこの地に向かうには大きく二つのルートがある。
港町シーランに一度寄ってから南下する一般ルートと、東の宿場町サレーン側からリーデル大河を渡河するルートである。
定期便などはないのだが、サレーンには船を所有している行商人がおり、行商のタイミングが合えば有償で乗せてくれるのである。
ジラールはこの行商人と繋がりがあり、行商の時期ではなかったのだが特別に船を出してもらったのだった。
この顔の広さは流石という他はない。
少し南下すればロイズ地区に近い土地であるため、もともとの地元であるジラールもレーナもこの地のことはよく知っていた。
が、『探索』という名目で訪れるとまた趣が違うものである。
「久しぶりに来るけど、相変わらず何もないところよね。風は名前の通り気持ちいいけど」
レーナはあたりを見回す。このあたりには民家もない。
広めの小高い丘が大地いっぱいに広がっているだけである。
事前にジラールは指輪に記載されていた『アスタール文字』をレーナに読んでもらっていたが、『風に向かって歩け』と書いてあっただけであり大した情報が記載されていたわけではなかった。もしかしたらその言葉自体に意味があるのかもしれないが、今は分からないというのが正直なところである。
「これまで多くの冒険者や探索者が調査し、何も見つかっていないのです。先入観を捨てて少しずつ見ていきましょうか」
ジラールの言葉にレーナも力強く頷く。
彼女も少しずつ一人前の冒険者としての自覚が生まれつつあるようだ。
地道な調査が続きそうであるが、そんな途方もない状況を楽しんでいたのだから……。
……
「あまり待つ意味はなかったのではないか?結局こうして奴はアスタルテ家に収まってしまったではないか。やはりさっさと動くべきであったか」
グリフィスである。
話し方こそ穏やかであるが、その声はやや怒りに震えている。
「ユリウスもそうだったが、マーニスは焦りすぎなのだ。焦りが判断を鈍らせ窮地を呼び込んでしまうのだ」
「あんな無能と一緒にされては困る」
激昂仕掛けたが、それは思うつぼだと踏みとどまる。
「ロイ様。私を煽っているのがあからさますぎやしませんか?」
グリフィスがロイと呼んだその男は、いつかの壮年の男であった。
「何か問題があるのかね?私が少々煽ろうとも、お前がそれを理解していればお前の判断で動けるだろう?ん?」
「ふん……我らとて一枚岩ではないからな。何か裏があると疑って当然だろう」
「なるほど。その点については同意だ。ユリウスの奴は同志だと信じて疑わなかったからな」
壮年の男はにやりとする。
「そんなだから勝手に裏切られたと騒ぎ、墓穴を掘るのだ。もともと利で繋がっているだけであって仲間ですらないだろう」
そう吐き捨てるように言い放つグリフィス。
「分かっているならいい。特にお前に何か指示をするつもりもない。逆にお前が余を頼ったところで、利がなくては動かぬ。知っておろう?」
「あぁ、十分に分かってる」
「では何故ここに来た?」
壮年の男はグリフィスに問うた。
「一つ依頼をするために来た。もちろん利がなしと、ロイ様がお考えであるのなら、拒否してもらって構わない」
「ふむ。言ってみるがいい」
グリフィスは壮年の男に近づき、何事か耳打ちする。一言二言ではなく、長めの提案だ。
「ほぅ……そう上手くいくとは思えんが。面白い策ではあるな」
「その為の一手として……」
再び、グリフィスは壮年の男に耳打ちする。
「なるほど。今のマーニスには手駒が足りぬか」
「恥ずかしながら、その点については事実だ。隠し立てするつもりもない」
「いいだろう。やってみればいい。だが、忘れるな。余は無関係だ」
グリフィスは壮年の男に対して一礼するとその部屋を出て行った。
「……兄者。どう思われますか?」
「お前が耳打ちされた内容まで、俺が聞こえているわけがないだろう。それよりもアレだ。ロムよ。随分と板についてきたようだな」
そうなのだ。この壮年の男の名はロムであった筈である。
「前からそうですが、重たい役ですよ。兄者の名を語るのは」
ため息をつく壮年の男ロム。
だがその表情には笑みがある。
「なんだかんだで楽しんでおるのだろ?いまや俺でなくお前でないと出来ないこともあるだろう」
「兄者、何を仰いますか。兄者の頭脳があってこそ私の威厳が保てるというものです」
ロムは平伏する。
その肩に、ロイが手を置く。
「いやに挺身だな。だがお手柄だぞ。ユリウスよりはマシだが、グリフィスとやらも結局俗物だ。事態は動くぞ。我らロイスウェルはただ眺めておれば良いのだ」
「はい。兄者の仰るとおりです」
そして二人の姿は闇に溶けていった。




