第六十四話『血と水の記憶』
「いらっしゃい。よく来てくれたわね」
馬車を止めて外に出ると、保育士らしき女性が出迎えてくれた。
「今日はよく来てくださいました。本当に人が足りず、猫の手も借りたい状態でして……」
「話は聞いています。不馴れゆえに迷惑をかけることもあると思いますが、よろしくお願い致します」
代表してエーフィが挨拶をして頭を下げる。
「これはご丁寧に。申し遅れました、私はイザベラと申します」
イザベラはそう言って自己紹介してきた。モニカ達もそれに答えて名前を名乗り、施設の中に入っていく。
「……」
「? どうかしたのディアナ」
突然ディアナが立ち止まったので、モニカがそう訪ねた。
「いや、面倒そうだなと思っただけだ」
「はぁ?」
ディアナが意識をとられた場所からは、好奇心に溢れた視線が向けられていた。
* * *
「あの、どのように接すればいいのでしょうか?」
エーフィはイザベラの後ろを一人で歩いていた。親衛隊達は一人ずつバラけて、別の仕事場を与えられた。
「弟や妹に接するつもりで相手をしてもらえれば構いません。困ったことがあれば、私もすぐ側に居ますので遠慮なく声をかけてください」
「はい」
イザベラの優しい物言いに安心して、エーフィは頷いた。
「さあみんな、今日は臨時の先生が来てくれましたよ! 集まって」
イザベラが扉を開けると嬉しそうな声が響き、小さな子供が集まってきた。
「では、エーフィさん。自己紹介をしていただけますか?」
「はい」
イザベラに促され、エーフィは一歩前に出て名前を名乗ろうと息を吸い込む。
「私はエーフィ……き、きゃあ!?」
突然後ろのスカートがめくり上がる感覚がして太ももに風が当たった。慌てて押さえて振り返ると、男の子が二人笑っていた。
「白だったぜ!」
「ちぇ、そのまんまか。もっと色っぽいのはいてるかと思ったのに」
「こーら!」
イザベラがツカツカと歩いていってげんこつを落とす。二人は頭を抱えて他の子供に混ざった。
「せっかく来てくれた先生に向かって失礼でしょう? 二度とこんなことをしてはダメですよ?」
「ハーイ」
イザベラに叱られると、子供達は素直に返事をした。
「エーフィさん大丈夫?」
「は、はい。きっとはじめて見る人がいて楽しくなったんでしょう。皆さんとてもいいこばかりですね」
「そう言ってもらうと助かるわ。ではもう一度挨拶してもらえる?」
「はい。皆さんこれからよろしくお願いします」
「ハーイ!」
今度は何事も起こらず返事がもらえた。エーフィはほっと胸を撫で下ろした。子供達の笑顔が、悪戯っぽい色に染まってることも気づかずに……。
* * *
モニカは別の廊下を歩いていた。案内してくれるのはイザベラよりずっと年配の女性だった。
「聞いていますよ。モニカさんはその小さな体で、大層な力持ちなんだとか」
「あはは! 小さいは余計ですよ。力はあるんですけど、不器用なので苦労してばっかりです。でも、子供達の相手は大丈夫! 自信があります。もう百人でも千人でもかかってこいって感じです」
それを聞いて、今度は年配の保育士が笑った。
「それは頼もしいですね。期待しています」
「はい、ところで教室はもう近いんですか?」
「いえ、モニカさんはこれから外に行ってもらいます」
外? と一瞬思ったが、運動の時間なのだろうと判断して聞き返さなかった。
そして黙ってついていくと、狭い庭に連れていかれた。
「さあ、百本でも千本でも、一万本でも相手にしてくださいね」
そこに子供たちの姿は当然なく、その代わりに薪が山のように積みあがっていた。
「こ……れは……?」
「はい、斧を持ってきましたよ」
呆然とするモニカに対し、女性は斧を手渡してくる。
「……あれ? もしかして私の仕事って薪割り……なんですか?」
「ごめんなさいねぇ」
申し訳なさそうな声が返ってくる。
「本当は女性にこんな仕事をお願いするのは心が痛いのですが、この間の大雨でためておいた薪が全部しけってしまったんです。このままでは来る冬に暖炉に火がつけられないんですよ。あと……子供たちは残酷ですから……」
「ですから?」
「モニカさんの身長では、子供たちは自分と同じように見てしまって、言うことを聞いてくれないと思うのです」
「……」
モニカは口をあんぐりあけて言葉を失う。
「では、よろしくお願いします。疲れたら声をかけてください。休憩室にご案内しますので」
それだけ言って女性は去って行った。モニカは薪を拾って切り株の上に置く。
「……私は幼稚園児かー!」
鋭い音がして薪が割れた。
* * *
一方、ディアナはモニカと同じく外に出ていた。モニカと違って解放間に溢れた場所だったが、子供の姿はやはりなかった。
「ディアナさんは、園芸が趣味だと聞いております。それも、王族の人間が唸るほどの腕前なんだとか。是非その腕で、園内の庭の整備と花壇の手入れをお願いします」
そう言って、若い保育士は大鎌を手渡してくる。この人間が庭だというのだからここは庭なのだろう。高い草がうっそうと繁って見通しが悪く、いったいどこに花壇があるか全くわからなかった。
「では、私は子供達のもとへ戻らなくてはなりませんので……」
「待て、このくそ保育士」
ディアナは保育士の襟首をつかんで引き寄せる。
「ふざけるな。この素晴らしい有り様はなんだい? 草刈りすらまともにできないでくの坊しかいないのかこの施設は?」
「人員が足りないんですよ。基本的に女性ばかりの職場ですし、去年までいた用務員もやめてしまって代わりがなく……」
「だったら業者を呼びな。ざっとでも草を刈って処理してくれなきゃ整えようがない」
「……分かりました。では、お金も絡む話ですので事務のものと相談して」
「寝ぼけてんのか? 今すぐ呼べよ」
「ですから、お金も絡みますので……」
「頭の回らないやつだねぇ」
そう言ってディアナは親衛隊の服に刻まれた腕章を指差す。
「私たちが誰の命令で動いていると思っているんだい? 金は全額経費として国に要求すればいい。国から突っぱねられたら、私がノルベルト様の顔を引っ提げて財務官のところに殴り込んでやるよ」
ディアナがそう言い放つと、保育士は圧倒されて一瞬言葉を失う。しかし、すぐに声を取り戻して、顔を赤らめながら一言こぼした。
「……かっこいい」
「あぁ? なんだって?」
「い、いえ! ではすぐに手配いたします!」
保育士は駆け足で去っていき、ディアナは一人その場に残される。
「……はぁ。花壇周りだけでも草を刈って整備しておくか」
どこに花壇があるか分からないけど……。ディアナはそう言ってうっそうと茂った雑草の波に分け入っていく。
草をかき分けながら花壇を探すことしばらく。やっとのことで花壇を見つけて草を刈りはじめる。
「まあ、こんなものか」
庭の入口から花壇の傍まで道を作り、花壇周りの草をすべて抜いて花壇を露出させた。花壇はそこそこに大きく、ゆっくりと手入れをしていけば、花壇にかかりきりで今回の任務は終わるだろう。子供の相手をしたくなかったディアナにはちょうど良かった。
「さて、さっきの保育士を捕まえて道具でも……ん?」
腕で額の汗をぬぐおうとすると、腕に切り傷ができているのを見つけた。草でいつの間にか切ってしまっていたのだろう。
「手袋をつけなかったのは失敗だったねぇ。先に傷口を洗うとするか」
ディアナはそう呟いてから、さっき見つけた井戸のもとへ向かって歩き出した。
ふと自分の腕の傷口が、子供時代に負った傷の記憶を思い出させた。あの頃は、よく近くの川で傷口を洗ったものだった。
* * *
緑が生い茂る森の中にある小川。その小川の傍に、子供時代のディアナがしゃがみこんでいた。
ディアナは傷ついた腕を川に浸し、きれいな川に自分の血が混ざるのを眺めている。この傷は父親に鞭で打たれたときにできた傷だ。
鞭を使ってのしつけは厳しいものではある。だが最初の頃は、ディアナの父親も度はわきまえていた。鞭を打つ場所も考えていたし、肌が擦り切れて血が出るほど強く叩くことはしなかった。
しかしディアナが頑固だった。叱れば叱るほど意固地になり、鞭で打てば打つほど反抗的になっていった。いや、頑固というのは適切ではないかもしれない。ディアナは自分の心情と信念を貫いているだけだ。
父親の傲慢な性格が我慢ならなかった。己が一番尊いのだと偉ぶるのが許せなかった。そして何より、娘であるディアナにもそうあるように教え込む、その教育方針に納得ができなかった。
ディアナも大概おとなしい性格ではない。だが、自分が一番偉いなどと思ったことはないし、自分が一番正しいのだとも考えない。むしろ、はみ出しものなのだろうとすら思う。でも、ディアナはそんな自分が気に入っていたし、それでこそ自分なのだと考えていた。
「大人になったら……一人で生きていけるようになったら村を出ていく」
その決心は固いものの、でていくあてはない。川の水に混ざるこの血のように、どこかへ流れていけないものだろうか?
その時、川下の方から楽しそうな男の子供たちの声が聞こえてきた。声の主は三人。村では悪戯をすることで有名な三人組だった。
「……おい」
ディアナの姿が見えるところまで近づいてきたかと思うと、三人は途端に声が小さくなる。三人の視線はまっすぐにディアナのもとへそそがれ、気まずい時間が流れた。
「行こうぜ……」
一人が促すと、残る二人も渋々という感じで続く。ディアナを避けているのは明白だった。
実はディアナの村での態度も、あまり褒められたものではなかった。その行動はわざと悪意を受けようとしているとしか思えないものばかりで、口を開いても悪意が鼻について気分が悪くなる言葉ばかりがあふれ出る。
それなのに、ディアナはこの三人組とは違って悪評はまったく立たなかった。それは、村で唯一の医者の娘だからだ。
ディアナには納得できなかったが、父親の言うとおり、ディアナの家は各上の存在として認知されていた。店に並んでいるリンゴを勝手にかじっても怒られることはなく、肩がぶつかれば相手が一方的に謝ってくる。その時ディアナに向けられるのは、気持ちが悪いほどの嫌な笑顔。大人が浮かべるものは特にその感情が色濃く浮かんでいて、吐き気がした。
子供たちもディアナのことを特別扱いしていた。親に言いつけられているからディアナのことをいじめたりはしない。だが、変に親たちが言い含めるものだから、子供たちはディアナにどう接したらよいのかわからない。ディアナ自身も親しみやすい性格ではないから、両者の距離が縮まることはなかった。
普通、ディアナのような態度をとり続ければ、ディアナは迫害されるものだろう。それをディアナは知っていた。しかし、ディアナは道を歩いていても小石を投げられたことはない。それが親の威光によるものだと気づいたとき、めまいがするほど気分が悪くなった。
ふと顔を上げれば、去って行こうとする男の背中が三つ。ディアナの親があの父親でなければ、きっといじめられたのだろう。それは、親に守られたと言えるのかもしれない。
ディアナはそれがとてつもなく嫌だった。
「待ちなよ」
ディアナが三人を呼びとめた。
「他のガキどもの前じゃ威張り散らしてるくせに、あたしの前じゃ小石ひとつ投げつけることができないのかい? どこかの窓ガラスを割るスリルより、親のげんこつの方がよっぽど怖いだなんて、恥ずかしくないのかい?」
「な、なんだと!?」
悪戯をして他人を困らせて喜べるような単純な脳みそをしているのだ。一言煽られただけでもきっと足を止めるだろうと思った。
「図星だろぉ? 私のこの状況なんて格好の獲物じゃないか。水をかければいい、服を脱がせばいい、殴るなり蹴るなり好きなだけできるじゃないか。陰でせせら笑われてるとも知らずに、それだけが自慢で威張り散らすのがおまえ達じゃないか」
「てめぇ! もう一回言ってみろ」
「無理だね。いちいちどんな言葉を使って相手をあざ笑ったかなんて覚えてらんないよ。私は他人を煽るときに、『馬鹿』と『アホ』しか言えないような語彙の少ない人間じゃないんでねぇ。代わりに別の言葉でもう一回コケにしてやるよ。昨日飲んだママのおっぱいは美味しかったかい? 親の言いつけも破れない小心者どもがッ!」
三人の顔色の変化で、相手の頭に血が上ったのがわかった。完全に煽りあいでディアナが勝った。間もなくあの三人は殴り掛かってくることだろう。それはディアナが、自分の父親の加護を自ら打ち破った証になる。
村を歩いていても、守られたくもない親に守られているような雰囲気が嫌いだった。それを取り払うべく、ディアナは相手を小馬鹿にする言葉を覚えた。それで悪意を向けられるようになれば、親の威光に守られることはなくなる。それが狙いだった。
「糞女! 殴り飛ばしてやる!」
一人が殴り掛かってきた。一発目は何もせずに殴られてやった。これは、親の保護から抜け出した証、あの大嫌いな父親の保護を振り切ったことの証明になる。
振りかぶられた拳は完全にディアナの顔に命中した。ディアナはそれを受けてほくそ笑んだ後、二つ目に飛んできた攻撃を手のひらで止めた。
「ありがとう。これで心置きなく、あんたたちを殴ることができる」
親の保護下にある状態で喧嘩をして勝ったとしても、親のことがあるから手加減されて勝ったのだということになるのが嫌だった。だからまず相手を怒らせて、その上で相手を打ち負かせば完全にディアナの力で勝ったことになる。
結局この子供時代が原因で、ディアナは相手をあざ笑う癖ができてしまった。それは現在も続いていて、御覧の通りの口の悪さになってしまった。
ディアナは望みどおりに親の保護を振り切ることに成功した。男三人に拳を振り下ろしながら、ディアナはそのことを噛みしめていた。
だが、そんなディアナはとても孤独に見え、傷だらけという以上に悲しい姿に映っていた。
「お、覚えてろよ糞女が!」
「……ふん、捨て台詞までひねりがないねぇ。もう少し……ボキャブラリーを……」
ディアナはよろめいてその場に膝をつく。二発目以降は殴らせるつもりはなかったが、さすがに多勢に無勢でだいぶ痛めつけられてしまった。気力だけで追い払ったが、今戻ってこられたら勝てる自信はない。
幸い三人は戻ってこなかった。誰ひとりこの場に残らず、そして現れなかった。寂しい風が当たりに吹きすさぶ……。
寂しいなどと思うものか! つらいなどと考えるものか! 普通人が傷ついて倒れていれば手が差し伸べられるものだなんて知らない! 自分がどれだけみじめな状況であるかなんて理解しない! 自分は自分なんだ。誰がどんな評価を下したって関係あるものかッ! 孤独だなんて……いや、孤独だったとしてもそれを悲しいなんて絶対に認めないからなッ!
めまいに襲われながら、ディアナは心の中でそう叫んだ。涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる。一粒でもこぼそうものなら、それはさびしいと宣言してしまうことに等しいと思うからだ。
ディアナは瞼をぎゅっと閉じたまましばらく動かなかったが、やがて涙が引っ込むと目を開いた。
ぼやけた視界が徐々に晴れていくと、一匹の生き物が目に映った。
「……蜘蛛」




