第六十三話『反抗の過去』
季節は秋のなかばを大きく過ぎて、朝と夜にはすっかり冷え込むようになってしまった。
モニカとディアナが激突したのをきっかけにしたのでは無いだろうが、親衛隊達の生活も少し変わりつつあった。
「もらったー!」
「おっと、それじゃあ届かないよ!」
訓練場のなかで、ニーナの巨大な剣と、モニカの小さな剣が交差していた。親衛隊同士での実戦訓練が始まったのである。
それぞれ木でかたどった模造の武器で、審判をレナーテとして実戦に励んでいる。
この日はモニカが勝利した。
「はぁー、負けた。何回やってもモニカちゃんのフェイントが見切れないな~」
「ディアナには通用しなくなってきたけどね。ニーナの方もすごいよ、私じゃあんな大きな剣自由に振り回せないもん」
「ふっふーん! 頭だよあ・た・ま」
そんな会話をしながら、お互いを称えあう。
試合が終わると同時に、訓練場のドアが開きながら拍手が聞こえた。
「お見事お見事。二人ともまた強くなったみたいね」
「……ただいま」
「あ、クララちゃんとカルラちゃん。お帰りなさい」
現れたのは、さっきまで姿が見えなかったクララとカルラだった。二人は数日前から城の中からいなくなっていたが、休みだったわけではない。
「聞いたよ! 街の警備中に泥棒を捕まえたんだって? お手柄だね」
「たたえるならカルラを褒めてあげて。追いつめたのはカルラだから」
「そうなんだ。お手柄だねカルラちゃん」
「……」
モニカに声をかけられると、カルラは照れたように頬を染める。
二人は町の警備の仕事を数日間していたのだ。二人だけが特別なのではなく、親衛隊達は毎週交代で仕事を与えられている。
親衛隊の基本であるノルベルトの護衛はもちろん、町の警備、近隣地域の調査、軍に従軍して地方を回ることもあった。なかには、親衛隊には似つかわしくない仕事もあったが、それらは親衛隊として独り立ちするための経験を積む目的がある。
特にノルベルトの場合はどこの地域に行くのかわかっていない。地方に遠征する仕事が多いのは、その関係もある。親衛隊たちは、その任務の中でいくつか成果を残し、城の中でもしっかりと評価されつつあった。
「よし、集合だ」
レナーテが訓練を切り上げてモニカたちを集める。決まった動作で、決まった形に集合するのを確認してから、レナーテは指令書を取り出す。
「今日の任務はいつもと毛色が違う。というのも、今回の任務には依頼主がいる。……ベルからだ」
その名前がレナーテから出て、親衛隊たちは小さく声を上げる。
「別に危険な仕事ではないし、親衛隊に似つかわしい仕事でもない。街を歩いていたらどうにかならないかと相談を受け、そのまま引き受けてしまったのだそうだ。いつものはた迷惑な行動だと思ってくれれば間違いない」
レナーテは顔をしかめ、本当に迷惑そうな表情を浮かべる。とはいえ、親衛隊たちは正式に採用されれば、仕事の依頼主はノルベルトとなるのだから、採用後はもっとそういう仕事は増える。なら、どんな内容の仕事だとしても、ノルベルトの親衛隊となった時には役に立つ。
「それで、仕事の内容はなんですか?」
クララがそう言って仕事の内容を訊ねると、レナーテは咳払いをしてから答えた。
「幼児の教育施設の補助員……つまり幼稚園に行って手伝いをしろという内容だ。園内で風邪が流行って、教員も何人か寝込んでしまったらしい。幼稚園を閉鎖するほどの欠席が出ているわけではないが、教員が足りなくて困っているのだそうだ」
本当に危険な内容でもなければ、親衛隊の仕事に関係がある内容でもなかった。ただ、手の空いている女でぱっと浮かんだのが親衛隊達だったというだけだろう。
「今回の派遣人数は三人だ。モニカとエーフィ。それから……」
* * *
ガタガタと馬車が揺れる音がする。モニカ達は準備を整え、馬車でその幼稚園に向かう途中だった。
期間は一週間。風邪はそこまで長引くことはないだろうが、子供の施設だから念のために風邪を引いた教員たちは長めに休みを取ることとなったのだ。
「子供かー。幼稚園ってことは三歳から六歳くらいの子供ってことだよね?」
「そうなりますね。モニカさんは子供は好きですか?」
馬車の中で向かい合いながら、エーフィとモニカが会話をしている。
「うん好きだよ。うちの村って子供が少ないからさ、幼稚園なんかなくて教会に預けられるんだ。村に帰って元気いっぱいに走り回ってる子供を見ると癒されるよね。私も子供の頃はやんちゃだったなー」
「ははは!」
モニカの言葉が、笑い声で遮られる。その声の主はディアナだった。この任務の最後の一人に指名されたのはディアナだったのだ。
「何がおかしいの? ディアナ」
モニカがちょっとムッとしてディアナにそう訊ねる。
「だってお前はまだ十分子供だろ? そんなやつが『私の子供の頃は』なんて言ったら吹かざるを得ないねぇ。特にお前の場合は中身も体もまだまだ子供なんだから」
モニカは顔を赤くしてディアナに言い返す。
「な、なんだよー。ディアナだって胸が大きいわけじゃないのに……」
「身長まで幼稚園児と変わらないような奴に言われても悔しくとも何ともない」
「むっかー!」
「まあまあ、落ち着いてくださいモニカさん」
席から立ち上がろうとするモニカを、肩を抑えながらエーフィがなだめる。立ち上がっていたら大変だった。もしモニカが立ち上がっていたら、ディアナは『立ち上がっても天井に頭をぶつけないのはチビの証拠』と煽っていたはずだから。
「そこまで言うなら、ディアナはさぞかし立派な子供時代の思い出があるんだろうねー。私に聞かせてくれないかな?」
モニカは小さく怒りに震えながらディアナにそう聞いた。だが、ディアナは欠伸で返事をする。
「はぁ~。いや? 私の子供時代は下らないもんだったよ。お前はそうならないように、今のうちにしっかりと子供時代を謳歌しておきな」
「あ、ありがとうディアナ。まさか、私を心配してくれるなんてね~?」
「そう聞こえたならお前は本当にアホだよ」
「我慢してあげてるにきまってるでしょー!」
「まあまあ!」
再び立ち上がろうとするモニカをエーフィが抑える。
ディアナはそんな二人の声を聞き流しながら目を閉じる。
(子供時代……か)
* * *
ディアナもモニカと同様、都会から離れた村の出身だった。ただしディアナの家は貧しくはなかった。村の中でも一番豪勢な家が建てられ、とても裕福な家庭でディアナは育った。
「己の国を軽んじて、他国にばかり憧れを抱く者は哀れだ」
あるとき、ディアナの父親がそんな話を始めた。
「他の国を引合いにだし、己の国をさげすむような輩は、己がどれだけ国から加護を受けているかについて頭が回っていない。我々が毎晩賊どもに襲われずに眠ることができるのは誰のおかげか? 我々が堂々と他国を闊歩できるのは誰のおかげか? 国の治安が乱れていれば賊が跋扈して世にあふれる。国の庇護下におらねば、他国は魔物とかして首輪をはめてこようとする。皮肉にも、それは憧れていたはずの国が行うのだ。我々はたちまちのうちに鎖でつながれ、人外の烙印を押され、畜生並みの扱いを受けることだろう」
ディアナの父はディアナを見た。
「大国ゆえに行き届かないところもあり、そのための不満も出るだろう。だが、その不満を胸にしまう対価に見合う恩恵を、我々は受けている」
「……だから、国は大切にしようっていうこと?」
ディアナがようやく字を書けるようになったばかりの話だ。その頃のディアナにはこの程度の解釈で精いっぱいだったが、それなりに理解できたと思う。だが……。
「同じことがこの村の中でも言える」
そう言ってディアナの父親は立ち上がり、白衣をまとってディアナに近づいてきた。
「人は皆、常に死という恐怖に囚われなければならない。何時なんどき怪我が元で死ぬか分からない。何時なんどき病気にかかるか分からない。その時、人間はなすすべなく生命を奪われてしまう。だが、窓の外を見渡してみれば、誰もかれものんきな表情を浮かべて村を歩いている。なぜ村人達は死の恐怖に怯えずに暮らせているのか?」
ディアナの父はディアナを覗き込みながら断言した。
「それはこの私の存在……この村で唯一の医者である私の存在があるからだ。私という怪我や病気への保障のおかげで、村人たちは死の恐怖を忘れていられるのだ。そのために村人たちは私を尊敬し、平伏する。住民の命を握っている私は一種の王であり、尊重されねばならない存在なのだ」
幼いディアナには……いや、大人になった今どれだけ思い返してみても、どうしてこう続くのかわからない。そして……。
「唯一の娘であるお前にもそうなってもらわなければならない」
こう結論付けられることに至っては、本当に理解できなかった。
* * *
風を切る音が聞こえる。そして肌を強く叩く嫌な音も同時に聞こえた。
ランプに照らされた壁には、二人の人影が写っている。一人は大柄の人間のもので、何度も何度も鞭を振るって大きく動いている。もう一人の影は床に座っているためとても小さく、身じろぎひとつせずに大きな影と交差した。
二人は無言だった。会話はなく、鞭を振るう掛け声もなく、悲鳴を上げる声も聞こえなかった。ディアナの父親は、間違いなく鞭を振るってディアナを叩いているというのに……。
ことの発端は、父親がディアナに課した筆記テストだった。ディアナの解答は、父親が設定した合格点数にわずかに足りなかったのだ。それゆえに父親が激怒して鞭を振るったというわけではなく、あらかじめ合格点に足りなかった場合は鞭で打つという制約が課せられているのだ。
二人を止めに母親が飛び込んでくることはない。なぜなら、この家の中で暮らしているのはディアナと父親の二人だけだからだ。母親は、ディアナを生むとすぐに家を出て行ってしまったのだそうだ。……理由は聞かずとも想像できた。
再婚をするつもりはないのだという。それだけ逃げて行った妻が魅力的だった……というわけではないだろう。父親は世間体を気にして、二度結婚するのが我慢ならない性分のようにディアナには思えた。逃げられた時点で同じことだとは思うのだが……。
それ故に父親の跡を継ぐのはディアナしかいない。父親の教育は過酷を極めた。鞭を取り出すことに何のためらいも見受けられなかったし、血が流れるのを見て戸惑ったことも見たことがない。
その境遇は、程度の違いはあってもカルラと似ていた。だが、ディアナとカルラには決定的な違いが一つあった。
だまっていたディアナが、振り下ろされた鞭をつかんでとめた。
「もう十回叩いただろう? ひっこめろよ」
ディアナは父親の言いなりになりはしなかった。
罰の鞭打ちには回数が設定されている。それを超えて打とうとすればディアナは容赦なく鞭をつかんで父親を睨みつける。
大体にして、ディアナは合格点を取れなかったわけではない。わざと間違えたのだ。
テスト用紙を渡され、合格点を取ることを強要されるのが我慢ならなかった。だが、父親の課した問題を解けないというのも癪だった。だから、計算してギリギリ合格点を取れないように解答した。わざと間違えたとわかるように、嫌味をたっぷりこめて一番簡単な問題を間違って見せた。その意図は当然父親に伝わっている。
「……」
父親もディアナを睨みつけるが、何も言わずに鞭を収めた。
父親は自分の跡を継がせたいからディアナに勉強をさせたが、ディアナは反抗したくて学力をつけた。
そのうち父親は自分に従わせたいからと鞭を取り出し、ディアナはその意図を悟って嘲うすべを覚えた。
父親はディアナに対して怒りばかりがたまっていき、ディアナは憎しみばかりがたまっていった。
ディアナは父親の罰を受け終って部屋に戻ると、机の鍵を開けてノートを取り出す。
『オトナニナッタライエヲデテイクオトナニナッタライエヲデテイクオトナニナッタライエヲデテイクオトナニナッタライエヲデテイクオトナニナッタライエヲデテイクオトナニナッタライエヲデテイクオトナニナッタライエヲデテイクオトナニナッタライエヲデテイク……』
一日の終わりに、ノート一ページいっぱいにこれをかいて眠るのが日課だった。父親が自分の部屋を荒らした時にこのノートを見つければ、きっと顔をしかめるだろう。それだけが目的でこのノートを書いている。
これがディアナの子供時代だった。




