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親衛隊は、七人です!  作者: 鳥無し
震える歌声は歌姫の勇気
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第五十二話『論駁』

「でも……」

 別に仲間達だからというのではなく、誰かに相談したく無くてフレイヤはここに逃げ込んだのだ。ここで誰かに相談して答えを得れば、それは結局誰かを利用したことになるのでは……?

 フレイヤはそう思って返事を渋っていると、ベルの方で調子の軽い声を上げた。

「あーあーわかったわかった。だったらこうしよう。俺がお前の悩みを論駁(ろんばく)してやる」

「論駁……?」

 聞きなれない言葉に、フレイヤが首をかしげる。

「論駁っていうのは、相手の理論の中に誤りを見つけて、それを自分の論で攻撃することを言う。つまり、俺はお前の味方どころか、敵になっておまえに攻撃を仕掛けるというわけだ」

 いってからベルは嘲笑するようにフレイヤを見た。

「さあ、打ってこいよ豆鉄砲。お前のへっぽこでくだらない悩みなぞ、俺の鉄の刃で切り伏せてくれる」

「く、くだらないって……」

「俺は敵相手に綺麗な言葉をかけられるほど上品な性格はしていない。このままお前が仕掛けてこないなら、お前の悩みは語るにも恥ずかしいどうでもいいものと結論付けて、一方的に勝利を宣言する」

 そう言って、ベルは薄ら笑いを浮かべた。その表情はどう見てもフレイヤを小馬鹿にしている。

 何がくだらなくてどうでもいいだ。私がどれだけ悩んだかも知らずに……やはり嫌な人だ。いいだろう話してやろうとも。くだらなくなんかないということを証明してやる。

 

「私はズルい人間だった。苦しんでいたのは私で、それを解決しなければならないのも私のはずだった。それなのに、みんなへ困った風に見せかけて、依存して、利用したんだ。私が一体何の苦労した? 私が一体何を努力した? 何にもしてない。頑張ったのはみんなの方。私は、みんなが整えてくれた舞台に立って歌うだけ……それが許せなかった」

「それの何がいけないんだ?」

 一つ目の反論はバッサリだった。

「みんなが努力して、みんなが整えてくれた舞台で歌う。結構じゃないか。皆にお礼を言ってその舞台で歌えばいい。どこがズルくなるんだ?」

「私は何もしてない! 頑張って苦労したのはみんなの方。それなのに私は舞台で歌うだけなんて卑怯だよ!」

「そりゃお前は何もしてないだろう。お前はこれから(・・・・)歌うんだから」

 え……っとなってフレイヤの言葉が途切れる。反論がないと見るや、ベルは自分の論を続けた。

「いくら舞台を整えてもらおうと、いくら苦労して準備を重ねようと、歌うのはお前自身だ。それは何も変わらない。仲間たちはお前の代わりに歌うことはできないし、お前の不安や緊張を肩代わりすることはできない。それはお前が背負って、お前が苦労しなければならないことだ」

 反論の言葉はなかった。ベルの言うとおり、フレイヤが誕生祭で歌うということは変わっていないのだから。

 

「それともお前は、舞台を整えるのさえ自分でやるべきだったというつもりか? それはむしろ、お前を助けようと好意で手伝ってくれた仲間たちに失礼だと思うが?」

「だ、だってそれは、私が困った風を装ってみんなを利用したから……」

「困った風じゃなく、実際に困っていたんだろう? 困っている人間を見て、それを助けようと奮闘する親切を、なんでそんな言葉で片付けてしまうんだ?」

 確かにそうだ。ニーナやモニカ達は親切でフレイヤを手伝ってくれていたんだ。皆が親切で優しい人達だってことは、フレイヤ自身が一番よくわかっているじゃないか。それをどうして……。

 

「だいたいだな。依存だの利用だの、そんな面倒な言葉をいちいち当てはめるから変なことになるんだ。お前はニーナとルームメイトだろう? 少しはあいつの前向きさを見習ったらどうだ?」

 そう言ってベルはそこで呼吸をおいてから、髪をくしゃくしゃにしてニーナの口調をまねる。

「『い・ぞ・ん~? ……はぁー、何その後ろ向きな言葉。そこはどうして、頼り(・・)にしてるって考えられないかな~?』あいつならこんな感じに言うんじゃないか?」

 ニーナが同じことを、同じような口調としぐさで言う光景が、ありありとフレイヤの目に浮かんだ。

「まあいいさ。お前の中ではおまえのしたことは依存であり、軽蔑すべき内容だったということになっているんだから。……ところで、誰かに依存することは悪い事なのか?」

 これにはフレイヤは拒否反応を起こす。依存はだめだ。他人に頼り切って利用して、自分が楽をする意地汚い行為。それが嫌でここにいるのだ。

 

「依存はだめだよ。自分の苦労を他人に肩代わりさせて、自分が楽をする最低な行為なんだから」

「誰かに寄りかかり、自分の体重を預けることがそんなにいけないことなのか? 自分一人では抱えきれない苦しみや痛みを感じたとき、誰かに寄りかかって痛みを分かち合おうというのがそんなに悪い事なのか?」

「ダメだよ! その苦しみや痛みは私自身のもの。他の誰にも関係ないし、押し付けてはいけないものなんだよ」

「お前は誰かに依存さえすれば、即座に自分の苦しみがすべて相手に乗り移ってしまうと勘違いしているきらいがあるな」

 勘……違いではないだろう。依存というのは、誰かに寄りかかって……あれ?

「さっきも言ったが、周りの人間がどれだけお前を支えようと、どれだけお前が寄りかかろうと、お前の体重はお前の体重だ。それはお前が常に感じ、お前が常に背負わなくてはならないおまえの重みなんだよ。時に耐えきれなくなって、寄りかかる先が二つ三つあってどうしていけない? むしろ、そういう寄りかかり先をいくつか持っているというのは幸福なことだと俺は思う」

 幸福……。でもその幸福は他人を不幸にしたことで得られる……。

 

『じゃあ私はニーナのせいで不幸だったんだね?』

 

 さっきとは違う意識が頭をよぎる。

『ニーナは甘えん坊で、よく膝枕をねだられたよね? あの時私は快くそれを承諾していたけど、実は不幸だったんだね?』

 そんなことない。私はニーナがとても苦労して、頑張っていることを知っていたから、私が膝枕をすればそれが少しでも軽くなるならと……。膝枕をしてあげたくらいで、苦労が取り払えるわけがないことは分かっていた。こんなことしかできない自分が申し訳なかった。

『そういうことなんじゃないかな?』

 

 フレイヤはハッとして意識を取り戻す。何か胸に火がともったように熱い。なぜ?

 フレイヤの目線の先にはベルがいて、引き続き論を続けている。

 

「いるさ。他のだれにも頼ることなく、神にすら心のよりどころを置かず、自分の体重をすべて自分で受け切ってしまうような超人的な人間も。でも多くはないんだ。たいていの人間は自分の持った体重に疲れ、誰かにもたれかかり、休憩する。そして十分に休息を取ったら、また立ち上がって自分の体重と向き合う。誰もが自分のすべてを肯定しきって、誰の同情もえず、誰にも同情せずに生きていくことはできない。お前が特別狡猾なわけでは決してない」

 意識が一瞬ベルに向いていなかったからか、その言葉は少し難しく感じられた。それでもなんとなく言いたいことは分かった気がする。

 

「ところでさっき俺は、依存する先をいくつか持っているのは幸福だといった。なぜだと思う?」

「……分からない」

「勇気がいるからさ」

 そう言ってベルは少し間を置く。

 

「男の俺には分かりづらいが、人に体重を知られるのは恥ずかしい事なんだろう? 女なら体重計に乗るまえは、平気で二食くらい抜くことができるというのだから深刻だ」

「何の話……?」

「寄りかかるということは、自分の体重を誰かに教えるということだぞ?」

 フレイヤは目を見開いた。

「そういうことだ。誰かに寄りかかるというのは、自分の重みを誰かに告白するに等しい。体重が恥ずかしいのどうのというのは俺には分からないが、悩みを知られるのが恥ずかしいというのは良くわかる。知られたくなどないし、できることなら自分で解決したいと思う。それができないとき、勇気をもって信頼できるものに打ち明ける」

 そうだ。フレイヤも最初は打ち明けたんじゃないか。知られたかったか知られたくなかったかで言えば、確かに知られたくはなかった。知られるのが怖いくらいだった。ニーナに励まされて、みんなが打ち明けるに足りる優しい人達だと信じたから話したんじゃないか。

 

「お前は言ったな、努力や苦労をしたのは仲間たちの方で、自分は何もしていないと。確かに、お前からの信頼や信用を得ようと努力したのは仲間たちのほうかもしれない」

 でもな……と言ってベルは続ける。

「そんな仲間たちの努力を認めて、仲間たちの努力を信じて、勇気を持って受け入れたのはお前だろう? 仲間たちが整えてくれたステージを信頼しきっているからこそ、お前はそこに立って歌うことをためらわなかったんじゃないのか? 誰かを信じて頼るというのは、簡単なようで難しい事なんだぞ?」

 勇気を……もって……。

「仲間にばかり苦労や努力をさせて申し訳ないというのなら、お前は勇気をもってそれにこたえて見せろ。仲間たちに自分の悩みを打ち明けることができたその勇気で。城に住む数百人の前で歌い切れたなら、これ以上ない形でおまえの勇気を指すことができるはずだろう?」

 数百人という言葉を聞いて、小さくフレイヤが震える。それは怯えた震え? それともこれ以上ないステージに立って見せるという奮起の震え?

 

「私に……それができると?」

「けだもののごとく思っていた俺に対し、あれだけの啖呵が切れたんだ。数百のじゃがいも相手に歌うくらい、なんでもないと思うが?」

「あ……えっと、その」

 自分がベルに対していい印象を覚えていないことを看破されているとは思わず、フレイヤは少し口ごもる。

 それを見てベルの方は軽く笑った。

「あれだけあからさまな態度をとっていて、気づかれていないとでも思っていたのか? 俺は人の感情には鋭い方だぞ?」

「……そうなの?」

 そんなこと見た目ではよくわからないけど……。

「というより、人の気持ちがよくわからないと、からかった時に反応が楽しめなくて損だからな。ハハハハ!」

 そう言ってベルは豪快に笑う。その笑いが誇らしげだったので、気が抜けてしまった。

 やっぱりベルは……。

 

「今、俺のことを嫌な奴だと思っただろ?」

「えッ! いや、そんな……」

「御覧の通りだ。あははははは!」

 そう言ってまた大声で笑う。見事に自分の心中を看破されたようで、フレイヤは赤くなった。

 

 ベルは笑い終えると、フレイヤに視線を向けた。

「ところで、もう反論はないのか? お前の依存がどうのこうのという話は?」

「あ! えと……えと!」

 急に話を戻されて混乱する。どの程度反駁されたんだった? 私は後どの理論を持ち出してベルに対抗すればいいんだっけ?

 混乱するフレイヤを見ながら、あきれたようにベルは言った。

 

「というかなー。お前、今自分が悪者になるために一生懸命反論しようとしていることに気付いてるか?」

「……え?」

 そういえば。確かに、この論駁戦でフレイヤが勝てば、フレイヤは嫌な人間だということになる。逆に負ければ、善人とまではいかなくても、即座に悪人ということには……。

「そんなことにも気づかずに話していたのか? おめでたいやつだな」

「あぅ……」

 恥ずかしい。さっきから言いくるめられてばかりだ。

「ただ、そうなるように仕向けたのは俺の方だがな」

「なッ!」

 きりっとした表情でそう言い切ったベルを、フレイヤはキッとして睨みつける。

 

 わざわざ私が勝ったら私が悪人になるように仕向けていたなんて……。やっぱり嫌な人だ、嫌な人だ、嫌な人だ! ……嫌な人、なのだろうか?

 フレイヤが勝てば悪人になるというなら、ベルが勝てばそうではなくなるということだ。ベルは今まで、フレイヤが悪人にならないために言葉を尽くしてくれていたということになる。それは……嫌な人と言えるのか?

 

「反論も尽きたようだな。ではここでの理論では俺の勝ちだ。後はお前が、俺の理論が正しかったことを証明してくれ」

「証明って……どうやって」

「誕生祭で歌うんだよ」

 これも明快だった。ベルの口調に迷いはない。

 

「誕生祭で歌って見せろ。仲間に依存し、仲間を頼り、精一杯力を借りて当日を迎えるんだ。お前は厳密には、まだ誕生祭での歌唱を断れる立場にある。お前は仲間たちの努力に対し、勇気で持って誕生祭での歌唱を了承し、さらにもっと大きな勇気で歌い切ってみせろ。その時おまえの胸中が罪悪感で満たされたなら、俺の負けでいい」

 そう言ってベルは手をひらひら振って立ち去っていく。

「城に戻ってニーナにでも泣きつくんだな」

 最後にひとこと嫌味を言って歩みを進める。フレイヤはその背中に一言聞いた。

 

「あなたも……あなたにも誰か依存する人はいるの?」

「ああ」

 軽く返事をして振り返った。

「数え切れんさ。これでも心労は多い方だからな。寄りかかる先はいくらあっても足りないくらいだ。よかったら、お前も俺の依存先の一つになってくれないか?」

「――な!」

 想像だにしない返しを食らい、フレイヤは言葉を詰まらせた。

 

「……ダメか。口説き文句は難しいな。ははは!」

 ベルはそう言って去り、フレイヤももうそれ以上声をかけたりはしなかった。

 

 *    *    *

 

 ベルがフレイヤのところを後にしてしばらく歩くと、前方からあわただしい足音が聞こえてきた。その足音の正体を何となく察したベルは、立ち止まってその足音の主を待つ。

「あ、ベル!」

「よう、ニーナじゃないか」

 足音の主はニーナだった。慌ててかけてきたらしく、息を乱している。

 

「ねえベル、この辺でフレイヤを見なかった?」

「さて、俺は見てないな。俺はあっちから来たから……」

 今自分が歩いてきたのとは違う方を指差しながらそう言って。

「いるとしたら、こっちの方じゃないか? この先は管理から外れてしまうが……」

 今自分が歩いてきた方を指しながらそう言った。

 

「そう、ありがとう~」

 口早にお礼を言ってからニーナは走り出した。

 ベルはそれを目で見送ってから数歩歩き、振り返りながらぽつりと言う。

 

「あいつの泣き顔なんて、胸糞悪くて見れたもんじゃない」

 

 *    *    *

 

 ベルに言い負かされ、フレイヤは身動きができずにいた。なんとなく木の上からは降りたのだが、歩き出そうという気が起きない。仮に動くことができたとしても、もう森の奥に行こうなどとは思わないだろう。

 まだ耳の奥にベルの言葉が残っている。さっき自分が思い悩んでいたことを頭の中でめぐらせても、そのベルの言葉が一刀両断にして切り伏せてしまう。論駁戦は完敗だった。悔しさなどは微塵も感じないが……。

 

 その時茂みの奥でガサガサという音が聞こえた。一瞬ベルかと思ったが、あの去り方をしておいて引き返してくるのはおかしい。それなら動物だろうかと身構える。

「あ、見つけた。フレイヤ」

「ニーナ……?」

 茂みから顔を出したのはニーナだった。フレイヤは状況が読み込めず、ぼうっとニーナが近づいてくるのただ見ているしかできなかった。

「馬鹿!」

 と思ったら、いきなり叱られた上に頭を小突かれる。

「何か悩みがあるなら相談しようよ。私たちは友達でしょ~?」

 フレイヤは目をぱちくりとさせてニーナの顔を見上げた。何がどうしてこんなことになっているのかわからない。

 

「なんで私が悩んでるって……」

「だって、夜中に目を覚ましたら横にフレイヤがいないんだよ~? 着替えた様子もないし、トイレかなと思ったけど帰ってくる様子がない。何かあったんじゃないかと思って探しに来たの」

 言われて思い出したが、フレイヤは寝間着のままだった。着替える余裕も暇もなかったから当然だが、今の今まで自分の服装のことが頭から抜けていた。

「部屋で寝ててさらわれるわけがないし、まさか何かを思い悩んで逃げ出したんじゃないかと思ったの。そしたら案の定だよ~。こんな森の奥まで逃げてきちゃって……」

 ニーナはそう言ってフレイヤについた木の葉などを叩き落としてくれる。自分の頭にも葉っぱがついているのも気にせずに。

 ニーナはフレイヤが話さずとも、苦しんでいることを察して、誰よりも先に探しまわってくれていたのだ。

 

「ごめん……ニーナ。私はこんな風にニーナに依存してるのが情けなくて、私はニーナを利用して楽をしてるんじゃないかって怖くなったんだ」

 ニーナはそれを聞いて一瞬目を見開き、あきれたように頭を振りながら言った。

「い・ぞ・ん~? ……はぁー、何その後ろ向きな言葉。そこはどうして、頼りにしてるって考えられないかな~?」

「まったく同じ……」

「え?」

 ニーナが言った言葉と、きっとニーナならこういうだろうとベルが言った言葉は全く同じだった。そして、今ニーナ本人に言われて、フレイヤ自身も全くその通りだと思えた。

 

「ニーナ!」

「うわっとと……」

 フレイヤはたまらなくなってニーナに抱きついた。少し涙ぐみながらフレイヤは言う。

「私は精いっぱいニーナを頼りにするから、ニーナも何か困ったことがあったら私を頼ってね?」

「……馬鹿だな~。もうずっと頼りにしてるっていうのに」

 ニーナははにかんで笑いながらフレイヤを抱きしめ返す。

「こんなに簡単に立ち直れることで逃げ出すなんて、フレイヤは本当に可愛いんだから」

 フレイヤはそれには言葉を返さなかった。ほんのさっきまでのベルのやり取りが無かったら、フレイヤはニーナから逃げ出していたかもしれない。話をする余裕などなく、二人で帰ってこれないくらい森の奥まで入り込んでしまっていたかも……。

 だが、それはもうありえない仮定だ。

 

 *    *    *

 

「だいたいだね~。フレイヤといいエーフィといいまじめ過ぎなんだよ。もっと気楽に生きるってことがどうしてできないのかな~?」

 ニーナは後ろを歩くフレイヤに説教をしながら城までの道を歩いてきた。いつもはクララに叱られるところが、今は自分が説教できる立場になったのが少し嬉しいらしい。人差し指を立てた右腕を振りながら、返事も求めず己のお気楽思考を振りまいている。

 フレイヤはそんなニーナの後ろをこくこくと頷きながら歩いていた。ニーナが念のために服を持ってきてくれていたので、それに着替えている。

 

 森と城をつなぐ通路を出て少し歩くと、ニーナは見知った顔を見つけ、腕を上げて声をかけた。

「あ、ノルベルト様~」

「え? ノルベルト様?」

 黙ってうなずいていたフレイヤが、声を出してその姿を探した。すると、目の前にノルベルトが歩いており、ニーナに声をかけられるとこちらに向かってきた。

(あれ……怖くない?)

 前なら近くにいるだけで緊張してしまったはずのノルベルトがこちらに歩いてきているというのに、フレイヤの胸はいたって穏やかだった。落ち着いてしまっている心が逆に気になって、フレイヤは挨拶をしそびれてしまう。

 

「無事に見つかったらしいな」

「はい! ありがとうございました」

 ノルベルトはフレイヤをちらりと見てからニーナにそう言い、ニーナもそれに返事をして礼を言った。フレイヤには意味が分からない。

「ニーナ、ありがとうって……?」

「ああ、フレイヤは分かるはずないよね? 実は今朝……」

 

 *    *    *

 

「おおーい、フレイヤどこ~?」

 ニーナはフレイヤの様子がおかしいことに気づき、日の出の頃から城の中を探していた。かなり慌てていたから、誰かが近づいてきていることに気づきもしなかった。

「そんなに慌ててどうした? フレイヤがいなくなったのか?」

「あ、ノルベルト様。おはようございます」

 主が突然現れて、ニーナは頭を下げて挨拶をする。

「挨拶などいい。訳を話せ」

「え~と、え~と、深夜に目を覚ましたらフレイヤがいなくなってて、着替えてなかったから寝巻のままのはずなんですよ~。あ、でもさらわれたとかじゃなくて自分からいなくなったはずで、でもトイレかと思ったんですけど――」

「わかったわかった。とにかくフレイヤがいなくなったんだな?」

 完全に混乱しているらしいニーナの言葉を遮って、ノルベルトは要点だけを拾った。

 

「モニカやクララには言ったのか?」

「でも、勘違いかもしれませんし。夜中じゃ迷惑かと……」

「馬鹿、頼れ。お前たちは仲間なのだろう? 勘違いの散歩か何かだったら謝ればいいのだ。それくらい笑い話で片付く」

 ノルベルトは背を向けて歩き出した。

「お前たちが人探しをしても問題がないように手を回しておこう。お前はさっさと宿舎に戻って仲間に話に行け」

 ニーナは少しの間固まった後、去っていくノルベルトに一度頭を下げてから宿舎へと走った。

 

 *    *    *

 

 フレイヤはそこで初めて、ニーナだけでなく仲間たち全員が自分を探してくれていたことを知る。確かにそうでもなければ、ニーナが思い切って森に探しに来ることなどできるはずもない。

「話を聞いてみると大したことはなかったみたいです。お騒がせしました~」

 ニーナはそう言ってぽかりとフレイヤの頭を小突いた。フレイヤはされるがままに殴られて頭を下げ、「すみませんでした……」と消え入るように言った。

 ノルベルトはふっと笑い、ゆっくりと歩きながら立ち去ろうとする。

 

「大したことがなかったならよかったな……そうだ」

 ノルベルトは一度立ち止まり、振り返りながら二人に言う。その様が、フレイヤには誰かとダブって見えた。

「誕生祭はお前たちの初仕事なのだろう? 期待しているぞ」

「はい!」

「……はぃ」

 ニーナが元気良く返事をし、フレイヤは横で消えそうな声で返事をしてノルベルトを見送る。

 

「……あ」

 見送った後、フレイヤが思い出したように声を上げた。

「私、ノルベルト様に伏礼するの忘れちゃった……」

 ニーナはそれにニヤッとしてほほ笑み返した。

「あ~あ、それじゃあ罰則期間延長だね~。誕生祭まで頑張ろう!」

「……うん!」

 

 *    *    *

 

 ノルベルトが二人と離れて人気の少ない場所まで歩いていくと、急に立ち止まって呟いた。

「カペルだな」

「手回しは滞りなく完了いたしました」

 ノルベルトが名前を呼ぶと、物陰から親衛隊副隊長カペルの声が聞こえてきた。カペルの言葉を聞くと、ノルベルトは申し訳なさそうに笑う。

「華の親衛隊の仕事が、やられ役や人探しの雑用ばかりですまないな」

 ノルベルトはカペルに、手回しと同時にフレイヤも探させていた。そうでなければ、ノルベルトが先にフレイヤに会うことは難しかっただろう。

 

「ご命令ですから。それに、地方を巡って草むしりをするよりはマシです」

 ノルベルトはふっと笑って歩き出そうとする。するとカペルはつぶやくように言った。

「あえてバカな言動や怒りをかるような行動をして、怒りの感情を起こさせて恐怖心を軽減。さらに、ニーナにわざと殴られて、大した強さを持っていないと誤認させ、さらに恐れを薄れさせる。遠回り過ぎて面倒くさいうえに、効果があるのかどうかすら不確かなサポートだな」

 ノルベルトは再び足を止めて言う。

「そうか、それだけ望み薄な助力だったなら無いも同じだな。フレイヤは自力で俺の恐怖に勝ったということになる」

 カペルはため息をついた。

「そうやって過剰評価ばかり繰り返していると、隊にしまりがなくなるぞ?」

「大丈夫だろう。男の親衛隊にはお前がいるように、女の親衛隊にはクララがいるからな。今頃フレイヤはこっぴどく叱られている頃だろう」

 それもまた過剰評価なんだぞとカペルは言ったが、小声だったからノルベルトまで届いたかはわからない。

 ノルベルトは今度こそ立ち去りながら言った。

「しかし、誰かに依存することによって利用し、自分は楽をする人間か」

 ノルベルトは空を見上げた。

 

「俺はそんなしたたかな人間も、人間味があって嫌いじゃないけどな」

「ふん……人間好きめ」

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