第四十九話『怖い人?』
フレイヤは緊張など忘れたように歌いだした。
フレイヤは一度歌い始めると、気持ちよさそうに二曲、三曲と続けて歌った。その間モニカ達は、何もすることができず。どんなときにも絵を描こうとするカルラさえも、筆を休めてフレイヤの歌に聞き入っていた。
フレイヤも、数人とはいえ人前で歌えることに自信を持ったのか、気持ち穏やかに歌い続けた。
気付けば日も暮れかけて、引き揚げねばならない時間になるまで、フレイヤ一人の音楽会は続いた。
「こうなると、少しずつ人を増やしていきたくなるよね」
フレイヤの練習初日が、思った以上に調子がよかったので、モニカが欲を出してそんなことを言った。
「私たちだからっていうので落ち着いて歌えたというのもあるでしょうし、少しずつ範囲を広げたいところね」
帰りの支度をしながら、クララもその意見に同調する。
「でも、私たちの交友関係ではかなり限られてくるわ。第一、抜け道は誰彼かまわず教えてしまうわけにもいかないし……」
「なら、俺が参加しようか?」
クララの呟きに、返事をする男の声があった。当然それはモニカ達のものではない。その声は茂みの中から聞こえてきた。
「誰!?」
突然の声に、クララは驚いて身構える。すると、ガサガサと茂みを揺らし、一人の男が表れた。
「「ベル!」」
何人かの声が合わさってベルの名を呼んだ。そして、何人かはノルベルトの名前を飲み込む。
「俺がここに観客の一人として加わろう。ノルベルトの親衛隊に俺が協力するのは何も不自然なことはないはずだ」
ベルは悠々と歩いてきながらそう言った。そんなベルに、ニーナが真っ先に声をかけた。
「ベル~。最近じゃ城の中にこもってるんじゃなかった? どうして森の中になんているの~? さぼり?」
「新しい任務だよ。大イノシシはいまだに見つからないけど、見つからないからこそ警戒を解くわけにはいかない。加えて、野盗が出たんだ。国としても、しばらく森の中の警備には力を入れないとね。そこであの日現場に遭遇した俺に白羽の矢が立ったという訳さ」
よくもそんなに口がまわるものだと、何人かが感心する。
ベルの正体を知っている立場からすれば、今の話が大ウソだということはすぐにわかる。大方、フレイヤ達の様子を探るために、こっそりつけてきたのだろう。
だが正体を知らない立場からすれば、今のベルの話はありそうなものだし、実際他の者達が警備をしているかもしれない。ベルはその場をしのぐ嘘がとてもうまい。
「もう~、私の前ではその気持ち悪い営業言葉はやめてって言ってるでしょ~?」
ニーナが腕を組んで不快そうな声を上げた。
「わかったわかった、粗暴な口調で話せばいいんだろう? で、森の中を巡回して居たら話し声が聞こえる。こんな森の奥で珍しいと思って様子を見に来たらお前達がいた。出ていける様子ではなかったから出ていけるタイミングを計っていたというわけだ」
ベルが口調を砕いて話し始める。
そんなやり取りに、モニカやエーフィなどは和んだが、ニーナは眉を寄せてベルに非難の言葉をぶつける。
「とか何とか言って~、本当は私達をのぞいてただけじゃないの? このスケベ! スケベルッ!」
子供のころからの知り合いだから当たり前だが、ニーナの言葉は容赦がない。
「どう思うフレイヤ? 歌を盗み聞きされた立場として……フレイヤ?」
「あ……ぁぁ……」
フレイヤはベルを見ながら青ざめ、体は震えて声を漏らしていた。怯えているのは分かったが、その怯え方が尋常ではない。ただ単に男に相対したとしても、フレイヤはこんなに震えたりはしない。ノルベルトに対してさえ、緊張はしていても怯えの色はこんなに大きくはなかった。
「どうしたのフレイヤ~? ベルなんて別に……」
「ベ……ベル? ベルっていえば……あの……」
あの? フレイヤが意味深にそういった言葉を、モニカ達は理解できない。
「あちゃ~、フレイヤも中央に住んでるんだから、知ってて当然か~……」
だが、ニーナはフレイヤの言った言葉の意味を理解しているようだった。自分の頭に手を当てて、しまったという風な表情を作る。どういう意味なのかとモニカ達が聞こうとすると、それよりも早くベルが動いた。
「他の面々は見たことがあるが、お前は初めてだな。消去法で察するに、フレイヤだろう? さっきの歌もお前か。四次試験の歌で採用された親衛隊」
「は、はいッ!」
フレイヤはすっかり怯えきっている。逃げ出さないだけ褒めたくなるほど震えているのだ。それでもベルは、別段気にした風でもなく、話を続けた。
「聞いたことがない曲がいくつかあったな。なんて名前の歌なんだ?」
「私が作った歌ですから、名前は別に……」
「え、すごい」
モニカが思わずそう呟いてしまう。自分には作曲のセンスなどないから純粋にすごいと思う。モニカはすべての歌を聞いたことがなかったが、どれも変わらずしっかり歌として完成していた。素人が作った曲がいくつかあったはずなのにだ。
「なるほど、だから歌詞も似たような雰囲気が出ていたわけか。お前の作る歌詞は物語風になっているものが多い。主人公こそ、動物だの道具だの人間だのと多様だが、そのいずれもが劣等感を覚えている。そして、歌の終盤でその劣等感を克服する構成になっている」
気付かなかった。その場の何人かがそう思い、舌を巻いた。メロディと歌声の心地よさに気を取られて、歌詞の内容にまで頭が回らなかった。
「そ、そうかもしれません。ですが、別に意識したわけではありませんし。偶然……」
「もしそうだとしても」
ベルが言いながらフレイヤに向かって一歩踏み出す。それに合わせてフレイヤも一歩後ずさった。
「むしろそうであるなら、無意識にそういう歌詞を作っているということになる。それは、今の自分から変わりたいという意識の表れなんじゃないか?」
ベルの口調は、怒っている風でも責めている風でもない。普通に話しながら歩いているだけなのに、フレイヤはベルからかなり長い距離をとって近寄ろうとはしなかった。
そんなフレイヤとベルの間に、ニーナが割って入る。
「ちょっと~、フレイヤが怖がってるでしょ? 近づかないでくれないかな?」
「他人に、それもできれば男になれなきゃいけないんだろう? それを克服させてやろうと、こうやって話しかけてるんじゃないか」
ベルは言いながらフレイヤに手を振って見せる。フレイヤは周りをはばかりもせずさらに後ずさった。
「とか何とか言って~。本当は怖がってるフレイヤを見て楽しんでるだけじゃないの? 私の目が黒いうちは、フレイヤは私が守るんだからね」
「ちび女が調子に乗ってるな。少しは訓練の効果は出てるのか?」
ベルは小馬鹿にするような表情でニーナをあざ笑う。それに対してニーナはムッとした。
「言ったな~。私のパンチを食らっても同じことが言える?」
そう言ってニーナは軽く構え、ベルに向かって連打を繰り出す。
ベルは二発三発と、ニーナの腕に手を添えることもなく攻撃をかわし、だいぶ余裕があるように見えた。
しかし、ベルが体勢を切り替えようとするところを狙って、ニーナはうまくベルに攻撃を当て、ベルはバランスを崩して倒れてしまった。
「っきゃ!」
運の悪いことに、ベルが倒れたのはフレイヤの傍だった。突然のことに、フレイヤは小さく悲鳴を上げてその場に立ち尽くす。
「いてー……あ」
ベルは、転んだままで気が抜けたような声を上げる。そしてそのままフレイヤに話しかける。
「悪いフレイヤ」
「な、なんです?」
「見えた」
フレイヤはこの日スカートをはいていた。極端に短いわけではないが、長いともいえないような長さで、風が吹けば簡単にめくれてしまうような軽い素材でできている。
ベルは転んだ時に、そんなフレイヤを下から見上げる格好になってしまった。だからベルの眼には偶然かつ当然に、フレイヤの白い三角形が飛び込んでくることになった。
「きゃ……きゃぁあああああ!」
「こ、このスケベルーッ!」
フレイヤの悲鳴と、ニーナの怒号はほぼ同じだった。そしてベルは、この日二度目のニーナからの拳を食らい、宙を舞った。
* * *
「まいったわね……」
同じ日の夜。クララとモニカは、窓際のベッドの上で話し合っていた。
フレイヤの言った『あのベル』の意味を、ニーナから聞いたのだ。
『数年前中央の都市に、警備が薄い日を狙って盗賊が乱入してきたことがあったんだよ~。そこで、ベルは盗賊を何人か切り殺しているんだよね。その時の返り血で、ベルは全身真っ赤になってた。雨の日でね、まるでベルの場所だけ赤い雨が降ったんじゃないかっていうくらい、返り血で真っ赤だった。見た目なんてがきんちょで、普段の振る舞いも年相応だったから、それとのギャップでインパクトが強かったんだと思う……』
それは確かに一般人からすれば強烈な光景だったんだろう。子供が刃物を手にとって大人を切り殺し、返り血を浴びて街を走る姿は、日常の風景から逸脱したものだったろう。
しかし、それは悪を倒す正義の姿でもあったはず。ところが……。
『嫌な尾ひれの付き方をしちゃったんだよね~。しかもベルってば、そう言う噂は箔がつくからって言って、真っ向から否定しないんだよ?』
これが原因なのだろう。フレイヤがいつも以上に怯えていたのは。そう言われてみれば、ベルが街を案内したとき、チンピラをひと睨みで退散させていた。こういう話があるから、ベルは悪人には容赦がないという認識が広まっているのだ。
そしてその恐怖は、ベルのことを噂でしか知らない者や、気の弱い人間にも降りかかっている。フレイヤがまさにそうなのだ。
「困ったものね。フレイヤはベルの正体がノルベルト様だということを知らない。いつかはかならずばれてしまう嘘……。もしこの嘘がばれれば、フレイヤはきっと親衛隊を辞退してしまうわ。何とかしてあげたいけど……」
クララがそう言って考え込む。横でモニカも不安げに言った。
「でも、今のフレイヤのベルへの印象は――」
「「最悪」」
二人の声がそろって、ため息まで同時にもれた。
今のベルの評価は最低だろう。ワザとではないとしても、昨日のセクハラでそれはゆるぎないものとなってしまっている。
「何とか、ベルへの恐怖心を取り除いて、少しでも好感を持たせないと……」
クララはそう言って、ベルは明日も現れるのだろうかと、城を見上げた。
* * *
それからベルは、毎回ではないものの、頻繁にフレイヤの練習に顔を出すようになった。
次にやってきたのは三日後のことだった。
「あ~、この前フレイヤにセクハラしたスケベルだ~」
あの日心証を悪くしたのは、フレイヤよりもニーナの方だったのかもしれない。ベルの姿を見つけると、すぐさま非難するような視線を向ける。
「度胸をつけたいんだろう? 男で顔を出せるのは俺しかいないんだから、こうして来てくれるのはありがたいんじゃないか?」
そう言って、ふっとフレイヤに視線を向けるが、相変わらずフレイヤは怯えた様子だった。
「ああ、そうそう、徐々に観客を増やしていきたいといっていただろう? だから俺の方でも助っ人を探してきてやったぞ」
「助っ人~? どこにいるの?」
ベルの後ろには誰もいないし、気配もない。森の奥に目を向けても、人影らしいものは見当たらなかった。
「探すのに結構苦労したんだぜ?」
そう言ってベルは手袋をつけた握り拳を前に突き出して、全員に見えるように手のひらを開いた。ベルの手に握られていたのは、赤く細長い生き物……。
「ミミズだ」
瞬間、その場の空気が凍りつく。
短い沈黙を破ったのは、フレイヤの悲鳴と、ニーナの怒りの声だった。
「きゃ、きゃぁあああああああ!」
「この、アホベル~ッ!」
ニーナの渾身の一撃がベルに入り、あっけなくベルは後ろに吹き飛ばされた。
「いてぇな! 何すんだ」
「何すんだじゃないでしょ~? なんでミミズなんて持ってくるのよ!」
「いや、いきなり人間は難易度が高いだろうと……」
「そこでどうしてミミズを選ぶことになるのよ。足も腕も生えてないのよ? 女の子はふつう怖がるでしょ?」
「わかったわかった。腕と脚だな?」
そう言ってベルは、その日は離れたところに座ってフレイヤの歌を鑑賞した。
そしてベルは、次の日早速やってきた。手のひらの上にはカエルを乗せて。
「いやぁあああ!」
「死ねぇー!」
昨日とまったく同じ光景。ズサッとフレイヤが距離をとってから、それを守るようにニーナが飛び出しベルを殴り飛ばす。
「二日連続で~……何を持ってきてるのかな~?」
「足さえ生えてりゃいいんだろ? カエルって、跳ねるんだぜ? ぐわぐわ!」
「跳ねたら余計ダメでしょ~? てか、足が生えてればいいっていう発想も全然ダメ。カエルなんて、ぬるぬるじめじめした両生類じゃない! 乙女が喜ぶとでも思った?」
「ああ、ああ、なるほど。両生類がダメだったんだな?」
ベルはたんこぶを押さえながら歌を鑑賞した。
そこから数日おいて、ベルはやってきた。今度はネズミだった。
「それ連れてくるくらいなら、リスを連れてきなさいよバカベルーッ!」
あたりまえのようにニーナが右ストレートで殴り飛ばした。
「進化しただろ? 哺乳類に……」
「へぇ~。じゃあ次は霊長類を連れてきてくれるの? サルに襲われて死ぬの? ねぇ? ここで死ぬ?」
この日ベルは、ニーナに馬乗りになって殴られた。
さらに数日後。ベルはまた練習に顔を出してきた。
「悪いな。ネタが切れた」
少し申し訳なさそうな表情でそう言った。ニーナはため息をついて手のひらを揺らす。
「はぁ、もういいよ~。その辺にでも座って……」
「だから一周まわってもう一度ミミズを持ってきた」
「素直に何も持ってくるなーッ!」
結局ニーナは殴りにかかっていくことになった。横には包帯と傷薬を準備したエーフィが立っている。
「……私、ベルって怖い人なのかと思ってたけど。違ったんだね」
ニーナに殴られるベルを見ながら、フレイヤはぽつりとそう言った。
「そ、そうでしょ? ベルは怖くなんかないんだよ。噂だって全部嘘なんだから!」
フレイヤから、恐怖が薄れたような言葉を聞き、モニカがベルを援護する。そういえば、フレイヤの悲鳴も今日はなかった。もしかしたらベルに対する認識が好転したのかもしれない。
まあ、これまでのやり取りから、ベルを尊敬するとか格好いいと思うことはないだろう。だが、もしかしたら、面白い人だくらいの評価は……。
「すっっごく! いじわるな人だったんだねッ!」
フレイヤは額に眉を寄せて、そういった。その声には明らかに、怒気が混ざっている。フレイヤが個人的な感情で、誰かに怒りの感情を見せたのは初めてのような気がした。
モニカはフレイヤにこくりとうなずいてから空を見上げた。
ああ、その理解は、きっと限りなく正しいものだな。そう思いながら……。




