第四十六話『即興歌』
三種の四次試験会場は、それぞれどこもざわついていた。だが、その中でも一番ざわついているのが歌の試験会場だった。
それはそうだろう、この試験は音が試験の武器になる。受験者達はそれぞれ声の調子を整えている。
そんな中にあって、フレイヤは目を閉じて耳を澄ませていた。
目を閉じ、うつむいて静かにしていれば、緊張して固まっているのだと判断してくれるだろうと思いそうした。耳を澄ませれば、周りから音符の波が聞こえてくる。それらは混ざり合って雑音のようにも聞こえる。だが、頭の中で綺麗につなぎ合わせれば、音楽に聞こえないこともなかった。
フレイヤは最後尾に座っている。最後に受け付けを済ませたからだ。
実はこの最後の席は狙ってとった。フレイヤは緊張で腹を押さえ、歌うことを拒否して試験をやり過ごすつもりでいる。さらに、ただやり過ごすだけでなく、他人の歌をしっかりと堪能したうえで終わるつもりだ。
そのためには、最後の席に座るのが一番いいだろうと判断した。なぜなら、腹が痛くなったと嘘をつけば、この場から移動させられてしまうかもしれないと思ったからだ。
どうせ見学するなら、最後の最後まで見届けたい。そう思ってフレイヤは最後尾に座った。皆、我先にと受付に走って行ったから、最後をとるのはそれほど難しくはなかった。
(よしよし、計画通りだ)
フレイヤは目を閉じてうつむいたまま小さく微笑む。ここまでは予定通りだった。最後の席をとり、耳を澄ませて音楽を楽しむ。今聞こえているのは雑音と大差ないものだが、もうすぐたくさんの歌を聞くことができる。最後にひと演技必要なことだけが気がかりだが、それも入場料みたいなものだと思えば安いものだ。
そう心の中で呟きながら、最後にどのようにごまかすかを考えていた。表情はこわばらせて声も震えさせなくては、できれば顔は蒼白になっていることが望ましく、冷や汗を少しかいていれば完璧だろう。お腹を押さえる手は右と左、どちらにしようか?
こんなことを真剣に考えている自分が馬鹿らしくて、フレイヤはまた口を緩めた。
「はーい、もう受付時間は終わりよ。ここに集まってくれている子たちで全員ね?」
一人の女性が手を叩きながら前に出てくる。会場内の人間の視線がそこに集まり、フレイヤもそこに顔を向けた。
そこに立っていたのは、大人の雰囲気を漂わせた、指揮棒を持った女性だった。服装は楽隊の衣装のようなもので、表情は明るく、優しそうな人に見えた。
「まずは私の自己紹介。今日の四次試験、科目は歌の試験官を担当する、中央城音楽隊長のカトリーヌ・ワーグナーです。よろしく」
そう言ってカトリーヌはお辞儀をした。その姿は凛としていて、美しかった。
受験者達はそれに対して拍手をした。まるでこれから音楽会でも始まるような雰囲気になり、つい拍手をしてしまったのだ。もちろんフレイヤもその拍手に混ざった。
(堂々としてる……。いいなー、いつかは私もあんな風に……)
歌は歌うだけでも楽しい。だが、誰かに褒めてもらえれば、楽しいうえに嬉しくなれる。両親二人に向かって歌うだけでそう思うのだから、大舞台でそれができればどんなに達成感があるだろう。フレイヤは時々そんなことを夢に見る。
だがダメだ。他人と普通に会話するだけでも緊張してしまうほど臆病な自分だ。そんな自分が大舞台でなどとても歌えるはずがない。フレイヤはいつも結局そこに行きつき、今まで地域の歌唱大会にすら応募したことすらない。
今日はこうして受付こそしたが、歌うつもりはないのだから同じこと。たまにそんな自分が嫌になるが、仕方がないとあきらめている。
(いつか……たくさんの人の前で歌える度胸ができたらいつかきっと……)
そのいつかはいつ来るのだろう? 度胸とはどうしたらつくのだろう? フレイヤはもしかしたら、空からそれが降ってきてくれるのではないかとすら思っているのかもしれない。
「さあ、それではさっそく始めましょう。伴奏のない独唱がここの試験内容。当然だけど誰かが歌っている最中は私語は禁止よ?」
「「「はい」」」
カトリーヌの言葉に、受験者達がそろって返事をする。それを見てカトリーヌは満足そうに頷いた。
「よろしい。じゃあさっそく始めますよ。一番前の方、前へどうぞ?」
「は、はい」
一人目の受験者が緊張したような声で返事をし、前に歩み出て試験は始まった。
一人目の受験者は、返事の声こそ緊張していたが、歌いだす前に一つ深呼吸をして気持ちを落ち着け、歌い始めると緊張をみじんも感じさせなかった。
「……ありがとうございました」
受験者は歌い終えると、ぺこりと頭を下げた。それに対して、周りからは拍手がわき起こった。
「うん、一番目という厳しい場面でよく勇気をもって歌い切ったわね。ありがとう」
カトリーヌは優しく微笑んでそう言った。
「……はい!」
この一人目の一連の流れによって、その後の試験の雰囲気は決まった。
厳かではない。辛辣な言葉はない。終始歌いやすい雰囲気で、受験者達はのびのびと歌って試験を終えていった。
カトリーヌ元来の性格というのもあるのだろうが、その立ち振る舞いには歌いやすい雰囲気を作ろうとしている様子がうかがえた。
(わぁ~)
そんな空間を、一番楽しんでいるのはフレイヤかもしれなかった。程度の違いはあれど、受験者達は皆少しは緊張している。また、他の受験者は全員ライバルだ。他の者がうまく歌えば、それだけ自分が合格する確率は下がる。そう考えてしまうから、純粋に音楽を楽しむわけにはいかないだろう。
しかしそんな緊張や不安は、フレイヤにはなかった。合格したいわけではないし、歌う気すらないので緊張しない。他人の歌を聞きたくて参加しているだけだから気楽だ。試験会場は温かな雰囲気に包まれていて居心地がいいし、予定通りに歌をたくさん聞くことができるから楽しい。
リズムに乗って体が揺れる。知っている歌なら口ずさみそうになる。知らない曲は、聞くだけでも新鮮で面白い。
皆一生懸命歌っているが、力量は様々だった。音程を外す者もいるし、歌詞を忘れて「ラララ」でごまかす者もいる。中には歌声が明らかに震えている者もいた。
(しかたないよな……)
震える歌声を聴きながら、フレイヤはその受験者の心情を理解する。
緊張するはずだ。前に出ればどうしたって視線が集まる。歌いだせば皆がそれに対して耳を傾ける。その上これは単なる発表会ではなく、合否がかかった大事な試験だ。その前提でこれだけ多くの人間の前で歌わなければならないのだから、相当緊張するはずだ。声だって震えもするだろう。
「ありがとう。とても感情がこもっていて、聞いててとても心地がよかったわ。さて、それじゃあここで十分ほど休憩を入れましょう。お花を摘みに行きたい方もいるでしょうしね」
カトリーヌは茶目っ気をこめてそう言ってから手を叩いた。一時解散というわけだ。
皆席を立ってトイレに行ったり、会話を始めたりしたが、フレイヤは遠慮して席に座ったままでいた。席を立ったからと言って、最後尾の席を取られるということはないだろうが、念のためにこの場所だけは確保しておく。
フレイヤは目を閉じた。さっき見た光景を思い出していた。
皆の前に出て歌う。言葉にすればたったこれだけのことだ。だが、そんな程度のことに、とても勇気が必要なのだ。
別に歌に限った話じゃない。皆の前に出て、何かを披露するというのは勇気がいることだ。どんなに練習してうまくなっても……いや、必死に練習したことならなおさら勇気がいる。失敗したらどうしようと考えて不安になる。さっき前に出て歌っていた者達の緊張した顔を見れば、それが容易に想像できる。
みんな少なからず緊張していたはず。それでも歌い切った。声が震えようと、歌詞を忘れようと、声が裏返っても最後まで歌い通していた。誰ひとりとして逃げなかった。
(私も歌ってみようかな……?)
頭の中で、他の人が歌っている場面に自分を当てはめてみた。……特に緊張はしない。あたりまえか、実際にその場に立った人間にしか、その気持ちは味わえない。
たぶん実際その場に立てば緊張するだろう。この受験者達の中で、誰より緊張するだろうという自信がある。声は震え、本当に冷や汗をかくかもしれない。
しかし、それは自分だけではなかった。他にも声が震える者はいたし、体が震える者もいた。それでもしっかりカトリーヌに評価をもらい、受験者からも拍手をもらっていた。
良し悪しじゃないんだ。いや、これは試験なのだから良くなければいけない。しかし、フレイヤは受かるつもりはないのだ。ただ純粋に他の人に自分の歌を評価してもらいたい。
どうせ声が震えて評価どころの歌にはならないだろう。それでいい。それでもカトリーヌに評価をもらい、慰めの拍手を受験者からもらえるなら、十分かもしれないとフレイヤは思い始めていた。
「緊張してる?」
「え、あ……」
席に座っているフレイヤに、声をかけてきた女性がいた。試験官のカトリーヌだった。
「いえ、私は特に……」
正直に言ってしまってから少し後悔する。歌ってみようと今決めたのだから、歌うときになれば緊張するはず。今緊張していないと言えば、本番恥をかいてしまう。だがまあ、どのみち声が震えて恥をかくだろうから同じことだ。
「あら、すごいわね。本当に緊張していないみたい。あなたがトリなのに」
「え? 鳥? 小鳥さん?」
カトリーヌの言葉の意味が理解できなかったフレイヤが、ボケた答えを返してしまう。それを聞いてカトリーヌがクスッと笑った。
「トリっていうのはね、最後に登場して芸を披露する人のこと。解釈を広げれば、お祭りごとの最後に行われる催しや、大会や演奏会で最後を飾る集団のことなんかも指すわね」
なるほど、その意味で言えば確かに自分がトリということになる。フレイヤはそう思い納得したが、それがどうして緊張していないのがすごいのかまで想像が働かなかった。
「トリで緊張していないのはなぜすごいんですか?」
フレイヤの問いかけに、カトリーヌは「だって」と言って答える。
「一番重要な場面でしょ? 最後って」
(……え)
フレイヤはどきりとする。最後が一番重要? どういうことだろう?
「それまでどんなに素晴らしい流れでも、最後が残念では尻すぼみだわ。だから最後のトリには、主役が配置されることが多いのよ。真打ち登場! って感じでね」
(真打ち……主役……わ、私が!?)
「しんみり締めるか、盛り上げて締めるかの違いはあるだろうけど、最後を飾る重要な役割だということに変わりはない。特に大がかりな催しなんかのトリは、大トリって言われるの。この試験が親衛隊採用最終試験。あなたはその最後の試験の最後尾に座っている。あなたがこの親衛隊試験の大トリなのよ」
「―――!」
あまりの言葉にめまいがし、声が出せなかった。ただ驚いた表情を作っただけだった。
「時間です」
「おっと、時間みたいね。それじゃあ楽しみにしているわ、小鳥さん」
そう言ってカトリーヌは試験官の席に戻っていく。笑わせるつもりだったのだろう、小さく冗談を言いながら……。
だがもうフレイヤに冗談で笑える余裕などなかった。
(私が大トリ……? 私が主役……?)
誰かに席を替わってもらうという選択を思いつく間もなく、すべての受験者は席についてしまった。フレイヤを大トリの席に座らせたまま……。
* * *
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)
後半が始まってから数分後。もうフレイヤにこの場を楽しむ余裕などなかった。
自分が大トリ。自分が主役だ。この試験の一番重要な場所に座ってしまっているから、そういうことになっている。もうフレイヤに、試験を辞退して逃げるという選択はできなくなってしまった。フレイヤはこの場の雰囲気を台無しにしたくはなかったのだ。
『それまでどんなに素晴らしい流れでも、最後が残念では尻すぼみだわ』
カトリーヌはそう言った。そして、フレイヤもその通りだなと思った。過程がどれだけ素晴らしくとも、むしろ過程が素晴らしかったならなおのこと締めの部分は重要だと思う。
ここまでの歌の試験。歌の良し悪しに関係なく、いい雰囲気を作っている。疲れ果てた受験者達が、最後の力を振り絞って歌を歌う。そのさまは美しく、力強く、感動すら覚える内容だった。
みんながそうして歌いきっているというのに、最後のフレイヤが緊張のあまり辞退する。それはあまりにひどい最後で、尻すぼみで終わるなんて生ぬるいものじゃない気がした。
(台無しだッ!)
そう台無しだった。本来なら、辞退するものが出ればそれだけ合格の確率が上がるのだから、歓迎されるくらいだろう。だが、この場の空気はそんな感じではない。皆一心に歌う者を見つめ、歌い終えれば拍手を与えてねぎらう。一種の仲間意識的なものがこの場にはあった。ライバルの健闘をたたえることのできる雰囲気ができているのだ。
そんな状況下で、最後の締めくくりであるフレイヤが辞退すれば、それまでの空気は台無しになるだろう。そこまでいかなくとも、きっと釈然としない雰囲気にはなってしまう。
辞退はできない。しかし、フレイヤは歌うことができるのだろうかととても不安だった。他の受験者の歌を聞くのも、喜びから恐怖に変わっていた。
ああ、これはとても短い曲だ。
また一人終わってしまった。
もっと時間を使って歌って欲しいのに……。
一人、また一人と発表を終えて席に戻っていく。その者たちの誇らしげな顔を見るたび震えが走る。
自分はきっと失敗する。
あんなにうまくは歌えない。
そんな……私が……重要な席に……。
緊張は収まるどころかどんどん膨れ上がっていた。もうあと二人ほど発表を終えればフレイヤの番に回ってくる。
(歌う曲も決まってない。考える時間はいくらでもあったんだから、まだ決まってないというわけにはいかない。どうしよう!)
一人発表を終えた。ついにあと一人でフレイヤの番だ。
(あと一人、あと一人、あと一人ッ!)
曲を決めなければいけないのに、あと一人で自分の番だという思考でいっぱいで、そんなことを考えることができない。
そして、フレイヤの番が回ってきた。
「それでは最後の方ね。えっと、フレイヤ・リービヒさんどうぞ」
名前が呼ばれた。返事はできなかった。席から立ち上がって歩みだせただけで奇跡だと思う。
(どうしよう……本当にどうしよう……)
この場に及んで、フレイヤはまだ覚悟を決めかねていた。歌う曲など決まらない。歌いだす前に何を言うかも決まらない。そもそも歌いだせるかどうかすらわからなかった。
「ハァ……ハァ……」
声の代わりに息を吐く。その息を吐く声すら震えている。
表情はこわばり、顔面は蒼白。冷や汗は数滴どころか、拭ってもぬぐってもあふれてくる。緊張のあまり腹が痛くなってきたが、体すらこわばって手で押さえることもできない。
そこに、辞退しようと思っていた時に考えた、緊張したフレイヤがいた。演技などでなく本当に緊張し、不自然さなどみじんもない怯えきったフレイヤが……。
「……うわッ!」
足がもつれてその場に転ぶ。恥ずかしさよりも怯えの感情が先に立って動くことができない。
どうした私。さっきまでの人たちは、声こそ震えても転んだりはしなかった。体が震えてはいても、立ち上がることすらできなかったわけじゃない。どうして私はそれすらできないんだ!
自分にそう言い聞かせても体が動かない。周りの人間は息を飲んでざわめきすらしなかった。あまりにひどい展開に声を失ったのだろうか?
(まさか……本当に台無しに……?)
そんなことを考えるフレイヤのもとに、足音が一つ近づいてくる。
「大丈夫?」
カトリーヌの声だった。怒っているわけではないらしい。
「ごめんなさい。私が『あなたがトリよ』なんて言って、緊張させちゃったからよね?」
カトリーヌはむしろ申し訳なさそうな声色だった。それを聞いた途端。フレイヤの中に情けない気持ちがあふれる。
「辞退……します……」
フレイヤはそう言った。カトリーヌの顔は見なかった。
「ごめんなさい。台無しになるというのは分かってます。私が悪いんです。もう二度とこんなことはしません。罪を償うために、町を歩くときは常に地面を見て歩きます。他人と話すときは敬語にします。できるだけ家にこもって姿を見せないようにします。だから……許してください……」
試験発表直前。フレイヤを不安にさせた女性は、自分のことをマイナス思考の天才だといったが、あんなのは大したことはない。あれで天才を名乗れるなら、フレイヤはマイナス思考の鬼才だ。
別に誰がフレイヤを責めたわけじゃない。ちょっと不安になることを意図せず言ってしまっただけ。しかしそれだけで、フレイヤの不安はどんどん膨らんでいき、怯え後悔し、落ち込んでいく。
フレイヤが引っ込み思案で、臆病な理由は、その性格にあった。
フレイヤの謝罪を聞いたカトリーヌは、「これは重症ね」と言って少し笑う。そしてゆっくりとフレイヤの頭に手を乗せる。
「今日は何の歌を歌うつもりだったの?」
「それは……」
答えられなかった。最初から歌うつもりはありませんでしたとは言えない。
「あらあら、歌おうとしていた曲すら忘れてしまうくらいに頭が真っ白かしら? それなら、あなたが今日この会場で感じた感情を歌にしてみてはどうかしら?」
「今日……ここで感じたことですか?」
フレイヤの問いに、カトリーヌがうなづく。
「私にはあなたが、純粋にこの試験を楽しんでいるように見えた。自分が受験するというより、他の人達の試験を……誰かが歌うのを見るのを喜んでいるように見えたの」
フレイヤは少し驚く。ということはカトリーヌが自分のことを見ていたということなのだから。
「試験を見るあなたの瞳は真剣そのものだった。誰にも負けない歌への情熱を感じたわ。そんなあなたはどんな歌声を持っているか気になって……ついつい休憩時間に余計なことをしてしまったわ」
「……だから話しかけてくれたんですか? 私が試験を楽しんでるように見えたから?」
カトリーヌはにこりと微笑む。
「あなたはきっと、この試験を誰より楽しんでいた。そして私が話しかける直前。あなたは自分が歌うことに強い意欲を燃やしていた。私には分かった。あなたは、ステージを見つめていたもの」
カトリーヌが少し歩いて立ち止まる。そこは、受験者達が何十曲と歌を披露した場所だった。
「ステージはここよ。次はあなたが立つ番。今日あなたがここで感じたすべてを歌にして、私とこの場にいるすべての人間に聞かせて頂戴?」
即興歌を歌えということだ。今この場で歌を考え、それを編集もせず、練習もしないで披露しろとカトリーヌは言っている。
なぜだかそれを拒否する気にはならなかった。拒否するという考えが浮かばないほど、カトリーヌの立っている場所が魅力的に映った。そして何より、カトリーヌが手を伸ばして、フレイヤを舞台へ誘ってくれているのがうれしく思えた。
フレイヤは立ち上がった。すると、割れんばかりの拍手がわき起こる。それを聞きながらフレイヤはカトリーヌが立っていた場所まで移動した。フレイヤは、これでようやく自分もこの試験に……この舞台に立てた気がした。
「私を、誘うのですか? 臆病な、この私を……」
歌が浮かんだ。フレイヤはそれをそのまま歌い出す。瞼の裏に浮かんだ情景には、美しい会場を遠くから見つめる自分の姿。会場で踊る女性たちがこちらを向いて誘ってくれる。
「私は臆病だから、瞼さえ、開くことができない」
目が開けなければダンスなど踊れない。だから女性たちが言ってくれた。
「それなら、目は閉じているといい。歌だけでも、参加してご覧?」
もしかしたら、フレイヤは参加したかったのかもしれない。真剣に立ち振る舞い、毅然として評価を受ける受験者達。フレイヤには皆凛々しく、立派に見えた。
臆病な自分は、ろくに人と関われず、家の手伝いばかりをして過ごしている。親は厳しくこそ言わないものの。時折心配そうな顔を自分に向ける。それが情けなかった。
親衛隊試験を受ける人たちみたいに堂々とできたらどんなにいいか。もしかしたら親衛隊試験を受ければそうなれるのでは? あるいは……。
『親衛隊になれば、もっと自分に自信が持てるのかな』
そんなことを冗談でも、一瞬考えたのは事実だった。
* * *
「……」
フレイヤは沈黙していた。声が出なくなってしまったわけではない。歌い切ったのだ。
それは奇跡に近いもののような気すらした。即興歌で、一応曲としての体裁は守って歌えたような気がする。
「……ありがとうございました」
フレイヤがそう言ってぺこりと頭を下げる。それに合わせて割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
ドクンドクンと心臓が高鳴る。自分のことだからひいきが入っているのかもしれないが、今日一番大きな拍手をもらえている気がする。いや、大きさなど関係なく、拍手がもらえている。自分の歌に対して拍手がもらえた。それがとても嬉しくて胸が高鳴った。
(よかった……。もう何も後悔はない。今なら視線にさらされる恥ずかしさで気を失ったとしても満足できる……)
そしてフレイヤは顔を上げる。視線を向けられているのを感じるが、気分が高揚して恥ずかしさを感じるどころではない。自信を持って自分の席に戻ることができそうだ。
ふっとフレイヤの前にカトリーヌが表れた。そしてカトリーヌは一言評価をくれた。
「合格よ」
「……え?」
あまりに短すぎる評価に、フレイヤが聞き返す。するとカトリーヌはもう一回言ってくれた。
「あなたが親衛隊採用四次試験、『歌』の試験の合格者よフレイヤさん。これからしっかり頑張ってね?」
そしてフレイヤは本当に気を失った。




