第三十二話『ニーナという人』
「ぶ~」
モニカがニーナのことを呼ぶと、ニーナは頬を含まらせてすねたような顔をした。それを見て、モニカはしまったと思い苦笑いをする。
「もう! 私のことはニーナちゃんって呼んでっていつも言ってるのに~」
「いや、でも年上だから……」
ニーナは親衛隊候補の中では一番人懐っこい性格をしている。親衛隊候補としての生活に慣れ始めたころ、最も積極的に仲間たちと会話をしようとしていたのはニーナだった。年上は呼び捨てにし、年下の人間は『ちゃん』をつけて親しげに呼ぶ。皆が恐れていたレナーテ相手にもすぐに物怖じしなくなり、気さくに話しかけるようになった。
その延長で、年下の人間には自分のことを『ニーナちゃん』と呼ぶようにねだっている。その方がかわいく感じられるからだそうだ。
しかし、その願いはかなえられていない。モニカとクララとカルラが年下なのだが、全員年上の人間を『ちゃん』をつけて呼ぶことに抵抗を感じるのだ。
「年上って言ってもたった一つじゃない。モニカちゃんって、一才でも年上だったらババア認定しちゃう人~?」
「そ、そんなことないよ。ただ、年上だって思うと……」
年上を『ちゃん』付けで呼んだことのないモニカにとって、やはりニーナちゃんと呼ぶことには抵抗を覚える。
エーフィに対しても、どうしても年上だという意識からエーフィさんと呼んでしまう。エーフィは見た目も雰囲気も完全に大人だから余計そうなってしまう。敬語で話しかけることはやめたが、今後も呼び捨てにすることはないと思う。
「はぁ~あ、一番気安く会話できそうなのはモニカちゃん達なんだけどなぁ。エーフィは雰囲気が厳かだし、ディアナはなんだか怖いし」
モニカはその意見に少し同意する。確かにエーフィは何歳も年上なうえに大人っぽいから、親しみよりも憧れを感じてしまうことはある。ディアナはどこか親衛隊の中に溶け込むのを嫌がってとげとげしている印象を受ける。エーフィとは同室だからか、たまに会話をしているようだが、あまり親しげには見えない。
「まあ、フレイヤは私の物だからいいとして……」
「……え?」
心の中で小さく賛同していたモニカは、ニーナがさらりと言った言葉に驚く。なんだか予想外の言葉が聞こえてきたような気がした。
「ん~? どうかしたの?」
「あ、いや、なんでもない」
ニーナは驚いた風なモニカを見て首をかしげた。本当になぜ驚いたのかわからないという風だったので、モニカは自分の聞き違いだったのだろうと解釈した。
「しょうがない。じゃあニーナちゃんは勘弁しよ~。でもせめて呼び捨てにしてね?」
「あ、うん。それは分かったよ……ニーナ」
「よし!」
モニカが呼び捨てにすると、ニーナは満面の笑みで返事をしてくれる。ニーナの手が荷物でふさがっていなければ、頭を撫でられているところだ。そういう性格をしているから、どうにもニーナちゃんとは呼びづらい。
「ところでどうしてこんなところにいたの~?」
* * *
「ごめんね~。半分持ってもらっちゃって」
「ううん、厨房まで案内してもらうんだもん。これくらいなんてことないよ」
モニカが厨房の場所がわからず困っていることを伝えると、ニーナはこれからそこへ行くところだから一緒に行こうといってくれた。決して大きくはないニーナが、大量の荷物を持っているのを心配していたモニカは、ちょうど良いと考えて荷物の半分を受け取った。
「これすごく重いけど、よく全部持って運んでたね」
「いや~、一気に運んじゃわないと時間が無くなっちゃうから。何度も往復するのが嫌な、面倒くさがりさんだしね~」
そうはいっても、面倒くさいからと一気に運ぶ量ではない。途中までは荷車か馬車で運んだのだろうが、それが止められる場所からここまでは結構離れている。
それをここまで運んできてまるで疲れた様子がないのは素直にすごいとモニカは思った。
「えっへへ~」
ニーナはほんわかした雰囲気を持っているが、こう見えて親衛隊の中では一番成長率が高い。
* * *
石畳が敷かれた広場。その中央で、レナーテとニーナが対峙していた。
レナーテは剣を携え、軽く足を開いてニーナを見ていた。その体は汗でぬれている。
ただ外にいるだけでも汗をかいてしまう夏の日差しの中だ。服が汗でぬれていても別段おかしくはないが、それだけにしては随分と汗をかいている。
実はレナーテは、ここまで親衛隊たちとの六連戦をこなした後なのだ。
今日の実戦訓練は、レナーテが対戦相手で、親衛隊全員相手の勝ち抜き戦だ。初めのころは、連戦と言っても実力差がありすぎてそれほどレナーテは疲労を感じることはなかった。
しかし、今現在は数か月の猛特訓のおかげで、親衛隊たちの力はぐんぐん上がってきている。一戦をこなすのに時間がかかり、防ぐ攻撃の重みも体にたまる。加えてこの炎天下だ。レナーテだからこそこうして立っていられるが、そうでなければ今頃地面に這いつくばっている。
対してニーナも汗はかいているが表情は明るい。体が冷めないように準備運動をしながらこの時を待っていた。
連戦の順番は立候補制だ。戦いたいと願い出た順番に戦い、特に希望のないものはレナーテが適当に戦う順を決める。そして今日はニーナが最後だった。
「ふっふっふ~。私を最後に回すなんて、レナーテ教官も焼きが回ったな~?」
ニーナはそう言って自分の得物を持ち上げる。
ニーナが武器に選んだのは、自分の身長ほどもある大剣だ。二度三度と振り回すのが面倒だから、一撃で仕留められる威力を重視しての選択なのだそうだ。呆れる選択理由なのだが、結果としてその選択は正しかった。
ニーナはどういうわけか、腕の力が日に日に上昇している。日を重ねるごとに大剣を持ち上げる動作に難儀の色が消えていき、大剣を振る速さも増してきている。腕力だけで言えば、もうモニカに追いついたくらいかもしれない。
「レナーテ教官に初黒星をつけるのはこの私。やぁ~! とぉ~!」
掛け声はまるで気が抜けそうになるくらい間延びしている。しかしその光景を見れば緊張せざるを得なかった。
大剣が風を切る音とともに振り回される。適当に振り回すのではなく、ある程度の型がある。振り回されるのではなく振り回す。円を描き、線を引き、縦横無尽に宙を舞う。体験が太陽の光を反射して光の道を残すが、それはまるで空を暴れまわる獣のように見えた。
腕力が強いだけではこうはいかない。ニーナなりに武器を研究し、体のばねと足さばき、遠心力や重力などを最大限に生かして自在に剣を振り回している。
「剣舞の披露もいいが、それではせっかく最後に戦うという利点がなくなるぞ。私を倒すために体力を温存していたんだろう?」
「おっといけない」
ニーナは剣の動きを止めて地面におろす。
レナーテの声に焦りはない。疲労を感じているという焦りも、ニーナの武器の攻撃力に対する焦りも一切ない。あれだけの大剣を振り回されれば、普通は恐怖を抱くのだろうが、さすがの度胸といえる。
「じゃあ……いくよ~!」
ニーナはもう一度剣を振り上げ、肩に背負うように構えてから走り出した。
いくらレナーテがつかれているからと言っても、まだまだ技術では圧倒的な差がある。小手先でいくら剣を振り回しても通用しないということを、ニーナは痛いほどよく知っていた。
だから今日は技術ではなく力で勝負することにしていた。己の力のすべてで剣を振りおろし、その力でレナーテに打ち勝つ。疲労を体にためているレナーテ相手にならそれで勝てるとニーナは踏んでいた。
「はぁあああああ!」
ニーナはかける。なぜだか体が軽い。勝利が目の前にあるから、体が疲労を忘れてしまったのだろうか? 今なら風すらも追い越せる気がした。
腕に苦しみを感じない。腕力は毎日のように上がっている。ここまで力が上がると、まるで武器を持っていないかのようにすら思えるのかと、ニーナは小さく感動する。
迫りくるニーナを前にしてレナーテは微動だにしない。目を細め、武器を構える様子すらないレナーテは、覚悟を決めたようにすら見えた。
ニーナはそれを、ここまでの自分の努力を認め、ようやく一勝をくれる気になったのだと解釈した。努力を認められるのは誰だって嬉しい。ニーナは少し泣きそうだった。
「覚悟~!」
ニーナはレナーテの手前で飛び上がり、肩の後ろまで振りかぶっていた腕を徐々に前に運んでいく。狙いは完璧だった。剣線は間違いなくレナーテをとらえていた。
勝利を確信したニーナが思いっきり腕を振りぬき、そしてそれは空ぶった。
「……は? あれ~?」
腕に何の衝撃も走らず、不思議に思ったニーナは自分の手を見た。そこには何も握られていない。投げ飛ばしてしまったのかとも思ったが、そうではないらしい。
まさかと思って後ろを振り返ると、自分がさっき立っていたところに大剣が突き刺さっているのが見えた。どうやら振りかぶった勢いが強すぎて、そのまま地面に突き刺してしまったらしい。
「あ、あぁ~……」
いくらなんでも軽すぎるとは思った。しかし手に何も握っていないことに気付かない自分の鈍感が恥ずかしい。周りでは親衛隊の仲間たちが観戦している。自分の間抜けの一部始終を見られたと思うと、赤面しそうになった。
こっそりとレナーテを振り返る。目を細めた表情は、よく見れば呆れ顔だった。ニーナはあきらめて胸を張った。
「ふふん! 私の剣に感謝してよね~。お疲れのレナーテ教官を気遣って、お留守番をしてくれたんだから」
その捨て台詞がトドメになったのか、レナーテの一撃は容赦がなかった。
* * *
「おでこは丈夫なの?」
モニカは昨日のことを思い出してニーナにそう聞いた。最後の一撃はニーナの額に与えられた。
「あはは! こんなのたいしたことないよ~。それを言うなら、いっつも一番か二番に戦ってるモニカちゃんの方がよっぽど痛いんじゃない?」
モニカはいつもレナーテと戦うときは一番に手を上げる。二番目に戦うときは、ディアナに手を上げる速さで負けたときだけだ。
「まったく~、どうしてレナーテ教官が一番元気な時に戦いたがるかな? もっと疲れた時に相手をすれば楽だし、もしかしたら勝てるかもしれないのに~」
「うーん……それもそうなんだけど」
モニカは照れたように笑いながら言った。
「いつもと違う順番で勝てたとしても、自分が強くなってる実感がわかないから……かな?」
モニカは強くなりたいと思っている。それはレナーテに負けるのが悔しいというのもあるが、それ以上にノルベルトを守る力が欲しい。もう二度と、賊に敗れて味わう土の味を感じたくない。
それはノルベルトを危険にさらしてしまったという味なのだから……。
「どうしてと言えば、どうしてニーナは厨房の場所を知っているの? これ、厨房に運ぶ荷物だよね? それをどうしてニーナが?」
モニカは小さく疑問だったことをニーナに聞いてみる。するとニーナは何でもない事のように答えた。
「私がこの城の厨房に弟子入りしたからだよ」
「え、弟子入り? なんで?」
モニカの言葉にニーナはきょとんとする。そんなに不思議なことだろうかという顔だ。
「もしかしてモニカちゃん、私が料理で親衛隊試験に合格したこと知らなかった?」
ニーナが、なんとなく聞きづらいと思っていた親衛隊試験の内容をさらりと口にした。試験内容そのものより、そんなニーナの態度にモニカは驚く。
「し、知らないも何も、ニーナだって今まで言わなかったし……」
「カルラちゃんが知ってるでしょ~? 聞かなかったの~?」
モニカは、カルラがはじめは自分の試験内容すら言わなかったことと、他の人の試験内容を断りなく教えるのは気が引けるといっていたことを伝えた。
「なるほどねぇ~。私は気にしたことなかったけど、そういう考え方もあるんだ。じゃあ、私もフレイヤの試験内容は、本人が言うまで秘密にしておこうかな」
ニーナはそう言っていたずらっぽく笑う。その表情は、勝手に教えるのは気が引けるというより、本人が教えるまでのお楽しみだとでもいう感じだった。
「そっか……ニーナは料理で合格したのか……」
モニカはいつだったかエーフィが言っていたことを思い出していた。
『それに、私の他にも、同じような形で何らかの特別措置を取られている親衛隊候補が何人かいると聞いています』
エーフィは弓術場をもらい、カルラは画材の購入費を優遇してもらっている。そして、料理試験で合格したニーナは、城の厨房に弟子入りするという措置を取られたということだ。
「さあ、厨房についたよ~」
モニカがそんなことをぼんやりと考えていると、ニーナがそう言って立ち止まった。モニカもそれにつられて立ち止まる。
「たのも~!」
ニーナは息を吸い込んでそう叫んだ。手には荷物を持っているからドアを開けられない。だから厨房の中からあけてもらおうというのだろう。
しばらく待つと中から料理人らしい人間が何人か出てきた。ちらりとモニカを見たが何も言わない。というより、ニーナに対しても何も言わなかった。
「リスト通り買ってきたよ~。お確かめあれ」
ニコリとほほ笑みながらそう言ったニーナの持っているものと、そばに立っていたモニカの持っているものを料理人が確かめる。
「間違いない~?」
「ああ」
「よかった~」
料理人から肯定の返事を聞き、ニーナは安堵したような声を出して微笑む。料理人たちはそれ以上何も言わずに、数人がかりでニーナとモニカの荷物を受け取って厨房に入っていった。
「……え?」
モニカはそれを見てぽかんとしてしまった。何かがおかしいような気がしたのだが、何がおかしいのかよくわからない。
「さてと!」
ニーナはそんなモニカをよそに、一つ伸びをしてから歩き出した。
「ここまで運ぶのを手伝ってくれてありがとうね~モニカちゃん。私がもう一仕事終らせたら厨房が使えるからついてきて」
「え、あ、うん……」
モニカはそのニーナの言葉で、何がおかしかったのか理解した。
(ニーナに対してお礼の言葉が……なかったんだ)




