第三話『試験前日の街』
「ありがとうございましたー」
クララとモニカの二人は、街の門まで村人に送ってもらい、そこで村人と別れた。
モニカが手を振ってお礼を言うと、村人も手を振り返してから街の中に入って行った。
クララはしばらく村人からもらった地図を眺めてから、街の中に向かって歩き出す。
「さ……」
「さっそく街の中を見て回ろうよクララちゃん。ほらほら、大きな店がいっぱいあるよ」
「……」
クララは無言でモニカの頭をガツンと殴る。殴られたモニカは、頭をさすりながらクララを振り返った。
「どうしたの?」
「あのねモニカ。私達は試験を受けに来たんだから、まず試験の受け付けに行かなくちゃいけないでしょ? 受験証明書をもらわないと宿に泊まる時も普通の料金なのよ?」
言いながらクララは地図を片手に歩きだす。モニカも慌ててその後ろに続いた。
「見て回りたい気持ちは分かるけど、街の中は複雑だし、頼りはこの一枚の地図だけなんだから……」
「見てよクララちゃん! あのお店とっても綺麗!」
さっきまで後ろに居ると思っていたモニカの声が、真横の方角から聞こえてくる。頭が痛くなりながらクララがその方向を見ると、幸せそうな表情を浮かべたモニカが店の中を指さしている。
クララは憎めないなと思いながらモニカに近づいた。
「何のお店かなー」
モニカはクララが近寄ってくるまで店の中に入らずに、そわそわしながら店の中を覗き込んでいた。
「これは……画材屋ね」
モニカの疑問に、呆れ顔で近付いてきたクララが答えてくれる。
「がざいや?」
「そう。絵を描く道具を売っている店よ。ほら、店の前に飾られているでしょう?」
店の前には、いくつかの作品が飾られていた。
さすがに村にだって壁に飾る絵が無いわけではない。だが、これだけ大きいキャンバスを使って、何か月もかかって描かれたような絵はモニカもクララも見たことが無い。
店の中を覗き込むと、画材道具独特の臭いで充満しており、見たことが無い道具やカラフルな絵の具の山などがあり、何とも賑やかで美しい雰囲気だった。
「さすがに都会は違うわね。絵を描こうなんて人は田舎じゃあまりいないし、村の隣町にだって画材屋なんてなかったわ」
クララは言いながら、都会に来たのだなと思い少し感慨に浸る。モニカの方は、見たことが無い画材屋にすっかり興味がわいたようだった。
「入ってみようよクララちゃん! ねえねえね……あ、いたッ!」
興奮気味のモニカの頭を、クララはもう一度小突いて落ち着かせる。
「モニカ、私達は何をしに来たんだっけ?」
「……試験を受けに」
「私達は今何をしなくちゃいけない?」
「……受け……付けに……行かなくちゃ……いけません」
クララに凄まれながら、モニカはいま自分がしなくてはいけないことを渋々確認する。
「はいよく出来ました。じゃあお店に入ってる暇はないってことは分かるわよね? 大体、画材屋なんて珍しいお店は、利用する人も少ないからとても私達には買えないような値段の物ばかりよ」
確かに画材屋の中には、客の姿は全くなかった。背の小さな女の子が一人、店の中の物を見て回っているだけだ。
モニカがちらりと店先に出ていた道具の値段を見たら、今日一日の食事代が軽く消え去るような値段で驚いた。下手に触って壊したりしたら大変なことになりそうだ。
「ぶー、クララちゃんは街に興味ないの? せっかく都会に来たって言うのに」
「受付が終わって、宿に着いたらちょっと街の中を歩きましょうね」
ちょっとだけかー。と思いながらモニカは仕方なくクララの後ろに続く。すると、クララが少し顔を赤くして振り返った。
「私だって本当はモニカと一緒に街を回りたいんだからね? 我慢してよね?」
それだけ言って、クララはプイッと前を向いて歩きだした。モニカは一瞬ポカーンとした後、にんまりと微笑んで後ろからクララに抱きついた。
* * *
「むー……」
大きな街の中で、少女の唸り声がする。それはクララが出した物だった。
「ねー、クララちゃん。迷っちゃったなら闇雲に歩きまわっても同じなんだし、街を見て回ろうよー」
そう、実は二人は道に迷ってしまったのだ。迷ったというよりは、地図のどの辺に居るのかが分からなくなったというのが正しい。
それが迷ったというのだとは思うが、なにぶん始めてきた場所なので、知っている道が一つもない。もしかしたら地図通りに進めているのかもしれないが、どの場所も始めて見る景色なので自信が持てない。
「落ち着きなさいモニカ。道に迷った時に闇雲に動くなんて愚の骨頂よ? こういう時は周りに目立つ物を探して地図と照らし合わせてみるの」
落ち着けと言っているが、モニカは冷静なものだ。むしろ慌てているのはクララの方だ。
「フンフン……」
モニカは鼻歌を歌いながら周りをキョロキョロと見ている。多分、モニカ一人でこの状況に陥っていたならモニカも慌てていただろう。しかし今は一緒にクララがいる。クララに対して絶対の信頼を寄せているから、モニカはこうして気楽に周りの店を見学することができている。
「はぁ……。やっぱり駄目ね。仕方ないから店の人に聞いてみるわ。ちょっとここで待っていて?」
クララはそう言って適当な店の中に入って行った。手持無沙汰になったモニカは、そろそろ見飽きてきたこのあたりの風景を再び見回す。
「ん? あれってもしかして……」
モニカが壁にある物が張られているのを見つけて近づいた。結構長い間張られたままになっているのか、その紙はボロボロになっていた。
「やっぱり、親衛隊募集の紙だ」
モニカが見つけたのは、クララが持ってきてくれたのと同じ親衛隊を募集することを知らせる紙だった。
クララが持ってきてくれてから、毎日のようにクララが読み聞かせるものだから、内容はほとんど覚えてしまった。
と言っても、大したことが書いてあるわけではない。募集対象者の条件と、試験日。そして簡単な試験内容と、国から試験を受ける者に対してのお言葉くらいだ。
「んー、やっぱりないなー」
自分が持っているものと同じなのだから、当然そこにあるわけが無いのだが、ここにはあることが書いていなかった。
ノルベルトのことである。この紙には、仕えることになるはずのノルベルトのことがなに一つ書かれていなかった。
ノルベルトからの言葉もないし、ノルベルトを褒めたたえる言葉もない。ノルベルトの親衛隊を募集しているのだから、何かノルベルトにまつわることを書くべきなんじゃないだろうか? しかしこの紙に書かれているのは、あくまで事務的なことばかり。
「どんな御方なんだろう……」
この親衛隊試験のことを聞くまでは、第二王子がいるということくらいしか知らなかった。しかし、仕えることになるかもしれないとなれば、どんな人物なのか知りたいと思うのが人情だ。
しかし、クララが言うには、ノルベルトは過去にないくらい露出が少ない王族なのだという。
国民の前に姿を現したのは、幼少の頃に数回だけだ。それ以降は全く姿を現さず、どんな人物かという話すらない。
「紙の裏に似顔絵でも書いてあったりしないかな?」
モニカはそんなことはあり得ないだろうと思いながら手を伸ばす。
「もうちょっと……あ、いたッ!」
「あそこで待ってなさいって言ったでしょう?」
店の中に入って行ったクララが帰ってきて、モニカにゲンコツを落とす。
「あ、おかえりなさい。道は分かった?」
「ええ、私が思っていた道であっていたみたい。街が大きすぎて混乱しちゃったわ」
クララは地図の上に指を走らせて道を確認している。
何度か確認した後、モニカの方に顔を向けて親衛隊募集の張り紙を見つけた。
「あら、それを見ていたのね」
「うん、クララちゃんが持ってきてくれたのと同じだよ。張り出されてたりもするんだね」
「何言ってるの。私が持ってきた物だって張り出されていたのよ?」
クララはさらりと言って歩き出した。
「え? だって張り出されてたなら……」
「隣町に張られていた物を、見つからないように剥がしてきたのよ」
クララは何を当り前のことをという声色だった。
「だって、そしたら隣町の人が親衛隊試験のことを知ることができないんじゃ……?」
モニカが素直に感じた疑問をモニカにぶつける。するとクララは振り返りながらさらりと言った。
「ライバルは少ない方が良いに決まってるでしょ? はい、これはお店で買ってきたリンゴ」
クララはそう言ってリンゴを一つこっちに投げ、地図を見ながら街の中を進んで行く。
モニカは口を開けたままそこに少し立ち止まっていたが、リンゴをひとかじりしてからその後ろを追いかけた。
「……クララちゃんが敵じゃなくて良かった」
モニカはリンゴと共にそのことを噛みしめながら後ろを付いて行った。
* * *
「わぁあ~、すっごく広いよクララちゃん!」
その場所に着くと、まずモニカが感嘆の声をあげた。
二人がついたのは、街の中心部にある円形の中央広場だ。半径三百メートルはあるこの広場は、街でちょっとしたイベントをするときには非常に役に立つ。
何しろ中央都市は非常に大きく人口も多いのだ。祭りでも開こうと思ったら、出店の数もすごいことになる。今は人がたくさん行き来しているだけだが、この広場が出店で埋め尽くされた時の迫力は凄まじい。店を見て回るだけでも一日のほとんどの時間を使い果たしてしまう。
「えっと、受け付けはこの広場の南側で、私達は西から来たはずだから……」
クララが地図と広場の看板を交互に見ながら方向を確かめている。親衛隊試験の受け付けは、街のあちこちで行われている。この広場にも、その受付があるのだ。
「よし、分かったわ。受付がある方角はこっちね」
クララがそう言ってある方角に向かって歩き出す。モニカはテトテトとその横に並んで歩いた。
「ねえねえクララちゃん。こんなに広いんだし、受付まで走って競争しようよ」
方角は直線なのだし、受付となれば目立つようにしてあるだろう。だから、後は地図など持っていなくても迷うことはない。
「まったくモニカったら、そんな子供みたいなことを……ゴーッ!」
クララは叫ぶ前に一瞬にやっと笑って走りだした。出遅れてしまったモニカは少し躓きながら駆け出す。
「ず、ずるいよクララちゃん! 子供みたいだなんて言ってッ!」
「モニカは試験に向けて体を鍛えてたんだからこれはハンデよ! あはは」
モニカはぷくっとほほを膨らませてから、小さく吹き出してすぐに笑顔になった。
クララは常にモニカに振り回されているようだが、実は結構モニカのことをからかって遊んだりもする。小さい頃からずっと繰り返されてきた光景であり、二人の仲が良い証拠でもあった。
二つの小さな影が、人の波を縫いながら駆け抜けて行く……。
* * *
「ぜー、ぜー……し、親衛隊試験申し込み、二名です……」
「ん、ああ……」
クララが息を切らしながら受付に立っていた兵隊らしき人間に話しかける。受付の男は、締め切り時間まぎわでもないのに、息を乱しながらやってきた少女二人を不思議そうに見返した。
「飛び入りか? 事前申告者か?」
親衛隊試験はチラシに飛び入りも歓迎すると書いてあった。ただし、宿に割引で止まるなら事前申告が必要となる。具体的な数を把握しなければならないのだからしょうがないだろう。事前申告が、そのままどこかの宿の予約になるということだ。
「ハア、ハア……事前申告しているものです。ん、こ、これが申告証明書です」
クララが国から送られてきた証明書を二人分渡す。男はそれを受け取り、後ろに積まれてある帳簿の様な本の山から一冊を選んでぱらぱらとめくる。やがてどこかのページで手が止まり、筆でチェックを入れる。
「受付は終了だ。これがお前達の泊まることになっている宿への地図。ずいぶん遠くから来たんだな、頑張れよ」
「はあ、はあ……ふう、ありがとうございます」
社交辞令だろうが、頑張れと言いながら地図を手渡してくれた男に対し、クララは息を整えてから礼を言って地図を受け取った。
地図を受け取ると、すぐに自分の持っている地図を見比べて確認をする。
「クララちゃん。宿までは遠いの?」
とっくに息を整えたモニカが、クララの肩に顔を乗せて地図を覗き込みながらそう聞いた。
「……そんなに遠くないわね。のんびり歩いて店でも見ながら行きましょうか」
「やったぁー! ほら、クララちゃん果物を売っている出店があるよ!」
やっと周りを見ながら歩くことができると知ったモニカは、満面の笑みでクララに手を振りながら出店に向かって駆けて行く。
やれやれと思い、苦笑しながらクララもモニカの方に歩いていく。
「リンゴをください。二つ!」
クララが出店に着くと、早速モニカが出店の中年の女性に向かって、注文をしているところだった。
「またリンゴ? さっきも食べたじゃない」
「だっておいしかったんだもん。さっきはクララちゃんのおごりだったし、今度は私の番ね」
おいしかったことには同感だなと思いながら、クララは商品を見た。出店だけあって狭いが、珍しい果物がたくさんあって面白い。だが、自分もこの中でどれを買うか迫られたら、安全を取ってリンゴを選ぶかもしれない。
「はいよ、りんご二つだね。二人は親衛隊試験を受けにこの街に来たんだろ?」
「はいそうなんです! 受付に行ったのが見えたんですか?」
モニカがリンゴを受け取りながら楽しそうに受け答えをする。
「いんや、それは見なかったけど、お嬢さんたちがリンゴなんかを買うもんだから、もしかしてと思ってさ」
「? 街の人はリンゴが嫌いなんですか?」
クララが横から疑問を口にする。すると店の女性は、ある方角を指差した。
「あっちの方角に国が管理してる大きな森があるのさ。その中にリンゴの木が大量に植えられている場所があってね。誰がとってもいいことになっているから、街の連中はリンゴが食いたくなったらそこに行ってリンゴを取って食べるのさ。ここで売ってるリンゴもそこで取ったんだよ」
なるほど、だから店でリンゴを買う人間がいたら街以外から来た者になるという訳か。クララは心の中で納得しながら、モニカから受け取ったリンゴをかじった。
「さて、次はどうす……あれ?」
モニカがいない。
「クララちゃーん! こっちのお店はお菓子を売ってるよ!」
クララが振り返ると、モニカはすでに別の店に移動し、宿とは反対方向に進もうとしていた。
傍に行ったら軽く小突いて落ち着かせないと……。そんなことを思いながら、クララはモニカに近づく。
二人の試験日前日はこんな雰囲気ですぎていった。