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第11歯 第一印象は相手のすべてではない

 窓枠を額にして、作り物のような景色が広がる。

 影が濃い。

 太陽がやたら近い。

 敷地を覆う草花、空を飛ぶ人間…国を追われなければ、想像もしなかった光景。

 蛍は布団に包まり、その様子をただ見つめた。

「……お腹、空いた」

 蛍は膝に力を込め、力なく部屋を出た。

「私としたことが…」

 寮のラウンジにかけられた時計を見上げ、蛍は膝をついた。

「維千さんにあれだけ言われていたのに」

 渡り廊下の向こうにある大食堂の営業は、17時まで。

 蛍は鳴り止まない腹を抱え、途方に暮れた。

「そうよ、維千さんなら…」

 腰にぶら下げたベルに手を伸ばしたが、こんなことで彼に助けを求めるのは忍びない。

「…呼びたくないわね」

 散々忠告されたにも関わらず、このような事態に陥ったことを、維千なら腹を抱えて笑うだろう。

 あるいは冷たく突き放すかもしれない。

「頼りになるけど、頼りにしたくない。キールさんは…」

 管理人室に続く階段には、ただいま不在にしていますの立て看板。

「食べたいときに食べられないことが、こんなに不便だなんて」

 駄々をこねるように、蛍の腹がぎゅるるっと喚く。

 蛍がキョロキョロしていると、男子寮のキッチンに明かりがついているのが見えた。

「サラさん?」

 くるっと振り向いた彼は、何人分だろうか、大皿に山盛りになった焼き飯をおいしそうに頬張っている。

(どうしよう。助けを求めたらいけないかしら。露骨に冷たくされるかも)

 蛍が二の足を踏んでいる間に、サラは逃げるように席を立った。

「待っ…」

 ぎゅるるるる!!!

 その時、蛍の腹が悲鳴のような音を立てて、サラが動きを止め、ゆっくり振り向く。

「…食べる?」

 蛍の思考が止まる。

 脳内で何度も反芻し、蛍はようやくその意味を理解した。

「いえ!そんな!お食事中にすみません!お気になさらず、どうぞ」

「それは…どっち?」

 蛍は首をブンブンと横に振ったが、彼女の手は待ちきれんと言わんばかりに前に突き出ている。

 蛍は恥ずかしくなって、真っ赤になった顔を伏せた。

「い、いただきます」

 蛍は遠慮がちにサラの向かいに座ると、彼が取り分けてくれた焼き飯を控えめに口に運んだ。

「……おいしい」

 初めはスプーンに半分もなかったひと口が、いつの間にか山盛りのひと口になる。

 蛍は焼き飯を次々とかきこんだ。

「ありがとうございます!」

 蛍がパッと顔をあげ、空の器を突き出す。

 サラの表情は乏しいが、彼の三つ編みは嬉しげに左右に揺れていた。

「あの…なにか?」

 サラはふるふると首を振って、食事に戻ってしまった。沈黙の中、カチャカチャと食器のぶつかる音だけが響いている。

(本当に喋らない…) 

 他人と関わることを避けてあえて喋らないのだとしたら、声をかけられた挙句にごはんを奪われて、サラは怒っていないだろうか。

 蛍は急に不安になり、サラの無表情を恐る恐る覗き込んだ。

「帰る。皿は置いといて」

 サラが急に振り向いたので、蛍はビクッと小さく飛び上がった。

 その様子をサラがじっと見つめる。

 閉めたはずの蛇口から、水滴が落ちる。

「……妹」

 サラがぽつりと呟く。

「へ?」

 蛍は間抜けな声を出した。

 サラが指先で頬をかく。

「妹って、こんな風……なのかな」

 呆気に取られる蛍を残し、サラは男子寮に続く階段に足をかけた。

「あのっ!」

 赤い目が蛍を睨む。蛍の身体が強張る。

「た……体調は?」

 サラは眉根を寄せると、皿立てに立てかけた大皿に目線を向けた。

「あ…あれだけ食べられたら、そうですよね。元気ですよね」

 蛍に取り分けても2人前はあっただろう。サラはコクリと頷いた。

「サラさんって、寮生だったんですね。夜ごはんはいつもこの時間なんですか?」

 サラは少し考えてから、言いにくそうにぽつりと呟いた。

「…夜食」

「え?」

「ごはんは食べた。あれは夜食」

 サラが頬を赤らめ、顔を伏せる。

「夜食にしては量が多いような…夜ごはんが少なかった、とかですか?」

「もっと多い」

 蛍は言葉を失った。あれより食べて、さらに食べるとは何事か。彼の胃袋は一体どうなっているのだ。

「あんなの……涼風お兄様でも食べきれないわ」

 蛍がそろりそろりとサラに近寄る。

 首筋は筋肉質だが細い。蛍よりわずかに高い背は、男性にしては小柄だ。

「手品?」

 蛍が目を疑う。

「違う」

 間髪入れずに、サラが答える。

 蛍が動けずにいると、サラは階段に腰掛けた。

「怖くなくなった?」

 サラが突然言うので、蛍は思考が止まった。

 胸がざわつく。

「魔法使い」

 サラが手で空を握る。

 再び開いた手のひらには、饅頭がひとつ。

「……当然よ。私を誰だと思ってるの?」

 蛍は手を強く握り、声の震えを抑えた。

 赤い目が、静かに蛍を観察する。

 サラは小さくため息をついた。

「自分に嘘をつくな」

 蛍の心臓が凍る。サラの小さな動きでさえ、目が離せなくなる。

 サラが視線を落とす。

「虫が湧く」

 サラは袖をまくり、蛍に腕を突きつけた。

 虫が這ったような黒い痣。

 身体を絡め取るように広がっている。

 蛍が仰け反る。

「……それでいい」

 サラが袖を戻す。蛍の喉に痛みが走った。

「よくない!」

 目の奥が熱い。

「私は弱くてはいけない。王族には命を背負う覚悟がある」

 サラは顔色を変えない。

 蛍光灯が点滅し、不穏な音を立てる。

 灯りが一瞬消えた、その瞬間。

「きゃっ!」

 気づいたときには、背後に気配があった。

 腕を捻り上げられ、息が詰まる。

 サラの指が、蛍の首飾りを絡め取っていた。

「君は弱い」

 耳元で、低い声。

「返しなさい!」

 蛍は振りほどこうとするが、びくともしない。

 赤い目が、至近距離で覗き込む。

「身分にすがるな」

 息がかかる距離で、言葉が落ちる。

「偽善者ほど無責任に責務を口にする」

 時が止まる。

 心臓が、強く打つ。

「それは——」

 一瞬、言葉が途切れる。

「兄を置いてきた言い訳だ」

 ――視界が揺れた。

「違う!」

 蛍は叫び、無理やり腕を引き抜いた。

 首飾りを奪い返し、胸に押し当てる。

「私は……!」

 言葉が続かない。

 何かを言えば、壊れる気がした。

「……王族は、国を守る」

 かろうじて、絞り出す。

「なら」

 静かな声。呼吸が耳元で聞こえる。

「何故、逃げてきた?」

 呼吸が止まる。

 答えられない。

 首飾りが、やけに重かった。

「何をしてるの!」

 駆けつけたキールが、サラを蛍から引き離す。

 離れてもなお、赤い目だけが残る。

 

 首飾りと同じ、鮮血の色。


 蛍はその場に立ち尽くしたまま、首飾りを握り潰すように力を込めた。


指先の感覚が、なかった。

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