五章 「闇への扉」
最後のページ。
破かれてしまったそれをもう読むことはできない。
「この事件の真相は、代々伝わる決まりによる一部の災い。あの塚柳山には、私たちの知らない何かがある。私は、恐らくそれと・・・」
驚くことも考えることもせず、僕はただノートを本棚の隅っこに戻した。
黄色く変色した表紙は脆く、嫌な肌触りで鳥肌を起こしそうになる。
でも、心のどこかでこのノートの内容は本当なんじゃないか?と、疑う自分がいる。
たぶんそれは、失踪した兵藤夕里子に自分の過去を重ねたせいなんだろうか。
時刻は、十二時。静寂の中、僕は着なれた厚いコートを羽織り用意しておいたバックを背負うと家を出た。
どうしても、気になる兵藤夕里子の存在や僕と共通する「奥文神社」
そして、塚柳山の謎。
もし、本当にあの決まりが昔から続いているとするなら行くアテはひとつだ。
「和光記念館」戦前からある資料になにか残っているかも知れない。
もちろん、それらに警察の手が届いていないことを祈るしかないけれど・・・
元々記念館は町の住民が管理していたらしいが、町の中央にデカイ公民館ができた今となっては、用済みのお荷物。
近い内に取り壊される予定で、警備はおろか立ち寄る者すらいない。
頑丈なコンクリートの外壁に強化ガラスを使った来賓用玄関と一階窓。ひとりくらいの力で割れるほど、弱い創りではないことはわかっていた。
背負っていたバックを下ろし中から厚手のグローブとロープを取り出した。二階の窓は割やすい。
事前の確認は、こういう時欠かせない。伊達に防衛隊を名乗っていたわけじゃないんだ。
子供のすることが、いつも大人の想定内というわけじゃない。
記念館の隣にそびえ立つ巨木をこうも身軽に登れるのも、やっぱり子供の特権。
止まっていた三年分を有効に使わないともったいない。
ロープウェイのように二階のベランダに滑り込むと、下から投げ込んでおいたハンマーで豪快に窓を割った。
ガラスの砕ける音が一面に響いたが、聞いているのはコウモリくらいだろう。
ポケットのライトを点灯させて、僕は記念館に「お邪魔」した。
警報や監視カメラを心配したが、どこの壁や天井にもそれらしい物はなかった。
古い建物と言えど不用心過ぎて気が抜ける。泥棒が喜ぶような物は無くても、知りたがりの探偵気取りには涙ものだ。
細く狭い廊下に並ぶ三つの木製扉。突き当りには一階へ続く階段が見える。
踊り場の床に映る月明かりが闇にのまれていく・・・
暗闇を裂いて伸びる細い光の筋が剣ように見える。振りまわすと閃光が走りまわって目を眩ました。
一番手前の扉。「事務室」を横目に二番目の扉にライトをあてた。
「資料室」ノブに掛ける手が少し震えている気がする。まるで、この扉そのものが震えているような・・・
思い切って回し、押し切る。でも、それはビクともしなかった。最悪、カギかかっている・・・
見直したノブ付近にカギ穴らしき物は見あたらなかった。
背後の風景画が渦を巻き、その中に吸い込まれそうなカビや埃。吸いこみたくない一心で息を止めその裏を覗いた。
かすかに色の違う壁と無数の画鋲の跡。使い込まれた額の裏に期待したものは無かった。
三番目の扉、「・・室」誰の仕業か黒いペンキで塗りつぶされている。
他と違いこの部屋のノブは二つあった。両開きになっているんだろうか?それぞれに手を当て、一気に引いた。
汚れている大きな窓に差し込む月明かり。長いカーテンは床に垂れさがり、フローリングは白く変色している。
とても、靴を脱いであがる気がしない。埃と嫌な臭いが鼻を刺激する。襟を引っ張って、鼻を覆った。
その時、初めて自分がうっすら汗をかいていることに気付いた。
もちろん熱さのせいじゃなく、精神を使い続けるこの場のせいだ。
十六歳でも中身は十三歳だし、少しくらいビビったって良いでしょ?
誰に問うわけでもなく、僕は室内に踏み込んだ。
痛んだ床が軋み、靴底に着いた埃が中を舞う。最悪過ぎるこの環境で、僕が活動できるのは一分が限界だ。
細めた目と半ば振りまわすライトで室内を見渡した。月明かりは弱々しく闇にのまれて消えていく。
ライトの届かない部屋の隅から、奇声を発する化け物が出てきたら・・・と考えるけどネズミの気配すら無い。
時折、カサカサと細かい音を立て縦横無尽に駆け回るのは、想像もしたくないヤツラに違いない。
ブゥーンと飛んできたらどうしようと、吐き気を催す・・・
ふと視線を落とした先、白くなった床に一筋の太い線が伸びていることに気付いた。
ライトで追った先は壁、そこには一枚の絵が掛けられていた。
割れた額に収められたそれは、どうやら油絵らしい。欧米風のドレスを纏っているが、モデルはどう見ても日本人だ。
細い目と丸い輪郭を強調するように描かれた絵は、暗闇のせいで分かりづらいがなにかおかしい。
必要のない赤い線、それも字のような細かい物が至るところに流れている。
ライトをあて、顔を近づけて見る。光沢のないそれらは、とても後付けされたようには見えない。
まさか、作者がわざわざ描く前に入れたんだろうか。でも、それじゃ結局絵具が上に被さって見えなくなるか・・・
カリカリとしたその線は、見れば見るほど気味悪く、まるでこの絵から滲みでてきたかのようにさえ思える。
まさか、とは思ったものの調べたくなった僕は、伸ばした襟の中で深呼吸しさっきと同じように息を止めた。
一気にめくりあげた額の裏は黒ずんでいてよく見えず、ライトをあててよく見直す。
そこには一面に擦れた大きな赤い字でこう書かれていた。
「てしろこをみるな」
このまま心臓が止まるかと思った。
静寂の室内と点滅を始めるライト。額を戻して、消え入りそうな一筋を振りまわした。
もしかしたら、電池の接触が悪いのかもしれない・・・
もしかしたら、こうやって振りまわせば・・・
浅はかな期待は裏切られ、光の一筋は闇に消え入った。




