16話 婚約破棄に感謝を込めて
遠目でこの様子を眺めていた令嬢たちも、2人が何を言い合っているのか気になるようで囁きあっている。
まるで言い合いのような状況に興味が引かれたのか、1人の令嬢が動いたのを切っ掛けに、私も私もとこちらの周りに集まってくる。
そのうちの一人が我慢できなくなったのか、場の空気へ乱入するように話し掛けて来た。
「ファブリアーノ様って、もしかしてシーズニング様の元婚約者で魔法学園に通われていました?」
話し掛けて来た令嬢はサラミと同年代で、集団の中では年上のリーダー格のようだ。
「確かに私は魔法学園に通っていました。そして学園の中庭で、スキレット様から市井の噂を根拠に婚約を破棄されましたの。それからすぐに魔法学園を退学しましたわ」
「まあ!」
口を挟んだ令嬢は、やっぱりと大げさに口を両手で抑えて驚いた後に目を細めた。
「あのときは皆して、あまりに理不尽な態度を取られるスキレット様に呆れましたのよ。たかが平民が好き勝手に語る噂を本当と信じて鵜呑みにして、大切な自分の婚約者を疑うだなんて」
それに呼応した周りの女性が、スキレットの所業は酷いと口を揃えて言い出した。
「あれは酷かったですわ。スキレット様はわざわざ第二王子のノバルティス様に立ち会いまでお願いして。あのときのファブリアーノ様はただ黙って耐えていらっしゃいました」
「わたくしが入学する前にそんなことがありましたの? よかったですわ、わたくしの婚約者がそのような短絡的な人でなくて」
「本当に災難でしたこと。でもファブリアーノ様にはもっと素敵なあの方がおられますものね。そのスキレット様という酷い方より、あのお方がお似合いですもの」
彼女たちは、サラミがこの会場へ入場する際に、プレシオのエスコートを受けていたのを知っていた。
なぜならつい先程まで、プレシオのファンである彼女たちが入場した2人を取り囲んでいたからだ。
最初は彼女たちもあこがれのプレシオからエスコートを受けるサラミに嫉妬を燃やしたみたいだったけど、赤いドレスを身に纏い貴族令嬢として見事な振る舞いを見せられて、すぐに彼女を敵に回すべきではないと判断したようだった。
周りの令嬢たちのおしゃべりは、どんどん加熱していく。
過去のサラミを知っている者はその頃を思い出してはスキレットの酷さに憤慨して女の敵だとののしり、その頃を知らない若い令嬢たちは見たことのないスキレットがどんなに酷い人物かと想像して言い合っていた。
その目の前にいる逞しい体つきで短髪の男が、スキレット本人だとは全く気付かずに……。
周りの令嬢たちから自分の悪口を好き放題言われたスキレットは、下を向き黙って立ち尽くしていた。
サラミを再度ものにしようとしていたスキレットは、よもやこんなに大勢の令嬢たちに彼女の前で罵られるとは思わなかったのか、ただただ悔しそうな顔をしている。
サラミの方はというと、ようやく先程令嬢たちの包囲を突破できたのに、プレシオと別行動になった途端にまた彼女たちに包囲されてしまい、私と一緒に困り果てていた。
2人で顔を見合わせて、どうしたものかと表情で会話していると、急に周りの令嬢の一人が「まあ」と声をあげた。
声を出した令嬢の方を見ると、すぐに別の令嬢が私たちの後方を見て「プレシオス様だわ」と声をあげる。
振り返るとそこには長身で青い髪の男性が立っていた。
濃紺のジャケット上下で、両肩に白色の礼章が付いている。
周りの貴族たちよりも2回りほど背が高いこともあって、細身のスラックスが長い脚をより長く見せていた。
ごめんね、プレシオ。
助けに来てくれたのね。
だけど、私からスキレットの引き留めに困っているのを伝えるのは変よね。
引き留められているのはサラミなんだし。
それにプレシオのエスコート相手はサラミだわ。
周りの令嬢の手前、サラミの方から事情を説明してもらうべきね。
私がサラミに視線を送ると彼女は瞬きした後、了承した事を告げる視線を送り返してきた。
でも、その視線には何か決意のようなものを感じたのだけど……。
プレシオの事かしら……。
一瞬、彼からの告白が頭をよぎったけど、今はそれどころではないので後で考える事にする。
すぐにサラミがプレシオの方に向き直ると、片手を頬に当てて憂いの表情で語り掛ける。
「プレシオス様、少し困っていまして……」
そう言ってスキレットの方をちらりと見た。
状況を察したプレシオは何とかしようとスキレットを見たが、彼の顔を見て驚きの表情をすると親し気に語り掛けた。
「シーズニング大尉! こんなところで会うとは驚いたな!」
「はっ。エンツォ准将もお久しぶりでございます」
スキレットの家柄は分からないけど、プレシオの公爵家という格上の爵位が関係あるのか、それとも大尉と准将という立場の違いなのか、年下のプレシオに対して敬語を使っている。
「いや、今は元准将だからさ。それにしても久しぶりだな、元気にしてたかい?」
「私は元気にしておりました。エンツォ准将は今までお見掛けしませんでしたが、一体どちらへ?」
スキレットの質問にニヤリと笑ったプレシオはサラミの顔を見てから答える。
「だから元准将だって。ま、俺なりに王国軍の先行きを考えてさ、魔族軍との戦争に備えて準備しているところだ。今日もその一環って訳。それとすまないけどさ、サラーメ様は俺の連れなんだ。失礼させてもらうよ」
それを聞いたスキレットが衝撃を受けたのか驚きの表情をしている。
魔族軍との戦争が近いという話はさすがに、国軍内でも伝わっているだろうから、きっとサラミがプレシオにエスコートされている事実に驚いたのだろう。
サラミは周りの令嬢たちに辞去の礼をしてから、立ち尽くすスキレットに向き直る。
「それではスキレット様。私はプレシオス様とご一緒しますので」
「……」
唖然としたまま沈黙しているスキレットをそのままに、サラミは背を向けて歩き出した。
しかし、スキレットの執着も凄いもので、焦った彼は叫ぶようにサラミに語り掛ける。
「お、俺は後悔している。自分のしたことを。取り返しがつかないとは分かっている。だけどサラーメ、お前のことが忘れられない。もう一度、もう一度俺の元へ戻って来い!」
それを聞いたサラミは目を見開いて歩みを止めると、その場で固まった。
そして、そのままゆっくり眼を閉じると強く口を結んで少しだけ顔を下げた。
彼女の頬には涙が伝っていた。
サラミは婚約破棄された後、スキレットのことを恨みに思い、嫌ったこともあっただろう。
それでも過去に婚約していた人を大切に想っているのかもしれない。
彼女にとっては過去の人、その人から自分を求める言葉を掛けられたサラミは、心がかき乱されたようで静かに涙を流していた。
気持ちをストレートに伝えてきたスキレットに対して振り向いたサラミは、頬に涙を伝わらせたまま、静かに彼の心に呼びかけるように語り掛けた。
「貴方のお陰で……、あのとき貴方が婚約を破棄してくれたお陰で、ファブリアーノ家の再興へ向けてなりふり構わず邁進してこられました。
たとえあのまま貴族令嬢として過ごしていたとしても、迫りくる爵位争奪の嵐に対抗できず、欲にまみれた輩にファブリアーノ家を追われていたでしょう。
スキレット様。
ありがとう存じます。
ファブリアーノ家の再興を成し遂げることができたのは、すべて貴方が婚約を破棄してくれたからなのです」
真紅の令嬢は、スキレットへ丁寧に淑女の礼をした後、プレシオに手を引かれて歩きだした。
慌てて2人の後を追い掛けながら振り返ってスキレットを見ると、ようやく彼女の素晴らしさに気が付いたのかガクリと分かり易くうなだれて、深く落ち込んでいた。
サラミの語った「欲にまみれた輩」にはスキレットも含まれていたのだろうけど……、だけど確かに彼女は彼に感謝していた。
あの感謝はきっと本心に違いないのに、どうやらスキレットには彼女の告げた感謝の気持ちが伝わっていないようだった。
次回、「つまり悪役王妃ってこと?」お楽しみに!