天使の記憶③
機関を壊滅させて3年がたった。天使の力を手に入れたわたくしは大都市ニューヨークの路地のゴミダメに捨てられた。全裸となりゴミや土やらが体中にべっとりとついて背中から生える白い翼も黒く濁っている。道行く人は誰も通らないこの路地においてわたくしを見つけるのは欲求のたまったホームレスや風俗店のオーナーくらいだ。ここまで生きてこれたのはその風俗店のオーナーに拾われ雇われて食事を与えられて生活をしてきたからだ。女性としての機能がないわたくしには子を孕むということは絶対に起こらない。風俗店はそれいいことにわたくしの体を客に売り続けた。そして、もうわたくしの身も心ももう人とは程遠いものとなってしまっていた。
なぜ、生まれ育った母国からこんな異国の地にいるのか。怖かったのだ。また、暗い暗いところに閉じ込められて体をいじられて死ぬような思いはもうしたくない。それに手に入れてしまったこの人工天使の力は通常の魔術の常識にとらわれない発動方法や力の使い方をする。その力を求める魔術組織にはもう関わりたくなかった。機関はどの組織にも所属していなかったがイギリス国内あるということでイギリス魔術結社との関わりが強いもの思った。だから、イギリスから貿易船に潜り込んで抜け出した。
ゴミの中で身を縮める。このまま死んでしまえばどれだけ楽か分からない。今まで死にたくないという一心で機関で生き抜いてきたが、そのころのわたくしには生きるというよりも死にたいという逆の想いが強かった。
何を間違えたのか?
わたくしはただ田舎で生まれて野菜を育てているだけの普通の女の子だった。それがどうして・・・・・どうして・・・・・。
「お前は自分が不幸だと思うか?」
声が聞こえて顔をあげるとそこにはタバコを加えた男がいた。黒と赤を基調とした軍服のような服装をしている。紺色の髪に紺色の鋭い瞳をした男。紺色の瞳が暗いビル群の路地で鈍く光る。
「あなたに何が分かる?」
「分かるさ、バカ野郎。お前の目は自分はこの世界の底辺にいるって目をしている」
実際にそうだと思っていた。ただ、実験の被験体を集めるために誘拐されてわたくしに残された道は絶望しかない。人生をむちゃくちゃにしてくれた機関の研究員たちはすでにわたくしによって肉片となってしまいこの世界にはもういない。生きがいなんてない。わたくしは生きる屍。
「それであなたは何?体目当て?残念ながら15歳の体をしていないので楽しむには幼女体型がお好きな変態向け」
「バカか、バカ野郎。俺がそんな体目当てにこんなゴミダメにわざわざ足を踏み入れたりしない。どうせなら、清潔なところで高い金を払ってバストとヒップのあるねーちゃんに頼みたいもんだ」
体目当てではないとなるとこの男はなぜここにきてわたくしに会いに来たのか。
残る理由はひとつ。
「あなた魔術組織の人?」
「なんだ、いい勘してるじゃねーか、バカ野郎」
わたくしはゴミの下に埋まった槍を握る。
今まで性的暴行を受けてきたが抵抗はしなかった。けど、魔術関係者による勧誘に関しては死なない程度に返り討ちにしてきた。この男も同じように返り討ちにするための戦闘態勢を整えようとした。
「待て待て!バカ野郎!まず、俺の話を聞け!」
そう言って紺色の髪の男は内ポケットから一枚の名刺をわたくしに投げ渡す。わたくしの転がるゴミ袋の上に落ちた名刺をわたくしは拾ってそれを見る。黒の騎士団、副団長、ドジャー・マクレーンと書かれていた。
黒の騎士団がどんな組織なのかはこの時にはすでに把握していた。あのイギリス魔術結社と肩を並べる巨大魔術組織。その副団長となるとナンバー2だ。そんな大物が私の目の前にやってきた。
「何か用?言っておくけどこの組織に加担する気はさらさらない。これ以上、魔術に関わりたくない。それでも、強引に連れて行くというのなら!」
ゴミの下に埋まっていた槍を取り出した瞬間、押しつぶしていたゴミが路地中に舞ってその中心で全裸のわたくしは汚れた翼を大きく広げる。
「ゴミの中の天使。そういう噂があってここに来たんだが・・・・・俺が見つけたのは天使じゃないみたいだな、バカ野郎。天使というよりも堕天使だな」
「その通り」
羽を槍に集めて攻撃態勢に入る。
「この力は天使の力なんかじゃない。人の欲望が生み出した負の力。神の意志によって天に近づくことを許された天使の力とは全く違う。この力はこの世界に生まれて来てはいけない力だった!それを利用するというのならこの負の力の番人が許さない!」
これ以上、わたくしと同じような人を増やさないためのあがき。この力はコントロールが出来ないんだと力で分からせる。それが生きているわたくしのたったひとつの使命。
「・・・・・番人か。おもしろい表現だ」
「笑わないで。殺すよ」
「物騒な天使さんだな、バカ野郎」
ひょうひょうとしたドジャーという男は新しくタバコをくわえなおす。
「この力は本来、人が自由に手にしていい力じゃない。そんな神の領域に無理やり手に入れようとして失敗した負の力。生まれてくるべきじゃなかった。本来なら滅ぼすべき力!」
「なのにお前はまだ生きている」
「・・・・・それは」
「正直に言えよ、バカ野郎。死にたくない。生きていたいって本当は思っているんだろ?」
「そ、そんなわけ!」
「怒鳴るな、バカ野郎。俺はお前を助けに来たんだ」
え?
「俺じゃなくて団長の命令だけどな」
ゆっくりと近寄ってくるドジャーに警戒して槍を構える。でも、気付けば集めていた羽が散って行く。集中できなかった。助けに来た。初めて言われたからだ。機関に連れ去れたときから誰か助けに来るのではないかと最初は思っていた。その希望はすぐに朽ちることとなった。この世界にはわたくしを助けてくれる存在はいない。そう思っていた。
「く、来るな」
「団長はお前の存在を知った時、助けなければならないと言った。人が神の領域に踏み入るときには大きな代償を払う。大人はそれを子供にやらせて見ているだけだ。その後は何もしない。捨てるだけだ。お前もそうだったんだろう。だから、助けないと」
ドジャーは槍の先まで来てもその足を止めずにゆっくり歩み寄ってくる。
「世界は負の力で満ちている。俺もそうだ。その負の力をどう抑え込むか。それは同じ負の力しかできない。人が出したごみを人でしか処理できないように負の力は負の力でしか処理できない」
わたくしの目の前までやって来たドジャーはわたくしの握る槍をゆっくりと奪って捨てた。
「お前はその負の力の番人だとか言った。だったら、俺といっしょにその負の力を根絶しないか?二度とお前のような犠牲者を出さないために再びその濁った翼を広げて戦ってくれないか?俺を助けてくれないか?」
わたくしはこの力でまた誰かが苦しむようなことが起きてほしくない。知ってほしくない。だから、こうして社会の陰に身を縮込ませて生きてきた。怯えて生きてきた。
タバコのやにくさいその男はわたくしを包み込んでくれた。そして、優しく頭を撫でてくれてタバコくさい軍服の上着をわたくしに着させてくれた。臭くてたまらないのに暖かくて安心した。
「また、来る。今度は何か食べられるもんでも持ってくる」
そう言ってわたくしの前から去ろうとした瞬間、咄嗟に彼の腕をつかんだ。
「なんだ?」
「・・・・・こんなぼろぼろで臭いこんな堕天使に向かってあなたは助けを求めた。意味が分からない。こんな負の力の塊に何を求めるの?」
「・・・・・俺がほしいのは負の力を真っ向から否定する奴だ。お前みたいな。きっと、お前の中にはある。黒の騎士団に入団するにあたって必要な大切な物だ」
「大切な物?」
「それは正義だ。負の力からこの世界を守る大切なものだ。負の力を誰にも認知させないお前のその意思は何物にも代えがたい正義だ。俺はその正義感を持つ者の助けがほしい。この世界の絶望を知っているお前なら持っているはずだ。負の力を持っているお前なら持っているはずだ」
正義。
「世界には負の力によって人生をめちゃくちゃにされた奴がわんさかいる。今この瞬間も増え続けている。俺はそいつらを・・・・・ひとり残らずぶっ殺す」
最後の言葉には強い意思があり強い殺意を感じた。それに怯えて掴んでいた手を離してしまう。
「お前はどうしたい?お前を不幸にしたその力を生み出し続ける奴らをどうしたい?」
「・・・・・それは・・・・・それは・・・・・」
「迷わずに言え、バカ野郎。この場でお前の発言を拒否する奴も妨害する奴もいない。だから、言え。お前の意思で」
「わ、わ、わた、わた・・・・・・」
涙のせいでうまく言葉が出ない。もらったばかりのタバコくさい軍服の裾で涙を吹き続けても流れ続ける。それでもわたくしは彼に言った。
「負の力を・・・・・根絶したい。二度とこんな力を手に入れるような奴を懲らしめたい!」
「違うぞ、バカ野郎。お前の意思はそんなものじゃない!ありのままを言え!」
わたくしは下唇を強く噛んで大声で叫ぶように言った。
「機関のような研究者をみんな・・・・・みんな・・・・・殺す!皆殺しにする!それで二度とそんなことができないように!痛めつける!だから、お前はわたしを助けろ!」
ゴホゴホと咳き込んでしまう。久々に声を出した気がしたからだ。
「よく言った」
手を差し伸べる。
「助けてやるよ、バカ野郎」
わたくしはその手を手に取る」
「名前は?」
「わたしは・・・・・」
「もっと、女性らしく振舞え。体は子供のままでも心は大人になっていくんだ。だから、少しくらい大人っぽく振舞え」
初めて教えられた魔術以外のこと。それがうれしくうれしくてたまらなかった。
「じゃ、じゃあ、どうすれば?」
「そうだな。一人称をわたくしって言ったらだろうだ?少しお嬢様っぽい感じがする」
そう照れながら言った。
「わ、わたくしはアテナ・マルメルです。これからよろしくお願いします」
「おう。改めて俺はドジャー・マクレーンだ」
これがわたくしとドジャーという男の出会いの話。そして、わたくしが負の力を生み出さないための戦いが始まったのもこの頃だ。
その数か月後、MMがイギリス魔術結社からの独立を宣言し戦争が起こった。その戦争を止めるべくわたくしは翼を広げ自分の苦しかった機関での日々を広めながら負の力と戦っている。




