第28話|帰る場所
双子が生まれてから、三年が過ぎた。
かつては物音さえ少なかった柊の邸宅も、今では朝から賑やかな声が響いている。
「くまー!」
「くま、だっこ!」
玄関に熊谷が姿を見せた瞬間、双子が一斉に駆けていく。
熊谷はすっかり慣れた様子でしゃがみ込み、二人をまとめて抱き上げた。
「おはようございます」
「くま、きょうもきた!」
「はい。本日も参りました」
その様子を見ていた結衣が笑う。
「熊谷さん、本当に好かれてますね」
「ありがたいことでございます」
熊谷も、どこか嬉しそうだった。
そこへ柊がやってくる。
「お前たち」
双子が振り返る。
柊は真顔で言った。
「父親はこっちだ」
だが、二人は熊谷にしがみついたままだ。
「くまがいい!」
柊の顔が止まる。
結衣が吹き出した。
「柊さん、負けてますよ」
柊が熊谷を見る。
「……くま」
「はい」
「毎日来るな」
「秘書でございますので」
「…………」
さすがの柊も、それには何も言い返せなかった。
◇
結衣は子育てをしながら、デザイナーとして仕事に復帰していた。
もう、かつてのようなアルバイトではない。
久世グループのデザイナーとして、自分で仕事量を調整しながら新しい作品を生み出している。
発表される作品には、きちんと結衣の名前がある。
誰かに奪われることもない。
誰かの名前で評価されることもない。
その日も、結衣は自宅の仕事部屋でスケッチを仕上げていた。
背後から柊がのぞき込む。
「まだ終わらないのか」
「あと少しです」
「今日は休みだろ」
結衣が振り返る。
「柊さんこそ、どうしてここにいるんですか?」
「俺も休みだ」
「だったら、子どもたちと遊んであげてください」
柊が廊下の向こうを見る。
双子は熊谷の両脇に座り、楽しそうに絵本を読んでもらっていた。
「くま、つぎ!」
「こちらでございますね」
「必要なさそうだ」
そう言って、柊は当然のように結衣の隣へ座る。
「柊さん?」
「なんだ」
「私、仕事中ですよ」
「知ってる」
「だったら向こうへ行ってください」
「嫌だ」
結衣は呆れて笑った。
「子どもみたいなこと言わないでください」
柊は平然としている。
「俺は結衣といる」
結婚して三年。
二児の父親になっても――。
結衣に関してだけは、何も変わっていなかった。
◇
その週末。
久世本邸には家族が集まっていた。
祖母は双子に夢中だった。
祖父も、孫たちには驚くほど甘い。
「ひいじいちゃん、これ!」
「おお、何だ?」
食事の席も、以前とは比べものにならないほど賑やかだ。
祖母が嬉しそうに笑う。
「やっぱり子どもがいると、いいわねえ」
「本当ですね」
結衣も笑った。
すると祖母が何気なく続ける。
「もう一人くらい――」
「いらない」
柊が即答した。
全員が柊を見る。
祖父だけが声を上げて笑っている。
「柊。お前たちはまだ若いぞ」
「二人いる。十分だ」
祖母が結衣を見る。
「結衣さんは?」
「私は……」
結衣が隣を見ると、柊が明らかに警戒している。
おかしくなって、結衣はわざと少し考えるふりをした。
「柊さん次第かな」
「絶対に無理だ」
今度は祖父が腹を抱えて笑った。
「分かっただろう。だから久世家は代々一人っ子なんだ」
柊は真顔でうなずく。
「十分分かった」
どうやら三年前の陣痛を思い出したらしい。
柊の顔が、わずかに引きつる。
結衣まで笑い出した。
「柊さん、本当に痛かったんですね」
「二度と思い出させるな」
「私は二人産んだんですよ?」
「分かってる」
「本当に?」
柊は結衣を見る。
「あれだけ一緒に痛かったんだ。忘れるわけないだろ」
結衣は一瞬黙ってから、柔らかく笑った。
◇
午後。
柊は結衣と双子を、ある場所へ連れていった。
熊谷も一緒だった。
車を降りた結衣は、懐かしい景色を見回す。
「ここに来るの、あのとき以来ですね」
「ああ」
結婚する前。
柊が結衣を連れてきた、田舎の別荘。
二人が過去を確かめた、大切な場所だった。
けれど今日は、あの日とは違う。
二人だけではない。
「くまー! はやくー!」
双子が熊谷の手を引っ張って走っていく。
「お二人とも、あまり遠くへ行かれませんように」
「くま、こっち!」
「はいはい」
結衣はその姿を見ながら笑った。
あの日は、十五年前の記憶を取り戻すために来た。
今日は違う。
家族になって、ここへ帰ってきた。
結衣は庭の大きな木を見上げる。
心を閉ざしていた十五歳の柊。
父を失う前の、無邪気だった九歳の結衣。
二人が初めて出会った場所だ。
「私、本当にわからなかったんですよね……」
「知ってる」
「怒りました?」
「かなりな」
結衣が笑う。
「ごめんなさい」
「もういい」
そのとき、双子が二人の前を勢いよく走り抜けていった。
少し遅れて熊谷が追いかける。
「走ると危ないですよ」
「くまー!」
結衣が笑った。
「熊谷さん、完全にお父さんみたいですね」
柊が即答する。
「それは困る」
「どうしてですか?」
「父親は俺だ」
「そこ、張り合うところですか?」
柊は不満そうに熊谷を見る。
だが当の熊谷は、双子に両手を引かれながら平然としていた。
◇
二人は並んで、庭で遊ぶ双子を眺めていた。
しばらくして、結衣が口を開く。
「柊さん」
「なんだ」
「本当に十五年間、私を探してたんですか?」
柊が結衣を見る。
「今さら疑うのか」
「疑ってるんじゃありません。ただ……十五年ですよ」
結衣にとって、その時間はあまりにも長かった。
父を失った。
家を失った。
母と二人で、必死に生きてきた。
大学へ進み、作品を奪われ、それでもデザインを諦めなかった。
母が病気になり、夢より生活を選んだ。
あまりにいろいろなことがありすぎて――。
柊との約束さえ、いつしか記憶の奥深くに埋もれていた。
それなのに。
柊だけは覚えていた。
「どうして諦めなかったんですか?」
柊は少しだけ考えた。
そして、当たり前のことのように答える。
「約束したからだ」
「約束?」
「また来るって言った」
結衣の胸がいっぱいになる。
十五歳の少年が、九歳の少女と交わした約束。
ただの子どもの約束だったかもしれない。
それでも柊は、ずっと忘れなかった。
結衣はそっと、柊の手を握った。
柊も握り返す。
◇
「結衣」
「はい?」
「今、幸せか」
突然の質問に、結衣は目を瞬いた。
けれど、答えは決まっている。
迷う必要などなかった。
「はい。とっても」
柊の手が、結衣の頬に触れる。
「俺もだ」
結衣が驚いた。
そして、すぐに笑う。
「柊さんがそんなこと言うなんて、珍しいですね」
「うるさい」
柊は結衣を引き寄せ、その額に口づけた。
そのとき――。
遠くから声がする。
「パパー!」
「ママー!」
二人が振り返る。
双子が熊谷の手を引っ張りながら走ってくる。
「くまもいっしょ!」
熊谷は少し困ったように笑っていた。
「社長。そろそろお戻りになりませんと」
柊がため息をつく。
「くま」
「はい」
「今日は秘書じゃないだろ」
熊谷が少し考える。
「では、私は何でしょう」
双子が顔を見合わせた。
そして、二人同時に叫ぶ。
「くまー!」
結衣が声を上げて笑った。
熊谷も笑う。
そして――。
柊まで、とうとう笑った。
十五年前。
一人の少年と、一人の少女が出会った。
あの日の二人は、まだ何も知らなかった。
一度離れ離れになることも。
長い年月を越えて、もう一度出会うことも。
恋をして、夫婦になることも。
二つの小さな命に恵まれることも。
そして今。
柊の隣には、結衣がいる。
結衣の隣には、柊がいる。
その前を、双子と熊谷が笑いながら歩いていく。
結衣はもう一度、柊の手を握った。
「柊さん、帰りましょう」
柊は、その手をしっかり握り返す。
「ああ。一緒に帰ろう」
十五年前に交わした、
「また来る」
という約束は――。
もう、必要ない。
これからは、
帰る場所が同じなのだから。
――完――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
全28話、これにて完結です。
柊と結衣、そして久世家のちょっと不思議な物語を、最後まで見届けていただけたことを嬉しく思います。
初めての投稿作品で、最後まで読んでいただけるかドキドキでした。
少しでも「面白かった」「読んでよかった」と感じていただけましたら、とても嬉しいです。
本当にありがとうございました。




