4 「そのもの達は」
レアの言っている意味が理解できず、ジークは眉間に深い皺を作った。
「ジルキスレイヴァルド様…」
「その長い名前はやめてくれ。…ジークでいい」
自分の名前を知っているらしい相手に名乗るのはうっとうしいと思ったが、それ以上に何度も繰り返される長ったらしい名前にうんざりしてジークは言う。
「では、ジーク様…あなたが何も御存じないのは理解しています。いずれその永い生の中、自然と私たちの存在に辿り着くということも確信しておりました……しかし、私たちは待ちきれなかった」
淡々とレアは言葉を紡ぐ。しかし、その声色には何かジークには理解しがたい感情が含まれているのは確かだった。
その言葉に気を取られていたジークは、レアの次の言葉に反応が遅れた。
「ジーク様、あなたは我々を統べるべきお方なのです」
頭の反応は遅れたが、口からは瞬時に言葉が出ていた。
「気が触れているのか」
馬鹿か。
ジークの出す殺気の量が増す。
レアは平然とした顔をしているが、その殺気にあてられた周りの人間は気絶しながらも痙攣し、中には泡を吹いている者もいた。
その中でもレアは、冷静に言葉を発する。
「心中お察しします。いきなり突拍子のないことを言われ、お怒りなのはよく理解しておりますが、どうか気を御静めください」
ジークを見つめるレアの瞳はどこまでも真っ直ぐだった。それを見てしまい、殺気がそがれたジークは舌打ちをして椅子に乱暴に腰を下ろした。
「どこからお話すればいいのか、迷うところなのですが」
レアは、少し戸惑いを交えた声色で話し出す。どこから話せばいいか、というか何を話せばジークが納得するか考えている様子であった。
その姿にレアという超人的な女にも感情があるのだと思い知る。
「まず端的に言うと、ジーク様あなたは人間ではありません」
ジークの顔が引き攣った。
いきなりそんな核心をつかなくてもいいのではないのかと思わなくもないが、聞いてしまったものは仕方ない。怒ることもできず諦める。
だが、その言葉は到底受け入れられるものではなかった。その言葉は、今まで人間として生きてきたジークを完全に否定すると同様の言葉だったからだ。
怒ればいいのか、絶望すればいいのか、それとも喜べばいいのか、そのどれにも当てはまらない感情の渦は、ジークをただ呆れ果てさせただけだった。
「あのなあ…」
言葉と同時に溜息が吐き出され自然と語尾が消えていく。この瞬きをするほどの時間でジークの顔には疲労が色濃く滲んでいた。
「申し訳ありません、しかし事実なのです」
レアは心底申し訳なさそうに言った。その言葉に嘘偽りが含まれていないのは、長年様々な種類の人種と渡り合ってきたジークは理解していた。そのジークを欺けるほどの技術をレアが持っているのならば、それは諦めるしかない。もっともジークを欺くのならば、目の動き、動作、息遣い、微かに聞こえる鼓動を操作できるほどの腕がなければいけない。
しかし、それを肯定することはできない。
人間でないのならば自分はいったい何なのだ。
ジークの思いを心得たようにレアは、頷いた。
「そうですね、ジーク様のことを御説明する前に、まず我々のことを語らねばなりません」
「ああ」
ジークは、これから聞くであろうレアの話になるべく動揺したくないと思う。冷静さを保ち、レアに自分は人間であると諭したい。
しかし、自分が人間ではないと知らされた時点ですでに自分の顔が蒼白になっているのは分かっていた。
今までの人生で思うところは多々あったからだ。
しかし、それでも人間でいたいと思うのは自分の我儘なのだろうか。
レアはテーブルに指で円を書く仕草をする。するとそこには黒い球体が現れた。
光の下にいるというのにその滑らかな球体は光をまったく反射せず、ただ刻々と暗黒を保っていた。
ジークは、突如現れた球体に驚き、見つめる。
「我々は、そうですね…一言で言い表すと『深淵に住まうもの』と、魔族には言われております。ジーク様は御存じないでしょうね。人間などは魔界や天界でさえも完全には把握していないのですから情報がいかなくて当然です」
いきなり出てきた『深淵に住まうもの』の存在にジークは、眉を寄せる。
「魔族…じゃないのか?」
ジークがそう問うとレアが少し気を悪くしたように顔を顰め、強い口調で言う。
「ジーク様、魔族と我々を同列に見ていただいては困ります。我々は、魔界の奥底にある、上位の魔族も立ち入ることのできない、深淵という場所に存在しています。全てを飲みこむドゥンケルハイトの闇よりも深き闇の淵にある場所。その深淵に住むことができるのは我々だけです」
レアの話す横で球体は黒い雫をテーブルに滴らせる。
「その深淵の闇に呑まれることのない尊き存在、それが我々です」
雫は一滴でテーブルを闇に包みその姿を消し去った。残ったものは何もない。文字通り跡形もなく消し去ったのだ。
「これは…」
「深淵の一部です。人界に上がる際、少し拝借してきました」
レアが舌をぺろりと出してお茶目に笑う。見る者を魅了する笑顔だった。
しかし、それを気にせず、見つめているだけで吸い込まれてしまいそうな暗黒の闇にジークは魅了されたように視線を送る。
熱い視線を送っているとふと球体が揺らいだ。まるでその球体に雫を落としたかのように波紋が広がる。その波紋は広がり続け、やがて球体自体が波のように震えだす。
「深淵も喜んでおります。主になるべき方が近くにいるので」
「喜ぶ?」
「ええ、深淵は意思を持つ闇。故に深淵に認められないと頂には座れないのです。そして、深淵に見染められれば頂となる。あなたはたった今深淵に見染められ王の資格を得たのです」
レアは、恍惚とした表情をジークに向ける。
「あなたは選ばれしお方」
「しかし、人間として生まれた。そして人間として生きてきた」
レアに言うというよりも自分に言い聞かせるようにジークは言った。
「そして人間として、勇者となり魔王を倒した。その俺が人間じゃない?魔を滅したものが魔になるのか?」
深淵を見て落ち着いたジークはレアの言葉に先ほどのような反感を持たずに聞くことができた。そして素直に疑問を口にする。
「確かにあなたは勇者として、魔王を倒されました。そして、我々も魔王も闇に属するもの」
「ああ」
闇に属する魔王を殺してしまったジークは、闇に反するものにならないのか。
「深淵を統べるものが配下である魔王を殺して何の問題がありましょうか?」
しかし、ジークの思いは一瞬でレアに吹き飛ばされた。
「あなたが勇者だったということは微々たる事柄」
ジークは、驚愕した顔でレアを見る。レアは、微笑みさえ浮かべながらジークを見据える。まるで聖母のように慈愛に満ちていた。皮肉だが。
「まずこの世界の仕組みについて御説明を」
レアの指が淡い輝きを帯び、その指先で光の立体の図を描きだす。円柱を描きだし、その間に均等に四つの線を入れる。
「魔王とは元々は深淵に組していた者たちなのです」
ジークは瞠目する。
「深淵に住まうもっともか弱きものを魔王と定め、荒れた魔界を整備するのです。国には、王や指導者やら統べるものがいなければその中は荒れてしまうでしょう?荒れるだけならまだいいのです。人間界そのものがなくなるわけではないのですから。しかし、魔界は違います。統治するものがいなくなった魔界は個々の力がせめぎ合い耐えきれなくなりいずれ消滅してしまうのです。天族と違って魔族は気の荒いものが多いので」
レアは、線を入れた円柱を上から順に神界、天界、人間界、魔界、深淵と指さしていく。
「魔界は深淵の上に位置し、人間界は魔界の上に位置する。そして、人間界の上に天界、その上に神界はある。そのどれもがなくなってはいけない。一つでも失えば均衡が崩れ、全ての世界が崩壊する。故に神は天を深淵は魔を統べる役目がある。人間は、その国ごと独自の法を作り自分たちで統治しているので手出しはしません。
しかし、天界と魔界は違います。どんなに力あるものが生まれても世界全てを統治することはできない。出来てもせいぜい自分と同種の民族くらいです。ですから圧倒的な力を持つものが必要なのです。それは天界では神で、魔界では私たちなのです」
ジークは唖然として何も言うことができなかった。乾く口でかろうじて出せたのが、
「魔王がか弱きもの…」
だけだった。
「魔界を統治するなどそれで充分ですわ」
レアの一言一言に衝撃を受け、ジークはついに何も言えない状態になった。
「人間は知らないだけなのです」
可憐な唇の端が上がる。
「我々は人間が崇め讃える神と同等の力を持つ存在なのですよ」
そういって笑うレアが神々しく見えたのはジークの見間違いだったのだろうか。
「それが我々『深淵の住人』」




