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64.少女は再び無垢となり、狼は静謐の道を進む。

「ボス! 侵入者です!」


 部下の男が転がるように部屋に飛び込んできた。


「例の警官が一人でアジトに侵入してきました!

 正面の扉からです!」


 部下の男はあらかじめ伝えるよう決められていた報告事項を伝える。


「……ふっ」


 それを受けてボスはニヤリと口角をあげる。

 左ほほの傷跡が引きつる。


「単身で、しかも正面突破か。

 いい度胸をしている。

 いいだろう。つまらない殺り方はしないでおいてやろう」


 ボスは引きつった頬をなぞるように触れながら笑う。

 もしもジョセフが他の入口や換気口などから侵入しようものなら、通路を閉鎖してガスをまいて始末しようとしていた。

 ジョセフが銀狼だとは知らないボスにとって、いち警官などその程度の存在だった。


「連中に備えるように伝えろ。

 その警官を仕留めたら提示した額の倍を出すと言え」


「はっ!」


 どうやらボスはジョセフの迎撃手段を用意しているようだった。


「それと、騒ぎに乗じて銀狼が侵入してくる可能性が高い。

 警官の動向を追いつつ、他に侵入する者がいないか注意しろ。

 もしも他の侵入者を発見したらすぐに俺に報せろ。連中には手を出させるな」


「はっ!」


 ボスにとっての本命はこっち。

 銀狼に比べたら武闘派警官など些事に過ぎなかった。


「それで、もしも銀狼に手を出したら……」


「っ!」


「簡単に死ねると思うな。四肢がなくなる程度では済まないと言え」


「は、はいっ……」


 ボスの殺意に、周囲の空気が一瞬で冷え込んだように感じた部下は必死に返事だけは返した。


「さて。まずはその警官がどこまでやれるか。

 万が一にもここに来ることはないだろうが、連中相手にどう踊るのか、見ものだな」


「……ふぅ」


 再び楽しそうに笑ったボス。その軟化した気配に部下の男がホッとして思わず息を吐く。


「……」


 そんなやり取りをイブはぼんやりと眺めていた。


 警官……銀狼……。それはいったいなんだったか。

 つい先ほどまで必死になってしがみつこうとしていたものはなんだったか。

 何やら温かさを感じていたものはなんだったか。

 温かさ、とはなんだったか。


 イブはぼんやりしていく意識の中で、掴めない何かが消えていくのを感じていた。

 それを掴みたかったのかさえ、今はもう分からない。


「……少し、薬を強くしすぎたか」


 そんなイブを見下ろしながらボスは冷ややかに呟いた。


「万が一、ということもあるからな。

 俺に逆らうなんて愚かなことはしないとは思ったが、悪く思うなよ。キャシー。

 ま、肉体に影響はないから心配するな」


「……キャ、シー……?」


 そうか。自分はキャシーというのか。


 自分というものが消えかけている中で、それは彼女がすがりつく依り代となった。

 その名がないと、今度こそ自分は何もなくなってしまう。消えてしまう。


 自分で自分が分からなくなる。

 それは何より怖いことだった。


『ーーッ!』


 ……。


 どこかで誰かが自分のことを呼んだ気がした。

 だが、それは今の自分の名前ではない気がした。


 ……。


 やがて、それも消えていく。


 自分にあるのはキャシーという名前だけ。


「安心するといい。

 俺がお前の生きる意味を与えてやる。

 名前と、生きる意味だ。

 お前はキャシー。

 お前は、復讐するために存在している」


「……キャシーは、復讐する……」


 生気のない瞳がボスの言葉を復唱する。

 初期化されたフォーマットに新たなプログラムを書き込んでいくように。


「そうだ。キャシーは銀狼に復讐する」


「キャシーは、銀狼に、復讐する……」


「そうだ。それこそがお前の生きる意味だ」


「……」


 うつむく彼女をボスは冷たく見下ろす。

 本当に初期化しているのか。それを見極めるように。


「……そのあとは?」


「あん?」


「その、銀狼っていうのに、復讐して、そしたら、私は何をしたらいいの?」


「……」


 自分を見上げるその無垢な瞳を見てボスは確信する。

 ゼロになったのだと。

 自分に対する恐怖心も消えているのが何よりの証拠。これまではどこか怯えた揺らぎを秘めていたから。


「そうしたら、今度は世界に復讐だ」


「……せ、かい?」


 ボスは両手を広げて愉しそうに笑う。


「そうだ。俺たちを虐げた愚かな旧人類をこの世界から消し去るのだ!」


「……そう。

 復讐。それが私の生きる意味……」


「そうだ。

 俺たちはそのために存在している」


「……」


「分かったか?」


「……ん」


 キャシーは頷いた。

 ガラス玉のような無垢な瞳で、何一つ疑うことなどなく、導きを与えてくれる目の前の男の言葉を受け入れた。


「……それでいい」


 完成した。

 ボスは銀狼を迎える体制が出来上がったことを確信したのだった。


「……」


 キャシーの瞳には何も映らない。

 怒りも悲しみも、何もない。

 ただ復讐をする。それだけのために自分は在る。そこには一切の感情はない。

 復讐するだけ。


「……」


 それだけが、生きる意味だから。


『それさえも終えたら?』


 キャシーは泡沫に浮かんでは消えたそんな疑問に目をくれることはしなかった。

 その先もまた、この男が教えてくれるのだろうと盲信することにしたから……。

















「……静かだな」


 耳が痛いぐらいに音がない。

 天井に点る蛍光灯のジジジという音だけが廊下のような道に続く。

 通路は明るい。

 扉の先は真っ直ぐ一本道。長い通路が続いていた。


「……視てさえいないのか」


 監視カメラの類いもない。

 サーモセンサーにしてもなんにしても、電子機器の類いがあれば感じ取れる。

 ここにはそれもない。

 ただライトで照らされただけの一本道。


「……」


 だが、壁と天井の繋ぎ目、そこに僅かに隙間がある。

 老朽化によるものではない。施設は比較的新しい、あるいは定期的に改築されている。

 あれは撃退用だ。

 あそこからガスなり液体なりを流して侵入者を排除するためだろう。扉は頑強だ。水で通路を満たすことも難しくないのだろう。

 そして、おそらく入口の扉は感知機能付き。

 侵入者が入ったことさえ分かればすぐにでも殺せるから監視する意味はないってところか。

 

「……招いてくれてるわけか」


 俺にそれは発動しないのだろう。

 だが、もしかしたら他の経路から潜入しようとしたら、そこに設置されていた同様の罠が使われていたかもしれないな。

 そうしたら俺は死んでいただろう。


 ボスは、俺に正面から来ることを望んでいる。


「……ラスボス気取りか」


 しばらく歩くと扉が見えた。

 入口と同じような頑強な扉。

 扉の先に広い空間といくつかの人間の気配。

 俺を待ち構えているようだ。


「ステージをクリアしていってボスまでたどり着けってことだな」


 ボスは俺が銀狼だと知らない。

 ヤツからしたら俺は本命の前の前座。

 せいぜい楽しませろって所か。


「いいだろう」


 懐から水の入った小さなボトルを取り出し、中身を少量口に含んで飲み込む。同時に携帯食糧を摂取し、再び水を飲む。

 ここはセーフゾーンとして用意してあるようだから利用してやる。


「……せいぜい楽しませてやるよ」


 懐に水をしまい、代わりに銃を取り出す。

 扉の近くには誰もいない。おそらくは正方形であろう部屋の反対側の端。扉の対角線の位置に数人の気配が固まっている。


「いくか……」


 呼吸を整えると、重厚な扉をゆっくりと押し開けていった。


















「よぉーーーしっ!

 全体、私に続けー!」


 一方その頃、ボスのアジトがある自然保護区の入口にあたる街に警官隊が到着していた。

 スティーブン警視率いる精鋭大部隊。

 街で小休止したあと、部隊は森の入口に集結した。


「うるさいわよ」

「イタッ!」


 大声で隊を率いるスティーブンの頭をエルサが叩く。


「頭を叩くな! 大隊長は私だぞ!」


 頭を擦りながら文句を言うスティーブンだが、心なしか嬉しそうだった。


「で、副隊長が私。

 隊長が暴走しないように見張って、時にはそれを制止するのが私の仕事」


「隊長の補佐をするのが副隊長の仕事だろぉー!」


 警官による特殊編成大部隊。

 その指揮には警視以上の役職の者が二名以上就くことになっている。

 本来であれば隊長を警視正、副隊長を警視が務めるのが慣例だが、先の組織絡みの事件を担当していたことから上層部はスティーブンを隊長に任命した。

 だが、若干の不安は禁じ得ないため、信頼のおけるエルサに副隊長を打診したという背景がある。もっとも、エルサがそれを上層部に進言したのだが。

 部隊には解体(バラシ)屋のアジトに突入した面々も見受けられた。

 名実ともに精鋭部隊。


「私はやるぞ! 今こそ組織壊滅だ!」


「……」


 いつになくテンションが高いスティーブンに対し、エルサは努めて平静を保っていた。内心、焦っていたから。


 エルサは状況をある程度把握していた。

 イブが捕まり、ジョセフが単身乗り込んでいることを。

 協力者はいても、おそらくジョセフは、銀狼は最後は一人でやろうとする。

 一人でイブを救い、ボスを殺そうとする。


「……」


 エルサにはそれが分かっていた。

 邪魔されたくはないから。

 だから、ジョセフは一人で死地に向かうのだと。


「ふっふっふー。今日も私の抜群の指揮能力を発揮してしまうとするかぁー」


「……」


 たとえ嫌われてもいい。恨まれてもいい。

 それでもジョセフを死なせない。

 力になりたい。

 それは色恋的な感情ではなく、恩を返すという心情によるもの。

 自分の胸に渦巻くものがそうだと分かったのは最近のこと。


「腕が鳴るなぁー!」


 袖を捲り、筋肉を見せながらチラチラとエルサの方を見るスティーブン。


「……」


 エルサは真っ直ぐに森を見つめる。

 ジョセフを助け、イブを救う。

 改めてその目標を胸に刻んで。


「……ぐすん。じゃあ、行こっかぁ」


 まったくこちらを見ないエルサにスティーブンはずいぶん落ち込んだ様子だった。


「……ねえ、スティーブン」


「……なんだー? というか、今は隊長だろー」


 視線は真っ直ぐなまま、エルサは隣のスティーブンに話しかけた。

 スティーブンはいじけてしまったようで、返事も気だるげだ。


「……この作戦が終わったら、デートしよう」


「な、な、な、ぬわんだとぅうぉーーーー!!??」


 だが、その話の内容を瞬時に理解したスティーブンは大げさなほどのリアクションで驚いてみせた。


「い、いや! いやいやいやいやいや!

 ダメだ! それはダメだ!」


 だが、すぐにハッとなって首がちぎれんばかりにブンブンと横に振った。


「あら。イヤなの?」


「イヤじゃない!」


 エルサが意外そうにスティーブンに視線を向けると、スティーブンは即座にそれを否定した。


「だが、それは死亡フラグというやつだ!

 そんなものを立たせはしない!

 私が君を死なせるわけがない!

 ゆえにそんなフラグを立たせるわけにはいかないのだ!」


「ふふっ。なによそれ」


 開き直ったスティーブンはあまりに真っ直ぐな男だった。

 それは、エルサの周りにはいなかったタイプだった。


「そうだ!

 これが終わったら私が君をデートに誘おう!

 これで君にフラグは立たない!」


「それじゃ貴方にフラグが立つじゃない」


「そんなものは折る!」


「バカみたい」


「バカで結構! 男はバカなぐらいがちょうどいい!」


「自分で言うなし」


 そんな隊長と副隊長のやり取りを、後ろで待機している隊員たちは生温かい目で見ていたのだった。


『心配しなくてもアンタらを死なせはしないよ』


 そんな思いを胸に抱きながら。

 そして、


『早く行こーぜ』


 そんな思いは胸に深く沈めながら。




おまけ


「ねー暇なんだけど」


 特安の回収班を待っている間、暇をもて余したマドカが草の上にごろんと寝転ぶ。

 制服は血まみれだから今さら構わないと思ったようだ。


「お、おい。足を投げ出すなよ。スカートだぞ」


 仰向けに寝転んで足を無遠慮に投げ出すマドカのスカートは今にも捲れ上がりそうだった。


「なによー。見たいのー?」


 思ったよりウブな反応を返したケビンにマドカは猫のような瞳を楽しそうに揺らした。

 尻尾があればユラユラとしていただろう。


「……お前、学校ではそんなことはしてないだろうな」


 そんか挑発的なマドカをケビンは呆れた様子で咎めた。


「……ふーんだ。学校では清楚で大人しいマドカさんやってますー」


 詰まらない反応になったケビンにマドカは頬を膨らませてそっぽを向いた。


「……お前が変なヤツに引っ掛かってないか心配だからな」


「……へ?」


「兄として、家族として、妹のことを心配するのは当然だろ」


「……ま、まあね」


 それはマドカがかすかに期待した返答とは違ったが、なんだか心が温かくなったので良しすることにした。


「よし。じゃあ、暇だからしりとりをしよう!」


「えー、ビミョー」


「いいから!

 じゃあ、りんご!」


「んー、ご、ご、拷問……あ、ダメだ」


「……じゃ、じゃあ、散歩。『ほ』でも『ぼ』でもいいぞ」


「んー、じゃあ、撲殺」


「……つ、つ、ツツジ!」


「銃殺」


「……やめよ」


「暇ねー」


「……そだねー」



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― 新着の感想 ―
スティーブンイイキャラだなあ( ˘ω˘ )
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