第30話 『幕が落ちる時』
王城中央ホールは、夜気を吸いこんでひどく静かだった。
まだ式典の準備途中らしく、赤い絨毯も半分しか敷かれていない。
舞台にするには十分すぎる“空白”がそこにあった。
シャーロットは息を整え、ゆっくりと歩みを進める。
(ここで終わらせる……私の意思で)
天井から垂れる大シャンデリアに人影が映るように──
暗がりから一人が降りた。
「遅かったですね、シャーロット」
ヴァレン・コルネリウス。
黒い上着を揺らし、まるで舞台挨拶のように手を広げていた。
「……待っていたんでしょう。私が、ここに来るのを」
「もちろん。
あなたは“主役”ですから」
相変わらず落ち着いた声。
けれど、その眼差しの奥には異常な執着が渦を巻いていた。
シャーロットは一歩踏み出す。
「どうして私なの?
どうして“主役”なんて押しつけるの?」
ヴァレンは微笑む。
その笑みは、優しさとは似ても似つかない。
「この世界は、元々“物語の器”なんですよ。
誰もが、自分ではなく“配役”として流されている。
あなたもかつては、そのひとりでした」
「……前世の話?」
「そう。
あなたは断罪ルートを避け、狂ったように努力し、奇跡的に生き延びた。
それが私には、たまらなく面白かった」
シャーロットの心臓が冷える。
(……観ていた?
私が、もがいていた全部を?)
ヴァレンは続ける。
「“物語から逸れた存在”は、この世界に非常に強い影響を持つ。
とくにあなたは突出していた。
だからこそ、あなたを軸に“再構築”ができると思ったんです」
「再構築……?」
「ええ。
退屈な予定調和を全部壊して、真に自由な劇を作る。
あなたが主役ならば、それが可能になる。
だってあなたは、脚本に抗う力を持っていたのだから」
シャーロットは言葉を失いかけたが──
ある疑問が浮かんだ。
「じゃあ……どうしてレドモンドを利用したの?」
ヴァレンは肩をすくめる。
「彼が“この劇で最も壊れやすい心”だったからです。
舞台への執着、劣等感、焦燥……
少し触れるだけで、簡単に歪んだ」
怒りが胸の奥で震えた。
(そんな理由で……あんなふうに)
シャーロットは否定するように首を振る。
「あなたの劇なんて知らない。
私は誰かを犠牲にする物語を主役になんてしたくない」
ヴァレンの目が細められた。
その目は、少し哀しげでもあった。
「だからあなたは主役なんですよ」
「いいえ。
私は──私自身の物語を選ぶ」
ヴァレンが手を振ると、床に黒い粉が広がり、影の写しが次々に立ち上がった。
以前よりも明確に、細かい皺まで再現された“偽物の人々”。
「逃げられませんよ。
幕はすでに開いている。
あとはあなたが演じれば完成するんです」
「演じないわ。最後までね」
シャーロットは、胸に残った僅かな恐怖を押し込んだ。
アルフレッドの真剣な眼。
マーリエのかすかな涙。
レドモンドが絞り出した“行け”という声。
その全部が今の自分を支えている。
(私は一人じゃない)
その瞬間だった。
影たちの背後で、“人の形”が崩れた。
崩れた影の奥から──よく知る声。
「……シャーロット!」
アルフレッドが駆け込んできた。
後ろにはマーリエも、そしてレドモンドもいた。
ヴァレンが目を見開く。
「どうして……役を与えたはずのあなたたちが……!」
レドモンドは息を荒くしながら叫ぶ。
「お前の脚本なんて知らない!
俺は……俺自身の役で生きたいんだよ!」
その叫びは、痛いほど真っ直ぐだった。
影の写しがヴァレンの意志に従って動き出す。
だが、数が多いからこそ動きは粗い。
アルフレッドが切り結び、マーリエが魔法で風を巻き起こし、レドモンドは震えながらも影の注意を引きつける。
シャーロットはその隙を突き、ヴァレンの目前まで歩み寄った。
ヴァレンはなお微笑んでいる。
「どうするつもりです?
暴力で私を止める?
それとも説得?」
シャーロットは首を横に振る。
「どちらでもないわ」
その瞬間、彼女はヴァレンの胸元にそっと手を伸ばした。
乱暴ではなく──まるで誰かの心を撫でるように。
「あなたは……寂しかったんでしょう?」
ヴァレンの眉がわずかに動いた。
「……なにを」
「あなたの言う“物語”も“脚本”も、きっと自分の手で壊してしまいたかった。
予定調和がつまらないと笑う裏で……
本当は、心のどこかで、誰かに『違うよ』って止めて欲しかったんじゃないの?」
影たちの動きが一瞬止まった。
そこに、ヴァレンの動揺が重なる。
シャーロットは続ける。
「私があなたの主役じゃなくていい。
あなた自身が……舞台を降りればいいのよ」
「……私は……」
「あなたの物語は、あなたが作れるはずよ。
他人を壊さなくても。
私を主役にしなくても」
それは言葉の戦いではなく、心そのものへの問いだった。
しばらく沈黙が続く。
そして──
ヴァレンの足元の影がほどけ、黒い粉がさらさらと床へ落ちた。
影の写しが一体ずつ崩れていく。
舞台の幻が終わる音。
「……まいりましたね」
ヴァレンが静かに笑った。
「こんな結末は……私の脚本にはありませんでした」
「それでいいの。
予定調和じゃない“あなた自身の選択”よ」
ヴァレンはゆっくりと目を閉じた。
「あなたには勝てません。
あなたは本当に……物語を変えてしまう」
「変えるんじゃないわ。
選ぶのよ、自分で」
ヴァレンは手を下ろし、抵抗をやめた。
影も光も失ったただの男の横顔は──
どこまでも普通で、どこか哀しく、そして少し救われたようにも見えた。
シャーロットは深く息をつく。
アルフレッドたちが駆け寄ってきた。
「終わったのか……?」
「ええ。
やっと、幕が下りたわ」
マーリエが胸を押さえて泣き笑いし、レドモンドも大きく息を吐く。
アルフレッドは静かにシャーロットの肩を抱いた。
王城の天井から、夜明け前の光が差し込んだ。
“物語の中心”に立っていたのは、どこかに決められた主役ではなく──
自分の選択で生きたひとりの少女だった。
こうして、シャーロットの長い物語は静かに幕を閉じるのだった。
―完




