海神病
海が大好きな非リア(非常にリアル充実してる)の高校生の海晴は、ある時夢の中で、
『お前、明日から海の神な!』
と言われて飛び起きた。
違和感を感じつつ鏡を見てみると.....?
この作品は、小説家になろうの企画『夏のホラー2025』の参加作品です。
※設定ミスで連載になっていますが、一応短編です。
五月晴れの空の下。浜辺で汐風に吹かれながら、考えていた。
「神様、俺を海があるこの世界に生まれさせてくれてありがとう!」
昔から、俺は海が好きだった。
澄んでいて、美しい紺碧。そして、綺麗な波。そこに住む生き物達。全てが好きだ。
大きく手を広げて、深く息を吸い込む。爽やかな潮の香りは、俺を幸せな気持ちにさせる。俺も海の一部みたいだ。
ふと目を止めた波間に、違和感がある気がした。目を凝らしたけど、次の瞬間には何が気になったのかも解らなくなってただ沖を眺める。
「何だったんだろ、あれ......。」
「おーい海晴!また海見てんのか?」
「お前、流石に来すぎだって。風邪引くぞー。」
少し離れた通学路から親友の港人と碧の声がして、考えは途切れた。まぁ、いいか。
手をふり返して二人と合流する。
「大丈夫だって。じゃ、久しぶりにカラオケでもいくか?」
「いいな。行くぜ!」
「おんおん。」
俺は東海林海晴。さっき言ったとおり海が大好きなフツーの高校二年生。アングラな都市伝説が好きな年子の妹と母との三人暮らし。友達も居て非リア(非常にリアル充実してる)で、歌うのが好きな幸せ者だ。
カラオケに行く途中、俺は二人に夢を語っていた。
「俺は将来、海洋学者になって、海の生き物を守って、あと水族館の解説員になろうと思っててさぁ。」
「わーったわかったから。その話は飽きるほど聞いたから。」
『ヤサシイ人間。見ぃつけた。』
「?」
俺達の後ろに強い気配を感じて、振り返る。
「どうした海晴。」
「いや、かわいい女の子の声が聞こえた気がしてさ。」
「いや気のせいだろ。」
「とりあえず、カラオケ何歌う?」
その日の夜、もやがかかった知らない空間に、俺が居る夢を見た。
周りを見回すと、潮風の匂いがして、どうやら浜辺にいるようだ。
どうせ夢を見るなら明るい海で遊びたいのに。そうおもっていたら、霧の中から魚の尻尾が生えた誰かが出てきて、俺に話しかけた。
「なぁ、お前。明日から海の神な!」
え、この声って?あっ、もしかして昼間の声の?と思い出したとたん、酷く寒気がして飛び起きた。
「夢、か?」
もともと寝起きが悪いって家族に呆れられるタイプだけど、今日は特に酷い気分だ。明らかに、何か違和感がある。なんか、自分が自分じゃなくなった様な、そんな気分。そんな引っかかる様な気持ちを抑えて、俺は朝食を取ろうとリビングへ向かった。
「ねぇ、お兄ちゃん。その顔どうしたの?なんか、鱗みたいなのついてるよ。」
朝起きて、一番最初に妹から言われたのは、そんな言葉だった。
「何言ってんだ。病院行った方がいいんじゃねえの?」
いきなりあまりに意味不明な妹の発言に、悪態を吐く俺。
「病院行くべきはそっちでしょ。鏡見てきなよ。」
洗面台の鏡の前に立つと。俺は戦慄した。
「なんか、本当に鱗あるんだけど。何これ。」
俺の右の頬には、はっきりと青緑色の鱗が生えていた。
「汚れじゃねぇよな。あっ、取れた。」
爪で触ると、鱗はポロポロと簡単に取れた。しかし、もう一度鏡を見ると、
「あれ?なんか、今一瞬取れたけどまた生えて来てる。」
「うぉ?なんかまた生えて来た。何これキモっ。」
そう言って取った鱗をゴミ箱に捨てる俺。
「ほら言ったじゃん。病院行った方がいいって。」
流石にこれは誤魔化し様がない。俺は妹の言葉に頷き、とりあえずマスクをして病院へ行った。
「んー、特に異常はありません。肌の炎症ですね。かなり珍しい症例です。痛みなどはありますか?」
「いえ。とくに。」
「まだ、様子を見ましょう。」
「何も問題なかった。保湿クリームだけもらって帰って来たわ。」
妹は心配そうにこちらを見つめ、ため息を吐いて言った。
「絶対なんかおかしいって。」
不安に駆られた俺は妹に聞く。
「なぁ、これ大丈夫なのか?」
「私が知るわけないじゃん。私の方でも調べてみるから、今日は休んでて。」
「りょ。」
次の日。昨日と同じように鏡の前に立つ。鱗の生えてる範囲が広がっている。
「何だよこれ、気持ち悪っ!」
俺、このままどんどんこの鱗に覆われて行って、全身を覆われた時死ぬとかないよね。昔観たアニメで似た様な状況になったキャラいたけど、大丈夫そ?
「海晴。学校どうする?」
母が後ろから訊ねる。
「どうしよう。」
流石にクラスメイトにこの姿を見せるわけには行かない。あっ、でもガーゼ貼ればいいかも。
とりあえず応急処置?としてガーゼで鱗を隠した。
「応急処置ってなんだよ応急処置って、不自然すぎる。」
そう自分でツッコミながら、不安を押し殺して学校へ向かった。
学校に着くと、案の定すぐにガーゼのことを指摘された。
「どうした。昨日休んでたけど。何その右頬、怪我したのか?」
港人がそう聞いて来た。
「いやー、ちょっとね。」
「何があったんだよ。」
「ごめん港人、ちょっと転んだんだ。転んだ先で石があって...。」
「それは危なかったな。目に石が刺さらなくて良かった。」
「だとしても、それで丸一日休む必要あるか?」
もう一人の友人が、鋭い質問を俺に投げかけて来た。
「ちょっと傷が炎症を起こして膿んじゃってさ。」
「ふーん。」
「えーと、『顔に鱗 病気』っと。」
家に帰って来た俺は、今の自分に出来ることを探した。ネットで。
「んー。特にヒットなし、か。何なんだよこれぇ。」
そこで思い出す。一昨日見た夢で、何か違和感がして、飛び起きたこと。内容はほとんど覚えてないけど、何か、あれが関係している気がする。
「お前、明日から海の神な!」
恐ろしいほどの悲しみをはらんだ様な、その言葉だけ覚えてる。
あれは、一体どういう意味だったんだろう。それになんか、あの子、魚の尻尾が生えていた様な...。
「もしかして...。」
俺の中で、一つ、ある仮説が出来た。
一瞬家族に打ち明けることも考えたが、頭おかしい奴だと思われるのは御免だ。
「俺、神になったのか?」
いやいや、確かに俺、海大好きだけど!こんなことある?
けど、本当にあの子が海の神様だとしても、俺が海の神に選ばれたとしても、こんな顔にされるのはちょいムカつく。
俺が海神様(仮)のあの夢を見た日から、二週間。
最初は右頬だけだった青緑色の鱗は、おでこにまで広がっていた。流石にこの姿を皆んなに知られたくない。けど、学校に行きたい気持ちは消えない。何とか毎日顔に包帯とガーゼを巻いて過ごしてる。
けど、今は無性に海に行きたい気分だ。
ダメだ。ダメだダメだダメだ!
再び病院へ向かった。ギリ包帯で頑張れるレレベルだったのが幸いか、頑張って隠して。
「本当に珍しい症例です。少し、鱗を採取します。何か、分かることがあるかもしれません。」
医者からそう言われて、後ろの看護師からの心配そうな視線を感じながら、鱗を削ってもらった。
「結果が出るまで、一週間程、時間を下さい。」
「分かりました。」
病院から帰路に着くと、
「おい。海晴、久しぶり。」
友人達と遭遇した。
「お前、どうしたんだよ。ガーゼで覆われてる範囲広くなってんぞ?」
「いい加減何があったのか説明しろよ。本当に心配なんだよ。」
港人達の表情からその言葉は、本心だとわかる。
「なんか俺、重度の皮膚病になったんだって。すごい珍しいヤツらしくて、今は検査して治療方を探してるとこなんだ。でも、大丈夫だよ。」
とりあえず、そう言っておいた。一応嘘ではないよね?
「そ、うか。けど、なんかあったらちゃんと言えよな。俺ら、友達なんだから。」
俺は深呼吸をして、言葉にした。
「わかってるよ。」
あの日の夢のことなんて、口が裂けても、眼を抉ると言われても言えない。
「これから久しぶりにカラオケ行くんだけど、一緒に歌わねぇか?」
「断る。」
「じゃあ、さっき学校で買ったおにぎり。まだ開けてないから、お前にやるよ。」
俺は静かに頷き、おにぎりを受け取り涙を堪えながら、その場を後にした。
帰り道、無性に腹が減って、誰も居ない公園の樹の裏で、さっきのおにぎりを食べようと開ける。
しかし、一口目を口にした瞬間、俺はおにぎりを落とした。
(なんだよコレ!すっごく不味い!腐ってんのか?)
まるで某人食べなきゃ生きられない怪物になっちゃうの漫画の主人公になった気分だった。
そして、ふと身体に違和を感じ両手を見る。
「くっそぉ...。」
そこには、水掻きがあった。皮膚も薄気味悪い灰色へと変色していた。
涙が流れる目で、立ち上がって、おにぎりを捨てた。そして、そのまま逃げる様に家へ向かう。
絶望感に苛まれながら、家まで歩きつつ考えていた。
(俺、このまま人じゃなくなっちゃうのかな。本当に予想通り海の神になっても、皆んなから恐れられて生きて行くことになるのか?嫌すぎる。)
俺は別に厨二病じゃないし。この姿も微塵もかっこいいと思わないし、神様になんてなりたくない。
早く、家に帰ってテレビが見たい。スマホが見たい。なんでもいいから安心できる材料が欲しい。そう思考を巡らせながら、午後5時過ぎの人気のない道を選んで走った。
けど、気づいた時には海辺に居た。別に行きたいと思って来た訳じゃないのに。
「海が、俺を呼んでるのか?んな訳あるかよ。」
その時。
「あー!帽子が!」
海岸に居た女性の碧いリボンのついた麦わら帽子が、風で海の方へ飛んでいった。そして_
バシャンと俺は海へ入って行った。そしてすぐ、違和感に気づく。
なんか、すごいスピードで泳げている。この鱗が生えてくる前は、海が大好きなくせにまあまあなカナヅチだった俺が、今泳いでいる。
そして、海の中だけど、息も出来るし、海水が目にしみない。むしろ気持ちいい程周りが見える。
(よし、いける!)
俺は海に浮かぶ麦わら帽子を持って海岸まで泳いで行った。
「あ。これ、どうぞ。」
持ち主の女性に、帽子を渡す俺。一瞬だけ、海の神様も悪くないな、と思ったが。次の瞬間彼女は悲鳴を上げた。
「きゃぁぁ!!」
そこでようやく思い出した。自分の姿が今どうなっているかを。
「ご、ごめんなさい!」
顔を隠して、また必死に家まで走る。
家に戻って、ドアを開けると、そこには妹と母が居て、
「どうしたの?その格好。びしょ濡れじゃない。いったい何があったの?今日はこんなに晴れてるのに。」
「とりあえず、タオルと着替えちょうだい。お風呂入るから。」
顔を伏せたままそう言った。
「お兄ちゃん。もしかして、海に行ったの?」
「なんか、成り行きで...。」
「成り行きじゃないわよ!どうなってるのよ。」
母が涙ながらに怒鳴る。
「もう、今は放っておいて。」
「...?!」
しまった。顔を上げてしまった。俺の、鱗に覆われて灰色に変色したその顔を見た母は、眼をかっぴらいて、慄いていた。
固まる母を他所目に、俺は風呂場まで直行した。妹も言葉を失っている。
「お兄ちゃん...。」
それから、医者に診てもらった鱗の検査結果を、母と一緒に聞いて来た。
そこで医者から言われた病名は、『翠鱗化喰症』身体に鱗が生えて、身体に水掻きが出来て、食欲がなくなっていく病気だそうだ。世界でもまだ症例は片手で数えることが出来るくらいしかないらしい。
そして、治療法は現時点では見つかっていないとも言われた。
海の中で息ができたことは言わなかった。流石に別の病気を疑われそうだったから。実験動物にされるかもしれないし。
帰って来ると、妹が俺の部屋の中で待ち受けていた。
「何だよ渚。何勝手に入って来てんだよ。」
「いい加減話してよ、病気のこと。どう考えても普通の病気じゃない。それは自分でも解ってるでしょう?」
「部屋戻れよ。」
「妹として、家族として手伝わせて、病気治すの。」
「......。」
妹の圧に押されて、俺は病院で教えられた病名、海の中で息が出来たこと、そしてあの日の夢のことを話した。
「渚。お前、信じられるか?」
「もちろんだよ。お兄ちゃん昔から嘘はつかなかったしね。それに、現にもうその姿になってるし。」
「そうだな。戻れるのかな、俺。」
「限界まで探す。絶対、病気を治す。」
一ヶ月経った。症状は酷くなって行くばかりで、鱗は今や顔面の右側と肩まで広がっていた。
もうガーゼはおろか包帯でも隠しきれない。やろうとしたら全身ミイラになる。こんなんじゃ、もう外出れないじゃん。俺は涙目になりながら、自分の部屋の椅子へと座る。
そして、またスマホをいじった。『翠鱗化喰症 類似する病気』と。
検索すると、下の方に一つのサイトを見つけた。
サイトの名前は、『海神病』と書いてあった。他は何も書いていない。
思わず、ドメインを押した。
(何か、解るかもしれない。)
サイトに入ると、そこには『海神様の呪い!』と書いてあった。
「おい、ふざけんな。都市伝説サイトかよ!」
騙されたと思ったが、下にスクロールすると、『翠鱗化喰症との関連は?』という言葉を見つけ、ハッとして読み進めると、こんなことが記載されていた。
この病気が発生したのは比較的最近のことで、今から23年前に初めての患者が現れたらしい。その症状は、
ある時、夢に誰かが出てきて、
「お前明日から海の神な!」
と言われると、次の日から身体に鱗が生えどんどん広がって行き、水中で息が出来たり、泳ぎが上手くなったり、見た目が水妖みたいになって行く。そして最終的に海を汚す人間を殺そうとする。世界でもこの『海神病』になった人はまだ両手で数えられるくらいらしい。
「嘘だろ、そんな病気実在するの?」
いやいや、現に今その状態になってるじゃん。そう心の中で自分にツッコミをいれる。
その先をスクロールしていく。そして、俺は手がスマホから落ちそうになった。なぜなら、
『この病気にかかった人は、何故かいつも海から大量の血痕を残して姿を消してしまう。そして、消えた人はもう二度と戻って来ない。』
衝撃の解説に目を見開く。
「どういうことだ?なんで、居なくなるんだ?血痕?俺、死ぬのか......?」
信じられない、信じたくない。
「これ、渚に話しといた方がいいか?」
一応、な。渚はアングラな都市伝説とか詳しいし。
「ただいまお兄ちゃん。なんか、そっちでは進展あった?」
「渚。これ。」
そう言って渚にスマホの画面を見せる俺。
「海神病?」
「なんか、今の俺の状況と色々一致するんだけど。」
渚が考え込む様に目を瞑る。
「私の方でも調べてみる。後でリンク送って。」
「りょ。あと、渚。」
「どうした?」
「俺、人殺すのかな。」
「そんなことする訳ないでしょ。それに、もしそうなりそうな状況になっても、私がそんなことさせない。」
それからさらに1ヶ月後、相変わらず学校には行っていない。
あのサイトを閲覧した日から、食べ物を受け付けない身体になってしまった。口に入れても不味いだけだし、何より腹がすかない。それでも不思議な事に生きている。
「あの神様(仮)、何で俺を選んだんだよ。」
その言葉を呟やいた瞬間、俺は何かを感じて、家から飛び出す。
「えっ、ちょ海晴。どうしたの!」
分からない、解らないんだ。自分でもわからないんだお母さん。
もう何もわからない。けど、自分が今、どこに向かってるのか、それだけは確信していた。
「海......。また......。入りたくないのに!外に居たくないのに!」
何なんだよいい加減にしろよ、俺が海に入って何になるんだよ本当にむかつく、馬鹿なんじゃないの?
操られるように駆けてきたのは、やはり海岸だった。海を目の前にしてドクンドクンと鼓動が更に早く強くなるのを感じる。そのままばたりと砂浜に倒れ込んだ。
「何なんだよこれ......体が熱い。」
俺が苦しんで動けないでいると、誰かの声が聞こえてきた。
「あれ?あの人どうしたんだろう。だいじょーぶですかー!」
ああ、心配されてる。俺は妹にも母にも友達にも医者にも心配されてる。それに加えて赤の他人にまで心配されてる。情けないとまた涙が出てきそうになる。いやいや今そんなこと考えてる場合じゃない!
逃げるために前を向くと、知らない年配の男性が、空のペットボトルを海に投げ込んでいた。
それを見て、何かが切れた様な気がした。身体中がさっき以上に熱くなり、逆に頭だけは吹雪の中のように冷たくなるのを感じた。
ああそうか、海が汚されてるから俺は呼ばれたのか。
「ナニ、シテンダ?」
その言葉は、自分から出たものとは到底思えない程、普段の喋り方のトーンからかけ離れていた。自分で言うのもなんだけど、とても低く、怖い。
今の、本当に俺が言ったのか?
そう思った時には既に海にゴミを捨てた男の方へ走りだしていた。
気づくと足と手首の爪が異様に伸びていた。恐竜の様に。この手足で人を襲ったら、簡単に命を奪えてしまうだろう。
このあと何が起きるのか察した俺は、必死に自分の身体のコントロールを取り戻そうともがく。それでも自分の意思とは関係なく溢れ出てくる怒りの感情は、最早どうしようもなかった。
(や、やめろ俺!人殺しになんかなりたくねぇ、やめろ!)
男性が、俺に気づく。しかし微動だにしない。俺の姿を見て足がすくんでいるのか?それともこれも一種の、俺の能力なのか?
「やめろー!」
男性の悲鳴と共に、グサリと鈍い音がした。
「海晴。戻ってこい。」
その言葉を聞いて我に帰る。やっと理性が戻った。
そこに居たのは親友の港人だった。
「ミナ、と?」
港人の右肩は、俺の攻撃で傷がついて、白いシャツが血で染まっていく。
「み、港人、俺、なんてことを...。」
「大丈夫、急所は逸れてる。海晴、お前は優しいからな。将来は海洋学者になって海の生き物を守りたいっていつも言ってたよな。」
「え?」
港人の予測不能な言葉にギョッとする。その時。
「海晴!」
「お兄ちゃん!」
駆けつけてきたのは学校帰りの碧と妹だった。
「ねえ、お兄ちゃん。」
「ごめん、渚。」
「なんか、その鱗が生えてきた日に見た夢は覚えてる?」
港人のその言葉にギョッとした。
「え、お前ら、なんでそれを...。」
「やっぱりそうだったか。」
「とりあえず。家戻ろう。港人の怪我はそこまで深くない。ここに居たら確実に他の人に見られる。説明は後で。」
碧がそう言って持ってたタオルを俺にかけて、一諸に家まで戻った。
家へ戻って、妹達と俺で部屋の中で、港人の怪我を手当てしつつ碧がことの次第を話す。
「お前、とうとうこんな姿に......。」
碧がそう深刻そうな顔で口にすると港人がゲンコツを喰らわせる。
「イデッ!」
「お前の病気について、渚が話してくれたんだよ。その話をしながらここへ向かってたらお前が目の前を猛スピードで通り過ぎてて、慌てて自転車で後を追った。」
「そう、そんで追いついたと思ったらお前が海であの男をアーメンさせようとしてた訳。けど、自分の意思じゃないんだろ?あれ。」
港人と碧がいつもと変わらない笑顔で話す。
「おま、もう大丈夫なのか?」
「平気平気。あ、言っとくが謝るんじゃないぞ、これはお前のせいじゃねぇからな?」
『この病気にかかった人は、何故かいつも海から大量の血痕を残して姿を消してしまう。そして、消えた人はもう二度と戻って来ない。』
俺は、海のことは大好きだ。けど、この家で共に暮らしている家族も、共に歩んで来た親友達も、同じくらい大切だ。本当はこんなの信じたくないけど、けど、現にこんな姿になってしまっているから、どうすればいいのか。
「俺、やっぱり死ぬのか?」
それとも、さっきみたいに...。
「人を殺すのかって?そんなん俺達がさせる訳ねぇだろ。」
碧が、いつもと変わらないトーンで口にした。
「んで、この病気の起源と思しき話はまだ見つかってない。けど、俺は一つ興味深いものを見つけてな。」
「興味深い?」
「この呪いの被害者になる人間達は、みんな海が大好きな人達ばっかりなんだよ。それとあの都市伝説サイトの一番下のリンク、見たか?」
「リンク?これ?」
例のサイトをスクロールして港人に確認してもらう。
リンクへ飛ぶと、
『この病にかかった人間を治す方法がひとつだけ存在するらしい。しかし、それはこの忌まわしき呪いを受けた者にしか分からない。』
そう書いてあった。
「おいおい。どういうことか色々と分からないぞ。」
さっき以上に頭が混乱した。
「この呪いを解く方法があるんだな?けど、それって、何処にも行かなくても分かるものなのか?それとも、外に出て自分で探さなきゃいけないものなのか?」
「落ち着いてお兄ちゃん。今から順を追って話すよ。」
まず、渚は翠鱗化喰症の事例の中にも行方不明になった人がいて、その人が海辺から姿を消す時は必ず海が荒れるらしい。実際に事例もある様だ。
「行方不明になった人達は、今の所一人も見つかってないみたいだ。」
無言になる俺達......。
その時、突然インターホンが鳴って心臓が跳ねた。
「下がってろ。」
碧が俺を匿う。
玄関で母が対応した。
「すみません、少し失礼します。」
そう言って入って来たのは警察官だった。
「えっと、警察の方が家になにか?」
戸惑う母と警察官の会話に聴き耳を立てる。
「自治体防犯メールで既にご存知かもしれませんが、数時間前に宗像町の浜辺で、学生が不審者に襲われたという通報がありました。現場には少量の血痕のみで被害者もいなくなってしまった為、捜索確認と共に、念の為一帯への注意喚起に回っています。こちらは高校生のお子さんもいらっしゃる世帯ですが、皆さん問題ないでしょうか?」
「そうなんですね。うちは特に変わった事はないですけど。」
「なるほど。もし今後何か見かけましたら、情報を下さい。くれぐれもお気をつけて。」
「......わかりました。気をつけます。」
そう母が答える。
「海晴。お前、俺達がこの病気の真相を突き止めるまで、絶対外出るなよ。俺達が居ない時に外行って誰かに見られたら、守りきれない。」
「ちょ、無茶言うなよ、さっき暴走したばっかりなのに。それに、また海が俺を呼んだら......。」
「大丈夫だ海晴。その時はシーフードヌードルだ。シーフードヌードル食べればだいたいどんな怒りもイライラも収まるだろお前は。」
「俺のことなんだと思ってんだよ。」
「いやそこじゃないでしょ。それにお兄ちゃん今食べ物食べれないんだよ?」
渚がごもっともなツッコミをいれて、若干俺がキレ気味になった所で、港人がひとつ、俺と約束した。
「絶対この呪いの解き方、探してくるから、あとは心配せずに待ってろ。」
それからまた1週間たった。
その日の夕方。カッと全身が熱くなり、息ができないくらいの痛みが走り抜けた後、静かに力が漲っていく感覚があった。海が汚されるのを感じたんだ。
また、身体が勝手に動く。俺の挙動不審さに気づいた妹が、こっちに駆け寄ってくる。
「お、兄ちゃん?」
「渚?」
「本当にお兄ちゃんなの?」
俺はもう、妹にすら兄だと認識出来ないレベルで人でなくなったらしい。
玄関の姿見を見ると、鱗が全身を覆い、刺さったら絶対人が死ぬ鋭い角が生え、先端が刃物の様になった魚の尻尾があった。その格好を見て思い出す。
(もしかして、あの日の夢に出て来た女の子って......。)
俺はずっとここに居たいのに、本心は違うのにっ!海に行きたいという気持ちが抑えきれない。
「やめて、海に行くつもりでしょう?ダメ!お兄ちゃん!ダメだよ。私たちと約束したでしょう!」
「海晴?」
揉み合いになる俺と渚の声を聞いて母が起きて来た。
俺の姿を見て、母は言葉を失っている様だった。その場に泣き崩れた母。
あの時と同じ感覚で、あの時と同じ感情で、俺は渚と母の静止を振り切って、海に行こうとする。
「止めてお兄ちゃん。お願い!」
「海が、呼んでる。」
ちがう、ちがうちがう!
俺は、ただ。ただ。
「俺、人間でいたいのに。」
俺がそう呟いた時。
『大丈夫。貴方はもう人じゃないのです。安心して海を愛せない人間を殺せばいいのです。』
よくアニメにある様な、俺の頭の中に直接響く様な声。けど、それ以上に信じられなかったのが、
(俺が海神病を発症した夜に見た夢と、同じ声......。)
『お前はこれから、私達の後継者として海を守ってくれ。』
もう一度聞こえた声は、さっきと違い低く渋い男の声だった。
『ほら、海が守護神を呼んでるよ?』
こっちは、声変わり前の少年の声。凛とした綺麗な声だけど、煽る様な口調だ。
私達の後継者?誰だよお前ら、誰なんだよ。
『あたし達?もうわかってるんじゃないかしら?新たな海神様。』
俺神じゃねぇーし!
俺は、ただ海を好きでいたいだけなんだ。家族と、仲間と一緒に居たいだけなんだ!
神様の力とか、俺はどうでもいい!だから、どうか俺を家に居させてくれよ......。
そうもう何回考えたか分からない思考を廻らせた。
もう何が何だかわからない。けど、一つだけ解るのは、今海へ行ったらもう二度とこの家には帰れないってことだ。
「海晴!やめて......。」
母がそう涙ながらに言った直後、俺は母の太ももを爪で切り裂き、妹の左耳を切り飛ばした。
「うぐっ。」
「いやぁぁぁぁ!お母さん!どうして?!ねえ、やめてよ、お兄ちゃん!!」
どんどん血に染まっていく母の寝巻き、涙を流しながら左耳を押さえて懇願する渚。
俺はそのまま逃げ出した。いやだ。もう誰も傷つけたくない!そう思ってたはずなのに。
助けてくれ、港人、碧。もうどうしようもないんだ!
外に出て海へ走る。この前港人達に止めてもらった時より、ずっと速い。
それでも、直ぐに人に見つかった。近所のおばさん達が腰を抜かして怯えている。
「ば、化け物ー!!!」
「逃げて!」
そりゃそうだ。俺、本当にバケモンだもん。
もう顔は隠さなかった。誰に見られても、もうどうでも良かった。
後ろから大きな声が聞こえて来た。
「海晴ぅぅ!」
碧の声だ。なんとか理性を取り戻そうとする。本当にもう疲れたんだ。
そうこうしているうちに海岸まで着いてしまった。
本当は今この街は外出自粛なので、あまり人は居ないはずだが、数人の人間が居た。
その誰もが悲鳴を上げて逃げて行く。
『はやくころせ。はやくころせ。』
うるさい!だから俺は人を殺めたくないんだって!
しかし、耳を塞いでも脳内に直接響くその声は、防ぎようもない。
途中で全く息切れすることなく、俺は浜辺まで来てしまった。
「ごめん港人、碧、渚。」
そう口に出した。しかし、脳内から「こっち。」と言う声がして、声のする方へ目を凝らす。
液体を海に流している二人の子供がいた。明らかに、水ではない、赤黒い液体。臭いも環境を害するものだと、直ぐに分かった。
「ねぇ、何シテンノ?今すぐそれをやめて。でなきゃ...。」
俺がそう言って睨みつけると、相手の顔色がみるみる土気色になって行く。逃げようとしているようだが、その子は殆ど動けないようだった。
睨む眼に力を込めると、そこで俺の意識は途切れた。
_________めて!
_______やめて!
兄ちゃんやめて!
聞き慣れた声で我に帰ると、いつの間にか大雨が降っていて、俺の薄気味悪い水掻きのついた手は真っ赤に染まっていた。
そして、目の前には、側頭部に親指大の穴が空いた男の子が二人。
自らがやった事に気づいた俺は、悟ったように空を見上げた。そしてまた声がした。
(良くやったぞ!これで君も一人前だね!)
何がだよ、やめてくれって言っただろ、これじゃあ、もう海洋学者になるのも、友達とカラオケに行くのも、家族とテレビでお笑い番組を見るのも、もう出来ないじゃないか。
「お兄ちゃん!」
振り返ったその先には、最愛の妹、渚が居た。酷く息切れしてこっちへ駆け寄ってくる。
(そりゃそうだ、渚は普通の人間だもんな。遅いに決まってる。)
と、この緊迫した状況の中、当たり前のことを考えていた。意識とは関係なく、渚の方へ手を振りかぶる。
自分でも信じられない。俺は赤の他人どころか、実の妹ですら殺すのか?
「下がって!」
パン!
その時、銃声と共に渚を襲おうとしていた左腕がひしゃげた。警察だ。数人居て、拳銃や警棒をスタンバイしている。
おそらく近隣住民が通報したんだろう。当たり前だ。こんな見た目の怪物が現れたら、そりゃ助けを呼ぶだろう。
そして、左手の傷が閉じ、みるみる元の手の形になった。なんてこった。撃たれたままに、失血死できたらどんなに良かったか......。
「待って!お兄ちゃんを撃たないで!」
渚の懸命な叫び声も、警官には聞こえていないようだった。
何発も俺に向けて銃弾を放つ警官。俺の身体を容赦なく実弾が貫く。
焼け付く様な痛みを確かに感じるのに、次の瞬間には傷は再生されてキリがなかった。くそッ。俺は6m程あった距離を一足飛びに警官に近づき、まだ硝煙をあげる拳銃ごと両腕を刎ねていた。
「ああああああああ!!!」
警官の叫び声が、浜辺に響き渡る。
港人達が凍り。
渚が直ぐに警官の腕を振り解いて俺の方へ走って来る。俺に斬られた左耳を押さえながら。
止めろ渚、お前まで死ぬぞ!
「海晴!!!」
それと同時に、丁度港人と碧が到着する。
「お兄ちゃん、まだ間に合うから。」
「来るな渚!何がまだ間に合うだよ、こんなことして......!やっぱりもう俺人間じゃないよ!」
「自惚れんなクソ兄貴!お兄ちゃんはずっと人間だよ。」
『人間じゃなくなったよ。あなた様は我々のご主人様になるのです。』
背後から恐ろしい程沢山の気配を感じ、振り返る。渚達も目を見開く。すると、俺が言うのもなんだが、この世のものとは到底思えない怪物がギロリと妹達を睨んでいた。
直ぐにその正体を察した。こいつらは俺の人間への殺意によって現れたのだと。
「ごめん、渚。俺、もう人間じゃないみたいだ。」
「何言ってんの、お兄ちゃん!戻って来て!」
「海晴!」
仲間達の悲痛な声が聞こえたと思うと、海は怪物達と一緒に俺を波で攫っていった。
最後に、俺と俺の殺した子の血で染まった浜辺が一瞬見えて、視界が暗転した。
「お兄ちゃーーーん!」
「くっそ、もっと早くに見つけられてたら......。」
どれくらい時間がたったのか。距離や方向が分からないほど沖まで流されて、今は波が穏やかに凪いでいた。
もう、これで最愛の妹と母、友達、学校の先生にも会えなくなった。
なんだよこれ、俺が悪いの?俺、海に何か悪いことした?
小さい頃から誰よりも海を愛して、将来的に海を守る活動をするために勉強して、昔飼っていた子猫の名前も『ハマベエ』にした俺が。海に恨まれる?
そんなふざけた話ねぇよな?
神に乗っ取られたからか、人間の感覚を忘れたからか、不思議と疲れは感じない。
「これ、本当は夢だったりしないか?」
ぷかぷか浮き、夜空を見ながら現実逃避した。もう夜遅くなっていて、星が沢山輝いている。
辛いはずなのに、目の前に広がる星空はただただ美しくて、気が遠くなっていく。
「寝みぃ。」
そのまま寝てしまった。
日の出の陽光で目を覚ます。
気がつくとそこは知らない砂浜だった。辺りを見回すと、離れた入江に船が何艘か掛留されている。いっそ誰もいない無人島に流れつけたら良かったのにな。
とりあえず身を隠くさなきゃ。開けた浜辺に居ては、目立ち過ぎる。
こんな身体、治せるならなんだってするのに。こんな化け物の姿になって家族や友達とも離れて......。
また人を害するかもしれない俺を、もう誰も助ける事はないんだろうな。
昨日の血に濡れて動かなくなっていた子供達、腕を刎ねた警察官の叫びや血の匂いを思い出して、気分が悪くなる。俺の罪と愛する人達の失望を思うと
「再生スピードを超えて怪我をしたら死ねるのかな。」
今の俺の身体能力を使えば、ビルからビルへ飛び移るくらいのことは容易いかも。でも、いくら神になったとしても、元は人間だ。人がいない所で8階位の高さを重力に身を任せて落ちれば......。
「『海神病から解放されるには普通に致命傷を負えばいい』?やってもムダですよ、海神さん。アナタもわかっているでしょう?」
俺が、夢で海神様を見たあの日と同じ声。恐る恐る振り返ると、そこにはツインテールでプルシャンブルーのパーカーを着ている女の子が居た。その声は、初めて聞いた日から変わらず、恐ろしく幼くて、俺は思わず後退りする。けどこの子、今『海神病』って言った?
「ムダってなんだよ、誰だよお前。」
そう口にした瞬間、聞いてはならないことを聞いてしまったと気づいた。
「ワタシは元海神病の......そうですね、とりあえず『ミウ』とでも言っておきますか。」
「ミウ?」
ちょっと待て、海神病?海神病つった?本当にこの子は海神病だったのか?
けど、水掻きはおろか鱗も生えてない。
「もしかして!」
「そうです。アナタに海神病の呪いを"渡した"のは、ワタシです。」
全身が、昨日と同じように熱くなった。煮え返る様に。ミウの胸ぐらを掴み、怒鳴りつける。
「何シテクレテンダ?おまえのせいで、おまえのせいで俺はこんな姿になって、家族とも友達とも会えなくなって、終いには人を殺すことになった!」
つい激情に震えて本心をぶつけたが、ミウは全然怯えていないどころか、笑っている。
「まぁまぁ、待って下さいヨォ。ワタシ"だけ"の所為じゃないんですよ、海晴くん。」
最後に自分の本名で呼ばれたのは昨日だったはずなのに、凄く久しぶりに感じた。
「ワタシは、この忌まわしき呪いを解く方法をアナタへ教えに来たのです。」
「なら早く教えろ!もう人を殺すのはうんざりなんだ。このままじゃどんどん人を殺してしまう!おれを、人間に戻してくれ......!」
「分かりました。その前に一つ、質問です。アナタには、この世から消える覚悟はありますか?」
「は?」
ミウの予測不能の言葉に、思わずそう言ってしまった。でも、ミウの深い青緑の眼と視線を合わせると、何かを訴えている様で、なぜか悲しくなる。
「ワタシもいっぱい人、殺しましたよぉ〜。もう普通の人間には戻れません。」
「何が言いたい。さっさと戻る方法教えろよ!」
「繰り返すのです。ずっと昔から、これからも。どう転んでも、呪われ人を殺しては呪う。だから、ちゃんとアナタも呪って下さいね!」
ミウが俺に顔を近づけて言った。
「__________________」
「は?」
まぁ、どこかで気づいてはいたのかもしれない。やっぱり信じたくなかったのかな。
「こんなこともできたなら、わざわざ隠れる必要ねぇじゃねぇかよ。バカみたいだ。」
全く、神の力って都合よく出来ている。なんと体をステルス状態にできた。それに千里眼とでもいうのか、意識を集中して、遠くから人を探すことすら可能らしい。
俺はミウから言われた通り姿を消して、彼女に言われた海が大好きな人の所に向かった。
見つけなきゃいけないけど、出会いたくないとも思っていた。
小4くらいの女の子が、母親と道を歩いている。不思議なオーラを纏ってキラキラと輝いて見えた。
「ねぇ、お母さん!わたし、おっきくなったら水族館の解説員さんになる!それでね、いっぱいいっぱい海にいるお魚さんやあざらしさんとかをいっぱい助けるの!」
あぁ、あの子なのか。かつての俺の様に夢見るヤサシイ人間。
『この街に海が大好きな女の子が住んでます。見ればアナタには判ります。次の海神病の呪いを被るのはその子です。』
ミウはもう一つ言っていた。
『呪いを移せば、元通りの体になります。それにアナタの周りの人達の記憶から、アナタが海神病になっていた忌まわしい記憶は消えます。アナタの罪は全て無かったことに。』
『!?......そう、なのか?』
けど、この子に俺がこの呪いを移せば、この子は明日から海神病だ。
そう思うと怖くなった。自分は昨日人を殺してしまった。それと同じ経験を、今幸せな人生を歩んでるこんな小さな子供にさせるのか?そんな惨いことを......。
ミウから呪いの話を聴いた時、
(このまま俺がこの呪いを移さなければ、この先海神病の呪いで苦しむ人は生まれないのか)一瞬そんな考えも浮かんだけど......。
ミウ曰く、この呪いの次の被呪者は俺が決められるものじゃなくて、最初から決まっているらしい。
なら、どうしようも無いってことじゃないか。
もういいよ。考えたって仕方ない。
早くこの悪夢から逃れたいんだ。俺は不運な被害者なんだから。
人間に戻って、家族や友達と笑い合い楽しむことが再びできれば、それだけで......。
夜、その子の夢の中に入った。
「お前、明日から海の神な!」
「あなたは?」
「......君も、ちゃんと呪うんだぞ?」
「え?」
ごめんな。君にまで辛い思いをさせて。気づいていた。気づいていたよ。いずれこうなるって。
けど、もう本当に無理なんだ。
早く家族に会いたい。
家に帰りたい。
ミウ曰くこの呪いの本質は、一定期間経ったら新しい依代へ移さなくてはならない。
そしてあの子は、明日から海神として、また誰かに呪いを移すまで、海を穢す人間を祟りながら生きていく。
ミウも海神からこの呪いを移されて、海神病になったと聞いた。
だから、"ワタシだけの所為じゃない"と言ったんだろう。
なんとも、タチの悪い呪いだ。
今の俺も大概かもしれないが。
誰も居ないビルの屋上で、ミウに詰め寄る様に言った。
「これで良かったんだよな?ミウ。」
「ええ、そうです。日の出まで待ってて下さい。そうしたらその呪いは消えます。それと同時に、あなたもいなくなります。」
それ以上は何も話さずに、東の空と海をみつめて夜明けを待った。
日の出を浴びると、少し身体が軽くなった。俺の周りはキラキラ光っている。
呪われた身体が浄化させられていく。
海神の血が抜けていく。
光が消えると、顔に触れば鱗もなくなっていて、尻尾も消えて、鋭くなってた爪も元通りになっている。
元通りになった体を自分でぎゅっと抱きしめた。
(やった。これで、悪夢は終わったんだ!!俺の不幸な罪は忘れられたし、元通り幸せに暮らすんだ!渚、港人、碧、母さん!)
パチパチと拍手するミウ。
「これでアナタもワタシ達の仲間ですね!」
「何言ってんだ。俺はもう家族の元へ帰るよ。」
(あぁ、そういえば服がボロボロで靴もないや。)
屋上に干してあった誰かのTシャツとスウェットを拝借して転がっていた 健康サンダルをつっかける。
無言でいるミウからの視線はわざと無視して、階段を駆け降りビルから飛び出した。
ここから家まではかなり離れているけど、ありがたい事に標識で国道沿いにずっと行けば帰りつけるルートは分かった。
夏なので、日が長いしとにかくどんどん進んで行くしかない。お腹がぐーぐーなるけど、そんな感覚さえ嬉しくてつい笑ってしまう。側から見たらかなりヤバいやつかも。
何処かで電話を借りて家にかけて、迎えに来てもらう?今日って何曜日なんだったっけ?
「あんた、この暑い中帽子も被らず出歩いてたら熱中症になるぞぉ?」
公園の隣を歩いた時だった。なんかざわざわしてると思ったら、櫓を立てている最中だった。お祭りの準備の様だ。
そこで声をかけられた。五十代位の、おじさん。
「さぁ、これ飲んでいきな。あとこれ帽子。」
「い、いやお金ないので。」
「金なんていらん。」
そう言うなり帽子を被せられた。正直喉はカラカラだったから、本当にありがたい。ベンチに座り、キンキンに冷えた麦茶をもらった。
グイッと喉に流し込む。うっ、美味い。うっかり涙が浮かんできた。ついでに盛大にお腹が鳴って恥ずかしくて俯く。と、さっきのおじさんがおにぎりを差し出しながら隣に座って来た。
「いやー。夏祭りの準備が佳境でな。ほら、炊き出し。一緒に食べてけ。あんたこの辺の子じゃないな。どっから来たん?」
「××市からです。」
「結構遠いな。それで?今は帰る途中か?」
「はい。」
「スマホとかは持っとらんのか?」
「はい。」
「そうか。うん。まぁ、生きてりゃ、色々あるよな。」
なんか訳ありと思われたのかも。確かに盛大な訳ありだけど。初対面の人の優しさにただただ胸がいっぱいになって、無言でおにぎりを頬ばった。
「おーい、今日帰る奴で××方面行くん居たよなぁ。」
そうおじさんが仲間に声を掛ける。
「あ、僕の家近いですよ。」
三十代半ば程の男性が、こっちへ走ってくる。
「じゃあこの子を送って行っとくれ。」
「え、でもご迷惑じゃ。」
「いいんだよ。子供がいらん気を使うな。二時過ぎには出発だから!先にトイレ行っておきな。」
こうして俺は親切な人のお陰で家に送ってもらう事になった。
(これで、やっと家族に、友達に会える!)
そうお兄さんへの感謝と共に考えていた。
「あ、ありがとうございます。」
「いいのいいの!」
「ここです。」
「気をつけてねー!」
家の近くの駅前で降ろしてもらった。俺の家の狭い路まで車を入れてもらうのは悪いから。
「ありがとうございましたー!」
さあ、家に帰ろう。
すると、会いたい人はすぐ見つかった。
「港人!」
俺の呪いを解く為に尽力してくれた二人が仲良く歩いていた。
「え?」
「なぁ、あの人知り合い?」
「いや......。」
けど、なんか、少し挙動不審だ。
「港人ー!碧ー!」
「えっと、俺達のことを言ってるんですか?」
「え?」
悪ふざけしてんのか?俺が海神病になっていた時の記憶は消えてるのだし、それもあり得る。
「俺だよ、海晴だよ。」
「あぁ、申し訳ないのですが、俺は存じ上げません。多分、人違いでしょう。」
二人の眼は、明らかに知らない人と話す時の眼だった。
「もしかして、ここら辺の人じゃないんじゃない?」
「気をつけて下さい。最近、近くの海で子供が殺される事件があって、街で警備を強化しているんですよ。ニュース見てないですか?」
その言葉を聞いて、俺は二人の元から逃げ出した。
そんな、まさか。
嘘だっ。嘘だと言ってくれ!!
家の前に着いた。
深呼吸をして、インターホンを鳴らす。
『どちら様でしょうか。』
母の声だ。
「海晴だよ。」
『誰?』
こっちは妹の声。
「貴方の息子の、東海林海晴です。」
『存じ上げませんね。家にはそんな子居ません。帰って下さい。』
いつもは優しい母さんの声が、冷たくどこか怯えをふくんでいる。
「母さん!渚!まさか渚達まで俺を忘れたのか?!やめてくれ!」
涙をボロボロ溢しながら、叫んでしまった。
『本当に誰なんですかあなた?警察呼びますよ!』
俺は逃げた。さっきと同じ様に。
誰も居ないマンションの屋上で、俺は激しく怒りを現わにした。
「畜生!ミウのヤツ俺を騙したんだな。」
「あら、ワタシは嘘は言ってませんよ?」
後ろから聞き覚えのある声を聞いて、振り返る。やはりそこにはミウが居て、不敵な笑みを浮かべている。
「はぁ?!なにいってんだよ。」
怒りで回らない頭で、あの時のミウの言葉を思い出す。
『アナタが海神病になっていた忌まわしい記憶は消えます。アナタの罪は全て無かったことに。』
「初めからアナタは存在しなかった様に辻褄の合った世界になったのです。」
「あ゛ぁ......。」
俺が膝からガクリと崩れ落ちると、ミウが俺に顔を近づけ言った。
「ワタシちゃんと言いましたよ?アナタもワタシと同じ様に、この世から消されたのです。」
ああ、何で、俺はミウの言葉を都合よく解釈したのだろう。
考えてみれば、俺が海神病のまま家族や友達と居るのは不可能だ。
人を殺したい衝動が強制的に出てくるんだから。
実際俺は港人や家族を襲ったし。
でも、もうその記憶すら、みんなは憶えてない。それに、さっきの港人の言葉を省みるに、俺が殺した子供達は生き返っていない。
本当に、最低最悪の呪いだ。
もう、本当にみんなには会えないのか。
しばらくの沈黙の後、俺は口を開いた。
「......なぁ、ミウ。海神の役目を終えて、お前は今何をしているんだ?」
「次の呪いを被る者を導き、見守り、沢山ご飯食べて、海を眺めてるのです。」
「そうか。なら俺は......。」
俺は話を遮って、背を向けた。
俺がどんな選択をしても、これからも海神病の呪いは続いていくのだろう。悔しくてたまらないけど。
仲間も家族も尊厳も何もかも失った俺は、静かにゆっくりと、歩き出した。
そして、靴を脱ぎ屋上の柵を越えて、この呪いたいほど最悪の世界とおさらばした。
「本当、海なんて、大嫌いだ。」
[完]