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『死人探偵 羽鳥翔一の記録』

『死んだはずの名探偵、異世界でまた人を死なせる』

作者: 月白ふゆ
掲載日:2025/06/28

俺は、人を死なせたことがある。


追い詰めた容疑者が、俺の目の前で屋上から飛び降りた。


手を伸ばせば届いたかもしれない。


そう思いながら、伸ばさなかった。


男が落ちたあと、屋上に残された靴跡と遺書を確認した。探偵としては正しい。人間として正しかったかは、今も分からない。


それから2年後、俺も死んだ。


調査中の男に背中から刺された。


振り返ったときには、もう足に力が入らなかった。


冷たい地面に頬をつけながら、因果応報という言葉を思い出した。


そして次に目を覚ましたとき、俺は石の台に寝かされていた。


「起きましたね」


女の声がした。


銀色の髪を後ろで束ねた女が、俺の顔ではなく、手元の帳面を見ている。


「外来遺体、男性。推定年齢36歳。胸部に生命反応あり。魂の定着を確認。発声可能」


羽根ペンが勝手に動き、帳面へ文字を書き込んでいく。


俺は上体を起こした。


石の台が冷たい。


周囲には同じような台が並び、その上には白い布をかけられた人間らしきものが横たわっていた。


「ここはどこだ」


「遺体管理局、中央収容棟です」


女は答えた。


「あなたは昨夜、第4転送槽に出現しました」


「病院じゃないのか」


「病人ではありませんから」


「じゃあ、死体安置所か」


「おおむね正解です」


女はようやく顔を上げた。


灰色の瞳が、俺を観察している。


「名前は」


「羽鳥翔一」


「職業は」


「探偵」


「生前の」


「今もだ」


女は帳面へ何かを書き足した。


「自称探偵」


「勝手に自称をつけるな」


「この国には、あなたが探偵だったという記録がありません」


「俺が生きていたという記録もないだろ」


「はい」


女は平然と頷いた。


「ですので、現在のあなたは身元不明の活動性遺体です」


「活動性遺体」


「動いている遺体です」


「見れば分かる」


俺は石の台から降りた。


足は動く。


背中にも傷はない。


刺されたときに着ていたシャツとズボンのままだが、血だけがきれいに消えていた。


「俺は生き返ったのか」


「その判断はできません」


「喋って歩いてる」


「それは生者である証明にはなりません」


女は帳面を閉じた。


表紙には《遺体管理局・死者記録官ラセルナ》と記されている。


「この国では、肉体の活動と法的な生死は別に管理されます。死亡判定を受け、死者登録された者は、身体が再び動いても自動的には生者へ戻りません」


「面倒な国だな」


「死んだ人が起き上がる国ですから、面倒にしないと困るんです」


そのとき、建物の外から激しい馬の蹄の音が聞こえた。


続いて、男の叫び声。


「開けてくれ! 遺体が戻ってきた!」


ラセルナが振り返った。


「今朝は多いですね」


「よくあるのか」


「遺体が戻ることはあります」


「今朝は俺で2体目か」


「あなたは戻ったのではなく、現れたんです」


違いが分からないまま、俺はラセルナのあとを追った。


遺体管理局の中庭には、黒塗りの馬車が斜めに停まっていた。


御者が転げるように降りてくる。


その後ろから、黒い燕尾服を着た男がゆっくり歩いてきた。


60歳前後。


白髪を撫でつけ、背筋をまっすぐ伸ばしている。


左手には銀の盆。


右手には、自分の死亡証明書らしき紙を持っていた。


「この方です!」


御者が男を指差した。


「昨夜、ヴァレ侯爵家から引き取った遺体です! 途中で棺の蓋を開けて、歩いて戻ってきたんです!」


男は俺たちの前で止まった。


口を開こうとする。


だが、掠れた息が漏れるだけで声にならない。


右手も細かく震えていた。


「氏名、オスカー・レイン」


ラセルナは死亡証明書を確認した。


「ヴァレ侯爵家執事長。昨夜20時43分、食堂で倒れる。20時51分、侯爵家侍医ハウゼンによる死亡判定。21時06分、死者登録完了」


オスカーは何度も頷いた。


「死後4時間ほどで活動を再開したことになります」


「じゃあ、生存復帰の手続きをすればいい」


「本人からの申請は受理できません」


「なぜだ」


「死人だからです」


オスカーの眉間に深い皺が寄った。


「本人の証言も?」


「証言能力はありません」


「目の前に本人がいるのに」


「記録上はいません」


オスカーが持っていた銀の盆を、強く握った。


指先は震えている。


「生者へ戻すには、最初の死亡判定が誤りだったことを、生者の証言と記録で証明する必要があります」


「こいつ自身は何も言えないのか」


「死人の言葉を証拠にできれば、相続も契約も遺言も、死んだ本人が好きなように変更できますから」


筋は通っている。


腹は立つが、制度としては必要なのだろう。


俺はオスカーの顔を見た。


「何があったか、俺に伝えられるか」


オスカーが口を動かした。


音にはならない。


今度は指で文字を書こうとしたが、空中に歪んだ線を引いただけだった。


大きな動きはできる。


細かい動きと発声だけができない。


「死後硬直ではないな」


「ええ」


ラセルナがオスカーの手首へ指を当てた。


「筋肉の硬直はありません。魔力経路にも損傷はない。ただ、末端の神経伝達が鈍っています」


「毒か薬だ」


オスカーの目が動いた。


俺を見る。


肯定だった。


「あなた、薬物の知識もあるんですか」


「毒殺事件を調べれば、嫌でも覚える」


「自称探偵にしては使えそうですね」


「自称を外せ」


ラセルナは答えず、御者へ向き直った。


「ヴァレ侯爵家へ戻します。死亡判定の再調査を行います」


御者の顔が青くなった。


「この方も乗せるんですか」


「遺体ですから」


「歩きます」


オスカーが銀の盆を掲げた。


声は出ていないが、そう言っているように見えた。


*


ヴァレ侯爵家では、死亡済みの執事長が戻ったことで、朝食が始められずにいた。


大食堂の長い卓上には、料理だけが並んでいる。


席に着いているのは、屋敷の主人であるローデリック・ヴァレ侯爵と、その妻だけだった。


侯爵は、俺とラセルナの後ろに立つオスカーを見て額を押さえた。


「死者を屋敷内で勤務させることはできないのだろう」


「できません」


ラセルナが答えた。


「ならば、なぜ戻してきた」


「自力で戻ったものを、再び運ぶ理由がありません」


「死んでいるのか、生きているのか、どちらなのだ」


「現在は死者です」


オスカーが侯爵の椅子を引いた。


長年繰り返した動作なのだろう。


手は震えているが、椅子の位置に狂いはなかった。


「働いているではないか」


「死者が働いてはいけないという規定はありません。ただし、賃金の受取人が存在しません」


「そういう話をしているのではない」


俺は食堂を見回した。


壁際に、背の高い男が立っている。


濃紺の上着。


胸元には、執事長代理の徽章。


「副執事のベルトランです」


俺の視線に気づき、男が名乗った。


「昨夜より、執事長の職務を引き継いでおります」


オスカーの目が、わずかに細くなった。


「死亡から随分早い引き継ぎだな」


俺が言うと、ベルトランは表情を変えなかった。


「侯爵家の業務を止めるわけにはまいりません。執事長に不測の事態があった場合の手順は、以前から定められております」


「鍵も引き継いだのか」


「管理権限のすべてを」


オスカーが動いた。


食器棚から黒い封筒を取り出し、侯爵の前へ置く。


封筒には濃い青色の封蝋が押されていた。


侯爵が開く。


中には何も入っていない。


「オスカー」


侯爵が困惑した声を出した。


「これは何だ」


オスカーは答えられない。


空の封筒を取り上げ、もう一度侯爵の前に置いた。


「同じことを昨夜から何度もしております」


ベルトランが言った。


「死亡による混乱で、生前の習慣を繰り返しているのでしょう」


「死んだあとも習慣は残るのか」


俺はラセルナへ尋ねた。


「残る場合があります。魂が不完全な状態で肉体へ定着すると、生前の行動だけを繰り返すこともあります」


「こいつは俺の質問に答えた」


「そうですね」


「ただの反復じゃない」


俺は黒い封筒を手に取った。


封蝋には、天秤と鍵を組み合わせた紋章が押されている。


「これは何に使う」


侯爵が答えた。


「内部監査の報告書だ。会計記録に疑義がある場合、執事長が私へ直接提出する」


「封筒はどこに保管してある」


ベルトランが一瞬だけ黙った。


「会計保管室です」


「そこへ案内してくれ」


「執事長の死亡により、現在は私の管理下です」


「だから、あなたに言っている」


ベルトランは動かなかった。


代わりに侯爵が命じた。


「開けなさい」


「しかし、現在は内部整理の途中で」


「開けなさい、ベルトラン」


副執事は深く頭を下げた。


その横を通るとき、オスカーが俺の袖を掴んだ。


細かく震える指で、黒い封筒を押しつけてくる。


「分かった」


俺が言うと、指が離れた。


死人の証言は認められない。


なら、生きている人間が証拠を見つければいい。


*


会計保管室は、屋敷の地下にあった。


鉄の扉には3つの鍵穴がある。


侯爵、執事長、会計責任者。


そのうち執事長の鍵は、死亡登録の完了と同時にベルトランへ移されていた。


室内には年度ごとの帳簿が並び、棚の端に黒い封筒と青い封蝋が保管されている。


ラセルナが封蝋を確認した。


「食堂のものと同一です」


「誰でも持ち出せるのか」


「侯爵と執事長、それから現在は私だけです」


ベルトランが答えた。


「昨夜、オスカーはここへ入ったか」


「記録にはありません」


「記録はどこにある」


扉の内側に、小さな金属板が埋め込まれていた。


誰かが鍵を使うと、使用者と時刻が刻まれる仕組みらしい。


最後の記録は、昨日の17時42分。


使用者はオスカー・レイン。


「入っているじゃないか」


「私は存じませんでした」


ベルトランは言った。


「では、オスカーは死亡前にここへ入り、監査用の封筒を持ち出した」


俺は棚を見渡した。


「何かを調べていたはずだ」


「会計記録はすべて揃っております」


ベルトランが答える。


揃っている。


その言い方が妙だった。


普通なら、欠けているものがないか確認する。


こいつは最初から、揃っていることを知っている。


「今年度の医療費支出は」


ベルトランの眉が動いた。


「なぜ医療費を」


「昨夜、オスカーに死亡判定を出したのは侯爵家の侍医だろう」


ラセルナが棚から帳簿を抜き取った。


ページをめくる。


「医薬品購入費が、前年の3倍に増えています」


「流行病への備えです」


「この領内で流行病の記録はありません」


「予防のための備蓄です」


俺は棚の奥へ手を入れた。


帳簿と背板の間に、わずかな隙間がある。


指先に紙が触れた。


折り畳まれた報告書を引き出す。


表題は《医療費支出に関する内部監査報告》。


作成者、オスカー・レイン。


記録時刻、昨日17時58分。


死亡判定の3時間近く前だ。


内容は簡潔だった。


侯爵家が購入したことになっている医薬品の半数が納入されていない。


代金の送付先は、侍医ハウゼンの弟が所有する商会。


支出の承認欄には、副執事ベルトランの印。


過去1年で流出した金額は、金貨4800枚。


「これは」


侯爵の声が震えた。


ベルトランが報告書へ手を伸ばした。


俺は一歩下がる。


「まだ触らない方がいい」


「偽造です」


「作成時刻は死亡前だ」


ラセルナが報告書へ手をかざした。


文字の周囲に淡い光が浮かぶ。


「記録魔術の改変痕跡はありません。署名も本人のものです」


「オスカーが私を陥れるために」


「自分が死ぬ前に、死後のあなたを陥れる準備をしたのか」


ベルトランは黙った。


「侍医を呼んでくれ」


俺が言うと、侯爵が使用人へ命じた。


ハウゼンが地下へ降りてくるまで、ベルトランは一言も話さなかった。


*


侍医ハウゼンは、オスカーの活動再開を見ても驚かなかった。


少なくとも、驚いたふりは下手だった。


「蘇生例がないわけではありません」


ハウゼンは言った。


「死亡判定時には、脈拍、呼吸、魔力反応のすべてが停止しておりました。私の判定に誤りはありません」


「昨夜、倒れる前に薬を飲ませたか」


「胃痛を訴えていましたので、鎮痛薬を」


「何時に」


「20時半ごろです」


「倒れたのは20時43分」


「薬との関係を疑っているのですか」


「疑っている」


俺はオスカーの手を取った。


指先はまだ震えている。


「歩ける。物を運べる。決まった動作もできる。それなのに、声が出ず、文字が書けない」


「蘇生後の障害でしょう」


「こいつは蘇生していない」


ハウゼンの口元がわずかに動いた。


「最初から死んでいなかった」


「根拠は」


「それを今から探す」


俺はラセルナへ向き直った。


「死者登録の申請書を見せてくれ」


「管理局へ戻れば」


「写しは屋敷にないのか」


ベルトランが答えた。


「執事長代理として、私が保管しております」


「持ってきてくれ」


「機密書類です」


「侯爵家の主人がいる」


侯爵が低い声で言った。


「持ってきなさい」


ベルトランは再び頭を下げた。


書類はすぐに運ばれてきた。


死亡診断書。


遺体搬送申請。


職務権限移譲届。


死者登録完了通知。


書類の内容だけなら不自然ではない。


オスカーが倒れ、医師が死亡を確認し、遺体の搬送と職務の引き継ぎを行った。


俺は遺体搬送申請をラセルナへ渡した。


「この国の書類は、作成時刻が残るんだったな」


「最初に文字を記した時刻が、紙そのものに記録されます」


ラセルナが指を滑らせる。


文字の脇に、淡い数字が現れた。


《作成開始 18時12分》


食堂の空気が止まった。


オスカーが倒れたのは20時43分。


死亡診断より2時間以上前に、遺体搬送申請が作られている。


しかも申請書には、


《死亡時刻 20時43分》


とはっきり記されていた。


「予定どおりだったんだな」


俺は言った。


「薬を飲ませる時刻も、倒れる時刻も、死亡判定も」


ハウゼンが後ずさった。


「違う。書類はあとから」


「時刻は改変できるのか」


「できません」


ラセルナが答えた。


「少なくとも、遺体管理局の用紙では」


俺は職務権限移譲届を見る。


作成開始、18時26分。


オスカーの死亡を条件として、全権限をベルトランへ移す内容だった。


「監査報告に気づいたベルトランは、ハウゼンと組んでオスカーを死者にした」


「殺してなどいない!」


ベルトランが叫んだ。


「ええ」


ラセルナが静かに答えた。


「殺してはいません。まだ」


ベルトランの顔から血の気が引いた。


「薬で呼吸と脈拍と魔力反応を落とし、死亡判定を出す。死者登録が済めば、オスカーは証言も申請もできない。監査報告を処分し、執事長の権限を引き継ぐ」


俺は続けた。


「そのあと、遺体を管理局へ運ばせる。復帰する前に火葬申請を出せば、本当に死ぬ」


「証拠は書類だけだ」


ハウゼンが言った。


「薬を使った証拠などない」


「あなたの鞄を調べれば出るかもしれない」


「医師の所持品を勝手に」


オスカーが動いた。


ハウゼンの鞄を指差し、自分の喉を押さえる。


何度も。


「あの死人の身振りを証拠にするつもりか」


ベルトランが吐き捨てた。


俺はオスカーを見た。


「死人の証言は採用できない」


「ならば」


「だから、俺が聞く」


ハウゼンの鞄を開けた。


薬瓶が並んでいる。


ラセルナが一本ずつ確認し、底に黒い沈殿のある小瓶を取り出した。


「仮死薬《ネブラ》」


ラセルナが言った。


「呼吸、脈拍、魔力反応を一時的に停止させます。使用後は発声と指先の動作に障害が残る」


「医療用だ」


ハウゼンの声が上ずった。


「重篤な手術で使う」


「購入記録は」


「それは」


「医療費の帳簿には、納入されていない薬が大量にあった」


俺は監査報告書を掲げた。


「逆に、納入記録のない薬がここにある」


侯爵が椅子から立ち上がった。


「ベルトラン。ハウゼン」


2人は答えなかった。


「オスカーを死者にしたのか」


侯爵の声は静かだった。


静かすぎて、誰も動けなかった。


ベルトランが逃げようとした。


扉の前には、遺体管理局の護送官が立っていた。


ラセルナが呼んでいたらしい。


「ベルトラン、ハウゼン両名を、虚偽死亡登録、身分侵害、殺人未遂の容疑で拘束します」


金属の輪が2人の手首にはめられた。


オスカーは何も言わなかった。


ただ、侯爵の前に置いていた空の封筒を取り上げ、今度は俺へ差し出した。


俺は受け取った。


「報告書は見つけた」


オスカーが深く頭を下げた。


死人の礼は、生者のものと何も変わらなかった。


*


オスカー・レインの死亡登録は、翌日取り消された。


最初の死亡判定が虚偽だったと証明されたため、復帰ではなく訂正として処理された。


法的には、死んでいなかったことになる。


俺の方は、そうはいかなかった。


「あなたが羽鳥翔一であることを証明する生者記録が、この世界に存在しません」


遺体管理局の窓口で、ラセルナが言った。


「死亡前の市民籍がないため、生存復帰の対象にもなりません」


「つまり」


「身元不明の活動性遺体のままです」


「昨日、事件を解決した」


「遺体が事件を解決してはいけないという規則はありません」


「便利な制度だな」


「便利に使うことにしました」


嫌な予感がした。


だが、その前にベルトランとハウゼンの処分が決まった。


2人は、遺体管理局の記録審査室へ連れてこられた。


虚偽の死亡登録によって他者の市民籍を奪った者には、《反転登録》が適用される。


刑期中、本人の市民籍を死者籍へ移す処分。


身体は拘束されない。


だが財産、職業、契約、証言能力を失う。


生きたまま、制度の外へ置かれる。


記録官が判決を読み上げた。


「被処分者ベルトラン・ギース。死者登録刑、5年」


帳面から、ベルトランの名前が消えた。


正確には、黒い線で抹消され、死者籍へ移された。


「待て」


ベルトランが声を上げた。


「私はここにいる」


記録官は顔を上げない。


「その発言者は、市民登録上存在しません」


「見えているだろう!」


「活動中の遺体による発声は、証言として採用されません」


ベルトランは俺を見た。


憎しみと恐怖が混じった顔だった。


俺が証拠を見つけた。


俺が事件を解いた。


その結果、この男は死者になった。


身体ではない。


名前と権利と、社会の中にいた痕跡を殺された。


以前、俺が追い詰めた男は屋上から落ちた。


今度の男は、目の前に立ったまま死んだ。


「また人を死なせたな」


俺が呟くと、ラセルナが横から言った。


「あなたが死亡登録したわけではありません」


「俺が真相を暴かなければ、こいつは生者のままだった」


「その代わり、オスカー・レインが死者のままでした」


「どちらを生かすか決めたつもりはない」


「探偵は決めません」


ラセルナは淡々と答えた。


「記録に隠された事実を出すだけです。その結果、誰が生き、誰が死ぬかは、制度と本人の行為が決めます」


「ずいぶん都合のいい言い方だ」


「仕事を続けるには、都合のいい言葉も必要です」


ラセルナが1枚の書類を差し出した。


《遺体管理局・死亡記録特別調査官任用申請》


「死人を職員にできるのか」


「できません」


「じゃあ、これは何だ」


「特別調査協力遺体として登録します」


「人を備品にするな」


「人ではありません」


ラセルナは書類の該当欄を指した。


《身元不明活動性遺体・羽鳥翔一》


「給与は」


「死者に給与は支払えません」


「断る」


「活動維持費、住居、衣服、食費が支給されます」


「それを給与と言うんだ」


「帳簿上は違います」


俺は書類を見た。


この世界には、死んでいるのに働く者がいる。


生きているのに証言できない者がいる。


書類1枚で死に、別の書類で生き返る者がいる。


そして、その間で誰にも聞かれない声がある。


俺は署名欄へ名前を書いた。


羽鳥翔一。


この世界のどこにも、生者としては存在しない名前。


「最初の仕事は」


俺が尋ねると、ラセルナは分厚い記録束を机へ置いた。


「死亡登録後も、毎月納税している商人がいます」


「生きてるんじゃないのか」


「本人は3年前に火葬されています」


「納税しているのは誰だ」


「それを調べるのが、あなたの仕事です」


俺は記録束を手に取った。


死んだはずの名探偵は、異世界でまた人を死なせた。


その日から俺は、《死人探偵》と呼ばれるようになった。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


本作は2026年7月31日、設定と事件構成を含めて全面改稿しました。


死亡とは、身体が動かなくなることなのか。

それとも、記録から名前を消されることなのか。


異世界で“活動性遺体”となった元探偵・羽鳥翔一が、書類によって死者にされた執事の事件を追う、死人探偵としての最初の記録です。


生者を死者へ変え、死者を生者へ戻す制度の隙間で、羽鳥が次にどんな声を拾うのか。


また次の事件でも、お付き合いいただけましたら幸いです。

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