47話 残された者達の後悔
フローレンスとラディオは、いや、あの日あの場にいた魔導師全員があの時のことを今も悔やんでいる。
長らく世界を混沌と絶望に落としていた邪竜が倒れた瞬間、魔導師達は歓喜の声をあげた。
いったいこれまで邪竜によりどれだけの犠牲が出ただろうか。
それは単純に人命だけが失われただけではない。
多くの者が住む場所を、故郷を失くし、そして生きるために必要な食料や水すらも枯渇していっていた。
それまで迫害されていた魔導師が邪竜と対抗できる唯一と言ってもいい戦力と知るや、それまでの周囲の評価は一変する。
なんて勝手だろうか。
手のひらを返す国の権力者や人に、魔導師達は冷めた感情を抱いていたものだ。
対抗する力を持っていようと、邪竜相手では魔導師ですら無事では済まないほど、邪竜の力は強大だった。
それでも優勢に戦えたのは、ひとえに大魔導師という存在がいたからである。
世界が大魔導師に最後の希望を託していた。
けれどそんな大魔導師はたった十六歳の少女であることをきちんと理解していた者はいただろうか?
いや、当時の情勢で年齢などなんの意味もなかったかもしれない。
それでも、魔導師の中で、大魔導師と呼ばれていた者こそが一番年下だったのだ。
もっと気にかけておくべきだった。
それなのに、フローレンスもラディオも、そして他の魔導師も、どこかで大魔導師である少女を知らぬうちに頼ってしまっていた。
だから大魔導師は神々からの任務を心に秘めたまま、誰にも一言も相談しなかった。
邪竜討伐直後、一度は喜びで胸がいっぱいだったフローレンスはふと大魔導師の姿を探した。
けれどどこにもその姿が見えない。
世界を救った救世主。
誰よりも人々の中心に立って称賛されるべき人がいないのである。
嫌な予感がしたフローレンスは、喜び合う魔導師をかき分けその姿を探した。
「フローレンス。なにしてるんだ?」
「あの子が、レティがいないんです!」
ようやくラディオも我に返り、周囲を見渡してから異変に気がつく。
「邪竜はどこだ?」
ひくりと喉の奥が痙攣を起こし、フローレンスの背筋が凍った。
「おい! 探せ! レティはどこだ!?」
「ラグナル! クロノ!」
フローレンスの悲鳴のような叫びに、二人も焦りを滲ませ周囲を探し始める。
その直後、光の柱が立ち上り、聖獣エアリスが空を飛んでいくのが見えた。
それまで歓喜の声を上げていた魔導師達はしんと静まり返り、ただ光の行く末を見守っていると、光が弾けて降り注ぎ、周囲を浄化していく。
それまで邪竜のいびつな闇の力で穢された大地が、あるべき姿を取り戻すと同時に、大きな結界を作り出していた。
そして、その結界の中心には、骸となった邪竜と、そんな邪竜に寄り添うようにして大魔導師が横たわっていた。
口元は血で濡れ、服も土や泥で薄汚れていた。
けれど彼女の表情はとても穏やかで、まるで眠っているようにしか見えなかった。
「レティ!」
フローレンスは、声を裏がるほどの驚きの声をあげ、恐る恐る近づく。
ラディオもラグナルもクロノも、あまりの衝撃に顔色を悪くし、近づくことをためらっていた。
そんな中でフローレンスは大魔導師に触れたが、その体はピクリとも動かない。
「そ、そういう冗談は駄目ですよ……。レティ、起きて……」
最初はそっと触れて撫でるように揺するだけだったそれは、次第に強く、激しく揺さぶっていく。
しかし、どんなに動かそうとも、大魔導師が目を開くことはなかった。
「どうして、こんな……。さっきまで立っていたじゃないですか」
信じたくないとフローレンスは大魔導師の体にすがりつく。
その様子を呆然と見るしかなかったラディオは、大魔導師のそばにいる邪竜と包む強力な結界に目を止めた。
結界はそれだけではない。
周囲一帯の、穢れた大地ごと包むようにした巨大な結界も張られている。
あの壮絶な戦いの後に、これほどの結界を張ったらさすがの大魔導師であろうと無事でいられるはずがない。
「どうしてこんな結界を張ったんだ」
誰もが理解できない。ただ分かっているのは――。
一人で逝かせてしまった。
こんなにそばにいたというのに誰にも看取られることなく、仲間の誰にも気づかれずに、たった一人で――。
「嫌よ、嫌ぁぁぁ!」
フローレンスは取り乱しながら大魔導師の目覚めさせようと、無理やり身を起こそうとするが、その体はだらりと力が抜けたまま。
「おい、どういうことだ! どっかで聞いてるんじゃないのか!」
ラディオはここにいる誰かに問いかけたわけではない。
ここにはいない、けれど確実に存在している神々に向け、空へ怒鳴った。
返事を期待していたわけではなかった。それでもこの怒りの矛先をどこへ向けていいか、ラディオも分からなかったのだろう。
先ほどまでの喜びはどこかへ吹き飛び、動かぬ大魔導師の姿に誰もが言葉をなくしていた。
そんな中、直接頭の中に響くような声が聞こえる。
『まったく、うるさくて仕方ないね』
どこから聞こえてくるのか分からない声は、この場にいた全員にしっかりと聞こえていたようで、声のする先を探すように周囲をきょろきょろするが、声の主は見当たらない。
『探しても無駄だよ。お前達に姿を見せるつもりはない』
柔らかな声質でありながら、その声にはどこかラディオ達を見下す傲慢さが垣間見えた。
「まさか、お前がレティの言っていた神か?」
『最高神。それだけで十分だろう?』
それ以上の話をする必要性をお前達に感じないと、突っぱねられているように聞こえた。
「レティになにをした!?」
ラディオの問いかけは、ここにいる者全員の疑問だった。
『穢れてしまった邪竜の力は死してなお残っている。邪竜の力から世界を、そして邪竜の骸を守るために、二重に結界を張ってもらっただけだ』
「だけ、だと? そのせいでレティは死んだんじゃないのか!?」
『必要なことだ。あの子は承知の上だった。ただ、お前達に話す必要はないと思っただけのこと。信頼されていなかったお前達の弱さを私のせいにするな』
ラディオはぎりっと歯噛みする。
反論の言葉が出てこなかったのだ。
それはフローレンスも同じで、ただぎゅっと大魔導師を抱きしめるしかできない。
しかし、直後、まだ温かさの残る大魔導師の肉体が、光り、粒子となってフローレンスの腕からすり抜けていってしまう。
「ああ!」
逃すまいと必死で粒子をかき集めるように手を動かすが、そこにいた痕跡すら残さずに消えてしまった。
大魔導師がこの世界にいた証すら神々は奪ってしまう。
「レティを返しなさい!」
たとえ神であろうと、妹のように大事な存在を奪うというなら、神へ反逆することにためらいを持つ者はここにはいない。
『最高神である私の愛子であるこの子の肉体は特別なものだ。人の世に置いていて利用させるわけにはいかない。だからこの肉体も魂も私が預かる。この戦いで疲弊した魂が癒され、再び人の世に還るその日まで』
その言葉を聞いてはっとしたのはフローレンスだ。
「レティはまた戻って来るというのですか?」
『いつになるか分からないが、必ず生まれ変わり、人の世界に戻る』
フローレンスはぎゅっと両手を組んで握りしめた。
死は避けられない。
けれど、いつかまたこの世界に戻って来るというなら、まだ納得ができる。
たとえそれが自分達の知る大魔導師ではなかったとしても。
『お前達には邪竜を倒す一助となったことを鑑み、最高神たる私が一つだけ願いを叶えてやろう』
なにを上から目線で偉そうなこと言っているのか。
ふざけるなと、フローレンスが怒鳴り返そうとする前に、ラディオが口を開いた。
普段なら一番に頭に血がのぼって暴走するはずのラディオが、今は怖いほどに冷静だった。
「ならば、レティが戻ってくるその日まで俺を生かせるか?」
『可能だ。お前の時間を止め、この子が世界に戻ったと同時にお前の命の時間は進み始めるようにするので構わないな』
「ああ」
「ならば私もそうしてください!」
ラディオに続きフローレンスが、そして、我も我もと幾人もが名乗りを上げた。
いつか大魔導師が帰って来た時一人ぼっちにしない。そのためだけに、人としての普通の生を引き換えにした。
最高神はあっさりしたもので、魔導師達の願いを聞き届けるとあっという間に声は聞こえなくなってしまった。
残されたのは、邪竜の骸と、千年は続くだろう大魔導師が残した結界と、魔導師達。
そこからは目が回るような忙しさだった。
大魔導師が張った結界の場所に国を作り、ラディオを王とした。
まあ、本人はかなり拒否していたのだが……。
「なんで俺なんだよ! どう考えてもラグナルの方が適任だろ。クロノでもいい」
「多数決で決まったのですから文句は言いっこなしですよ。それに、私がちゃんと王妃として支えるので安心してください」
もともと恋人同士だったフローレンスとラディオは、邪竜との戦いで勝てたら結婚しようと約束していた。
なので、ラディオが王に決まったと同時に、フローレンスが王妃になるのは当然の流れとして受け入れられていた。
「フローレンスの言う通りだ。それに私にはやることがある」
「なんだよ」
意志を無視して多数決で王にさせられそうになっているラディオは不貞腐れたように口をとがらせる。
まるで子供である。
「魔導師のための学校を作る。いつかあの人が帰ってきた時に、魔導師の地位を世界で確かなものにしておけるように」
「いい考えだと思います」
フローレンスはすぐさま肯定した。
邪竜を倒したことで魔導師の印象は大きく変わったが、やはりまだまだ偏見を持つ人も国もある。
けれど、魔導師が増えて世界の役に立っていけば、それだけ魔導師の偏見はなくなっていく。
「くそっ、そんなこと言われたら反対できねえじゃねえか」
「諦めてお前がなるしかねえな」
歯を見せて明るく笑うラグナルを、ラディオはじとーとした目で見た。
「ラグナルはなんで駄目なんだよ」
「俺はクロノの手伝いするから」
「くそっ! どいつもこいつも、好き勝手しやがって」
悪態を吐くラディオはぶすっとした表情でブツブツとなにやら文句を言い続けているが、もはやラディオが王になるのは決定事項として話は進んでいった。
「まあ、ラディオじゃ不安でもフローレンスがいるから大丈夫だろ」
「ああ、むしろフローレンスがいるからラディオを王にするようなものだ」
聞き捨てならないラグナルとクロノの会話に、ラディオは「はあ!?」と大きな声を上げた。
「それだったら、俺じゃなくてフローレンスを女王にしたらいいじゃえねえか!」
「それはやめといた方がいい」
邪竜との最終決戦の作戦会議をしていた時と同じぐらいの真剣さでクロノは否定する。
「なんでだよ」
「フローレンスに最高権力を与えて大丈夫だと思うか?」
「…………」
ラディオは大丈夫とは言えなかった。
なにせ、フローレンスは怒るとラディオ以上に沸点が低くなる時がある。
邪竜を倒し、最高神から時間を止めてもらった後、一番にしようとしたのがアカシトロビアを滅ぼすことだった。
ラディオですらまだ未完成な国の状態を考えて思い留まっていたというのに、フローレンスはお構いなしに特攻をかける気だったのである。
「フローレンスに絶対的な権力を与えたが最後、いったい誰が止められるというんだ? もうあの人はいないんだぞ」
フローレンスを唯一抑える影響力を持っていたのが大魔導師だった。
その彼女がいない状況で、フローレンスに王という役職を与えるのは不安でしかない。
「お前は王という名のフローレンスのお目付け役だ」
「なんかいろいろ納得した……。確かに俺が王の方がいいかも」
という感じで正式にラディオが王になり、フローレンスが王妃となった国は、イリスフィアと命名された。
これまで迫害されてきた魔導師達が作る、魔導師が住みやすい安住の地をようやく手にしたのである。
しかし、この国を大魔導師は見ることなくこの世を去ったことだけが、仲間達の心残りであった。




