44話 聖水疑惑
ナックはヴィヴィと何とか打ち解けて美人だというその素顔を拝見したいと思っていた。
だが、女慣れした百戦錬磨のナックをしても仮面で表情を隠した者相手ではいつものように口説く事は出来なかった。
そこでナックは休憩のときにリオからヴィヴィが興味をひきそうな事はないか聞くことにした。
しかし、役に立つ情報は得られず話は雑談へと移っていったのだが、その中で興味深い出来事を耳にした。
「サラはね、聖水も作れるんだ」
「何!?聖水だと!?本当かそれは!?」
「うん、僕はこの目で見たからね」
「なん、だと?」
ナックがなんとも言えない表情でサラを見る。それは尊敬とは明らかに異なっていた。
その視線にサラは気づいた。
「なんでしょうか?」
「いや……」
ナックは素早く周囲を見渡す。
ベルフィとカリスはそばの森から奇妙な鳴き声が聞こえ、その調査に出て今この場にいない。
(カリスがいたら文句言われそうだし、やるなら今しかないな)
ナックは思いついたイタズラを実行する事にした。
「……リオ、ちょっとこっち来い」
「ん?」
ナックは少し離れたところに移動し、リオを手招きすると耳元で何事か囁やく。
リオの表情が微かに変化する。
「……そうなんだ?」
「ああ。確かな情報だ。嘘だと思うなら本人に聞いてみろ」
「わかった」
ナックに何事か耳打ちされたリオがサラの元へ向かう。
耳打ちしたナックはというとゆっくりとサラから距離を取る。
(……またロクでもないこと言ったわね)
「どうしました?」
「サラが作った聖水の効果って弱かったよね。一発で魔物やっつけられなかったし。あれって正しい方法で作ってなかったから?」
「正しい方法ですか?」
確かにサラが作った聖水は店で売れるような品質ではなかったが、それはサラの腕が悪いからではない。
高品質の聖水を作るには材料も高品質である必要がある。
サラが聖水の元にした水はそれ自体に何の効果もないただの水だったし、聖水の効果を与える祈りの時間も短かった。更に聖水を収める小瓶も効果の劣化を抑えるものではなく、どこにでも売っている市販の小瓶を使用していた。
だが、リオが言っているのはそういうことではなかった。
「ナックが言ってたんだけど、」
「こらっ、リオ!俺の名は出すなと言っただろ!」
少し離れたところでナックが抗議の声を上げる。
(やっぱりロクでもない事吹き込んだわね……なんとなく想像はつくけど)
「リオ、ナックはなんと言っていたのですか?」
「本来の聖水の水は美人神官のおしっこ……」
リオは不自然に顔が下を向いた。
サラに殴られたと気づく。
「リオ、そんなものは聖水ではありません」
リオが言った聖水は巷で流れている噂で全くのデタラメであった。
だが、それを信じている者が少なからずいるのも確かだった。
「僕、なんで殴られたのかな?」
「神官全員に対して失礼な事を言ったからです」
「でもこの話を聞けって言ったのはナックだよ」
「だから俺の名を出すなと言ってるだろ!」
サラから更に距離をとったナックが叫ぶ。
「リオ、ナックの言う事に疑問を持つこともせず口にしたあなたも同罪です」
「そうなんだ」
「……さて」
サラがにっこりと笑顔でナックに向かって歩いていく。
その目は笑っていなかった。
「サ、サラちゃん、目が怖いよ」
「そうですか?」
「サラちゃんにそんな顔は似合わないよ」
「誰のせいですか?」
「だ、誰だろうね?」
「……」
「やだなあ。ほんのジョークじゃないか」
しかし、サラはジョークで済ますつもりは全くなかった。
「覚悟は出来ていますね?あなたは大人ですから手加減しませんよ」
「いやいや!ちょっと待ってよサラちゃん!さっきリオ殴ったヤツ、全然手加減してないだろ!?な、リオ!」
「うん、とても痛かったと思うよ」
「ほらっ」
「思ってるだけです。実際に痛いかは直接受けてみないとわかりません。……本来ならお手本にならなければならない立場なのにホントあなたはろくな事教えないですね」
「ま、まあ落ち着いて。大人なんだから話せばわかる!ほら、俺、魔術士だし、理解力高いから!な、落ち着いて話し合おう!」
「……そうですね、確かにあなたとはじっくり話す必要があると思ってました」
「よし!じゃあ、大人らしく今度ベッドの上で……」
次の瞬間、ナックは地面を抱きしめていた。
サラに殴られた勢いで倒れたのだと理解するのにしばらくかかった。
「……サラちゃん、やっぱめっちゃ痛いよ」
「二度と痛い思いをしたくなかったら今後リオに変な事を吹き込むのはやめてくださいね」
サラが笑顔で言った。
「わかったよ。だから治療してくれないかな?本当に痛いんだ」
「自分で治してください」
ナックは悲しそうな顔をしながらゆっくり起き上がる。
「マジで痛いんだけど……ところでさ、真面目な話していい?」
さっきまでとは打って変わり言葉通り真剣な表情をしていた。
「なんでしょうか?」
「サラちゃんて本当に神官か?」
「どういう意味ですか?」
「本職は“執行者”って事はないよな?」
ナックの言った執行者とは異端審問官の中でも魔物や教団が異端者と判断した者を抹殺する事を専門とした者達の事である。
その者達は長年常軌を逸した訓練と魔法薬による肉体強化を行って人間離れした力を持つと言われているが、サラはその者達に会ったことはない。
「違います」
「まあ、そうだったとしても『はいそうです』なんて言わないか。……って本当に痛えよ」
ナックはぶつぶつ言いながら回復魔法“ヒール”の呪文を唱えた。
「ふう、生き返った」
「大げさです」
「いや、ほんとにマジ痛かったから!」
「僕はしょっちゅう殴られてるよ」
空気を読まない事には定評のあるリオがぼそりと言った。
ナックがリオと肩を組み、サラに説教を始める。
「サラちゃん、暴力で全てを解決しようと思うのはどうかと思うぞ」
「失礼ですね。私も暴力は嫌いです」
「「……」」
(……あれ?なにこの沈黙……私、本当に暴力女なんて思われてるの!?)
「本当ですよ。私も平和的に解決したいのです」
「「……」」
しかし、サラの言葉は二人の心に届かなかったようだ。
ナックが口を開く。
「ねえ、サラちゃん、やっぱり“鉄拳制裁のサラ”ってさ、」
「違います」
ナックが最後まで言う前にサラは即答した一方で少し手を出すのを控えようと思うサラだった。
「それにしてもあなたはリオと仲がいいのですね。もしかするとベルフィより仲がいいのかもしれないと思う時があります」
「まあな」
「ろくな事教えませんけど」
「い、いやあ、ここまで来るのに苦労したぜ。最初の頃なんかほんとべルフィのいう事しか聞かなかったからな」
「そうですか、それは大変でしたね。ろくな事教えませんけど」
「それは違うぞサラちゃん」
「何が違うんでしょう?まさか、今更『言ったのは俺じゃない』とでも言うつもりですか?」
「いやいや、流石にそこまでは言わないぜ」
「じゃあ、なんです?」
「俺、最初、リオは物覚えが悪いというか、はっきり言ってバカだと思ってたんだ」
「そうなんだ」というリオの言葉を二人はスルー。
「今は違うと?」
「あれ?サラちゃんもリオの事バカだと思ってる?」
「……」
「ま、そう思うかもな。でもそうじゃないんだ」
「どういう事ですか?」
「お、興味もった顔だな。やっぱりサラちゃんは年下好みか?」
「茶化さないでください」
「はいはい。リオは物覚えが悪いんじゃない。バカでもない。あいつは自分が興味ある事しか覚えないんだ。その証拠に冒険者ギルドの規則や筆記試験対策なんかは一度で覚えたからな」
「一度で、ですか……それはすごいですね」
「ああ、でさ、あいつは一体どういう基準で情報を取拾選択してんのか興味が湧いてさ、色々教えてやることにしたんだ。そしたらあいつ、常識的な事はろくに覚えず、変な事しか覚えないんだぜ」
ナックはほんの少しだが、真剣な表情に変わった。
「それは本当のあいつ、ガルザヘッサに村が襲われる前の、記憶を失う前のあいつの性格が影響してんじゃないかと思ったんだ」
「……それはあるかも知れませんね」
「という事でだ、昔の記憶を取り戻すキッカケになるかもしれないと思ってだな、俺はいろんな情報を満遍なく教えることにしたんだ。だから決して変な事だけを教えてるわけじゃないんだぜ。そこんとこ誤解しないようにな!」
「……」
「な?俺は悪くないだろ?っていうかスッゲーいい奴だろ!?惚れてもいいぜ!俺からは手を出さないが、来るものは拒まずだからなっ!」
ナックはどこか誇らしげに言った。
「そうですね……」
「わかってくれたか!」
「ええ、あなたに変な事を教えているという自覚があるという事がはっきりわかりました」
「あ、そっちに行っちゃうんだ……」




