24あたしと雨2
さすがに昨日の振る舞いで少し体を冷やしたようだ。夏風邪を引くのはなんとやらである。これ以上殿下に頭の心配をされるわけにはいかないと、ゆうべ暖かくして寝たのが良かったのか、今日は鼻水くらいで済んでいる。
それにしても、昨日のヘーゼルはなんだったのだろう。医務室で会った彼女はあまりにも普通の態度だった。
誰かにノートを隠されたなんて、あたしの早とちりだったのだろうか。
じゃああのノートは本人が捨てた?
いやいや、わざわざそんなことをする理由がないだろう……
考えながら歩いていたら、黒玉の女生徒が廊下の端に固まっているのが見えた。放課後であれば、別に珍しくもない光景である。
「ごきげんよう」とだけ声をかけて通り過ぎようとした。
のだが、
「まあ、リコリベージ様!」
知り合いか? と咄嗟に声の主を捉えて知人フォルダをひっくり返すが、該当者はない。しかしあたしの頭が信用ならないことはこの間のヘーゼルの件で自分でもしっかり承知済みである。
あたしはにっこりと微笑み返して、「あら」といかにもな奇遇さを装う。喜色を浮かべた相手が、その呼び声の勢いのまま何か情報を与えてくれるのを待つこころづもりである。内心汗ダラだよ。
「リコリベージ様、お加減はいかが? もしよろしければわたくし達と……」
「モリーさん、今は」
「あら、そうだったわね……ぜひ、ぜひ次の機会にお茶をご一緒したいですわ。ドロシー様も、そうしたいとおっしゃっていました」
ああ、ドロシーの取り巻きの人たちか……
モリーと呼ばれた勝気そうなお嬢様は、それを諌めた生真面目そうな女生徒に頷き返すと、急にソワソワした様子で「それではごきげんよう」とあたしに向き直る。他の生徒も、口々に「ごきげんよう」と追従した。とどまらずさっさと去れと言わんばかりである。別にいいけど、呼び止めておいてなんだその変わり身は。別にいいけど!
あたしはモヤっとしつつも、「ええ、みなさまごきげんよう」と踵を返し……
「リコリベージ様、またいつでもお声がけください。お待ちしておりますわ」
生真面目そうな女生徒が、すまなそうに声をかけてくる。あたしはそれに応えようと再度顔を向けた。
――そして、初めて彼女たちの奥に隠されるように立つ、その存在を認めたのである。
ヘーゼルが、青い顔でこちらを見つめていた。あたしたちの目が合ったのに気づいた女生徒たちが、体を強張らせる。気のせいかもしれないが、瞬間的にあたしは微笑んでいた。
「まあ、ちょうどいいところにいらっしゃったわ」
「え……」
「授業のことで、少しお聞きしたいことがありますの。お時間を頂けないかしら」
女生徒たちを見渡して、「ダメでしょうか」と心細さを強調した表情を心がけると、気の強そうな彼女が真っ先に「もちろん、問題ありません」と頷いて、ヘーゼルを振り返る。
「ぜひお役に立ってさしあげて。わたくし達のお友達で赤実はあなただけなのよ、ヘーゼルさん」
返事も待たずに「さあさあ」と促され、ヘーゼルはこちらへ一歩踏み出すと、そこからは自分の意志であたしの前に姿を見せた。ものいいたげな視線の意図に気づかないふりをして、あたしは彼女の手を引いた。
「それではみなさま、ごきげんよう」
追いかけて来る気配はない。あたしは歩調を緩めると、なるべくしおらしく聞こえるように声をかけた。
「余計なことをしたかしら。でも、良ければだけど、話を聞きたいの」
「聞きたいって、何をでしょうか?」
さっきの顔色が嘘みたいに、ヘーゼルは平静だった。だけどそれが却って不自然に見えることには気づいていないらしい。あたしの行動に全然突っ込まないんだもの。
「昨日中庭で、ヘーゼルさんを見たわ」
あたしが言ったのはそれだけなのに、ヘーゼルは顔を引きつらせた。行動に自信が持てなくなる。あたしの言葉は、この状況でちゃんと正しく機能してる?
「あの時、」
「もう、言わないで」
ヘーゼルはやんわりと、けれど確固たる態度であたしの手を外す。目を合わせないまま、小走りに去った。
心臓がばくばくする。
あたしは無意識に胸を探った。そこに見つけた硬い感触に、痛みに変わりそうな動揺を押し付ける。
傷つくな。
傷つけたのはあたしなんだから。
気持ちを整理しようと、廊下の窓枠に手を掛ける。相変わらずの曇天だ。あたしの気持ちと同様に。
こういう問題はデリケートである。
もしもあたしがヘーゼルの立場なら、きっと同じように振る舞っただろう。自分が誰かに傷つけられているだなんて知られるのは堪え難いことだから。
だからきっと彼女は、これからも隠し通そうとする。そんなの、なおさら放っておけないよ。
とぼとぼとスコラジルバの門をくぐる。そのまま帰る気にもなれなくて、木立のたもとに入り込む。
幹にもたれては濡れてしまうから、あたしはただただつったって、抜けないショックを桜の石に逃がしていた。
そう、あたしはまだ凹んでいた。
――ヘーゼルを、傷つけた。
凹んだってしょうがないし、そんな立場でもないのはわかっているけれど、ネガティブな感情を落ち着けるのは、経験の少ないあたしには難易度の高い課題なのだ。
もっとうまい言い方があったはずだ。あたしはもっと、上手に立ち回らなくちゃいけなかった。
悶々とする。グルグルする。泣きそうになって、上を向いた。
「お休み中かしら」
そんな時だったから、うろたえた。
横からのぞきこむように姿を現したのは、銀髪の美しい少女だった。裾の長い、濃い緑のドレスを纏っている。
思わずぎょっとして後ずさり、その拍子にぽとりと目から雫が落ちた。
「ど、」
ドロシーベル。
「良いお天気ね」
ドロシーはにっこりと、両手を前に揃えて微笑むと、
「私が不足でないのなら、涙の訳をお話くださいませんか?」
あたしを気遣うように、少し伏し目がちに尋ねる。
慌てて指で拭うと、スッと流れるような動きでハンカチを渡された。
ああ、こんなに優しくされては、泣きつきたくなってしまう。
「……ありがとうございます。でも、なんでもないんです」
だけど、内容が内容だ。しかもドロシーの身近な人達が関わることである。人名をぼかしたってすぐわかってしまうかもしれない。
それにヘーゼルは、きっとドロシーには絶対に知られたくない。
明らかな嘘で親切をはねのけられたにも関わらず、表情を変えることなく彼女は『いつでも力になる』と言い残してあたしを一人にしてくれた。
ハンカチを目に当てると、勇気が湧く気がする。
次の日。
朝から湿っぽくていやな天気だ。
汗ばむので髪をくくろうと鏡を求めて歩いた時、廊下の柱の影に、昨日の少女たちを見つけた。近寄らないと見つけられない場所だった。あたしは早くなる鼓動を深呼吸で宥めながら、その場にとどまった。
「こういうことは、もうやめてください」
「なんのこと?」
「私物を隠されたりするのは、困ります」
思ったよりもしっかりとした声で、ヘーゼルは応じている。やはり、他の少女たちの標的になっているのだ。いよいよ胸が苦しい。
このまま突っ込んで行きたい。なんてことをするの、とヘーゼルを背中に庇いたい。
そんな思い上がった気持ちが湧き上がるのを、抑えこむ。
正面から突っ込んだってはぐらかされるに決まっているし、本人の前で問い詰めたりして、禍根が残るのはダメだ。
――そう、偶然だ!
偶然を装って通りがかるのだ!
外は今にも降り出しそうな天気である。
ポツポツ降り出して、これはまた一雨くる……そうだ!!
「あのぅ、どなたかいらっしゃいませんか!」
すっかり困り果てたというように声を上げると、柱の影から少女たちが顔をのぞかせる。昨日話した二人もいる。
「あなたは……リコリベージ様、そ、その格好、どうなさったのですか」
あたしはびしょ濡れの髪をしぼるようにまとめながら、ため息まじりに答えた。
「ええ、それが、人を探していたのですが、降られてしまって……このまま歩き回っては廊下を濡らしてしまいますから、お手間をとらせてしまうのですけれど、どなたか拭くものを借りて来て頂けないかしら……」
タイミング良くくしゃみが出た。
「もちろんですわ、少々お待ちになって」
「ありがとう。……――ヘーゼル様、もしよろしければ、このあと送ってくださいませんか、なんだか少しくらくらいたしますの」
「あら、それでしたら――」
黒玉の少女たちの言葉を、精一杯作った笑顔で遮る。
「ドロシーベル様に、私が会いたがってると伝えていただきたいの。ほら、赤実ですから、なかなかお会いできなくて……」
「まあ!」
昨日会ったけど。
「早速申し付けて参りますわ。ほら、ヘーゼルさん、ぼうっとしていないで、早く送って差し上げて!」
そんなわけで、あたしはヘーゼルと再び話す機会を得たのだ。
「私のために、濡れてくださったんですか」
答えにくい質問である。「ええと」と言葉を濁すと、ヘーゼルは俯いてしまった。
あたしはこの機を逃したくなくて、直球で尋ねた。
「ノート、隠されたの?」
「お答えしなくてはいけませんか」
ヘーゼルは薄く笑った。あたしはドギマギする。なんだか今日の彼女は、いつもの印象とは違う。強いようで、むきだしの傷つきやすさも同時に抱えているような。
泣き出すのではと思った。責められるのではとも。
「……その、こういうのは迷惑?」
『迷惑です』とスッパリ言われたらどうしようと内心ハラハラしながら、なるべく平静な顔を心がけて答えを待った。ヘーゼルは瞳を揺らす。あたしの好きな色。森の奥深く、手の届かない木の葉の色は、雨に打たれたように濃く見えた。……びしょ濡れなのはあたしなのにね。
ヘーゼルはあたしの問いに直接の返答はしなかった。切り捨てる前に、猶予をくれたのだ。
「……ご覧の通りです。私はドロシーさんのご友人方に、良く思われていません」
不思議な言い方だと思った。
まるで、ヘーゼルは彼女たちの友人ではないみたいな。
「何かあったの?」
「私は赤実ですから」
「でも、友達……なんでしょう?」
いいえ、とあっさり首を振る。その瞳に虚偽の色はない。あたしの方が戸惑うくらい、緑の目は真っ直ぐだった。
「私は黒玉に友人はおりません」
「でも、ドロシーベル様は」
「あの方は……以前、親しくして頂いたことがあって」
でも、ここへ入ってからは親交はなかったとヘーゼルは言う。
え?
「リコ様のために」
へ?
「あなたのために、ドロシーさんは私を取り立ててくださったんです」
「そんなこと……」
「ですからどうか、私をお役に立ててください」
ヘーゼルはマジな目であたしを見つめた。
え? なに? なにこれ?
ドロシー、ちょっ、ドロシー!!




