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あたしが爆発した日  作者: かまこ
19/26

19あたしの家族

若者シリーズで一番オススメの物語をあげるとしたら、あたしはこれを選ばない。地味で、短くて、ごく狭い世界のできごとが、たんたんと紡がれる。読み返したくなるような、若者に痺れるシーンだってない。

……違う、それより何より、あたしはこの物語が好きじゃなかった。今になってわかる。


避けていたんだ。


この一冊を読み終えた時、ずっと物語の中の憧れとしてしか見ていなかった「彼」が、ルーツのある一人の人間として確かに生きているような、そんな錯覚を抱いた。そしてとても遠く感じた。

あたしの中の若者は、もっと気高い。

たった一人で寄る辺なく、けれど嘆くことなく立っている。

そんなあたしの憧れを、この物語は「若者の過去」を明らかにすることで破ってしまった。

守るべきものがあった。家族がいた。口には出さなくても、ずっと彼はその友を想っている。

彼の歩みは、彼一人の意志ではない。


宙ぶらりんなあたしとは、違う。


それをマクジーン、あの弟は、あろうことか一番手に取りやすいかたちであたしの前に差し出したのだ。

考えすぎかも、とは思わない。


――『姉様は、僕に頼るのは、嫌?』


あたしは両手で顔を覆った。頭ががんがんと、何かを打ち鳴らす。あたしはあたし自身の警告をなだめるために、胸の石を服の上から撫でた。この家にあたしは「帰ってきた」のだ。今はちゃんとわかる。あたしがどう思っていようと、あたしは「想われて」いる。だからこれは、流してもいい、涙だ。

開いたままのページには、たった一人の母の手を握り、人ではない友と寄り添って立つ、少年の笑顔がある。

それはあたしの感情の発露を受けて、だんだんと滲んだ。



夕食のメニューは、肉も魚も野菜も果実も、あたしの好みに調理してあった。特に甘酸っぱい餡のかかった揚げ鶏に酢漬け野菜が添えてあるものは好物である。


食卓を前に唾液を飲み込んだあたしに笑いかけて、椅子を引いてくれたおじさまにお礼をいうと、「姫君には騎士が必要だろう?」と片目をつむってみせた。姫君は唐揚げを所望するのだろうか、と微妙な気持ちで微笑み返すと、あたしの内心には全く思い至ることなくおじさまは肩を落とした。


「本当はお前の部屋から抱いてきたかったんだが」


言いながら、あたしの隣に腰掛けた淑女に視線を向けるおじさま。お母様はお酒のグラスを捧げ持ち、おじさまに着席を促した。そのすました横顔をちらりと盗み見ると、くすりと笑って、あたしの耳に口を寄せた。


「腰を痛めるからと止めたのです」

「まあ」


すぐそばでにっこりとするお母様に、つい笑いがこぼれた。こんなふうに打ち解けた空気ははじめてで、あたしは嬉しくなってしまう。

ううん、きっと今までにもあったのだ。あたしが見逃し、あるいは気づかないふりでおいてきてしまっただけで。今ここで過ごす時間は『あたし』のものではないからと。


それでも今のあたしには、この優しさと暖かさを受け入れる義務があるわ。


四人が席に揃うと、お母様はあたしのグラスに、真っ赤なジュースを注いでくれた。甘くて、深みのある香り。

あたしは向かいに座る弟に、金色のジュースを。

弟はおじさまに、お母様と同じぶどう酒を。


お母様にあわせてそれぞれグラスを持ち、皆で打ち合わせた。


赤いジュースは、我が家の庭でもとれる蔦苺の味がした。熟成しているせいか、酸味はまろやかになり、こっくりと甘い。

マクジーンのはどんな味だろう、と黄金色の瓶を見たら、サリューが心得て新しいグラスを用意してくれた。

二人にお礼を言って、あたしはそれを受け取った。天井の光に反射して、グラスそのものが金色に光るようだ。

あたしはこの特別な飲み物に見とれ、慎重に口をつけた。


まず、花蜜の甘さがふわりと広がり、そのあとから、濃厚で渋みのある焼き飴が舌に絡まる。それだけでは少しくどいけれど、辛口のハーブと果汁が追いかけてきて、飲み口は爽やかに纏まっている。


「おいしい…」

「姉様は何を食べてもそう言うね」

「あら、だっておいしいものしか出てこないんだもの」


幸せな舌のままでそう返すと、マクジーンは目をパチクリさせた。おじさまはそんな隣人の肩を叩く。


「うわっ、なにするんですか」

「俺は時々心配だ。リコはもともとかわいいが、こんなに笑うようになってしまって、変な男に捕まりはしないかと……」


マクジーンの肩をつかんだまま、真面目な顔でいうものだから、あたしは吹き出してしまった。


「リコ……」


おじさまのつぶやきに、ナフキンを外してそちらをみると、ひどく優しい目とぶつかってどきりとした。


「本当に、よく育ってくれた」


お母様の手が包むようにあたしの背中をさする。


反則だ。そう思うのに、あたしは母の体にもたれかかっていた。見なくとも、お母様がどんな表情をしているかくらいわかる。この人はずっと、変わり者のあたしを気にしていたのだ。

ごめんなさいと、胸の中で泣いた。



横になって、はちきれそうなお腹をさする。

好物ばかりで食べ過ぎてしまったのだ。

あたしは天井を見つめる。

もう大丈夫だ。



一週間後、みんなに見送られてあたしは学園へ戻る。あまりに居心地が良すぎて、休み中ずっと滞在したら、また引きこもってしまいそうだった。残りの休日は課題の消化と、最近手につかなかった授業の予習と復習にあてる。

馬車にゴトゴト揺られながら、持たせてもらった宝石と、茶葉と、擦り切れた絵本を眺めていたら、鼻の奥がツンとした。息をついてカーテンをめくると、真昼の太陽が眩しかった。


夏がくる。

あたしは腕の中の絵本を胸に押し当てた。


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