17帰ってきたあたし
翌日、あたしはマクジーンに呼び出された。珍しいこともあったものだ。用があれば自分から可否も尋ねず部屋に押しかけるような子なのに。
弟の部屋に入るなんて、いつぶりだろう。小さい頃は、嫌がるあたしを無理やり引きずってきて、本の読み聞かせをせがんだものだった。気がつくと呼んでもないのに向こうからやってくるようになっていたっけ。
それなのに、昨日は。
廊下を歩きながら自分の醜態を思い出して足が重たくなるも、とうとうたどり着いてしまった。弟の部屋は近い。こんなに近くにあるのに、本当にあたしからは訪ねなかった。必要がなかったのだ。だってあの子の方から、いつもーーそう、あたしはいつだって、あの子のおかげで孤独を知ることがなかった。
ノックすると、「はあい」と声がして、間もなく弟は自分で顔を出した。その表情があたしを見つけて花のように綻ぶのが、なんだか気恥ずかしいような、情けないような。あたしはうまく笑い返せなかったのに、マクジーンは嫌な顔ひとつしなかった。どころか一層嬉しそうに笑みを深めて、あたしの手を引いた。強引だが、それはあたしに気遣わせないためなのかもしれないと、この時はじめて感じた。
しおらしくこれまでの自分を反省していたあたしの前に、この弟はとんでもないものを引っ張り出してきた。
足の低いテーブルの上に、きちんと並べられた、本の山。あたしは声にならない声をあげた。
「感動しすぎて言葉にならない?」
からかうような声。頭がうまく働かなかった。
マクジーンが何か言っている。胸から上がってくる感情は、ひたすら熱く、強く心を打つのに、肝心の頭は混乱の極みで、それこそ意味ある言葉をあたしに与えない。気づけば傍に膝をつく弟があたしの肩を揺すっていて、その切羽詰まった感覚に、「なに?」と間抜けな声を返していた。マクジーンは顔を歪めて、あたしの頭を抱え込んだ。
……いやいやいやいや。
ともかく状況がつかめない。とまどうままに弟の名を呼ぶと、よりその力が強まって、あたしは息苦しさに身じろいだ。小さく呻くと、弟はやっとあたしを解放したけれど、その瞳は危うく揺らめいていた。本当に、生きた宝石みたいな綺麗な目をしている。その光に見とれながら、あたしはなるべくその心を宥めるようにと穏やかな声を努めた。
「ねえ、どうしたの」
「……傷ついてほしくないんだ。姉様。僕は姉様をいじめようなんて、少しも思ってないんだ。本当だよ」
手を伸ばして、髪をすいた。柔らかい癖っ毛は、指先に甘えるように絡みつく。どこからどう見ても愛らしい姿の弟が、この姉の行動に目を見張る。その頬を包むように触れた。
「大丈夫。姉様は、あなたが優しい弟なのをちゃんと知ってる」
「本当?」
あたしが頷くと、弟はまた顔を歪めて俯くと、深く深く息をついた。
落ち着いた様子を認めて、あたしは口を開いた。
「それで、マクジーン。どうして?」
意識したつもりはないが、問いには責める色が載った。
それは当然、テーブルの上に重ねられた、しまいこんだはずの思い出について。
とはいえ、あたしは先ほどの動揺を胸の底に感じながらも、うまく理性的な態度を取ることに成功していた。マクジーンは肩を落とす。
「姉様を怒らせようと思ったんだ」
「……は?」
「やりすぎたね。姉様、ごめんね」
そう言って、弟は立ち上がると、あたしの手を引いてソファーに座らせる。目の前に広がる大好きな絵本たち。
それらを見下ろして騒ぐ胸。だけど、爆発はしない。これは覚えのある感覚だった。思い出したくないから、今は考えないことにする。
マクジーンはあたしの隣に腰掛けると、唐突に言った。
「姉様、首飾りを見せて」
「……どうして?」
「どうしても見たいんだ」
「いいでしょう?」と笑う、どこか傷ついたような弟の顔に抗えなくて、あたしは服の下にしまっていたその鎖を引き出してみせた。
「外さなくていい。そのままで」
マクジーンはあたしの手から、そっとその石をすくい上げた。全く、なんだというのだろう。
「これは……」
「なに?」
手のひらに置いて眇めてまじまじ観察されては、落ち着かない。そういえばこの石を誰かの手に預けることなんて、今までになかったんじゃないだろうか。
あたしが耐えきれずにもう返してと声に出す前に、マクジーンは「ありがとう」と石をあたしの胸に返した。
「これが、どうかしたの?」
「姉様が帰ってきたって、ちゃんと確認したかったんだ。見せてくれて嬉しかった。姉様は僕を信じてくれるんだね」
「べ、別に」
やめてほしい。恥ずかしい。いや別に信じてるとか、どうとかじゃなくて、などと、我ながら言い訳まみれの頭である。顔が熱を持つ。弟はしたり顔で、そんなあたしを笑っていた。
姉で遊ぶんじゃない!
マクジーンは「気を利かせるね」と、調子良くあたしを一人にした。自分の部屋に身内とはいえ他人を残していいのかと、思わず聞きそうになるけれど、そのあまりにもあっさりとした態度に言葉を飲み込んだ。我が弟ながら、すごいメンタルだ。
あたしは絵本に触れた。一番上に置かれたのは、はじまりの物語。
なぜ若者が、今の若者となったのか。
若者シリーズの売りである、新しい世界も、未知の生き物との邂逅もなく、ただ淡々と綴られる昔話。
『オオイヌとしょうねん』。
あたしはそれを手にとった。




