12あたしと王子様2
夕食後、提出課題の最終チェックを終えて、小腹がすいたなと思っていた頃合いのこと。
ノックの音にカーディガンを羽織って、扉を開けた。そこに立つ同級生の姿に、あたしは内心ぐええ、と思った。
もちろんそんな様子はみじんも出さず、あたしはお土産、と差し出された紙袋を両手で受け取った。印字されたブランドロゴに憶えがある、確か、アリシオの友達オススメのお店。若い子から奥様まで人気の、玉子と果物を練ってさっくりと焼いたお菓子が有名だとか。
「ありがとう。これ、この間のお店のものね」
「……ええ」
「どうかしたの?」
「……」
物言いたげな視線。他の人から聞いたのだろう。あたしは往生際悪く気づかないふりをして、アリシオの出方を待った。
「……ユクシュル殿下が、あなたと一緒に寮までいらっしゃったって」
そんな名前だったのか、あの王子様。
さすがに誰それ? と応じるほどアホぶってもいられないので、あたしは素直にうなずいた。
「耳が早いのね」
「リコリベージさん?」
早速に誰から聞いたの? と尋ねようとしたのに、近づくアリシオの笑顔に、慌てて口を割った。
「ええと、日差しで気分が悪くなったのを親切に送っていただいたの」
「リコ嬢……あなたってば、あなたって人は……」
「どうかしたの?」
なんでもないことだ、という顔を心がけて、アリシオをうかがう。
いやそも、彼女の剣幕にはビビったけれど、あたしに後ろめたいことなどない。しいていうなら日光に負ける貧弱な体に育ってゴメンねってくらいかな。彼女はそんなあたしを無言で見つめて、がっくりと肩を落とした。しょうのない生徒を前にした、生活指導担当のように眉間の皺をもみほぐす。いやあたしは素行はいいよ。マジ。
「もういいわ、あなたってそういう人よね……」
「?」
「もう、なんだか喉が乾いちゃった。リコ嬢、お茶をちょうだい」
「ええ、それじゃあ、どうぞ入って」
あたしは彼女を部屋へ促すと、さっそくお土産の袋を開ける。
マカロンに似た形の色とりどりのお菓子に舌鼓をうつあたしを前に、アリシオはため息をついていた。
これでいい。何の問題もないね。
実際あの王子様――ユクシュル殿下は、ただあたしを寮の前まで送り、そのへんの女生徒にあたしを任せると、そのまま去って行ったのだ。
……でも、お礼はしなくちゃだめだよね。
なるべく印象に残らないように、さっと済ませたい。
と、思っていたんだけど。
意外なところで、あたしとあの殿下とは関わることになったのだ。
その日、あたしは自室でゴロゴロしていた。朝から講師がまとめてお休みで、午前中は生徒も自習。あたしはベッドに転がったり、おじさまから送られてきた鉢植えに水をやったりと、何をするでもなく過ごしていた。課題は出なかったので、暇なのだ。趣味とかないしね。うん、さみしいやつだね。
あたしは水やりに使った小ぶりのグラスを水切りに置くと、新しいカップを取り出した。ペアで貰ったんだけど、専ら一人飲みに使っている。他のものより分厚い陶器で、見た目は橙色の湯呑みに取手をつけたような素朴なもの。あたしはこれにチョコ系の飲み物をいれるのが好きなのです。見た目から暖まるというかね。
カップを手に、あたしは窓辺に腰掛ける。
外は晴れ。
他の寮生たちは友達とのおしゃべりに出かけたりしているんじゃないかな。あたしはアリシオに誘われたけど断った。彼女としても一応声をかけてみた程度で、あたしが行くといったら却って迷惑だろう。他に親しい友人がいるのだから、そこでしか話せないこともあるだろうし。ていうか今更気まずいし。
この間倒れたばかりだから、体調がすぐれなくて、という常套文句も怪しまれなかった。本当は元気なんだけどね。最近では珍しいくらいに、ちょっとお散歩、とかしてみたい気分なんだけどね。
でも、万が一アリシオ達に出くわしたらと思うと、小心者のあたしはここでお茶を飲むしかないのである。
背中で、擦過音がした。あたしは何の気なしにカーテンをめくる。
そして、黄金に輝くその御仁と再会したのである。
瞳の青色は、この国の王城を囲む湖になぞらえて讃えられることもある。突然の再会に頭が真っ白になったあたしは、真っ先に血をわけた弟を連想したけれども。
そしてそんな彼が、なぜかあたしの部屋の窓の外に、立ちすくんでいたのだ。
怪しい。
彼は動揺を隠すように表情を取り繕うが、まだ若い木の葉くずを載せた頭では無理である。その目がそわそわと、正面のあたしではなく、背後を気にするように動く。
あたしはためらいなく窓を開けた。
「追われているんですか?」
輝ける容姿の闖入者は、黙って頷いた。
あたしはカーテンを大きく横へ開くのと一緒に体をずらす。
「中へどうぞ」
彼はごく短い時間の迷いのあと、背後の木立を警戒するように目を向けてから、改めて窓枠に手をかけた。
「すまない、あがらせてもらう」
「どうぞお掛けください。今からちょうど、お茶にしようと思っていたんです」
お茶の用意をして同席すると、あたしは客の好みに気を向ける。手元の小皿から、カップの中へ、お砂糖がひとつ、ふたつ、みっつ……どこか上の空という呈で、男にしては繊細そうな指が皿によっつめをつまみあげる。
……おいおい。
「甘いものがお好きなんですか?」
そんなわけはなかろうよ。
「あ、いや……」
狼狽する彼に、あたしは中皿に盛りつけた、アリシオからのお土産を勧める。これはまた違うお店のもの。街に出かけるたびに、女の子の好きそうなかわいいお菓子を買ってきてくれるのだ。
「頂きものですが、よろしければどうぞ」
「ああ、……うん」
溜息。お疲れなのだな。
殿下はお菓子を手に取り、ぼおっとまた考えにふける。あたしは話しかけなかった。
王子様って大変なんだな…と、ただその服のほつれや、未だ気づいていない髪に絡んだ葉っぱを、少しワクワクする気持ちで眺めていた。
やがてこわばった顔で、お客は顔をあげる。
「なあ、一つ頼まれてくれないだろうか」
「なんでしょう」
「……私と、友人になってくれないか」
それは予想外の提案で、あたしは思わず、生唾を飲んだ。
「君がベリダッドと親しいのは知っている。私のことは気に入らないだろうが、その上で頼みたいんだ」
あたしは問いたい。
もう、全世界に向けて質したい。
この世の中に、
「友達になってほしい」
と、面と向かって頼まれて、断れる人間がいるのだろうか。
あたしはいないと思うな。いないよね。
とりあえずあたしには無理だ。
無理でした。
しかも
「は、はい」
と上ずった声で答えた。正直きょどった。なんでかというと動揺したからである。嬉しくて。
いや、普通、嬉しいでしょ。嬉しいよね?
そりゃあ何かしらの理由があるのだろう。突然言い出すからには、こんな真面目な顔で提案するだけの、彼なりの覚悟を伴う何かが。
あたしは胸を落ち着かせるために少し目を伏せてから、つ、と視線をあげた。王子様は、その目をわずかに泳がせ、「いいのか?」と再確認する。
ここで「実は嫌です」なんて言えるほど、あたしの心臓は毛むくじゃらではない。
友達、かあ。
あたしは再び窓から出て行った王子を見送ると、水切りのコップが乾くのを待たずに、水をくむ。熱くなる胸を冷やしたかった。
「殿下、これはどういうことでしょう」
「何かおかしいか」
後ろめたさを飲み込んで、さも当然であるという顔を装うが、一瞬顔が引きつったのをあたしは見逃していません。しばし見つめ合うが、腹芸は不得意なのだろう、じきに気まずそうに顔をそらした。気を取り直し、殿下は表情を引き締める。
「皆、今回はよろしく頼む。気遣いはいらない。力を合わせて共に臨もう」
「はっ!」
「誠心誠意、勝利に尽くします!」
キラキラした目で胸に手を当てる生徒たち。
隣でキラキラする王子様は、そんな彼らに笑いかけつつ、あたしに目配せする。どこか必死なその表情についほだされて、内心はともかく素直にあとに続く。
「やっぱりな……」
「ああ、お似合いだよな……」
背後の声が聞こえていない訳はなかろうに、殿下はむしろ和かに振り返り、遅れがちなあたしの手を引いた。エスコートされるままに近づく距離に、どぎまぎしそうになる自分に脳内でコークスクリューをかまし、しっかりその顔を見上げた。
「……これはどういうことなんですか」
目線を外しながらも殿下は応じる。
「私は余計な者に関わるのは避けたいんだ」
「それでなんであた、私が」
「人除けになってくれ」
本日はお日柄も良く、絶好の薬草収集びよりである。
生徒総出で大きなカゴいっぱいに草を集めるのだ。
クロッタ・ジルバ(大地への感謝を捧げる祭)のために、果物や肉を燻し祭を彩る多様の雑草、いや、薬草やら香草やらが必要なのである。
地味だ。
こんな地味なイベントだが、生徒たちは結構楽しみにしている。
なんでかというと、課外授業である。
元々たいして機能していない教師の目が、ずさんさを増すのである。
しかも学年合同のイベントで、普段なかなか会えない憧れの先輩にお近づきになるチャンスだったりもする。
だからして、……モテモテの王子は大変なのだ。
そこであたしの登場である。
いやいや
「どうして私なのです」
女子を盾にして恥ずかしくないんだろうか。いや、恥ずかしいのは主にあたしだけど。
「君ならわかるだろう」
王子に見つめられて、あたしは黙った。沈黙は金。曖昧に微笑むにとどめる。そして考える時間を作る。
ふむ。
わかったぞ。
王子がほしいのは、友達ではなかったのだ。
この人は、自分に興味のない、かつ、身分的にケンカの種にならない、友達とは名ばかりの露払い、いや、熊よけの鈴がほしいのだ。
「人気者も大変ですね」
「嫌味か?」
「いいえ。……いえ、羨ましいのです」
「やっぱり嫌味じゃないか」
あたしは笑う。
黙っていても人がよってくるなんて。
しかもその好意を、このあたしというぼっちを使って跳ね除けようだなんて。
笑う他にないじゃないか。




