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30歳、売れない元バンドマン。ダンジョン配信のBGM係になったら、Sランク美女たちの攻撃と「神曲」がシンクロして世界中でバズった件  作者: 伊達ジン
第1章:爆音のプレリュード

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第48話 元相棒との対話、あるいは罵倒

 主たちが過酷なレイド・フェスに出撃している間、世田谷のクランハウスは静寂に包まれていた。

 夕暮れ時。西日が差し込む玄関ホールの冷たい大理石のタイルの上で、一つの小さな毛玉がモゾモゾと動いていた。


「ウゥ〜ン……カポッ」


 豆柴のファズだ。

 彼が今、短い前足でがっちりとホールドし、小さな乳歯で必死に噛み付いているのは、菊雄が長年愛用しているボロボロの革製スリッパだった。

 ファズの体の半分ほどの大きさがあるそのスリッパには、主人の匂いがたっぷりと染み込んでいる。ファズにとってそれは、ただのおもちゃではなく、大好きな主人の分身のようなものだ。


「フンスッ、フンスッ!」


 ファズはスリッパの踵の部分に噛み付いたまま、短い尻尾をパタパタと振り、頭を左右に振って格闘している。

 革の硬い感触が歯固めにちょうどいいのか、夢中でガジガジと音を立てているが、やがて自分の力ではこの巨大な「敵」を倒せないと悟ったらしい。

 ファズは大きく一つ「ふぁぁぁ……」と欠伸をし、スリッパの甲の部分にぽすんと顎を乗せた。


 大理石のひんやりとした感触と、スリッパから漂う安心する匂い。

 ファズは半開きの目でしばらく玄関の重厚なドアを見つめていたが、やがてトロンとまぶたが落ち、すーすーと規則正しい寝息を立て始めた。

 ドアの向こうから主たちの足音が聞こえてくるのを、一番近くで待つつもりなのだろう。

 戦場から遠く離れた場所にある、絶対的な平和と愛くるしさの象徴。

 彼らが必ず帰るべき「日常」が、そこにはあった。


 一方、新宿第3迷宮・第30階層の最深部。

 巨大な水晶でできた重厚な扉に手をかけ、いざ決戦のステージへと歩みを進めようとした、まさにその瞬間だった。


「――おっと、そこを開けるのは俺たちの役目だぜ」


 背後の通路から、足音と共に芝居がかった声が響いた。

 振り返ると、黒と銀の統一されたユニフォームに身を包んだ数十人の探索者集団が、猛烈な勢いでこちらに迫ってきていた。

 メガクラン【Noize】の主力部隊だ。

 彼らの先頭には、マイクスタンド型の杖を肩に担いだ【Noize】のリーダー、レイが不敵な笑みを浮かべて立っていた。その隣には、銀縁メガネのマネージャー、木崎も控えている。


「やあ、まさか素人の寄せ集めがこんな最深部まで辿り着けるとはね。運だけはいいみたいだ」


 レイは余裕ぶった態度で立ち止まった。

 彼らの周囲には、後日配信用の映像を撮るための最新鋭ドローンが何十台も飛び回っている。

 だが、奇妙なことに彼らの現場には「音」がなかった。

 太田真生がハッキングで暴いた通り、彼らの戦い方は「後から外部のクリエイターが作った完璧なEDMを合成する」スタイルだ。だから、現場のレイたちはただカメラに向かって大仰なポーズを取り、薄っぺらい詠唱の声を上げているだけで、生の熱狂など欠片も存在しない。

 無音の空間で派手な身振り手振りだけを繰り返すその光景は、ひどくシュールで滑稽だった。


「わざわざ無音のステージに上がりに来たのか、レイ」


 俺が皮肉交じりに言うと、レイの整った顔が一瞬だけ歪んだ。


「強がるなよ、菊雄。後から極上のトラックと歓声を乗せて、俺たちの圧倒的な強さを世界に見せつけてやるさ。お前たちのその汚いノイズ混じりのライブより、世界は俺の完璧なショーを求めているんだからな」


 レイはそう吐き捨てると、マイクスタンド型の杖を大理石の床にコツンと突いた。

 隣の木崎も、「彼の言う通りです。我々の配信の同接数は、間もなく200万人を突破します。貴方方のような未完成なパフォーマンスとは、ビジネスの規模が違うのですよ」と鼻高々に付け加える。


「……ふっ」


 俺が反論するより早く。

 隣で静かに聞いていた西村実那子が、呆れたような、そして深い憐れみを込めたような笑い声を漏らした。


「レイ。あんた、昔から本当に口だけは達者ね」


 実那子は自身の特注マイクスタンド『アレサ』を握りしめ、ゆっくりとレイの前に歩み出た。

 70年代のソウルシンガーを思わせるサイケデリックなジャンプスーツ。その長身から放たれる圧倒的なディーヴァのオーラに、レイは微かにたじろいだ。


「実那子……。俺の完璧なトラックの上なら、お前の歌声ももっと綺麗に――」


「黙りなさい」


 実那子の低くドスの効いた声が、レイの言葉を物理的な圧力で遮った。

 彼女の大きな瞳には、激しい怒りと、音楽家としての底知れぬ矜持が燃え盛っていた。


「現場には何もないじゃない。あんたのその作られた音、さっきから聞いてて反吐が出そうだったわ。綺麗? 完璧? 笑わせないで。……あんたの歌は、恐ろしいくらい『軽い』のよ」


 その言葉は、レイのプライドの最も脆い部分を的確にえぐった。


「か、軽いだと……!? 俺の同接数を知らないのか! この完璧にチューニングされた声が!」

「数字の話なんてしてないわ。魂の話をしてるのよ」


 実那子はレイを鋭く睨み据えた。


「息継ぎのノイズを消す? ピッチを機械で修正する? それはね、自分の生の声と向き合うことから逃げた臆病者のやることよ。音楽ってのは、傷ついて、泥にまみれて、それでも誰かに何かを伝えたくて喉から血が出るほど叫ぶから、人の心を打つのよ」


 実那子の言葉には、かつて俺たちと共に狭いライブハウスで汗を流し、挫折を味わってきたからこその、重い説得力があった。


「菊雄のベースは、確かに不格好で古臭いわ。でもね、あいつの音には『生きている人間の体温』がある。私たちが戦闘で迷えば、その迷いすらもビートに取り込んで、力ずくで前へ押し出してくれる。……不協和音を恐れて機械の裏に隠れているあんたみたいな薄っぺらな男に、アタシたちの音楽を語る資格なんてないわ!」


 実那子の一喝が、水晶の扉の前の空間にビリビリと響き渡った。

 レイの顔が、怒りと屈辱で真っ赤に染まる。


「てめぇ……! ただの喚き声しか取り柄のない女が、俺を愚弄するか!」


 レイが杖を構えようとした瞬間、俺たちのパーティの他のメンバーが一斉に前に出た。


「おっと、そこまでだ。ウチのボーカルに手を出そうってなら、私が相手になるぜ」


 ザーナ・ベリシャが巨大なタワーシールドを地面に叩きつけ、金属音を鳴らした。

 坂本千夏が二丁魔銃を弄りながら言うと、村上環が大剣『紅姫』を肩に担ぎ、冷たい猫目でレイを見下ろした。


「ええ。近藤さんの音を侮辱した罪、ここで高くつかせてあげるわよ」

「同感だ。私のステップは、あんな後付けの機械音じゃ一ミリも刻めない」


 斉藤ナナも鉄扇を開き、優雅に、だが明確な殺気を放ってレイたちを威圧する。

 さらに、後方から太田真生とアナスタシアの20歳コンビが口を開いた。


「あの合成BGM、低音のサンプリングレートが低すぎます。解像度が粗くて、耳が腐りそうです」

「それにベースドロップのタイミングも超ダサい! EDMナメんな! あんなの、Z世代でも聴かないよ。プロデューサーのファンクの方が100倍踊れるし!」


 真生の技術的否定と、アーニャの容赦ないトレンド否定のコンボが、レイと音響班のプライドを粉々に打ち砕く。

 俺は思わず吹き出しそうになるのを堪え、ベースのネックを握りしめてレイの前に進み出た。


「……聞いたか、レイ」


 俺はサングラス越しに、かつての相棒の目を見据えた。


「お前は昔から、一人で完璧な音楽を作ろうとしてた。俺のベースも、他の楽器も、お前にとっては自分の歌を引き立てるための『道具』でしかなかった。だからお前は、面倒な人間関係を切り捨てて、文句を言わないデジタルに逃げたんだ」


 俺は、背後に立つ最強で最狂の仲間たちを親指で指し示した。


「だが、俺たちは違う。リズム音痴も、気分屋も、引きこもりもいる。バラバラで、不格好な連中だ。だけど俺たちは、お互いの音を聴いて、足りないものを補い合って、一つの楽曲を作り上げている」


 俺はベースの太い弦を、親指で強く弾いた。

 バゥンッ! という野太い生音が、無音の空間に強烈な存在感を持って響き渡った。


「音楽は、一人でやるもんじゃない。……お前のその孤高の完璧主義が、俺たちの泥臭い『生音』のアンサンブルを前にどこまで通用するか。この大舞台で見せてもらおうか」


 レイはギリッと歯を食いしばり、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけた。


「……ほざけ。結果がすべてだ。最後にこの扉の奥のボスを倒し、世界中から賞賛を浴びるのは俺たち【Noize】だ。お前らみたいな時代遅れのガラクタバンドは、ここで終わらせてやる」


 レイが言い捨てた、まさにその時だった。


 ゴゴゴゴゴゴォォォォ……ッ!!!


 俺たちと【Noize】の目の前にそびえ立っていた、巨大な水晶の扉。

 それが、重々しい地鳴りを伴って、ひとりでにゆっくりと左右に開き始めたのだ。


 開かれた扉の隙間から、猛烈な突風が吹き抜ける。

 それは風ではない。純粋で、圧倒的な濃度の『死の魔力』だ。

 全員の肌に鳥肌が立ち、本能が警鐘を鳴らす。

 暗闇の奥底から、ズシン、ズシンと、巨大な質量が近づいてくる足音が響いた。


「ギョォォォォォォォォォォッ!!!」


 変異種ボスの悍ましい咆哮が、第30階層を物理的に揺るがした。

 その圧倒的なプレッシャーとむせ返るような死の気配の前に、後からやってきた【Noize】の数十人の精鋭部隊は、顔面を蒼白にして完全に足がすくんでしまっていた。

 レイでさえ、マイクスタンド型の杖を持ったまま一歩も前に出られず、額から冷や汗を流して硬直している。

 現場で生の音を共有せず、後から合成された音に依存する彼らの本質は、本物の死の恐怖を前にした時、ただのハリボテでしかなかったのだ。


「……お出ましね。レイド・フェスのメインディッシュが」


 千夏が息を呑み、ドローンを扉の奥へと向かわせる。

 俺は怯むレイたちを尻目に、ミキサーのフェーダーに指をかけ、仲間たちと視線を交わした。

 実那子がマイクスタンドを強く握り、環が大剣を構え、誰もが一歩も退かずに前を見据えている。


「行くぞ。俺たちの最高のライブを、世界中に見せつけてやる」


 因縁のライバルとの対決、そして未知の強敵とのラストバトル。

 俺の第2の青春の、すべての決着をつける狂乱のセッションが、今、爆音と共に幕を開けようとしていた。

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