第3話 絶体絶命のボス戦、俺はフェーダーを上げた
新宿第3迷宮、最深部。
ボス部屋である『王の間』へと続く巨大な両開きの扉の前で、俺たちは足を止めた。
扉の隙間から漏れ出す威圧感が、肌をチリチリと焼くようだ。
「……行くわよ」
村上環が短く告げる。
その声は微かに震えていた。
昨夜の敗北。その記憶がフラッシュバックしているのだろう。
Sランク探索者といえど、死の恐怖からは逃れられない。ましてや、今の彼女はスランプの真っ只中にいる。自分の剣が通じない相手への恐怖は、想像を絶するものがあるはずだ。
「環さん」
俺は彼女の背中に声をかけた。
環が振り返る。その顔色は蒼白で、いつもの勝気な瞳には不安の影が落ちていた。
「準備はいいですか。俺の機材のセッティングは完了しています」
「……ええ。頼むわよ、近藤」
「任せてください。アンタの背中は俺が守る。物理的には無理ですが、音でなら」
俺が親指を立てて見せると、彼女はわずかに口元を緩め、大きく深呼吸をした。
そして、両手で重厚な扉を押し開けた。
ギィィィィ……。
錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、広大な空間が露わになる。
中はドーム球場ほどもある石造りの広間だった。
天井からは無数の鍾乳石が垂れ下がり、壁面には青白い燐光を放つ苔が群生している。
その中央。
朽ちかけた玉座に、その怪物は座っていた。
『オーク・ジェネラル』。
身長3メートルを超える豚の魔人。
通常のオークとは違い、知性を感じさせる濁った眼球を持ち、全身を鈍色に輝くミスリル製のフルプレートアーマーで固めている。
傍らには、戦車すら一撃で粉砕しそうな巨大な戦斧が突き立てられていた。
「ブモォオオオオオオオッ!!」
侵入者を認め、ジェネラルが立ち上がりながら咆哮を上げる。
空気が物理的に震えた。
俺は思わず耳を塞ぐ。鼓膜が破れそうなほどの音圧だ。
周囲に控えていた親衛隊『オーク・ナイト』4体が、主人の号令に合わせて剣を抜く。
「――来るわ!」
環が地面を蹴る。
速い。
彼女の姿が掻き消え、次の瞬間には親衛隊の懐に潜り込んでいた。
ズバンッ!
横薙ぎの一閃。
大剣『紅姫』の重量と速度が乗った一撃は、オーク・ナイトの盾ごと胴体を両断した。
2体が同時に吹き飛び、光の粒子となって消滅する。
『おおっ!』
『初手はいいぞ!』
『雑魚処理は完璧』
『問題はここからだ』
配信のコメント欄が流れる。
そうだ、雑魚相手なら彼女の「ステータスによるゴリ押し」は通用する。相手が反応する前に殺せばいいだけだ。
だが、ボスは違う。
「フンッ!」
ジェネラルが鼻を鳴らし、巨大な戦斧を軽々と振り回した。
豪快な一撃に見えて、その軌道は精密だ。環の逃げ道を塞ぐように、横薙ぎの衝撃波が放たれる。
「くっ……!」
環がバックステップで回避する。
だが、回避した先にジェネラルの追撃が迫っていた。
踏み込みからの突き。
巨体に見合わぬ神速の連撃だ。
ガキンッ!
環は大剣を盾にして防御したが、衝撃を殺しきれずに後方へ吹き飛ばされた。
石壁に背中から激突する。
「がはっ……!」
「環さん!」
俺は叫んだ。
ダメージは浅いが、体勢が悪い。
環はすぐに立ち上がろうとするが、その動きには焦りが見えた。
(……悪い癖が出てる)
俺は奥歯を噛み締めた。
彼女は焦ると、攻撃が直線的になる。
「1・2・3・4」。教科書通りの4拍子。
予備動作の大きい強攻撃。フェイントのない正直すぎる剣筋。
対してジェネラルは、老獪な古武術の達人のように、拍子をずらしてくる。
環が突っ込む。
大上段からの斬り下ろし。威力は絶大だが、あまりに素直すぎる。
ジェネラルはそれを半歩下がって躱し、カウンターの裏拳を放った。
ドゴォッ!
鈍い音が響き、環の細い体がボールのように転がった。
脇腹に入った。肋骨が何本か逝ったかもしれない。
彼女のHPバーが一気にイエローゾーンへ、そしてレッドゾーンへと突入していく。
『あかん』
『これ昨日のリプレイじゃん』
『学習してねーな』
『動きが単調すぎるんだよ』
『Sランク剥奪しろ』
コメント欄が辛辣な言葉で埋め尽くされる。
視聴者は残酷だ。勝てば官軍、負ければ賊軍。
今の彼女は、ただの「期待外れのピエロ」として映っている。
「はぁ、はぁ……っ!」
環が膝をつき、大剣を杖にしてなんとか体を支える。
口の端から血が流れている。
その瞳が揺れていた。
恐怖。絶望。そして諦め。
(またダメなのか。私はやっぱり、紛い物なのか)
そんな心の声が聞こえてくるようだった。
ジェネラルがゆっくりと歩み寄る。
獲物を追い詰めた捕食者の余裕。
奴は戦斧を高く掲げた。次の一撃で、確実に首を落とすつもりだ。
「……逃げろ、近藤……!」
環が掠れた声で叫んだ。
自分の死を悟り、せめてポーターだけでも逃がそうとする最期の矜持。
だが、俺は動かなかった。
いや、動いていた。逃げるためではない。
俺はバックパックを地面に放り投げ、中身をぶちまけていた。
ポーションや食料が散乱する中、黒い筐体を引きずり出す。
ポータブル・ミキサー。
そして、魔石を動力源とする小型モニタースピーカー×2。
俺の、売れ残ったガラクタたち。
かつてライブハウスの最前線で、汗と酒と熱狂にまみれてきた相棒。
「逃げる? 馬鹿言うなよ」
俺は震える手でケーブルを繋いだ。
ジャックを差し込む感触。電源を入れるスイッチの重み。
全てが懐かしく、そして魂に馴染む。
ブツッ、ジーー……。
スピーカーに電気が通り、ノイズが走る。
その異質な音に、ジェネラルがピタリと足を止めた。何事かと、こちらに視線を向ける。
「近藤……?」
環が虚ろな目で俺を見る。
俺はヘッドホンを首にかけ、マイクのスイッチを入れた。
腹の底から声を出す。
「諦めんじゃねえ! ショーはまだ終わってねえぞ!」
俺はスマホをミキサーに接続し、プレイリストを開いた。
指先が迷うことなく一曲を選び出す。
こんな絶体絶命のピンチに相応しい、最強にイカれたナンバー。
BPM190。
ツーバス連打の高速メタル。
タイトルは『Thunder Force』。
「環ちゃん、聞こえるか! 頭で考えるな!」
俺は叫んだ。
計算も理屈もない。ただの自棄だ。
このまま何もしなければ彼女は死ぬ。俺も死ぬ。
だったら、最期にド派手な音を鳴らして散ったほうがマシだ。
「俺の流す音に、心臓を委ねろ! 俺がアンタの鼓動を叩き直してやる!」
俺はフェーダーを掴んだ。
目盛りを見る必要はない。
上げる場所は一つだけ。
限界突破。
「――ぶっ飛べぇぇぇぇぇッ!!」
俺は勢いよくフェーダーを叩き上げた。
ドコドコドコドコドコドコ……!!
爆音。
スピーカーのコーン紙が破れんばかりに振動し、重低音が石造りの広間を揺るがした。
機関銃のようなバスドラムの連打が、空気の密度を変える。
続けて、歪みきったギターのリフが、空間を引き裂くような高音で鳴り響いた。
「グオォッ!?」
ジェネラルが驚愕に後ずさる。
突然の轟音。聴覚の鋭い魔物にとっては、それだけで強力なスタン攻撃だ。
そして――変化は起きた。
固有スキル【音響共鳴】。
俺自身も半信半疑だったその力が、極限状態で覚醒する。
視界が変わる。
音の波形が可視化され、環の体へと吸い込まれていく。
彼女の心拍数が、強制的に楽曲のBPM190へと引き上げられる。
血管が拡張し、アドレナリンが脳内を駆け巡り、筋繊維のリミッターが外れていく。
「あ……が……っ!」
環が胸を押さえて喘ぐ。
その瞳から、恐怖の色が消えていく。
代わりに宿るのは、ビートへの渇望。野生の闘争本能。
俺はDJのようにイコライザーを操作し、リズムを強調した。
「1、2、1、2! 行けるか環! 今のお前なら、その斧より速く動ける!」
曲はAメロへ突入する。
疾走感のあるドラムビート。
環がゆっくりと、しかし力強く立ち上がった。
大剣『紅姫』を構える。その切っ先は、ピタリと止まって微動だにしない。
彼女の体の中で、何かが噛み合った音がした。
狂っていた歯車が、音楽という潤滑油を得て、高速回転を始めたのだ。
「……うるさいわね」
環が呟く。
だが、その口元は獰猛に吊り上がっていた。
「でも――悪くないリズムよ」
ドンッ!
スネアドラムの音と同時に、彼女の姿が消えた。
いや、速すぎて視認できない。
ジェネラルが反応して戦斧を振るうが、そこにはもう誰もいない。
残像だ。
ザシュッ!
ジェネラルの右腕から鮮血が噴き出す。
いつの間にか背後に回っていた環が、すれ違いざまに斬りつけたのだ。
『は?』
『速すぎワロタ』
『なんだこのBGM!?』
『動きが変わったぞ』
コメント欄が驚愕で染まる。
俺は汗だくになりながら、次の展開へ向けてミックスを調整した。
サビまであと8小節。
そこが勝負の分かれ目だ。
「ここからが本番だ……! 俺たちの初ライブ、伝説にしてやるよ!」
俺の叫びと共に、曲はブリッジへと突入していく。
絶望的な状況からの、大逆転のビートが鳴り響く。




