第2話 Sランク剣姫のリズム感は絶望的だった
翌朝、午前7時50分。
新宿駅東口の交番前で、俺はショーウィンドウに映る自分の姿を確認した。
整えられた髭。短く切り揃えられた髪。
そして、体にフィットしたチャコールグレーのテーラードジャケットに、張りのある白いシャツ。
昨夜、環から渡された支度金で購入した新品だ。
鏡の中にいるのは、くたびれたコンビニ店員でも、底辺ポーターでもない。「仕事の出来そうなベテラン裏方」といった風情の男だった。
「……馬子にも衣装だな」
苦笑しつつ、襟元を正す。
服が変われば意識も変わる。背筋が自然と伸びるのを感じながら、俺は指定された時間を待った。
8時ジャスト。
人混みを割るようにして、彼女は現れた。
昨日の地味な変装とは打って変わり、今日は完全な「Sランク探索者」としての装いだ。
体に吸い付くような漆黒の戦闘用ボディスーツに、機能美を追求したミリタリージャケット。長く艶やかな黒髪は高い位置でポニーテールに結い上げられ、歩くたびに凛と揺れている。
その圧倒的な美貌とオーラに、行き交う人々が思わず道を開けていく。
「おはようございます、環さん」
「……ん。おはよう」
彼女は俺の前に立ち止まると、ジロジロと頭のてっぺんから爪先までを検分した。
値踏みするような鋭い視線。数秒の沈黙の後、彼女は小さく頷いた。
「合格。それなら私の隣にいても恥ずかしくないわ」
「そいつは良かった。高い金を出した甲斐がありましたよ」
「領収書は? 経費で落とすから後で出しなさい」
ドライな口調だが、機嫌は悪くないようだ。
昨日の人混みでの実地試験のようなピリついた空気はない。あくまで雇い主と従業員。そのビジネスライクな距離感が、今の俺には心地よかった。
「行くわよ。車を回してあるから」
「車?」
「ここからダンジョンの入り口まで歩くわけないでしょう。マスコミに囲まれるわ」
ロータリーには、見るからに高級な黒塗りのセダンが待機していた。
運転手付きだ。俺はポーターらしく後部座席のドアを開け、彼女をエスコートしてから自分も乗り込んだ。
車内は静寂に包まれている。
これから向かうのは『新宿第3迷宮』。昨日の若者たちと潜った浅層ではない。Sランク探索者が挑む、深層への入り口だ。
俺は足元に置いた巨大なバックパックの感触を確かめた。
中身はポーション、予備武器、食料。
そして――一番底に隠した、俺の私物。値段がつかず手元に残っていた古い音響機材たちだ。これを使う機会が来なければいいが、と俺は密かに思った。
ダンジョンのVIP用ゲートを通過し、準備エリアに入る。
ここは一般の探索者は入れない、高ランク専用の区画だ。設備も空調も整っている。
俺はジャケットを脱ごうか迷ったが、環の「品格に関わる」という言葉を思い出し、そのまま装備することにした。動きやすさより見た目重視。Sランクのパーティとはそういうものらしい。
「配信、始めるわよ」
環が指を鳴らすと、空中に浮かぶ最新型の自律撮影ドローンが起動した。
俺たちの周囲を旋回し、その映像はリアルタイムで動画配信サイトへと送られる。
『【緊急配信】Sランク村上環、完全復帰戦』
タイトルが表示された瞬間、手元のタブレット端末で確認していた同接数が爆発的に跳ね上がった。
開始1分で5000人を突破。1万、2万……数字が滝のように増えていく。
『うおおおおおお環ちゃんきたああああ!』
『休養明けの復帰戦か!』
『あれ、後ろにいる人誰?』
『新しいサポーター?』
『なんか渋いおっさんいるぞ』
『服装がガチっぽくて草。執事か?』
俺の姿が映り込むと、コメント欄がざわついた。
幸い、昨日のボロ雑巾のような格好ではないため、「みすぼらしい」という批判はない。むしろジャケット姿が「プロの裏方」っぽく見えているらしい。環の作戦勝ちだ。
俺はキャップを目深に被り直し、あくまで「背景」に徹することにした。
「行くわよ、近藤さん。遅れないで」
「了解」
環がダンジョンの第一層へ足を踏み入れる。
新宿第3迷宮は、近代的な地下鉄の廃墟を模した構造をしている。コンクリートの壁、錆びついた鉄骨、点滅する蛍光灯。
そこへ、最初の敵が現れた。
『スケルトン・ソルジャー』。
剣と盾を持った骸骨の兵士だ。本来なら第5層あたりに出現する中級モンスターだが、このルートは難易度が高いらしい。
「邪魔」
環が短く呟く。
次の瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
突風が俺の頬を撫でる。
視界の先、10メートル離れた場所にいたスケルトンが、音もなく崩れ落ちていた。頭蓋骨が粉砕されている。
「……速い」
俺は思わず息を呑んだ。
昨日の人混みで見せた歩行術とはわけが違う。これが戦闘モードのSランクか。
筋力、敏捷性、瞬発力。どれをとっても桁違いだ。
これなら、確かにポーターなんていらないかもしれない。彼女一人ですべてを解決できる。俺の仕事は、ただ黙って荷物を運び、彼女の凱旋についていくだけで済みそうだ。
しかし。
探索が進むにつれて、俺の中に小さな違和感が芽生え始めた。
第二層、第三層と進み、敵の数と種類が増えてくる。
強靭な皮膚を持つ『オーク』の群れ。空中から毒針を放つ『キラービー』の編隊。
環はそれらを圧倒的な火力でなぎ倒していくのだが――。
(……なんだ、この気持ち悪さは)
俺は背中で荷物の重みを感じながら、眉をひそめた。
見ていて落ち着かないのだ。
彼女の動きは速い。間違いなく強い。
だが、どこかギクシャクしている。見ていて息が詰まる。
例えるなら、超絶技巧の速弾きギタリストが、メトロノームを無視して走ったりモタったりを繰り返している……のではない。
逆だ。彼女は、メトロノームに忠実すぎるのだ。
「はぁっ!」
環が大剣を振るう。オークが真っ二つになる。
強い。だが、その後の隙が大きい。
昨日の人混みで感じた通り、彼女自身が持つテンポは完璧だ。しかし、彼女はその「自分だけの完璧なビート」に固執しすぎている。
相手の動きや息遣いに関係なく、常に「1・2・3・4」の表拍だけで自分のテンポを押し通そうとするから、敵の変則的な動きに対応できず、結果として動きが断絶し、隙が生まれるのだ。
『なんか今日の環ちゃん、動き硬くね?』
『休養明けだから勘が鈍ってる?』
『火力ゴリ押しだなー相変わらず』
『もっと華麗に戦えよ、Sランクだろ』
コメント欄の視聴者たちも、その違和感に気づき始めていた。
賞賛のコメントに混じって、辛辣な意見が増えていく。
環の背中が、微かに強張るのが分かった。彼女もコメントを見ているのだ。
そして第5層。中ボスエリアの手前で、決定的な場面が訪れた。
現れたのは『シャドウ・ストーカー』。
影に潜み、変則的な動きで撹乱してくる人型の魔物だ。
これまでの脳筋モンスターとは違い、トリッキーなリズムを崩してくるタイプ。
「ちょこまかと……!」
環が焦って剣を振るう。
空振り。
彼女の剣は、自分の決めたテンポでしか振られない。対してシャドウ・ストーカーは、裏拍や三連符、シンコペーションのような独特のリズムで攻撃を仕掛けてくる。
ガキンッ!
環の剣が弾かれ、カウンターの蹴りが彼女の腹に入った。
「うぐっ……!」
「環さん!」
俺は思わず声を上げた。
Sランクの彼女が、中層レベルの敵に後れを取っている。
ステータスでは勝っているのに、タイミングがことごとく合わない。
彼女は「ソロ」としては完璧だが、相手と刃を交える「セッション」においては、その柔軟性のなさが命取りになっていた。
「くっ、このぉ!」
環は力任せに剣を振り回し、広範囲スキル『円月殺』で無理やり敵を吹き飛ばした。
ストーカーは壁に叩きつけられて消滅した。
勝ちはしたが、息が上がっている。無理に自分のテンポを押し通すため、スタミナを浪費しているのだ。
『うわ、泥仕合』
『見てて疲れるわ』
『相手に合わせられなさすぎワロタ』
『これじゃ深層ボスとか絶対無理だろ』
『Sランク陥落あるで』
コメント欄が荒れ始める。
環は悔しそうに唇を噛み、乱れた前髪を払った。その背中が、ひどく小さく見えた。
俺は理解した。
昨日、彼女が言っていた「私のテンポを乱す」という意味を。
彼女自身も分かっているのだ。自分の中に「他者と調和するリズム」がないことを。
圧倒的な才能というエンジンを積んでいるのに、それを他者と合わせるクラッチがない。だから周囲の人間とも、敵の動きとも噛み合わず、孤立していくのだ。
俺は重い溜息をつき、歩み寄った。
「……近藤さん。ポーション」
「はい」
俺は素早く回復薬を渡し、彼女の隣に並んだ。
環は震える手でポーションを煽り、自嘲気味に笑った。
「笑いたければ笑えばいいわ。これが『剣姫』の実態よ。自分のテンポを押し付けることしかできない。音楽の授業で、周りに合わせる手拍子すらズレるって笑われた女の、成れの果て」
「……笑いませんよ」
俺はバックパックから清潔なタオルを取り出し、彼女に手渡した。
「ただ、勿体ないなと思って」
「勿体ない?」
「ええ。アンタの音は最高だ。ストラディバリウス並みの名器ですよ。ただ、伴奏がいないだけだ」
俺の言葉に、環は怪訝そうな顔をした。
「……何よそれ。音楽の話なんかしてないわ」
「音楽の話ですよ。戦いってのはセッションだ。相手のリズムを聞いて、自分のリズムを叩き込む。アンタはずっとソロで弾き語りをしてるつもりかもしれないが、相手の変則的なリズムに合わせる柔軟性がない。なら――」
俺は指先で、自分の胸をトントンと叩いた。
「アンタの完璧なメトロノームが『正解』になるような、強力なビートを後ろから鳴らしてやればいい」
「そんなこと……できるわけないでしょう」
「できますよ。BGMがあればね」
俺はバックパックの底を開けた。
服や食料の下に隠していた、黒い機材を取り出す。
ポータブル・ミキサーと、魔力駆動式の小型スピーカーだ。
「何それ……機械?」
「俺の商売道具です。ダンジョン内での使用は音が出るから推奨されていませんが……今のアンタには、これが必要だ」
俺はニヤリと笑ってみせた。
不思議と、不安はなかった。
目の前の不協和音を、最高のアコードに変えたくてウズウズしていた。これは職業病だ。バンドマンの、そしてお節介な最年長の。
「次のボス戦、俺に任せてくれませんか?」
「は? 何言ってるの。貴方は戦えないでしょう」
「戦いませんよ。ただ、演出するだけです」
「演出……?」
「アンタの剣に、俺がリズムをつけてやる。……騙されたと思って、俺の流す音に乗っかってみてください」
環は呆れたように俺を見た。
だが、その瞳の奥には微かな期待の色があった。
彼女も限界を感じているのだ。このまま同じやり方を続けても、数ヶ月前に休養へと追い込まれたあの敗北を繰り返すだけだと。
「……失敗したら、給料ナシだからね」
「そいつは厳しいな。じゃあ、成功したらボーナス弾んでくださいよ」
俺たちは視線を交わし、最深部へと続くゲートをくぐった。
そこに待つのは、数ヶ月前、彼女を敗北寸前まで追い込み、休養の原因となった階層ボス、『オーク・ジェネラル』。
俺の人生の第2章、その最初のライブが始まろうとしていた。




