Epilogue02『未来ある死のために』
『誰か僕を殺してくれ!』
人が行き交う街でそう叫び続けていた。
『お願いだから殺してくれ!』
どんなに叫ぼうが誰も振り向いてくれなかった。
『なあ、これで刺すだけだから』
スーツを着た若い男にナイフを渡そうとしても、何の反応も示してくれなかった。
『何で殺してくれないんだよ……』
胸が苦しくなる。人はいつでも残酷だ。半殺しにしたままでいやがる。釣り針に引っ掛かった魚を思い出す。釣り上げられた瞬間、口から少量の血が流れ出る。死に至らないほどの痛みを生じながら。今の僕もその魚と同じ気分を味わっていた。
『頼むから。苦しんだ。生きにくいんだ』
誰もが自分の日常へと向かっていた。誰だって面倒ごとは負いたくないのだろう。それでも他人に殺されたかった。自分じゃ死ぬことができないから。ネットで調べても、自殺名所に行っても、そのあとのことができないから。
『頼むから、お願いだから……』
その声は街の景色の中へと消えていった。こんな想いなんか誰にも届かない。諦めるしかなかった。死ぬことを諦めたら、そのあとはどうやって生きればいいんだ?終点まで降りることのない人生なんてあんまりだ。誰か、僕のレールを壊して欲しかった。そうすれば、僕の人生はその時点で終わりを迎えることができる。だが、そんなことをやってくれる人なんて誰もいない。他人の電車なんかどうなろうが関係ない。そんな余裕誰にだってないんだ。僕はただゆっくりと着実に死へと向かって行くだけだ。
『ここに刺すだけでいいんだ。少し力を込めるだけだから』
包丁を持ちながら、そう言っても効果は何ひとつなかった。「キャー」という叫び声も「何を考えているんだ!」という怒鳴り声もなかった。そもそも僕の存在に気付いている人なんていなかった。結局、自分のやっていることなんて、何ひとつ意味を成しえていなかった。こんな世界に生まれてしまった自分が憎い。
『なあ、気付いてくれよ』
包丁を振り回しながら、そのまま街を駆け抜けていった。その間、誰も僕に見向きもしなかった。いつまで、こんなことをしなければならないのだろうか?何で凶器を持っているのに誰も興味を示さないのだろうか?何もかもが狂っている。いや、人に殺してください、と頼む僕のほうが異常者か。
『とは言ってもおかしいよな』
普通の人間が精神病棟に入れられた気分だ。その世界では精神病患者は正常となり、僕たち正常者が異常になる。いや、これはただの多数決原理という奴に過ぎない。多数者だけが正解へと導ける。
「何だよあいつ」
背後に誰かの声が聞こえた。振り向いたところでそれがどこから発せられたものなのか分からなかった。頭が痛くなってきた。今の声はただの幻聴に過ぎない。時折、聞こえてくるんだ。自分は昔から妄想癖がある。日常を暮らしている中、僕はずっとある世界に没頭してしまうことがある。たぶん、今はその兆候なのだろう。
「おい、またあいつやっているぞ」
また聞こえてくる。やめろ、今はそんな気分じゃないんだ。いや、もう必要なんてないんだ。死を引き延ばさなくてもいいのだから。妄想なんてもうしなくていいんだ。意味のないことなんだ。この世界で死ぬということを決めたんだ。
「いい加減にしてください」
背後から羽交い絞めされた。やはり、振り向いてもそこには誰もいない。邪魔だ。殺して欲しいんだ。また誰かが右手に持っている包丁を取り上げようとする。お願いだから邪魔をしないでくれ。これがなかったら、俺はこの世界で死ぬことができないじゃないか。頼むから返してくれ。
「あんなキチガイと一緒にいたくないわ。なあ、個室にしてくれねえのか?」
「おめえもそこまで変わんねえだろう」
「うるせえ!迷惑なんだよ。いつもあんなことして」
「いいじゃねえか、別に凶器を持っているわけじゃないんだから」
僕は誰かに殺されたかっただけだった。本当にそれだけだったんだ。この世界で生きたくなかったから。




