summer station
人の話を全く聞いていなかった稔が、遅ればせながらどうしようもない事実を知って愕然としている。
「一週間くらい前に先生言ってたじゃん、夏休みの間は寮閉まるって。掲示板に張り紙もしてあったよ」
あんだけアピってたのに気付いてなかったなんて。稔って変なところで抜けてんなぁ。
今日は一学期の終業式で、午前中に寮に戻ってきた私は黙々と帰省の準備をしていた。
そしたらリビングで寛ぎまくっていた稔が呑気に
「家帰るんだな」
なんて聞く。そりゃ帰りますよ、帰んなきゃ一ヶ月以上も行くとこなんてないですからね。
それに早く家に帰って姉と色々と語り明かしたいもの。メールやチャットじゃ埒が明かない。もどかしい!
しかしふと、あれ稔何言ってんのって気付いた。後は上記の通りです。
「マジかよ……」
悲壮感たっぷりだけど、こっちの台詞です。何故今の今まで知らずにおれたんだ。
「稔……」
家帰んないの? と続ける気でいて、言葉を噤んだ。稔は家庭の事情でこの学校に編入して来たんだった。
家に帰れないのかもしれない。
だったら安易に聞かない方が良いかも。
自分で言うのも何だけど、世間一般的に裕福な部類に入る家で家族仲も良好な中でぬくぬくと育ってきた私には、家庭不和がどういったものか想像しか出来ない。
興味本位で立ち入ったら失礼だって事くらいしか解らなかった。
相当困り果てた顔をしていたらしく、稔は目を瞬かせてから、ぷっと吹き出した。
「解りやすい奴だな。別にそんな家族と仲悪いわけじゃないよ。ただ全員海外にいるから」
「かいがい?」
「そう。基盤を海外に移すっつってついでに移住した。んで俺だけこっち残ったってだけ」
家庭の事情ってそういう事ですか! 先生めぇ……ややこしい言い方しやがって。そうか、一人なら全寮制の方がいいよね。
そして今さり気なく海外に基盤移すって言ったね。お父様はもしかしなくても社長さんですか。
これはまたまた食いつき甲斐のあるネタゲットだぜ。
「行かないの? 海外」
「パスポート持ってねぇし、面倒クセェし、あっち行ってもやる事ねぇし、金掛かるし、面倒クセェし」
「うん、面倒臭いのね」
そんな事言ってる場合じゃないと思うんだけど。
でもパスポート持ってないのは痛いか。確か作るのに一週間以上掛かるんだよね、あれ。
明日中にはもう寮は閉まる。
稔は言わなかったけど、私だったら一人で飛行機乗るってのがまず無理だなぁ。空港のシステム謎過ぎる。
「あっち行ってもどうせ一人でいるだけだから、ここ残ろうって思ってたのに……」
きゅんとした。耳垂れた犬みたいに消沈しきった稔可愛い。
あああ、この子中学時代めちゃモテだっただろこれぇー!! 母性本能擽るってこういう事言うのか!
撫でたい、よしよししたい。伸ばしかけた手をどうにかこうにか自制して留めた。
ていうか放っておけなくなるでしょうが、こんな落ち込まれたら!
「えーと……もし良かったら、ウチ来る?」
「え?」
「あ、他にツテありそうなら別にあれだけど、中学のときの友達とか、でも」
「……助かる」
あっさり決定致してしまいました。
同室として二ヶ月半ほど生活してきた私だから、他の人よか気安いかなと思っての提案だったんだけど。
こうも簡単に決めてくれるとは思ってなかった。相当切羽詰まってたんだな。犬化してたものな。
「よし、じゃあ家に電話する」
携帯電話を持ってリビングを通り抜けようとしたとき、部屋のチャイムが鳴った。
少し前に基達と言ってたんだけど、チャイム鳴るくせにインターホンないんだよね。
「はいはい、フーアーユ?」
ガチャリとドアを開ける。どうせ時芽か基だろうとスコープで確認もしなかった。
「おりょ、依澄!」
そこにいたのは、真夏にも拘らずほんわか常春の空気を醸し出している依澄だった。
「あれ依澄がこっち来るなんて珍しい、ていうか何か久しぶり?」
「うん、テストとかバタバタしてたからね」
ふわふわしたオーラは相変わらずだ。癒される、マイナスイオン放出されまくってる。
部屋の中に入るよう促した。
「どうしたの?」
「カナと一緒に家帰ろうと思って。明日だよね?」
「うん! あ、そうだ。稔も一緒に帰るの。みのるー、かたミン!」
「あー?」
ペットボトルに口つけたままキッチンから顔を出した稔は、依澄を見て一瞬だけ眉を寄せた。
見知らぬ生徒が入ってきたからだろう。
「はい注目ー。こっちのほんわか王子はオレの幼馴染の平良 依澄。で、こっちのツンデレが方波見 稔ね。明日はこの三人で帰るからそこんとこよろしく」
「よろしくね、ピクミン」
「誰がピクミンだ、違ぇよ! かたミン! いやそれも違うけど!」
なんとなんと。ついにご本人様公認の愛称になったよ、かたミン呼び。
最初の頃は頑なに拒絶してたけど、無視して使い続けてきた甲斐があったというもの。にしてもピクミンって懐かしいな。
「あれ違った? じゃあえっと……みの、ミノタウロス」
「長っ! あだ名の方が長かったら意味ないだろ!? つーか軽く苛めだからな、それ」
「かたミン……」
肩をぽんと叩いて、過度なツッコミはするなと首を振る。
「基達と違って依澄のあれは天然なんだよ」
「余計めんどくせぇ!」
ここで残念なお知らせです。私は大変見てて面白いのですが、あまりこの二人の反りが合わないかもしれません。既に稔のHPの消耗が激しいです。
ちなみに依澄の防御力は鉄壁なのでダメージ0。
そんなわけで、翌日の昼前に私達三人は寮を出る事にした。
基と時芽は親が外車で迎えに来てくれるという、ムカつく金持ちっぷりを発揮してた。
乗せてあげようかと尋ねられたけど、そこまで遠くもないし断って電車だ。
うちの近所は住宅街過ぎる住宅街で、慣れてない人には大層不親切な設計になっている。
道も細いし、説明しもって行くより駅から歩いた方が早そうだった。
「結構近いんだな」
学校から電車で一時間掛かるかどうかってところだ。始めての場所で、きょろきょろと周囲を見渡す稔。
「うん、全然通いでも大丈夫なくらい」
「や、じゃなくて俺が住んでた所と」
「えぇーそうなの!?」
「電車でもうちょっと行ったところ」
マジでか。有名私立でしかも全寮制の学校だから、各地から生徒は集まってきている。
なのに同室者がご近所さんとは。世間は狭いんだなぁ。
「て、依澄はこっちじゃなくてあっちじゃん」
二股の分岐点で、私は右で依澄は左なのに何故かこっちに着いて来ている。
「間違えちゃった」
「自分の家間違えるアホいんのか!?」
「ここにいるじゃない、かたミーン」
こんなクソ天然なところも依澄の長所だよ。ほのぼのするよね。
「じゃあ依澄、おばさんによろしくね。多分、お邪魔しに行くと思うけど」
「うん。ああそうだ、方波見くん」
依澄はちょいちょいと稔を手招きした。
依澄がどうしてもピクミンって呼びたがるから、稔がキレて強制的に名字しか受け付けなくなった。
とても残念がっていたけど、ピクミンに何か特別な思い入れでもあるんだろうか。
彼の家にはごろごろとゲーム機が各種転がっていて、そりゃもうソフトもいっぱいあったけど、ピクミンやってたっけなぁ。
何言か話し終わると依澄は今度こそ手を振って左の道へ歩いていった。ちゃんと家に辿り着きますように。変な人に着いていきませんように。
「なんて?」
「いや……でもお前がアイツ頼りにするの解った気がする」
「ふぅん。……ん?」
なに、そんなディープな話してたの? あんな短い時間で?
それ以上は話してくれなさそうなので諦めて私も家に向かう。
「お腹空いてきた……家帰ったらすぐ昼ご飯作るか。あーでも食材あるかなぁ」
「堂島って料理作れんのか」
「おうよ。昔っから家事全般は姉貴と二人でやってたから」
私の両親は二人とも仕事人間で、平日に家にいる事はまずない。母親こそ週末にさらっと帰って来るが、父親はそれさえも稀だ。
だから私が小さい頃は姉が全部家事をやってくれてたんだけど、すぐに分担するようになった。
「え、姉ちゃんいんの?」
「そっち!?」
「美人?」
「めっちゃ食いついてるよ、ええぇー」
身内の容姿をどうこう言うのって難しくない?
客観的に見れてるかどうか微妙だよね。
「美人かは置いといて、オレとそっくり」
そのせいで小中学時代はそれはそれは被害を受けたものだ。
一部でかなりの有名人である姉とそっくりな私は、街に出かけるたびに知らない人に声を掛けられまくったり、更にはちょっと危ない目にも遭ったり。
「へぇじゃあキレイだな」
ぴたりと足が止まった。
「堂島?」
「何でもない! 何でもない!!」
こんの天然タラシがぁーー!!
びっくりした、さらっと何言ってんだこの人っ! 物思いに耽ってたから聞き逃しそうになったけど!
何で恥ずかしげも無くそういう事言うかな、しかも男友達に。特に深く、というか何も考えずに言ったんだろうね、じゃなきゃね……。
赤い顔を見られたくなくて、足早に稔を抜かして前に出た。
「一応言っとくけど、姉貴に手出そうとか思うなよ。彼氏いるみたいだから」
「出さねぇよ」
ならいいけど。一夏の間あの家を三人で過ごすのに、二人が万が一にでもくっついちゃったら私の居場所が無くなる。
二万に一つもないだろうけど、本当に一応ね。
姉はもう24歳の大学院生だし、一度も会った事ないんだけど恋人もいるらしいし。
お相手の方は姉が救いようのない腐女子だって知ってるんだろうか、そこがとても気になる。
とかそうこうしているうちに、着きました。
鍵を取り出そうと鞄の中をごそごそしていると、ガチャリと勝手に玄関ドアが開いた。
「あら香苗ナイス。ちょうど帰って来た」
「お姉ちゃん!」
これから出かけるらしい姉だった。
化粧も服装もバッチリだ。デートか?
「お帰りなさい。わたしちょっと出掛けなきゃいけなくて。で、そっちの子が電話で言ってた?」
「そうそう。方波見 稔くん」
「よろしくお願いします。すみません、夏休みの間お邪魔します」
「姉の紗衣です。親殆んどいないし、私もよく出るから全然気にしないで、楽にしてね」
姉は物凄く良い笑顔で言った。頭の中がお祭り騒ぎになっているのは見れば分かる。
それはもう大変な事になっているだろう。と、腕を痛いくらいの力で引っ張られた。
「ちょっと香苗、予想以上に美形じゃない。確かにあれじゃタチかネコか悩むわね」
「でしょー、最近はタチの可能性のが高いと思い始めてきたよ」
「総攻め? 総攻め?」
「私は固定CPのがいいなぁ」
「ああもう行かなきゃ! その辺は時間作ってじっくり話し合おう」
じゃあね! と手を振って慌しく姉は行ってしまった。慌しい。
「ごめん、入ろうか」
姉と私がこっそり談義をしている間ぽつんと玄関の前でさせられていた稔が、険しい顔でこっちを見ていた。
お客さんなのに放っておき過ぎた。
「なぁ……さっき、お姉さんの名前なんて言ってたっけ?」
「ん? サイだよ、紗衣」
なになに、もしかしてたったあれだけで興味持っちゃいましたか。駄目だっつってんのにー。
稔は難しそうに考え込んでしまい、軽口も言い出せなかった。




