五章
次の日の夜十一時。航は懐中電灯一つを持ち、こっそりと自宅マンションを抜け出していた。
外は日中の息苦しい暑さが嘘のように、ひんやりとした風が吹いている。隣接する道路の街灯には、虫が集り、狂ったように飛び回っていた。
待ち合わせ場所の空き地に行くと、懐中電灯の光を振る小さな人影が二つ、確認できた。
「時間通りだな。誰にも見つからなかったか?」
「う、うん。たぶん……」
「よし。じゃあ行こうぜ」
張り切る勇太を先頭に、三人は再び裏野ハイツへと歩みを進めた。
普段では考えられない夜間の外出ということもあって、道中はたわいも無い話に興じていたが、目的の建物の前まで来ると、その高揚感やテンションは飲み込まれるように消えていた。
申し訳程度の明かりが漏れている古びた建築物は、日中に見たときよりも不気味さを増していて、本当に住人がいるのだろうかと思うくらいの静けさを纏っている。
「十一時二十五分か……ここからコンビニまでは十分も掛からないだろうから、他に寄り道をしないなら、三十分前後で動きがあるはずだ」
そう言って、勇太は前回と同じように駐輪場の陰に隠れると、101号室の様子を伺い始めた。
「どうした、航?」
翼がその後に続こうとしたところで、立ちすくんだままの航に気がついた。
「……う、ううん」
まさか、ここにきてやっぱり帰ろうだなんて、言えるはずはなかった。
「おい、何やってるんだよ、二人ともっ。早く来いって」
「分かってる。行こう、航」
「――う、うん」
勇太に小声でせかされると、二人は急いで駐輪場のバイクの傍に身をかがませた。気づかれないようにと懐中電灯を消せば、虫の鳴き声や木々のざわめきが、ひときわ大きくなった気がした。
普段ならば十一時には寝ている航にとって、この時間は眠気との勝負でもあった。もちろん恐怖心もあったが、大半の時間は裏野ハイツをただじっと監視しているだけなのだ。声もほとんど出せないし、動きがない分、退屈でもある。
航が体育座りのままウトウトと舟をこぎそうになったとき、その身体を勇太に大きくゆさぶられた。
「おい、出てきたぞっ」
眠い目を擦れば、裏野ハイツの前に人影が見えた。
「で、どうするんだ? 勇太」
翼が問い掛ける。
「二手に分かれよう。ここに残って監視を続ける奴と、あの住人を追跡する奴だ。俺は後を追う。お前らは?」
「……じゃあ、航は勇太と一緒に行け」
「ええっ!」
「追跡班は一人じゃ危ないだろ? 俺がそっちを選んでもいいが……そうすると、航が監視役だぞ」
つまり、一人でここに残らなければならないということを言いたかったのだろう。確かにそれは航にとって絶対に選びたくない選択肢だった。かといって追跡も嫌なのだが……」
「わ、分かったよ。行くよ」
「なら、翼。ここは頼んだぞ。ほら、立て、航」
101号室の住人が敷地を出たところで、航は勇太に手を引かれ、慌しくその後を追いかけるはめになった。




