夢想
触らずの神
祟られた一家
悪鬼がいる家
寓話は言い伝えになり言い伝えは伝承になる。皺だらけの唇が紡ぎ出す記憶の物語。それらはいつしか神話になり人の裏に蔓延る思念となる。
その思念が嫌いだった。
俺という男は。
「雄介。」
肩を強く叩かれた。講義中に昼寝をかましていたらしい。眠い目を擦る。瞳に映るのは勝気な男。眼鏡が似合う明るいやつだった。
「もうそんな時間か。」
髪を掻きながら席を立つ。隣に座っていた髪の長い女性の上を通り抜けて俺はそいつと講義室を抜けた。外に出る。服が大きく靡く風が強い日だった。眼鏡の男が問いかけた。
「今日は何食う?」
「それはあれか?伝承の話か?それとも今の時間帯に似合う飯というものを食うという意味か、信介。」
俺はそいつの名前を呼ぶ。そいつは少し黙ってから答えた。
「両方だ馬鹿野郎。食わず嫌いは嫌いなこった。」
信介は鞄から何かをチラと見せる。それが何を示しているのかは明白だった。
食堂。雑踏の中で座る二人の人間。彼の前に置かれていたのは白米。のみ。
手のそばに出されていたのは古い書物。
彼はそれを開く。
「これは一族の蔵を探して見つけたやつだ。人の髪でぐるぐる巻きだったよ。」
俺は湯気が立つチーズ入りハンバーグを箸で裂きながら聞く。ハンバーグはうん、おいしい。
彼がその書物のページが捲るたびに埃が立つ。だから俺はハンバーグを彼の書物から遠ざける。俺たちの近くに座るものはいない。こんなに混雑していて立ち食いをする人もいるのに俺たちの周りだけ人が避ける。
「あんたの母さんの麗華さんにこの前会った。」
俺が言った。信介は静かに頷く。俺の話を聞こうとしていた。
「夜の神社で。俺の親父が神主をしてる浪白神社の御神木で俺はみた。あの人、御神木に抱きついていたよ。それになんか唱えてた。周りに紫の炎が見えた。嘘じゃない。でも嘘だったら嬉しいのにな。」
「そういう人だからさ、あの人は。家に帰っても来ないし、そもそも話すこともない。覚えているのは2歳くらいのときに俺が泣いている時にいつも鬼の真似をして脅してきたことだ。それも本気で。」
「よくある教育じゃなくて、本気で鬼だったのか?」
「俺にはそう見えた。黄色い角が生えて長い黒と白の髪が背中に垂れていて吐息がうるさい。そんな感じだ。」
「それは、ものすごくあの人らしいな。」
「あぁ、あの人はいつも遠くにいる。正直の所、俺はあの人を人と思っていない。あれは神かそれに準ずる何かだ。」
「もっとヤバい存在かもしれないが。災厄というか伝承の主神というか。」
「そこまでいくか?」
「君の一家は周りからはそう見えてる。特に君が在籍する文学部では。」
「お前も俺ら一家がそういうふうなのだって思ってるか?」
「俺からすれば君はただの伝承オタクに過ぎない。でも、あんたの親は本当におかしいし、それにあんたの文学部での友人の麗花さんもちょっと違う。」
「麗花さんはうちの母親と名前が似ているけれど出身も血族も違う。普通の一般家庭の出だ。」
「どうなんだろうな。ほんと。」
雑踏の中で紡がれる言葉の数々には呆れと嫌悪が混ざっている。空気は意味を捨て、言葉が空気を破壊する。
今世は妖怪が死んだ人の世。もう神代の時代ではない。それなのにそれを悔やむのは不幸になろう。
長い記憶の寒流から俺は抜け出し、そして目は冷めた。
血だらけの水たまり。有希という女の背中。動かない手足。あの日と変わらない青空。
叫び声がまた耳に入ってきた。




