滅びゆく世界で 4
凄惨な一夜だった。
もう言葉では表せられないくらい、絶望的だった。
集落をまとめあげていた首領は魔物と化し、男衆総出で何とか討ち果たしたが、その代償はあまりに大きすぎた。
死者二名、重傷者五名、軽症者十数名。
――――呪いを受けたもの、三名。
貴重な男手を一気に失ってしまったのだ。これでは日々の糧を得るどころか、いつ襲ってくるとも知れぬ魔物を退けることすら難しいかもしれない。誰も口にはしないけれど、状況が最悪であることは皆悟っていた。
リリィは、無心で怪我人の手当てをしていた。重傷者は一人だけ女神の元へ旅立ってしまったが、それ以外の四人は無事に峠を越えてくれた。今は比較的軽症者の手当てに当たっている。軽症といっても、武器をとれるようになるにはしばらくかかるだろう。
私、何も分かってなかった。
気を緩むと、自分を責める思いが湧き上がってくる。自分が逃げなかったばかりに、被害を大きくしてしまったのは明らかだった。それでも、集落のみんなは誰もリリィを責めたりしない。女衆も、昨夜の悲しみを跳ね除けるかのように賑やかに手当てに奔走していた。
「ほらリリィ、あんたはちょっと休んでおいで」
「でも……」
「気にしなくていいの。あんたは首領の時から十分頑張った。だから少しお休み。……ユミトのことも心配だろう?」
私はおばさんの好意に甘えて、ユミトがいる物見台へ行くことにした。おばさんは二人で食べなって、お昼ご飯も持たせてくれた。
少し歩いて、物見台を見上げるとユミトがいた。軽傷だったユミトは、休むことなく村の見張りを買って出ていた。
「ユミト」
「リリィか。もうみんなは大丈夫なのか?」
「うん。女神様に力を借りなければならない人はもういないよ」
「そっか……」
リリィも物見台に上がって、ユミトの隣に立つ。こんな日でも、太陽は眩しいくらいに照りつけてくる。凪いだ風が、唯一慰めてくれるようだった。
「昨日は、ごめんね。でも、守ってくれてありがとう」
「それをわざわざ言いに来てくれたのか? 気にするなって。俺はリリィの守り人なんだから」
リリィが無事ならそれでいいんだ、と照れ臭そうに笑うユミトの両腕には包帯が巻かれている。昨夜は重傷者の手当てをしている間に自分で手当てをしてしまったのか、リリィはユミトの怪我が心配でならなかった。
「ユミト、怪我は……」
「ああ、これか? 俺が未熟なせいで心配かけてごめんな。でも大したことはないんだ。すぐに治るし、手の動きも特に問題ないしさ」
そう言って、ユミトは手をグーパーと動かしてみせる。ユミトの元気な様子に、リリィも安堵したように微笑む。だけどその微笑みが今にも決壊しそうなことにユミトはすぐ気づいた。
「なあリリィ……頑張ったな。あとさ、リリィの心まで守ってやれなくてごめん。辛いときに支えてあげられなくてごめん」
「ユミトは十分私を守ってくれたよ。なんで急に謝るの……?」
「遅いかもしれないけど、今からでもリリィの心を守らせてくれないか? ……もう、強がらなくていいから」
そう言ってユミトは、大きく温かい手でリリィの頭を撫でた。
昨夜、心が凍ってしまったのはユミトだけではない。リリィもまた、大切な仲間を失った悲しみと自分の無力感から凍てつくような痛みを感じていたのだ。
ユミトはヒビを入れないよう、傷つけないように優しく溶かすように撫でていった。
リリィは、無意識に気を張っていたことにようやく気づいた。自分のせいだから。自分は巫女だから。みんなを助けなくちゃ。そう思って、悲しいことを悲しいと、辛いことを辛いと感じることもできていなかった。
だけど今、ユミトが凍った心を溶かしていき、溶けた雫が涙となって溢れてくる。
「ユミト、ユミト……。わ、私、なにもできなかった……」
「うん、俺もだ」
「巫女なのに、首領のこと、助けられなかった…!」
リリィは、涙ぐみながら、ようやく思いの丈を吐き出し始めた。
「みんな、怪我して、死んじゃって、辛くて、辛くて……!」
リリィはユミトの胸の中で泣き始めた。ユミトはただ頷きながら、小さな背中を撫で続けた。
少し落ち着いてきたのか、リリィはポツリと漏らす。
「首領の呪いから、二人もまた呪いにかかっちゃった……。昨日と同じようなことが、また2回も続くの……?」
ユミトはなにも答えられなかった。ただ困ったように笑いながら抱きしめて、その心が少しでも安らぐことを祈るしかできなかった。
そのうち、リリィは穏やかな寝息を立て始めた。首領の看病から、四日ほど女神の力を使い続けていたのだから無理もない。起こすのも可哀想で、しばらくこのまま寝せてやることにした。見張りだけならこのままでも問題ない。
(リリィ、ごめんな)
昨夜、重傷者の手当てでリリィがユミトから離れていて本当に良かったと思う。集落のみんなには、黙っていてくれるようお願いもできた。
だから、昨夜呪いを受けたのは二人ではなく、本当は三人。
リリィを抱く腕の包帯の下を、眠る少女はまだ知らない。そして、最後の最期まで教えることはない。
(俺も、近いうちに魔物になるんだーーーー)
ユミトが三人目の呪いを受けた者だと、リリィは知らない。