第36章 遠征の帰り
帰りは思ったより順調だった。
何体かの感染者には遭遇したが、うまく交わしつつ、行きに生存者が銃撃していたポイントまで辿り着いた。
本来は行きも帰りもこの家を使用する予定だった。
だが、生存者――しかも銃所持者がいる以上、そう簡単に近づきたくはない。
ただ、確認だけは必要だった。
なぜか。
それはここから俺たちの村まで、そこまで遠くないからだ。
本気で歩けば二日。
車なら三時間ほどで来られる距離だ。
つまり、生存者がまだ生きているのかどうかは確認しなければならない。
山の中にある家を占拠し、安全に暮らす。
それ自体は悪い考えじゃない。
むしろ、こういう世界になった以上、誰でも一度は考える生き残り方だろう。
ただ、匂いや音でいずれ気づかれる以上、そういう考えを持つ者たちはさらに山奥を目指す。
そうすると、この場所からなら必然的に俺たちの村へ辿り着く可能性が高い。
……まあ、“俺たちの村”と言っていいのかは置いておいて。
本来なら、俺一人でスローライフをする予定だった。
だが色々あって、仲間ができた。
その仲間たちは、本当にいい奴らだ。
だから今もこうして一緒に生きているし、同じ方向を向いている。
ただ、他の生存者までそうとは限らない。
俺もこの一年で色々な人間を見てきた。
その中で確実に言えるのは――銃を所持していたやつに碌な奴はいない、ということだ。
まあ、全員がそうじゃないのかもしれない。
だが、ここまでの経験則で言うならそうなる。
銃を持った瞬間に人は変わるのか、もともとそういう奴が銃を握っているのかは知らない。
ただ少なくとも、俺が出会ってきた連中は例外なくそうだった。
撃てるという事実があるだけで、人は対話より先に脅しを選ぶ。
脅しが通じれば奪う。
通じなければ撃つ。
そういう手合いばかりだった。
だからこそ、この生存者がまだここで生きているのなら、どういう動向で動いているのかを探る必要があった。
単純な放浪者なら、もうここにはいない可能性が高い。
一晩の寝ぐらにして、次の場所へ向かっているはずだ。
その場合、村の方向へ向かっているかもしれない。
そうなるなら、俺たちも急ぐ必要がある。
せっかく作った自分たちの要塞を占拠された日には、たまったもんじゃない。
しかも、あの日からもう四日ほど経っている。
ここを離れたそいつが、すでに村へ辿り着き、占拠している可能性だってある。
ただ、その可能性を知った上で動くのと、何も知らずにいるのとでは、今後の対応が大きく変わってくる。
もう一つ。
その生存者がここに定住している場合だ。
ここは町に近いため、物資の確保がしやすい。
その割に感染者はそこまで多くない。
だから定住、もしくは一時的な住処としてはちょうどいい。
この場合、奴らは町へ向かう意識が強く、村までは来ない可能性が高い。
だからこそ、やはり確認は必要だった。
佐藤と鈴木にもそこは話した。
2人とも体も体力も満身創痍だったが、状況を理解し、ここまでなんとかやってきた。
県道をしばらく歩き、佐藤が腰を落とす。
もうまもなく一軒家の近くだ。
ここまで奴らの気配はない。
そして、生存者の気配も。
もしかしたら、あの銃撃で全滅したのかもしれない。
あるいは移動したか。
まだ家にいるのか。
……まあ、全滅に関しては希望的観測だ。
マシンガンやガトリングならともかく、感染者は頭を潰さなければ止まらない。
猟銃で一撃で頭を撃ち抜くには、相当の技術が必要だ。
だから、ここに感染者がいない理由として考えられるのは二つ。
生存者を狙って家に入り込み、その中で獲物を仕留め、今は待機モードで潜んでいるか。
あるいは、生存者が家から逃げ、それを追って去ったか。
どちらにせよ、一軒家を確認する必要がある。
俺たちは県道から少し外れ、藪に入り、自然領域の中をゆっくりと近づいていく。
前方五十メートルほど。
森の木々の影から、一軒家が見えた。
双眼鏡で確認する。
正面から見る限り、壊されて侵入された形跡はない。
周辺にも感染者の気配はない。
もし生存者が中にいるなら、感染者は必ず家の周囲を索敵モードでうろついているか、入るために体当たりでもしているはずだ。
だが、それがない。
どこか裏手から入ったか……。
ここからでは裏までは見えないため、そこまでは分からない。
音も静かだ。
ただ風に揺れる木々の音が聞こえるだけ。
「いないのか……?」
俺が二人に言う。
「いや、もしかしたら感染者を全滅させたか、中で食われてるかだ」
小声で佐藤が返す。
まあ、この状態だとその二択だ。
だが周りに感染者の死体はない。
あれだけ派手に銃撃していたんだから、一体くらい死体があってもいいはずだが……。
その時、鈴木が何かに気づいた。
「あれ見てください」
鈴木が指差す先。
一軒家の横にはガレージがある。
その地面に、何かを引きずったような血の跡が続いていた。
「何かを引きずって、ガレージに入れた……?」
この状態で考えられるのは、感染者を殺し、その死体をガレージに入れた、だ。
だが、なんでそんなことを?
基本感染者は感染者に興味を示さない。
それは死体であっても同じだ。
たとえ腐敗臭が強烈でも、奴らは気にも止めない。
何か、奴らだけに分かる匂いでもあるのかもしれないが。
まあ、そういった生態を知らない生存者も多い。
特に避難所なんかで過ごしていた人間なら、分からなくてもおかしくはない。
だから、知らずに匂いよけで入れた可能性もある。
だが――もしかしたら特殊個体の可能性もある。
ウイルスはどんどん進化すると聞いたことがある。
この感染を引き起こしているのが本当にウイルスなら、知能を持った感染者が出てきてもおかしくはない。
現に、俺たちは一度遭遇している。
そういった感染者が、何かしらの理由で死体を引きずった可能性も考えられる。
本当なら、この場を離れるべきだろう。
不確定な要素が多すぎる。
何か、不気味な空気が漂っている。
静かすぎるのだ。
風の音しかない。
虫の羽音も、小動物の気配もない。
山なら本来どこかで何かが鳴き、何かが動く。
だが今この周囲には、それがない。
まるで、この家を中心に音だけが死んでいるみたいだった。
だが――俺の夢のスローライフを実現するには、今ここで安全を含めて確認する必要がある。
なので、行くしかない。
俺は佐藤と鈴木に、ここで待つよう伝え、一人でガレージへ向かうことにした。
最初は当然のように反対された。
だが今は昼間で見えやすい。銃で狙われた場合、三人だと的が大きくなる。
全員で動くのは悪手でしかない。
最悪、生存者がいて俺が捕まったり打たれても、残りの二人は生き残れる。
状況次第では、あとから助けることもできる。
……まあ、佐藤に「俺を捨てていけ」なんて言ったところで、あいつは絶対に助けに来るだろうが。
そんなことを考えつつ、適当に理屈をつけて二人を待機させ、俺はガレージへ向かった。
慎重に。
もし生存者が家にいた場合、見られる可能性はある。
だが、すべてのカーテンは閉まっており、覗いている形跡もない。
行くしかない。
少し小走りしながらも、音をあまり立てず家の近くまで来る。
ここまで、なんの反応もない。
そしてガレージの横に張り付く。
近くまで来ると、血の跡は思ったより黒ずんでいた。
乾ききっている部分と、まだ鈍く光を残している部分が混じっている。
一度に引きずったのか、何回かに分けて運んだのか。
そんなことまで考えてしまう。
少し息を整え、ガレージ横の窓から中を覗く。
……死体。
しかも感染者か……?
服はボロボロで、かなり腐っている。
今は冬だ。
生存者が死んで三日程度で、あそこまで腐ることはない。
よく見ると、頭に傷がある。
「撃ち抜かれている……」
やばい。
この生存者、とんでもない狙撃の持ち主だ。
今、もしこの家にいるなら、気づかれれば終わる。
すぐに引き返さないと――
そう思った瞬間だった。
背後の空気が、変わった。
さっきまで何もなかったはずの後ろに、今は明確に“誰かがいる”気配がある。
足音は聞こえなかった。
枝を踏む音も、衣擦れもない。
ただ、いる。
すぐ後ろに。
背筋を氷の指でなぞられたみたいに、全身が強張る。
そして――
「動くな」
低くこもった声が、背後からした。




