第3話 少年と少女
乱れていた画面は静止する。はっきりと輪郭を顕にする黒い影、突然見開かれた目玉だけが、ぎょろりと俺の方を見た。そしてそのまま、画面は真っ暗に途切れてしまった。
突如訪れた静寂に、俺はどうすれば良いか分からず、そのまま動けずにいた。そして、あることに気がつく。最後の望みが絶たれてしまったということに。
もう本当に、どうしようもないほどに、己が詰んでしまっていることを突き付けられる。どこにも逃げ場がないのだと。
♢
あの影と遭遇してしまうのも時間の問題だろう。もしあの影と再び遭遇してしまったら、次は逃げ切れるのだろうか。
仮に逃げられなかったとしたら、自分は果たしてどうなってしまうのか、無事でいられるのか、生きていられるのか……? 思考がまとまらない。他に何か手はないのか、他に何か──。
ギシ
跳ねるように顔を上げた。どこだ。またあの軋むような音が、何処からか聞こえてきた。
ギシ、ギシ、ギ、ギィ、ギ
急いで立ち上がり、辺りを見回す。ここに居続けるのも危険だろう。スマホを拾い上げ、階段の方へと向かおうとしたが──。
カツン、カツン
今度は階段の方からも、何者かの足音が聞こえてきた。俺は反射的に踵を返すと、三階のオフィスへと飛び込んだ。
辺りを見まわし、一番大きいデスクの下に急いで潜り込む。無駄にデカい図体が今は恨めしい。窮屈なデスクの下、体を出来る限り縮こませ息を殺す。色んな意味で苦しかった。
ロープの軋む音は、オフィスにだんだん近づいてきている。いっそ耳を塞いでしまいたい。来るな、来るなと強く念ずる。
すると、突如として辺り一帯が静寂に包まれた。突然訪れた静寂。遠くに行ったのか、はたまた諦めてくれたのか、俺は息を整えると机の外を見る。
ギシ、ギィ、ギィ
足が、すぐ目の前にある。同じような黒いスラックスに、革靴を履いてる男性と思わしきその足は、地面から浮いており、軋む音に合わせて、微かに揺らめいている。
それはまるで、そう、人間が首を吊っているような。俺は音もなく、目の前の光景を愕然と見ていた。脳が現実を忌避する。軋む音だけが聞こえてくる。俺は手のひらで咄嗟に口を覆う。
「……っ!」
男の逆さまになった顔が、こちらを覗いていた。足はそのままに、顔だけが俺をみている。精気のない澱んだ瞳が、ただ俺をじっと見ている。
「う、うああぁぁ!」
デスクに激しくを頭をぶつけながら、勢いのままに、デスクの下から転がるように飛び出した。
何とか立ち上がり、出口を目指し走り出すも、突然視界に床が広がる。唐突な痛みに俺は呻く。足がもつれたのだ。急いで後ろを振り返る。
男が吊るされていた。上から伸びるロープに首が括られている。その重みにロープが軋む。
しかし、その瞳はだんだんと血走っていき、恨めしそうな瞳で俺を睨みつけてくる。恐怖と憎悪に晒された体が上手く動かない。
何とか上半身だけを起こすと、尻餅をついたまま後ろへと後退していく。その間にも、男は吊られたままゆっくりと近づいてくる。
そして、その頭が、顔が、ぶくぶくと膨れ上がっていく。みるみる膨れ上がっていく顔に、その男以外の別の顔が無数に浮き上がってきた。
まるで粘土を無理矢理貼り付けたように膨れ上がる顔、顔、顔。体が動いて欲しいのに動かせない。
顔を背け目をきつく閉じる。消えてくれと、叶いもしない願望を願った。距離が少しづつ縮まっていく。そして──。
「頭下げろおっさん!」
突然、この場に似つかわしくない少年の声が響き渡った。俺は声が聞こえた方向へ何とか振り返ると、見知らぬ少年と少女がオフィスの入り口に立っていた。
そして、少年の手にしていた物に驚愕する。この暗闇の中で鋭い光りを放っているそれは、まさかの刀だった。少年は刀をこちらに向けて、投擲するような構えを見せて、え?
「え? ちょ、ま、うおぁあっ!」
俺の静止の声など聞かず、少年がこちらに向けて放ってきたその刀は、真っ直ぐに俺の頭を掠めていった。
咄嗟に仰向けに倒れたから良かったものの、直撃していたら一溜まりもなかっただろう。
色々な疑問はあるが、今はそんなことよりあの化け物だ。慌てて先程の化け物を見上げる。
刀はちょうど化け物の脇腹あたりを掠めたようで、霊は何とも言い難い呻き声をあげながら、その体を霧散させていった。
「手ごたえは?」
「いや、そんなに。チッ、普通に逃げられたな」
「そっか残念」
どういうことだ? 俺は何が何やらで呆然としていた。少年は俺の横をさっさと通り過ぎると、先程投げた刀を拾い、鞘に戻した。
その造作から、刀の扱い方に随分慣れているであろうことが分かる。いや、なんで刀なんかあるんだよ。
「あの、大丈夫ですか?立てますか?」
少女が心配そうに、俺に手を差し出していた。
「え! あ、あぁ、大丈夫……!」
反射的にそう答え立ち上がると、少女は一安心したようだった。
「良かったです! あと少しで連れていかれるところでしたよ。本当に良かった〜」
「つれてかれる?」
先程から二人の会話がいまいち掴めない。今の状況に頭が更に混乱する。
「二人は、いったい? というかさっきのは? 君達はどこから…あ…、で、出口は、出口はどこに」
酷く取り乱す俺に、少女が慌てて話しかける。
「お、落ち着いて下さい! さっきの霊はもういなくなりましたので大丈夫ですよ! 今のところ安全ですので、とにかく一旦落ち着きましょう! ね? まずは深呼吸を!」
少女に言われるがまま、息を深く吸い込み吐き出した。何度かそうして、ようやく少し落ち着いてきた俺は、二人を改めて見る。
「えと、まず、君達は……? あと、出口とか知ってたら嬉しいんです、けど……」
俺の問いかけに、少年と少女は顔を見合わせる。少年は小さく「ん」とだけ返事をすると、その返事に少女は頷いた。そして少女は真っ直ぐな眼差しを俺に向ける。
「まず、申し訳ありません。出口はまだないんです」
「え……」
その言葉に体が硬直する。
「でも、それは私達がなんとかします。そのために私達はここにいるんです。貴方のことは私達が守ります。無事に外まで送り届けてみせます。ですので、まずは安心して下さい」
少女は柔らかく微笑んだ。その少女の真っ直ぐな言葉は、混乱の最中にいる俺に染み渡っていく。気がつけば、その言葉に頷いていた。
「順を追って全てお話します。でも立ち話じゃ何なんで、座ってお話しませんか? ほら、ここは椅子がこんなにありますし」
「は、はぁ」
俺は少女のペースに流されることにしたのだった。
♢
オフィスの椅子を三人分勝手に拝借し、俺と向かい合うようして座る二人。
少年は逆座りをして、背もたれに両腕をだらりと乗せている。反対に少女は、背筋をぴしりと伸ばし、まさにお手本のような座り方だ。
正反対な二人だなと密かに思った。少女は俺と少年を見ると、口を開く。
「ではまずは、自己紹介から始めましょうか。私は善城院 清珠と申します。そしてこっちは」
「天寺 颯太」
「です!」
少女、善城院さんの快活とした声がオフィスに響く。少年、天寺くんはあまり興味がなさそうだ。
「あ、そうか、次は俺か」
二人の視線に促され、俺も自己紹介を始める。何だか少し気恥ずかしくもあった。
「えと、俺は宮地 桔平っていいます。この会社に勤めてる者です」
「あぁ、やっぱりそうだったんですね」
「だろうな」
「ちなみに君達は、学生、だよね……?」
二人の身なりを改めて見る。天寺くんは前髪が長く右目に掛かっているのが特徴的だ。白いワイシャツに、黒のスクールベスト、黒いスラックス、その様はまさに学生そのものだ。そこに刀があるのが異様だが。
一方善城院さんは、長い髪を緩く二つに結んでいる。白いワイシャツに、少しサイズの大きいベージュのカーディガン、下はジャージを履いており、長いのか足元を両方とも捲っている。二人とも動きやすそうなスニーカーを履いていた。
やはり、どこからどう見ても、その辺にいそうな学生だった。しかし、善城院さんは少しだけ困ったような顔をしていた。
「えーと、学生といいますか、何と言いますか……」
何か悩んでいるようだが、それに見かねたのか天寺くんが答える。
「俺たちは浄化師。学生服なのは、そっちの方が色々と都合が良いだけ」
「じょうかし?」
「あー! 何で勝手に話を進めちゃうんですか!」
「おめーがトロトロ遅いから」
「はい?」
「あぁ?」
「あー、ちょっと、お二人さん?」
険悪なムードに突入しそうな二人を止める。何というか、まるで緊張感がないな、この二人。善城院さんはハッとすると慌てて咳払いをした。
「今颯太が言ったように、私達は浄化師というものをしています。まず除霊師はご存知でしょうか?」
「えーと、霊を祓ったりする人、だよな?」
脳内で漫画やゲーム、ネットで見たなけなしのオカルト知識を引っ張り出す。
「はい、それで合っています。私達も同じく悪霊や呪いを祓っているんです」




