第9話 廃墟
住宅街の奥まった場所に、その廃墟は木々に埋もれるような形でポツンと建っていた。まだ昼だというのに、そこだけ異質な雰囲気を漂わせている。
「ここに入るのかぁ……」
「当たり前、さっさと行くぞ」
「おい待て待て待てって、心の準備とか……!」
「んなもん待ってたら日が暮れるわ」
無慈悲に俺を置いて行く颯太を慌てて追いかけ、後ろから恐る恐る着いていく。
「えぇ……」
「そんな目で見るな、怖いもんは怖いんだよ。こちとら三十一年間幽霊スポットとは無縁で生きてきたんだから」
扉が外れて、開きっぱなしになっている玄関から室内にお邪魔する。中は荒れに荒れ、カビや埃臭さが充満していた。
中まで日差しは入ってこず、室内は異様なほどに暗い。かつて住んでいたであろう住人の家具が、すっかり朽ち果てた姿で置かれている。
テレビやゲームなどでよく見る廃墟の光景が、そこには広がっていた。
「桔平さんって、ホラー耐性皆無?」
「人並みにあると思うけど。実際自分が経験するとなると別っていうか、何というか……」
「慣れねぇとこの仕事やってらんねーぜ?」
「善処します」
傷んだ木の床がギシギシと嫌な音を立てる。今にも床が抜け落ちてしまいそうで、別の意味でもヒヤリとする。
そんな廊下を慎重に進み、玄関からすぐの部屋に入る。そこはリビングと台所だった。廃墟の中は、嫌な空気が確かに漂っているのだが、霊の姿はない。
壊れかかったテーブルと椅子、食器がそのままになっている戸棚、針のない時計。朽ち果てた物達が、この建物がとうに役目を終えていることを、ありありと伝えてくる。
「ここにも霊は無しか」
そう言いつつ、颯太は躊躇いもなく台所に入っていく。俺はそのままリビングを見て回ることにした。
至るところが壊れ、穴だらけ。怪事件が起きる前は、子供達が大人に内緒で、ここを遊び場にしていたこともあったそうだ。子供の向こう見ずな好奇心には恐れ入る。
更に見て回ると、壁の落書きも見つけた。毎度思うのだが、こんな所に落書きをしにくる奴はどういう神経をしているんだ? 普通に怖くないか? これも一種の度胸試しなのか?
そんなことを考えていたからか、俺は足元の注意が疎かになっていた。
バキッ
「え、おわっ!?」
片足が思い切り床を踏み抜く。重力に従い後ろに倒れていく体。
「いってぇ!!」
尻餅をついたかと思えば、更にけたたましく割れる板の音。
「おいどうした!」
そんな騒ぎを聞きつけ、颯太が駆けつける。
「ゆ、床が、抜けた……」
「はぁ?」
見事に床に尻が嵌まった情けない姿の完成である。打ち付けた部分がじわじわと痛い。おまけに砂と埃まみれ。そんな俺を、颯太は目を丸くして見ていたが。
「ぶっ、ふふっ、ぎゃはははは!おいマジか!すげぇ綺麗に嵌まってんのな!あっははは!」
壁をバンバン叩きながらの大爆笑、こいつ……。
「笑ってないで助けてくれませんかねぇ?」
「おもしろ、写真撮っていい?」
「いい訳ないだろ」
颯太は今だに笑いながらも、俺に向かって手を差し出して──。
バキッ
「は?」
「えっ」
颯太の片足が、思い切り床を踏み抜いている。
「うおわっ!」
颯太は勢いよくうつ伏せで床にバタンと倒れると、床に積もった砂や埃が再び舞った。俺の横で床に倒れ込む颯太。
まるで時が止まったかのように静まり返る。なんて間抜けな絵面なんだ俺達は。
とてつもない虚無感に襲われてる最中、颯太がうつ伏せのまま俺に話しかける。
「何だよ、なんか言いたいなら言えよ」
そうだな、本人もこう言っているのだから。
「一回は一回だからな、俺も思いっきり笑わせてもらうぞ。あっはははは!お前、それは無いだろ!下手すりゃ俺より!あはっ、はははっ!」
「…あぁもう、うるせーよ!」
颯太は屈辱に染まった表情で俺を見上げる。人を馬鹿にするから痛い目にあうのだ。ひとしきり笑い終えると、次第に冷静さが戻ってきた。
「とりあえず、この穴から早く抜け出さないか?」
「そーだな」
「手貸してくれ」
「仕方ねーなぁ」
颯太が先に立ち上がり、嵌まった足を穴から抜く。今度は床の強度を確認してから、俺に手を貸し引き上げてくれた。
お互い砂だらけの埃まみれ、服の汚れをはたき落としながら、俺は一つ提案をする。
「颯太、一つ提案したいんだが」
「奇遇だな、俺もだよ」
「このことはお互い他言無用でいような」
「おう」
ここに、男と男の約束が一つ誕生したのであった。
♢
「あぁもうマジで最悪だな!落ちねーし!」
怒りを露わにしながら、服の汚れをバシバシと払う颯太。汚れはともかく、スーツが破れなくて良かった。
「廃墟なんだから仕方ないって。汚れは帰ってから洗えばいいだろ?」
颯太を宥めながら、自分達が空けてしまった大穴を見る。
(これ、このままにしといていいのか?……うん?)
ある物が目に入り、自分が空けた大穴に向かって手を伸ばす。
「何してんの?」
大穴に腕を差し込み、それを掴み上げる。
「これ」
「何だよそれ、お守り?」
それは手のひらに収まるほどの小さな青い袋。袋には平仮名でおまもりと縫われている。
お守りには、星やロケットも縫い付けられていた。一目で子供のために作られた物だと分かる。
「子供の落とし物か?」
「さぁな。そもそも、んなもん拾ってどーすんだよ。持ってるだけ邪魔だぜ?」
「ま、まぁ、それはそうなんだけどな……」
それでもこれは、誰かにとって大事な物かもしれないのだ。ぞんざいに扱うことは躊躇われる。
少し考えた末、このお守りは人目につきやすいテーブルの上に置いておくことにした。お守りに付いていた土を払い、テーブルの真ん中に置いておく。
「誰も来ないんだからほっぽっておきゃいいのに」
「もしもがあるかもしれないだろ?」
「へぇへぇ」
またしても呆れた視線を向けられたが、こればかりは俺の性分だ。
「じゃ、他の部屋もさっさと見ようぜ。手っ取り早く手分けして」
「え」
「えってなんだよ、えって」
「いや! 何でもない……」
心霊スポットで単独行動、嫌な字面である。しかし、いい大人がいつまでも子供の後ろでビクビクしている訳にはいかない。そんなの情けなさすぎる。
「俺は奥の部屋見に行くから、桔平さんはすぐそこの風呂場な」
「了解」
こうして俺達は二手に別れた。
恐怖心は拭えないが、建物自体はそんなに広くないのだから大丈夫だろう、と自分に言い聞かせる。
何より俺にはこれがあるじゃないか。背負っていたケースからバットを取り出す。薄暗い室内で、ぼんやりと輝いて見えるそれは、俺の精神を落ち着かせてくれるようだった。
(よし、行くか)
気合を入れ直し、風呂場へ向かう。
脱衣所も酷く荒れていた。洗面台の鏡はひび割れており、戸棚の戸は外れていて、かろうじてぶら下がっている。床の模様も、掠れて元の模様が分からない。ひび割れた鏡は俺一人だけを映していた。
こういう状況下での鏡はやけに不気味だ。どうしてこうも薄気味悪く感じてしまうのだろう。
突如、自分の足元からパキッと何かが割れる音がし、そこから勢いよく飛び退く。よく見れば、それは鏡の破片だった。破片が床に散らばっている。
破片に注意しながら浴室の前へ。浴室の扉は曇りガラスになっており、その扉は薄っすらと開いていた。その隙間から何かが見えそうで、俺は自然と目を逸らす。
「?」
人の気配がし、ふと後ろを振り返る。しかし、振り返ってみても誰もいない。
木々の葉が、風に揺れる音だけが微かに聞こえてくる。おかしいな、一瞬確かに人の気配を感じたのだが……。
これを、ただの気のせいで済ましてしまって本当に良いのだろうか?一応颯太に声をかけて──。
「ネェ」
心臓が跳ねる。
「ねェ」
曇りガラスの向こう側から、嫌でも伝わってくる存在感。身体を貫くような寒気。一瞬で空気が変わる。
「ナにしてルの?」
それは紛うことなき子供の声だった。背中に冷や汗が伝う。右手のバットを強く握り締める。
「なンデムしスるの?」
恐怖で硬くなった体を無理矢理動かし、視線を浴室の扉に向けた。
曇りガラスには黒い子供の影がはっきりと写っている。扉の隙間から、真っ黒な影が、目が、こちらを覗き見ていた。




