風吹く鄙の珠の巫女7
目を離したのはほんの僅かだっただろう。
しかし思い切りのよい土の精隷はスオウの手が離れるや否や颯爽と珠の巫女が収められた木組みの檻へと向かっていったのだった。
遠巻きながら巫女の兄であるスオウが見知らぬ男を連れていることに気付いて目をつけていた見張りの者たちは気色ばんで矛を構えた。
そして考え事をしていたスオウは彼らの警告でようやく冥之上が傍にいない事に気付いたのだった。
「寄るな! 汝は誰そ! 何ぞ物しつるぞ!?」
「冥之上だ。珠の巫女が守る勾玉、賜りに来た」
言葉は無用とばかりに近づく冥之上に流石の見張りも初手で突き殺すことが憚られたのか石突で押し返そうとした。
だが冥之上は矛の柄を掴むとそのまま横に放り捨ててしまった。
柄を握る手に力をしっかと込めていたにも関わらず見た目では想像もつかない怪力で奪われたので思わず放してしまい呆気に取られる見張り。
我に返ったもう一方の見張りが慌てて横薙ぎの斬撃を繰り出したが矛の刃は冥之上の胸元に当たると多少の手応えだけを残して躰をすり抜けてしまった。
やはり精隷である。
これが貉の類が化けたものならば死して文字通り尻尾を出していただろう。
依代のあるなしに限らず大いなる見えざる力によって形作られている精隷はその気まぐれによって概念と具現を行き来する。
要は人如きが易々と理解出来る存在ではないのだ。
「待たれ、待たれよ! 其の言う通りだ。其は闇女上の遣いである! 損なってはならん!」
「栖鴬! これは如何な事か? なにゆえ土の精隷が鄙にある?」
「否とよ。先づ聞け。其は上と言いつるか」
「や、それは……」
頭を抑えたくなる衝動を堪え、まずは仲裁が肝要とばかりに叫びながら駆け寄ったスオウ。
土地に縛られる筈の土の精隷が何故か鄙の中にいることを訝しんでいた見張りの者たちだったが冥之上が直前に上を名乗った事に一人が気づいていた。
表情に徐々に敵意が湧き起こる番人。
上は遥か古に滅び、在って良いのは闇女上ただ一人だけなのだ。
「……否とよ。心の做しよ」
「否とよ! 確かに言いつるぞ!」
「げに、げに」
「思し鎮めよ。喩え上と言いつれども闇女上の遣いなれば、名乗りて不思議ならずや」
「前代なり!」
「何事ぞ! 栖鴬!」
信仰する上の遣いならば上を名乗っても不思議ではないのではないかと言いつつ尚も歩き出そうとする冥之上の髪の毛を掴んで離さないスオウの不遜な行いに見張り達がいよいよ困惑して顔を見合わせた時だった。
怒声と共に現れたのは長老だ。
わざわざ連れて来た者をスオウが易々と手放すとは思っていなかった長は退出した後にどう動くのかを見極めていたのである。
不味い誤解を与えてしまったと苦い顔をしつつスオウはお前のせいだと言わんばかりに冥之上の頭を叩いて見張り達を驚かせた。
「何たる事を……栖鴬よ、汝は上の頭を叩くか」
「あ」
「栖鴬、汝が贈りの祭礼に甘心しておらなんだこと、気づかぬ儂と思うてか。思い絶ゆめよ、最早あれは汝が妹に非ず。珠の巫女なるぞ」
「……さらばこそよ。皆も解っているだろう。饑るき事は苦しきぞ。突かれる事は痛しきぞ。そも……皆は解っているのか。なにゆえ供犠となりし者は苛まれねばならぬ? 災いを治むるが為の祭礼なればその一身で咎を負うとも言えようが、此は巫女の力を導祖に授く為であろう。なればこそ、代わりに土の精隷が是を成さんと言うに、どうして長は否まれるのだ!」
「申したであろう。贈りの祭礼は上に取り次ぐ為の習いぞ」
「なればこそ!」
「栖鴬! 汝は禍憑きたるか! 上は闇女上のみ、他に名乗りし奴ばらは邪なるぞ! 然ればありつる時ぞ黙したか!?」
黙っていたつもりはない。
土の精隷に名前などないと端から決めつけて聞かなかったのは長老自身だ。
しかし上を名乗れば問題になると解っていて敢えて知り得ることを全て話さなかったのも事実である。
言葉に詰まったスオウに長老は少しばかり柔らかな表情を見せる。
「死人の案内が導祖の定め。其が汝の妹の枕に現れり。然れど妹は連れ行かず、授けたるるは光る珠……。これも稀なるが導祖の定め。古より伝わりし珠の巫女ぞ。然れど、然れどもよ。珠の力は我ら人には過ぎたるものぞ。なれば導祖に申し返すが理なり。他ではならぬ、ならぬのだ」
「…………」
「弁うたか? 良き哉、良き哉。なればその妖は如何に致すかのう。さても怪しきもの、闇女上に伺い奉るか、はてまた隠業衆が……」
「……人をして上におもねるは……浅まし」
鋭く冷たい視線が投げられる。
交互にスオウと長老のやり取りを見ていた冥之上の手が動いた。