うつせみのうちに宿りしは2
冥之上、一人縄背の巫女を求むる旅すがら鴉にかどはされ縄頭に至る
迎ふ鴉繰人の蕗と名乗りければ、此れも珠の巫女也
然れど頓て賜らざる
などか忽ちにあやむべきかと思ひ移ろうは、冥之上にありて土の精隷にあるべくもあらじものの所為にやあらむ
冥之上は空を飛んだ。
元来、土の精隷は意図的に移動させられそうになると土塊と化して元々の場所に戻ってしまう他、害のある接触が試みられると反射的に同じことをやり返すという習性があり冥之上も例に漏れずそうだった。
しかし大きな鳥からは敵意が感じられなかった事と、珠の力が感じられる方へ移動するという当人だけに備わった特異の影響で冥之上は大人しく運ばれるに至る。
勇壮に翼を広げた鳥は、右手に中津平原、眼前に塩満原を望みつつ左手の山々の北端へと降りて行った。
そこは丈の低い植物と枯れた木がまばらに生えている高原だった。
地上には冥之上を見上げる女性がいた。
女性は色鮮やかな、しかし着古して褪せた装束で意志の強そうな太い眉と猛禽のような目をしていた。
女性が腕を回すと大きな黒い鳥は斜面ぎりぎりで冥之上を離し近くの木に留まった。
受け身も取らずに落ちた冥之上であったが人間のように骨が折れるわけでもないので若干不自然な関節になりながらも起きあがる。
傍までやってきた女は膝をついて冥之上を迎え入れた。
冥之上の右腕が臓腑を抉りやすいように鋭く尖る。
女は珠の巫女の力を有していた。
「お待ち下さい。私はプキ。ウグルピトゥです。汝は土の精隷ではありませんね?」
容赦なく伸びかけた腕が止まる。
女に問いかけられた時、何故か月夜の情景が冥之上の脳裏をよぎったのだ。
この記憶は一体いつのものだろう。
あの時とは真逆の色に染まった自分自身の中の何かが女の問いを否定するが、更にその奥で何かが否定を否定した。
「冥之上は土の精隷だ」
「惑うているのですね」
「…………?」
今まで出会って来た人間とは根本的に異なる何かを感じ冥之上はその目をじっと見つめた。
プキと名乗った女は立ち上がって麓を指差した。
中津平原の北端の平地に大きな都が見える。
冥之上は興味が沸かずに聞いていなかったが、あれこそが赤穂で大王が話していた芦原で随一の人口を誇る皇の都だった。
「あちらに見えますのは真秀ろば宮。かつて輝大君がお住まいになられていた都です。そして我らウグルピトゥはかつての上代の戦において最後まで輝大君にお仕えした一族でした。その功しにより、今も我らは都の掟に縛られず都を見下ろすこの地に住むことを許されています」
「それがなんだというのだ」
「土の精隷は、輝大君のお若き時を思いて創られた虚像と伝えられております。されど話すことは能わず、また考えることもありません。ただ己の定めに従い、定められた地の気脈を守るのみ。然りけれど、貴方様は別の定めを持ち、地に縛られず、言葉を交わすことが能う。初めは大君がお戻りになられたのかと思いましたが……」
「大君……。そうだ、冥之上は輝大君の現身。昊之上を蘇らさんとする役成なる者から人どもを救わんがため、闇女上を今生に戻すが我が定めだ。それには汝ら珠の巫女が持つ珠の力を全て集めねばならぬ。転生を繰り返し、もはや珠の力の使い方を知らず、昊之上に抗う術を持たぬ巫女に、その力は必要ないのだ」
「……実に、数多の地にて私と同じ力を持つ者の無得気が途絶えていたのは然なる故でしたか。近頃も赤穂にて無得気が消失したのを怪しみ鳥を遣わせ、そこに貴方様がおりましたので無礼ながらお連れされて頂いたのですが。甘心いたしました」
「むるく?」
「無から得る力のことです。目には見えませんが確かにそこにあり、それは我らの想う心と合わさり大いなる奇特を生みます」
「…………くどぅ?」
「知りたいですか?」
「…………。否、どうでもいい。冥之上は珠を賜る。それのみだ」
「ならば、何故貴方様はお話しなさるのでしょう」
「ん?」
「闇女上は貴方様をお創りになられ、定めをお与えになられた。その前には魂の運び手として導祖をお創りになられています。導祖は定めに従うのみで言葉を話さぬばかりか考える素振りもありませぬ。されど貴方様は違う。務めを果たすだけならば貴方様も導祖の如く創れたはず。それは何故でしょう」
「知らん」
「少しお話いたしましょうか。私は逃げませぬゆえ。この命を貴方様にお捧げすること、もとより期するところなれば」
「…………」
背を見せて歩き出した女など後ろから貫いてしまえば容易いだろうに冥之上はそうせずに後を追いだした。
理由は分からなかったがそうしなくてはならないと思ったのだ。
二人が歩き出すと枝に留まっていた大きな黒い鳥も羽ばたいて空に舞った。
見上げた先の陽射しが眩しくて目を落とすと、冥之上は自身の足元にも影が出来ていることをこの時初めて知ったのだった。