うつせみのうちに宿りしは
北葦原の西部には決して峻険とは言えずとも南北に伸びる高い山の連なりがある。
その一帯はかつて上代の戦にて輝大君と相討ちになった大蛇が横たわり山となったという伝説があり蛇を意味する縄の字があてられた地名が多い。
縄背峠は蛇の心臓の位置にあり西側の沿岸部と繋がることが出来そうな地形であったがそこは瘴気に溢れ人を寄せ付けぬ魔境であった。
それは長らく蛇の呪いと言われてきたが遥か後年に理由が解明され、つまり火山活動による有毒な気体が発生している為であったが古人は様々な想像をして怪異を生み出していた。
怪異を鎮めるためにそこにはいつしか社が建ち、祈り巫女と呼ばれる聖女たちが常駐するようになった。
祈り巫女とは寝食以外の全ての時間を祈祷に捧げる乙女たちのことだ。
巫女といえば珠の巫女と関係があるのかと言えば全くなく彼女たちは輝大君を崇める輝の系統にあり、任命は真秀ろば宮の皇の名の下に占務と呼ばれる政治機関の要人たちが行っている。
巫女に選ばれた少女たちは下仕えから入り一人前と見なされると塁謡に参じて一生を過ごすようになるのだ。
祈り巫女たちの謡声は山中に響き渡り怪異を浄化させ、その甲斐あってか山は往来が可能となっていた。
赤穂から縄背峠に行くには真秀ろば宮へと続く山沿いの街道を通っていくつかの鄙で宿をとり道中の分かれ道を西に行けば良い。
中原に覇を唱える豪族も、かつては皇に大王の称号を許してもらうために貢物を携えてよくこの道を通ったものだった。
空は数日前までの長雨が嘘のように晴れ渡り、青空と白い雲の下で大きな黒い鳥が悠々と旋回していた。
縄背峠と都の分岐に設けられた小さな鄙で人どもが怪しげな旅人に気づいたのは昼前のことであった。
街道の鄙は泊まりやすい場所に自然に発生していたため旅人がやって来る時刻は大抵が夕刻であり日が高いうちの訪問者は稀なのだ。
しかもその者は街道からではなく野原からやって来た。
直線距離を歩いて来たと考えれば方角的には赤穂からの旅人なのだが、中原は野生の稲科植物が生えているだけの広大な平原であり稲の丈に隠れて牙狼などの獣も生息しているためわざわざ危険を犯して道なき道を踏破してくる気狂いなどいないのだ。
「おお? 道なきところを誰か歩いておるぞ」
「あれは……土の精隷?」
「如何なる事ぞ? 土の精隷が歩いておる。誰ぞ、語りかけよ」
「よせ、よせ。何かの災いの前表やもしれぬぞ」
人々はすぐに男が人間ではないことに気づいた。
布一枚に穴を空けて頭を通し腰紐を結んだだけの簡素な服に蔓で編まれた靴を履き、長い黒髪に黒い瞳をした白い肌の美形など土の精隷しか考えられなかった。
しかし土の精隷は特定の地に時折現れては意思の疎通も出来ずにただ立ち尽くしてそのうちにいつの間にか消えているのが常であり動いているのを見たことがない。
常ならぬ事は良くないことの前触れだと捉える者がほとんどで人々は不安にかられ始めたが、その時大きな影が頭上を通り一瞬だけ日差しを遮った。
「あっ」
大きな黒い鳥が土の精隷の肩を掴み飛んでいってしまった。
上空にいることは知っていたがかなりの高所を飛んでいたようでまさか普通の鳥の大きさではないとは露ほども思わなかった。
招かれざる客は「おー」という間抜けな声を残して天高く連れていかれてしまったが後になって人々はようやく土の精隷が発声した事実に気づく。
ただ、その時は大きな鳥の飛び去る背中に手を合わせ、危うくも災いが鄙に入る前に片付けてくれたウグルピトゥに感謝するのみであった。




