風吹く鄙の珠の巫女6
普通ならば痛みに顔を歪ませるほどの力だが冥之上は涼しい顔だ。
だがいくら行こうとしてもスオウは掴みなおして離さない。
いくらスオウが傍にいるとはいえ鄙の者ではない冥之上が近づけば番をしている者たちに警戒されてしまうだろう。
「会うことは出来んと言ってるだろ」
「何故だ」
「祭礼の最中だからだ」
「祭礼とはなんだ」
「珠の巫女の御力を闇女上にお返しする儀式だ! なんで知らないんだ。荒振上なき今の世に珠の巫女の力は人には必要ない。だから闇女上にお返しする、そのための祭礼だ。今は身体の中の穢れを払うためにああやって小木蔵にいる。鄙の者でも近づいてはいけない。外から穢れを持ち込むわけにはいかないんだ」
「弱っているようだぞ」
「…………! ……ここからでは見えんだろう」
「分かる。汝には見えんか」
「人ならざる者の御力というわけか」
「何故弱っている」
「……当たり前のことを聞くな! 穢れを払うには食断ちする必要がある。次の望の月まで生きていなければならないから少しばかりは食わせて貰えるが……あんな狭いなかで、糞も尿も木組みの隙間から垂れねばならなくて……弱らないわけがないだろう!」
「弱らせてどうする」
「話を聞いていないのか。弱らせるためじゃない、身体の中の穢れを払うためにああやっている。望の月の前には出されて全てが清められる。……本当に知らないのか? 贈りの祭礼は古よりずっとやってきた事だぞ。熊や猪での祭礼を含めるならそれはもう数えきれない程だ。闇女上は我らの御饗を受け取って、その礼に豊かな稔りをくださったり災いから私らを守ってくださる。そうなんだろう?」
「知らん。私は闇女上によって創られたばかりだ。だが私が初めて闇女上と会った場所は天も地もない暗闇だった。あそこで何かを受け取ることが出来るとは思えない。それに闇女上は現世に手を下す事は出来ない。私や導祖とやらを遣わすのがその証だ」
「…………」
人々が信じてきたことを無表情で淡々と否定する冥之上。
スオウは言葉もなく立ちつくしていたがその顔には教えを侮辱する冥之上への怒りなどはなかった。
逆に瞳の奥には安堵と悲しみの色が見える。
ただし感情を理解することが出来ない冥之上はスオウのまとう色が変わったことに興味を示しただけで心根を慮ったりすることは出来なかった。
スオウは生まれてからの十余年、幾度となく贈りの祭礼を見てきた。
大概は獣を供犠にして行われ贈った後の夕食は楽しみの一つだった。
しかし日照りや疫病に悩まされた年には捧げられるものが通常と異なった。
難事には鄙で一番良い者を闇女上に差し出すのが習わしだったのだ。
かつてはスオウもそれを素晴らしいことだと思っていた。
だが失う側となって違和感に気付いた。
最愛の家族が闇女上の供人に選ばれるなどということは畏れ多くも光栄なことだと思わなければならないというのに全く思えなかったのである。
それでも他者の前でそのように口を滑らせようものならどんな目に合うか分からないし、今まで諸手を挙げて家族を捧げてきた者たちの事を考えると何も言えなかった。
まだ難事は起きていないので妹を闇女上に捧げるのは時期尚早だと長に訴えたこともある。
しかし珠の巫女は出し惜しむよりすぐにお返ししたほうが闇女上の機嫌を取れるだろうという鄙の者たちの総意を変えることは出来なかった。
だからスオウは同意を示すために兄として祭礼に使う上等な肉を狩りに行くと嘯いて山に入った。
ただ、本当の理由は妹に顔向け出来ずに逃げたかったからであった。
そんな時に出会ったのが冥之上だ。
贈りの祭礼などしなくてもこの者ならば妹を救えるのではないかと思った。
祭礼の馬鹿げた構図を一蹴してみせたことも追い風となる。
悪しき風習はここで断たなければならない。
冥之上を土の精隷と侮るばかりで闇女上の使者であることを信じようとしない長には期待できない。
出来れば妹を救った後もこの鄙で平穏に暮らしていきたいと思っているのでここで無遠慮に妹に近づこうとしている冥之上をほったらかしにして荒事を起こすわけにもいかない。
一度わが家へと戻り対策を考えるべきか。
考え事をしていると髪の毛を掴まれていた冥之上が動いた。