大王(きわか)と小女子(をとめご)4
土の精隷を連れた人間が分鞍場を越えて来たという噂はすぐに広まり、スオウたちはすぐに大王の元へと案内されることになった。
赤穂の都は都と呼ぶにはいささか野暮だったがスオウの鄙がいくつも入るほどの縄張りがありよく栄えていた。
道中で人々の好奇の目を集めたのはもちろんメイだった。
中津平原でも時折目撃されてはいるものの、メイのように同じ外見でありながら自分の意思で動き、対話できる土の精隷など誰も見たことがなかったからだ。
スオウは自身を風吹く鄙から来た旅人であると正直に答えたが赤穂の人々は誰も風吹く鄙を知らず、南から来たのならとりあえず闇の民に間違いないだろうと判断した。
とはいえ、時折やってくる切り立つ崖の鄙人や商物替いの旅人、妖退治の陰業衆などは素直に受け入れているので別に闇女上を崇めているからといって敵視しているわけではない。
スオウもメイさえ連れていなければそれらの者どもと同等の扱いだっただろうが珍しい者の来訪を長が検めるのは当然のことであり、いきなり大王に会えるのはある意味でメイのおかげであった。
大王にメイの使命を説明し受け入れられさえすれば鄙の中での巫女探しはかなり楽になるだろう。
おそらく利害は一致するはずだ。
輝大君を信仰する人々にとって昊之上は許されざる存在だからだ。
上代の昔語りによれば輝大君を殺したのは昊之上である。
そんなものを蘇らせようとしている者がいると知ればきっと喜んで力を貸してくれるだろう。
スオウたちが大王の屋敷に招かれていく背中を見送っていた人々は、ふと少し離れたところの木陰から同じくその様子を見つめている女を見つけて頬を引きつらせ誰ともなく自然に解散していった。
その態度はまるで関わってしまったら大事だとでも言っているかのようだった。
女は曇天の都の中にあっては泥中の蓮の花のように美しい紅顔の小女子であった。
小女子は桜色の唇をきゅっと噛みしめ、熱を含む視線でいつまでも屋敷を見つめていた。
木造りの立派な屋敷に通されたスオウたちは大王と対面した。
出迎えたのは目力のある逞しい壮年の丈夫であり、召し物は都から仕入れた蚕の衣で、角髪は椿の油で整えられており、蒲草で編まれた敷き物に片足を投げ出して座りながら顎髭を撫でる様は流石の貫禄だった。
大王は今まで出会った長と呼ばれる者たち──即ち風吹く鄙の翁や御闇山の巫主とは違い年功や異能ではなく武力によって若くして統治者となった男である。
スオウもまた男ならば心のどこかで治者に憧れるところがあり、大王の堂々とした振る舞いには初対面ながら惚れてしまうほどであった。
挨拶を交わしたスオウは大王に顛末を話した。
自分とメイが出会って使命を聞き、いくつかの珠を集めこの地に辿り着いたことを話した。
御闇山の騒動と潮見津原のバラストの傍観者的態度については割愛し、これは闇の民だけの問題ではなく葦原に生きる者全てに関わることだと熱弁すると大王は時折大きく頷きながらよく話を聞いてくれた。
おかげでスオウは本来は語るつもりのなかった妹の死についてまで語り、大王は目を閉じてスオウの苦難を労ってみせた。
「ふうむ。よもや大君の御内たる役成が生きていたとはな。のみならず彼の朽縄を解き放たんとしておるとは。なんたる恩知らずか。あれは大君の仇ぞ。……よかろう、我が鄙に巫女がおるとあらば探すが良い。珠の定めは無道なれど、誰かが負わねばならぬ定め。女も定めて心得るであろう。ただし」
「ただし?」
「うむ。──然ても、スオウと申したか。汝はなかなかの肝であるな」
「えっ?」
「女上の臣をよく従え、闇の者には珍しく新詞を話す……良き益荒男ぶりだ。我が御内にならぬか」
「あ、有難きお言葉。されども……」
「良い、良い。先の事ゆえな。答えはいずれ聞かせてくれ」
「はあ」
スオウは大王の人たらしに感服した。
流石は皇に大王の名乗りを許されただけある男だと思った。
新しいものや人を取り入れるのに物怖じすることなく、しかし大胆に見えて心情に繊細に寄り添ってくる。
どうせ風吹く鄙には帰れないのだから旅が終わったら喜んで身を寄せようか、などと平伏しながら考えているとメイが不思議なものを見るかのような顔で覗き込んできたので目に指を食らわせてやった。
「さて、長旅であっただろう。今日のところはよく休み、あれに会うのは明日にするとよい」
「え? あれ。あれとは?」
頭を垂れていたスオウは大王がまるで巫女が誰であるかを知っているかのような物言いをしたので不思議に思って顔を上げた。
大王は苦々しく笑うと広い板の間を見渡すような素振りをして、スオウに近くに寄るように手で合図した。
スオウが人二人ほど空いたところまで寄ると今度はそれ以上寄るなとでもいうように手を広げてみせる大王。
困惑するスオウに大王は小さな声で囁いた。
「応。恐らくは、だがな。スオウ、恥ずかしながら頼む。あれが巫女であろうとなかろうと、何とかしてくれまいか」
ただし、とはそれを言いかけたのか。
どうやら大王は誰かに手を焼いているらしい。
この赤穂の地において絶対的な覇者である大王が部外者に対処を頼まざるを得ない存在とは一体なんなのだろうか。
詳しい話は饗応の場に持ち越されることとなり、それまでの間は身を清めることにしたのだが、一人湯殿に入ったスオウはそこでようやくこの屋敷に侍従の類が誰もいないことに気付いたのだった。