執事様、申し訳ないです。
結論から言うと、予約が殺到する話題の肉料理の店には行けませんでした。
何故かと言うと、嫁いだはずのお嬢様が突然里帰りをなさったからです。
前触れも何もなし。……帰って来たお嬢様の顔を見れば、概ね何があったのかは分かりました。
何しろ、目がキラッキラに輝いていましたから。
大方、私たちのお見合い話でも聞き付けたのでしょう。
婚家の紋章入りの馬車で屋敷の前に乗り付けたお嬢様は、馬車を降りるなり迎えに出た従業員一同を見渡し、まっすぐに私の元へやってきました。
「シエル! 久しぶりね!」
「お嬢様。まずは旦那様方に挨拶してください」
「まぁ、全然変わらないわね!」
まあそれは、そうでしょう。
お嬢様が嫁いでいって、まだ二週間しか経っていませんからね。
「シエル、ねえ」
「……お嬢様、奥様がお待ちですよ」
「ユーリウス。少しくらいいいじゃない」
横から口を挟んだ執事様に、お嬢様が口を尖らせます。
普段からふわふわしているお嬢様に、執事様が苦言を呈するのはいつものことです。そしてそれを私が宥めるのも。
「お嬢様。話は後で聞きますから、一度挨拶してきてください」
「絶っ対よ? 後で私の部屋に来てね!」
足取りも軽くお嬢様が屋敷の中に消えていくのを見送って、小さく溜め息をつきました。
……今日の休憩はなしですね。
ふと、隣に立つ気配を感じて見上げると、執事様がこちらを見下ろしていました。
「お人好し」
「……ユーリだってそうだと思いますよ」
「今日の約束は延期ですね」
言われて約束のことに思い至りました。
お嬢様は興味のある事柄をとことん追求される方です。終業後も、呼び出しされるでしょう。
流石に居たたまれない気分になります。何しろ、予約までしてもらったわけですから。
お嬢様に振り回されるのにはなれていますが、他人まで巻き込みたいわけではありません。
「すみません」
「いいえ。……貴方がそんな人だから、気になるのかもしれませんね」
「え?」
途中からよく聞こえなかったので聞き返すと、執事様はフイと視線を逸らし「何でもありません」と言いました。
言い直さないということは、大事な台詞ではなかったのでしょう。
先に屋敷の中に入っていく執事様を見送り、私が持ち場に戻るべく歩き出すと、後ろから肩を叩かれました。
振り返るとハーシーが呆れ顔で立っていました。
「シエル、バカなんじゃないですかぁ?」
「……ハーシー」
「今日の約束、実は結構楽しみにしていたじゃないですか」
「まあ、それなりには」
バカですね、バカですよと憤りだすハーシーを宥めます。
お嬢様に付き合うのが嫌な訳じゃないんですよ。……ただ日が悪かったと思うだけで。
今日はきっと、興味津々のお嬢様に根掘り葉掘り話を聞かれるのでしょう。
……お見合いなんて名ばかりです。実際は会って少し話して終わりでしょうに。
割と楽しみにしていた美味しいご飯と、楽しくない暴露話を天秤にかけてしまうと、虚しくなります。
まあでも、仕方ないですね。私はいち従業員ですから、雇い主(含むその家族)の意向には逆らえませんので。
執事様もたぶん、分かっているから約束を取り下げたのでしょう。
小さく溜め息をひとつ。
私の心から平穏な日々は、いつ廻ってくるのでしょうね。
考えたらどつぼに嵌まりそうだったので、深く考えるのはやめにしました。