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  作者: 黒金蚊
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壱縁

 ヒラヒラと舞う蝶を夢中になって追いかける。

 幼い頃に一度はした事があるのではなかろうか。

 俺は生まれて十五年以上経つが、未だに蝶を追いかける癖が抜けない。幼い頃は、ふと気付くと知らない所に居るなんて事は日常茶飯事だったので、歩いて行ける範囲なら今でも覚えている。

 ――なんてことがあったら嬉しいのだが、別にそんな事はない。恥ずかしながら、未だに迷子になる事も多い。そこは引っ越してきたばかりなので目を瞑っていただきたい。喩え幼い頃に居た町だろうと。この癖のお陰で、俺は彼女に出逢えたのだから。

 いきなりだが、話は一ヵ月前に遡る。


     ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ 


 花の憂き世は、着々と卒業式を終え、未だ見ぬ歴史に立ちはだかる門前で、歴戦の戦士達が受験というヴァルハラの門を推す事に躍起となっていた。半年前に推薦という選ばれし者の武器によって、ヴァルハラへの道を切り拓いた俺は、いつもより大人しい携帯に新居の門番を任せ、引越し先である町と逍遥していた。

 見渡す限り田畑が広がっている。これこそ日本の原風景ではなかろうか。

 素晴らしい外観だ、本当に。

 泣けてくるほど何もない。「こんな所に高校を建てるなよ」と、理事長の胸ぐら掴んで唾を飛ばしてやりたい思いに駆られる。さすがにもうそんな暴挙に出ることなどないであろうが。

 田舎道を歩いて行くと、見上げる程度には大きい鳥居が建っていた。その鳥居は黄色く、車道の真横に佇んでいる。そういえば、かの出雲大社の大鳥居も緩い股下に舗装された道だったか。景観が損なわれると抗議する場所を間違っているんじゃないのか、ニッポン。

 以上、どうでもいい事でした。

 緩い股下を潜ってやった先には、豪壮な総門が聳え立つ。どうやらそれなりに謂れのある神社らしい。

 短い参道の先には境内が広がる。そして奥の方には、珍しく鎌を奉納しているのが見られたはずだ。――そんな気がした。

 境内に辿り着くその時、俺の視界にあいつが入ってしまった。

 そう、揚羽蝶。正確にはギフチョウであろう。しかしそんな事は些細な事。あれは俺の手によって散るべきなのだ。ドンとこい、蝶常現象。

 ……我ながらお恥ずかしい。今のは忘れてくれ。

「くっそ……あの蝶どこ行ったんだろ……」

 不覚ながら、俺は蝶を見失っていた。知恵を持っているのではないかと思うほど上手く撒かれてしまったのだ。俺に恥をかかせるだけかかせて撒くとは、まさに蝶常現象。

 参道脇の小さな祠の前でつい溜息をついてしまう。

「君も迷子なの?」

 ふと、草陰の向こうから澄んだ声が聞こえた。今の溜息を聞かれたのだろうか。消すか? 消すのか? 自分。

「実は私も迷子なの……どうしよっか」

 どうやら俺に話しかけているわけじゃないようだ。では、誰に話しかけているのだろうか。俺にはその真相を確かめる義務があるのではなかろうか! と俺の本能がはやしたてる。

 ――いや、そんなどうでもいい事は気にせずとりあえず覗きたかった。エロくない意味で。

 草陰から顔を出す。その瞬間、三毛猫が俺の脇を通っていった。

「待って!」

 三毛猫が飛び出してきた場所から、さらに何かが飛び出してきたかに見えた。

 ――視界が揺れる。

「痛ってぇ……」

 何が起きたのかすぐには分からなかった。視界の隅が暗くなりつつ、景色は軽く揺れていた。そしてこめかみ辺りに鈍痛。前方では、誰かが小動物の様にいじらしい呻き声を出しながら小さな手で頭を覆っていた。ここでようやく、俺はぶつかったのだと悟った。

「ご……ごめんなさい」

 謝れる程度なら大丈夫だろうが、俺の頭突きで病院に担ぎ込まれた奴等を何人も知っている為に、不安は拭いきれなかった。

「いや、いい。それより本当に大じょ――」

 ところで、一目惚れというものを信じる人はいるだろうか。俺はそんなもの信じていなかった。

 確かに外見などは己の美的感性を刺激するだろう。しかし、そんなものは十年や二十年という代物である。結局のところ、大事な部分はその人の性質である。そして、性質というものは時間を掛けてこそ見えてくる。

 ――そう思っていた。この時までは。

 視界の揺れが収まると、目の前に現れたのは少女だった。やや肩まで掛かった艶のある髪。乱れる前髪の合間から覗かせた大きな瞳は涙ぐみながらも落ち着きをたたえている。

 外見だけではない。彼女は真っ先に俺の心配をしてくれた。一度も呻く事もせずに。今もなお俺を心配そうに見ている彼女の眼差しは、それが当たり前であるかの様だ。

 蕩けていく俺の脳は、辛うじて彼女の第一印象を導き出した。

 ――大和撫子。

 日本男児が、いや、全世界の男が惚れないわけがないだろ?

 残念ながら、それからの記憶はほとんど無い。微かに、一緒に歩いた記憶があるが、名前も年齢も聞いていない。もちろん連絡先など聞いているはずもない。聞かなかった事を今でも後悔している。だからこそ今、淡い期待を抱いているのだ。この三年間の学園生活で、彼女にもう一度逢えたら……と。


     ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ 


 なんて現実逃避はここまでにしておこうか。実はそんなことを考えている場合じゃなかったのだ。そう断言させていただきこう。

 昨日、ようやく悪友が寮入りした。あのバカは全てを同居人である俺に任せ、地元でずっと遊び倒してこっち来なかっただけである。

 鈍く痛む頭をあげると、周りは既に明るかった。転がる空き缶と共に、悪友の置き手紙と、封のあいた睡眠薬が転がっていた。

 今日は入学式。詰まる所、遅刻である。

 悪友は確信犯だ。後でこのテロ行為には、法の名のもとに報復してみせようではないか。

 しかしながら日頃の善行のためか、急げば間に合うであろう時間。頭が相当痛いが、いきなり遅刻魔のレッテルを貼られるよりはよっぽどマシだ。会場の講堂までもう少し。時計を見ると残り二分。何とか間に合いそうだ。


     ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ 


 入学式なう。

 全ては立花の計画通りだった。俺が講堂に着いた時、入学式は既に理事長の挨拶にさしかかっていた。そんな中、勢いよく扉は開かれたのだ。誰が開いたのかは聞いてくれるな。自己嫌悪に陥るからな。

 全ての視線が俺に集まり、その視線は次第に冷たくなっていく。そして沈静を破り、響き渡る大爆笑。その中でも一番良く聞こえたのは我が悪友、立花の笑い声。そして俺は教員に連行され、初日にして理事長率いる教職員による説教が待っていた。

 教員からの総攻撃を甘んじて受けた後、教室へ行くために今年の担任になる教員の後ろを歩いていた。

「ウチはアンタの行動良かったと思うわぁ。もう大爆笑やんかぁ。うらやましぃわぁ」

 褒められてもちっとも嬉しくないし、エセ関西弁が癇に障る。立花に比べたら頭文字Dの連載ページぐらい薄っぺらいものだけどな。

「ここやぁ。今日から君の通う教室ぅ」

 担任は微妙に建て付けの悪いドアを強引にスライドさせた。最後まで勢いを緩めないので隣で大きな風船が割れたかの様な心臓に悪い音が廊下に響く。

「今日の英雄の御出ましぃ!」

 教室に流れていた時は一瞬止まったが、すぐに加速した。あちこちから聞こえる笑い声。横隔膜のアクセルをベタ踏みする立花。俺と同じクラスなんてどこまで俺を追い込む気なのだろう。ある意味ストレスの発散元が傍にあるとも取れるが、同時にストレス製造機なので、プラマイゼロどころかむしろマイナスである。

「ま~笑いもとったんやから出席取るばい」

 エセ方言が西へ移った事はクラス全員がスルーした。クラスの冷静なスルーにもあえて触れないエセ担任は次々に名前を挙げていく。

「古賀ぁ」

 俺の名前が呼ばれたので一応は返事をしたが、それだけで周りは笑いを我慢しているような雰囲気だった。

 エセ師がその後も名を呼べば、それに応じる様にやる気のない声で呼ばれた生徒達は返事をしていく。

「土岐多ぁ……土岐多ぁ? 土岐多咲乃ぉ」

 教室には一つ空席が残っていた。病欠でなければどうやら俺の同類と思われる。今度土岐多とやらと熱く語ろうか。無論、羞恥のどん底へ突き落とした立花をどう責めるかでだ。

 今の気分と相反する爽やかな風が、開かれた窓から吹いている。体が少し冷たくなって来た頃、まだ周りの俺への視線は気になるものの、時間の経過と共に俺の席から右前方の空席へ移っていく。やはり皆も未だ見ぬ土岐多の存在が気になるのだろう。

 そんな時、ドアは静かに開かれた。

「すいません。遅れました」

 慌てる様子もなく入ってきた彼女。見るのは二度目だった。何も悪びれる様子もなく教室に入って来たその人は、一ヶ月前に神社で出逢った彼女そのものであった。彼女は座席表を確認し終えると、無音の教室を後ろへ迂回しながら突き進む。

 クラスの皆が注目していただろう。彼女はその中で俺の視線に気付き、柔らかに微笑んだ。

 開け放たれた窓から吹いていた風は、もう止んでいた。


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