弐縁
ひぐらしのなく頃に、ようやく俺の思考能力は回復した。時期的にひぐらしもうみねこもいないが気にしないでくれ。
何はともあれ俺は生まれて――そう、生まれて二度目の恋をしているわけだ。一度目については触れないでいて欲しい。俺の中では黒歴史なんでね。
「ユウカナリアさん、大層キモくてごめんなさいって言え」
いきなりマニアックなネタなので状況を説明しよう。
寮に帰ったらしい俺と立花。 この恋する男子の横で、立花にしては珍しく、真剣に何かを製作している矢先に発したと思われるのが先程の言葉である。俺はハルヒコ氏でもないし、元木氏でもない。よって言われた通りに口に出す必要はないと判断する。
「機●魔術師~エンチャン○ー~全十九巻発売中だよ!タグには是非もっと評価されるべき、と書きこんでくれたまえ」
うん、宣伝ありがとう。ただ動画にはならないと思うぞ。しかも宣伝したからって色んな危険が回避されるわけでもないし。
立花はそんなツッコミも受け付けないというオーラを纏い直し、作業を再開していた。
これほど熱心な立花を見るのは非常に珍しい。いつも向けるべきベクトルを間違えているだけな気はするが。
「……で、何作ってんの?」
器の出来た御方なら訊ねる事はないと思うが、俺はお世辞にもそこまで人間出来ていない。持ち前の好奇心からつい口にしてしまった。
――口にしてから気付く事もある。
こいつは大の女好きだった。ヒントは、立花が触っているのが電子手帳という事だ。立花もそこまで察知したのか、軽く笑っただけだった。
キモさでは良い勝負だろうな。
「それにしても咲乃ちゃんか。確かにスゴかったな。可愛いのはもちろん、俺様の緻密なプランを見事に崩すとは」
「そういえばそのプランとやらの御返しがまだだったね☆」
「アハハハハ まあい~じゃない 時効だよ」
辞世の句は継ぎ終わったようだ。
「某教授が習っていた伝説の通信空手、受けてみよ!」
この日、男子寮で紅い桜が散った。この出来事は、後世に「遅刻魔さんの祟り」と呼ばれる学園七不思議のひとつとして語り継がれる事になったとかならなかったとか。
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桜が散った頃には、月の煌きが雲の合間を縫って漏れ出ていた。
ここ数年で大分丸まったとは自分でも感じてはいるのだが、破壊衝動に駆られる時もやはりある。
解消方法としては二つ。その一つが立花に犠牲になって頂く事だ。勿論、ヤツによって引き起こされたエピソードもある。そう、あれは丁度三年前の事だった――
――と、回想しようと思ったが立花がキモいだけであり、脳の毛細血管が詰まりそうになる一方なので割愛させていただこうと自我は訴える。
立花も使い物にならない時、もう一つの方法で気を紛らわせる。それは、世界を五感で堪能し、世界と共に周る伝統的趣味。
即ち、散歩である。
無人の最寄駅から徒歩三十分近くかかるような僻地に高校を建てたお陰か、九割近い学生が寮生活をしている。その全てを一か所に集めている故、自然の中に居座る広大なコンクリートの山が、田畑の合間に棒立ちしている。寮の辺りを散策していると改めて実感出来る。
こんな何もない場所に建つ猿投高校は、駆け込み寺とも呼ばれている。言ってしまえばワケあり学生が集まる高校だ。いや、猿投高校が拾ってくれるというのが正しいのかも知れない。
俺もその一人というわけだ。立花のバカは、来なくても良かったのにわざわざ付いてきやがった。本当バカとしか言いようがない。涙がちょちょぎれる美談である。
――本当は単に高校受験全部落ちただけは無いだろうかと推測している。
そんな事を考えて、かれこれ一時間近くは歩き回っただろうか。既に陽は猿投山の西方へと落ち、月も昇っていた。いつもなら落ち着けるはずなのだが、立花の今日の所業を思い出すと未だに気分が晴れない。何とかして気を紛らわせなければ。
とりあえず地に伏して、星を見上げてみた。
「ふはははは。これぞ西宮正明のON THE GROUNDの世界だ」
…………。
何やっているんだ自分。しかも本来は親指からみた世界だから見上げちゃ意味ないし。
気恥ずかしさを消すには転がるに限る。転がるに限る。大事な事だから二回だ。
何かが背中に当たった。硬過ぎず柔らか過ぎず。これはそう、土岐多さんの頭と同じ様な心地よさだ。此処でまた逢えるなんて運命としか喩えようがない。
星よりも輝く土岐多さんを見上げる。
「近くに精神科の病院があるのですけど、紹介しましょうか?」
そこにいたのは、知らない人。
アレ、ドチラサマデスカ?
「それとも、奇人を装った覗き魔でしょうか」
うむ。現状を伝えるのならば、椅子に腰掛けている声の主の足元に転がり見上げている俺。足を組んでいる事も相まって、角度的に椅子と赤いチェックの布の間が見えそうでもある。
なるほど、絶賛覗き中だ。これはマズイ。
潔白を証明する為にも、何事も無かったかのように雄大に立ちあがってみせる。
頭の中では【通報しますた】という画像がスライドショーとなって流れているが、このポーカーフェイスは易々と崩れない。
「まあ、少なくとも後者ではないのは分かっています。先程から眺めていましたから」
正面で座っている彼女は、夜空よりも暗い漆黒の髪を腰までおろしていた。月に照らされている顔は、薄明かりながらも整っているのが見て取れる。コロコロと笑う彼女は、美しさだけなら土岐多さん以上。少なくとも、そこいらのアイドルと比較すると、相手は黄色いつなぎを羽織るAD以下の扱いになるのは目に見える。
彼女は黒真珠の様な瞳を見せて、再びコロコロと笑いだした。
「お悩みがあるのなら、お聞かせ下さいませんか?」
笑顔だけで燃料気化爆弾を投下されたかのような破壊力。
この御方は、危険だ。
薄らいでいる妄想マイ土岐多さんが、セコムばりの警報をかき鳴らしている。これ以上目視しては死んでしまうに違いない。
生きる為にも視線を下ろし、地面に助けを求めた。しかし地面は助ける事など皆無であり、それどころか穢れ無き御美足を運んできなさったのだった。
「ちょっとぐらい、いいじゃないですか」
目を伏せた事によって捕捉出来なかった御方が、吐息と共に耳元で囁いた。近い、顔近過ぎ。あとキメ細かすぎ。そして、再び開かれた艶やかな瞳に吸い込めれていく錯覚に陥る。
無言という最期の抵抗を試みてはみたが、遂に破られる事となった。あの御方が耳に息を吹きかけたのだ。
妄想は月の光と同じように、雲で掻き消された。
「冗談です。もう大丈夫そうですね。また何かあれば生徒会室にお越しください。御話を伺う程度なら私でも出来ますので」
知らぬ間に、御方は手を伸ばしても届かない位置まで離れていた。
ふと我に返ると、胸中にあったはずの身体を駆け巡っていた立花への殺意は消え失せていた。単に彼女に戯弄されていた感は拭いきれないが、何故かそれが嫌ではなかった。
「それでは、また逢いましょう。古賀海斗さん」
見ず知らずの彼女が何故俺の名前を知っているのか。その疑問が脳内で言葉に変換される頃には、彼女は闇に溶けて消えていた。仄明るい夜空が照らすのは、俺と彼女が落としたと思われる生徒手帳だけだった。




