第2話 住所不定とホストクラブ
この世界にも夜があるのか、と思ったのは二日目の夜のことだった。
初日の昨日も夜はあったはずなのに、そんなものを感じる余裕が柚になかった。
ホテルのスイートルームなんて一生縁がないと思っていたけれど、一生を終えた途端縁ができたのだから不思議なものだ。
ここにいる限り、寝る場所には困らない。ホテルのビュッフェも好きに利用できる。ただし四十九日後──二月四日が期限だ。
キングサイズのベッドに転がって息を吐いた柚の視界に、大きな段ボールが映る。豪奢な部屋に似つかわしくないその箱には、『彼岸生活スターターパック』と書かれていた。中には数日分の衣類などが詰められており、少なくとも一週間は何も買い足さなくても困らない仕様だ。
「死んだのかぁ……」
室内に呟きだけが響く。
ベッドボードには白いスマホ端末。役所で支給されたものだ。
「この世界に慣れるまで、ひとまず一ヶ月ほど無料で貸し出します。通常の携帯端末として好きに使って構いませんが、なによりホットラインとして役立てていただけます」
三途はそう言って、説明書と一緒にこの端末を差し出した。
彼岸生活サポーター窓口に24時間いつでも繋がるらしい。
「寂しくなった、という理由で利用しても構いません」
大真面目な顔でそう説明した三途に、まさかと笑った柚だったけれど、今ならそれも少しわかる気がした。
端末に入っている連絡先は、彼岸生活サポーター窓口のみ。
両親はもちろんのこと、祖父母も健在の柚には、この世界で掛ける先も、連絡してくる相手もいない。
昨夜は浴室のジャグジー風呂を満喫したし、ルームサービスで夜食にチーズスフレを食べるという背徳的な楽しさも味わった。
なんなら、朝起きたら、夢が覚めているような気がしていたのだ。
けれど。
死んじゃったのかぁ……。
年末年始の休みには実家に帰って、母の作る肉じゃがコロッケを食べるつもりでいた。
地元の友達と初詣に行って、今年こそは彼氏が欲しいですと、ここ数年恒例の願い事をする。
それから、親と顔を付き合わせながら、正月休み永遠に終わるなと祈りながらこたつでみかんを食べる。
そういう日々が当たり前にくるのだと、疑うことすらなかった。
明日は三途の紹介してくれたホストクラブに行こう。
そう決めて、柚はそのまま瞼を閉じた。
◇ ◇ ◇
ホストクラブ 甘露。
「中徳エリアのはずれですから、飲み屋街程度の治安をイメージして歩くといいと思います。寺門様はまだこちらの世界に来たばかりですから、暗くなる前にはお帰りになることをお勧めします」
ホテルのコンシェルジュはそう言って、柚に行き方を教えてくれた。
外に出てみると、ビルが建ち、商店が並び、人が行き交う。道路には車が走り、駅には電車が来る。近未来という様相もなく、柚の知る普通の町並みだった。
だから尚更、ここにいる誰も彼もが死んだ人間だということが、信じられない。
強いて言うなら掌を翳すだけでキャッシュレス決済されるシステムだけが、柚の知る世界と違っていた。
そして、ホストクラブの店構えも、柚の知るそれとは、随分と違っていた。
そもそもホストクラブなのに、朝の九時から開店していることもおかしいと思ったのだ。
ホストだなんて、柚の思い描く恋とか彼氏とは違うんじゃないだろうかとおっかなびっくり中に入ると、店内は少し豪華なソファーの並ぶホテルのラウンジといった風情だ。
ギラギラとしたミラーボールもなければ、煩いほどのBGMもない。男女が肩を寄せ合って笑い合う姿はあるけれど、置かれているのはティーカップやケーキだ。
傅く男がいるわけでもなければ、囃して酒を一気飲みしているような輩もいない。
(お店、間違えたかな?)
「いらっしゃいませ」
立ち尽くしていると、黒服の男性に声を掛けられた。
「ご指名はございますか?」
「あの……ここは、このお店で合ってますでしょうか?」
おずおずと三途に渡された紙を差し出すと、柚と紙とを二往復した視線が弧を描く。
「お待ちしておりました、寺門様。個室のご用意もございますが、いかがなさいますか?」
「いえっ、個室とかいいです。ここで。そのへんの席で大丈夫です」
知らない男といきなり個室でふたりというのは、たとえ店の中とはいえ少し怖い。
手近なソファを指し示すと、黒服の男は硝子のように澄んだ目を細め「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」と柚を窓際の席へと案内した。
「お飲み物は?」
「……えっと、こういうお店初めてなんですけど。シャンパンとか頼むべきですか?」
男は柚の言葉に目を丸くすると、「お好きなものをどうぞ。この時間ですと紅茶や珈琲を召し上がるお客様も多いですよ」と教えてくれた。
「じゃあアイスティーをお願いします。ストレートで」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
男が立ち去り、少しだけホッとする。
窓の外は、イングリッシュガーデン。手入れはされているのだろうが、冬の寂しい庭だ。
今は柚が死んだのと同じ十二月なのだという。四季があるのかすら知らないこの世界で、どうにかひとりで生きていかなくてはいけない。
はぁとため息を溢すと「辛気くさい顔だな」と声がかかった。
顔を上げるとダークグレーのスーツを纏った男が、トレーを片手にこちらを見下ろしていた。
ネクタイをきちんと締めた、精悍な顔つきの男だ。オフィスの管理職デスクに座っていそうな佇まいに、柚は思わず背筋を伸ばした。
男は柚の前にアイスティーを置くと、その隣にアイスコーヒーを並べ、そのままどかりと隣に腰を下ろした。
「……え?」
「寺門柚さん」
「あ、はい! 寺門柚と申します!」
接客というよりも、店長がバイトの面接に来たという様子だ。思わず面接のように返事すると、男がクッと笑った。
笑うと少しだけ雰囲気が緩む。釣られて柚も少しだけ肩の力を抜いた。
「買った側のお客様が敬語で話す必要はない」
お客様、とは口ばかりで、男の態度は偉そうだ。
「はい……あ、うん?」
「内海 聡だ。一ヶ月の専属契約を希望と聞いたが?」
「はあ、まあ、そうみたい、です?」
うろんげな目で見た聡は、柚が手の中で弄ぶ白い端末に視線を落とすと、なるほどと呟いた。
「何日だ?」
「今日ですか?」
「日付じゃない。彼岸に来て何日だ?」
「三日です」
「三日でもうホスト遊びとは、余裕だな。『恋人満喫プラン』と聞いているが」
「はあ……え? プランとかあるんですか?」
三途には「こちらで適当に手配していいですか?」と訊かれ、「はい、お任せします」と頷いたのは覚えている。
それにしても、そんな浮かれた名前のプランを選んだとも、そもそもプランが選べるなど知りもしなかった柚はそう尋ねた。
「自分で決めたんじゃないのか?」
「プランが分かれてるのは知りませんでした」
「……手短に経緯を説明しろ」
上司のような口調でそう命じた聡に、柚は再び背筋を伸ばすと、役所でのやり取りや経緯をなるべく端的に説明した。
「だいたいわかった。……今の住まいはどこだ?」
「ヒガントンホテルです」
「ヒガントン?」
オウム返しにホテルの名前を口にした聡は、どこか品定めするような視線でじっとこちらを見つめてくる。やがて、小さく頷くと、なるほど、と独りごちた。
「飲み終わったら出掛けるぞ」
まるで営業まわりでもするような口調でそう言った聡に、柚は小首を傾げた。
「どこに、ですか?」
「三日じゃどうせまだ住まいも決めていないんだろう。とりあえず不動産屋だ。生活周りを整えるのが第一だろう」
「不動産屋……いえ、あの私は恋人を紹介されに来たんですけど」
「そうだな。それが俺だ。一緒に不動産屋をまわってやる。それとも、住所不定のまま恋愛を始めたいのか?」
にやりと笑った男を前に、柚は「確かに」と頷いた。
そうだった。とりあえず寝る場所と着る物があるから油断していた、と柚は思う。
住所不定で恋はできない。男の言うことはもっともだった。
「そうですよね、不動産屋さん。まずは生活を始めないとですね」
言い聞かせるように頷く柚に、聡は面白そうに目を細めた。




