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恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。  作者: 稀葉


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第二話 とんでもない財産

「では寺門(てらかど)(ゆず)さん、住民登録の手続き、始めましょうか」

 

 柚が紙面に視線を落とすと、名前欄や生年月日欄は既に印字されていた。

 

 享年25才の文字に、思わず呼吸が詰まる。

 実感はない。ドッキリだと思いたい。

 けれど、寸前のまばゆいヘッドライト。体に走った痛み。そして今、傷ひとつない自身の体を思えば、残念ながら、非常に非常に残念ながら、これが現実なのだろう。

 

 戒名。

 

「あの、三途さん。これ、戒名って」

 

「ああ、現世の方が最期につけてくださった名前ですね」

 

「ここではみんなこれを使うんですか?」

 

 唱善院……妙安……。

 

 読めない。読めないけれど、これで生活するのは大変そうだし、この世界の人がみんなこんなに長い名前なら、覚えるのはかなり難しそうだ。

 

「戒名のご利用は任意です。ミドルネームに使うかたもいらっしゃいますが、皆さん大抵は現世のお名前をそのまま使われますね」

 

 戒名だと長いですし、と苦笑する三途にそれはそうだろうと柚も頷いた。

 

 ふと居住地の欄に目が留まる。

 

 ヒガントンホテル。(スイート選択可能)。

 

「あの……三途さん。この居住地の欄なんですけど」

 

「ああ、そこはですね。一ヶ月間の仮の住まいとなります。寺門さんは一ヶ月以内に、不動産屋で自身の住まいを用意して、生活に必要なものを取りそろえて、お引っ越しをお願いします」

 

「必要な物を揃えてって……だって、お金……。あ、この世界ではお金いらないんですかね?」

 

「まさか。よく言うじゃないですか。無料(タダ)より怖いものはない、って」

 

 知っている。田舎のおばあちゃんだってよくそう言っていた。

 だがしかし。

 先立つものがない。ポケットを探っても、ポケットティッシュすら入っていない。

 たった一ヶ月で、部屋を借りて生活用品を揃えるなんて、結構ハードモードなスタートだ。


「あの……こういう場合、子どもを庇って死んだなんて素晴らしい! って神様がチートスキルを授けてくれるとか」

 

「本の読み過ぎですね」

 

 にっこりと笑った三途は、あの人、月に一回顔を出すかどうかなので、などと呟くと、「少々お待ちください。寺門さんの残高証明書を取ってきますので」と腰を上げた。

 

 あの人?

 会話の流れ的に神様?

 え、神様も月に一回出勤するの?

 

 そんな混乱を置き去りに、いやぁすごいですね、と顔をほころばせた三途が戻ってくる。手には、やたらと長いレシートとA4サイズほどの紙がある。

 

「エレベーター、開ボタン押して他者を優先する行為。3168回。ハハ、すごいな。若くしてお亡くなりになられてここに来た方では、そうそう見ない回数ですよ」

 

「はあ……」

 

「他者の業務引き受け代行、973回。食べ物を粗末にしなかった……ふんふん……」

 

「あのぉ……それは?」

 

「結論から申し上げますね。こちらが寺門さんの預徳(よきん)残高。1億7千万541(えん)です」

 

 提示された書面には、確かに


預徳(よきん)残高証明。1億7千万541(えん)

 

 の文字が並ぶ。


「こちらは寺門さんが生前に積んだ徳と(ごう)の概算項目です」

 

「徳と業……」

 

「まあ、徳がプラス、業がマイナスの履歴です。今の日本での通貨単位は円ですよね? 厳密には円ではないんですが、あなたの財産が1億7千万円くらいある、と思っていただければよろしいかなと」

 

「1億……えぇぇぇぇっ!?」

 

 それではまるでお金持ちのような数字だ。

 現実感がないにもほどがある。

 

「いやぁ、私もこの金額は久しぶりに見ましたよ。……善く、生きられましたね」

 

 感心した顔の三途を前に、喉の奥が詰まる。

 そんなこと、思ったこともなければ、誰かに言われたこともない。

 同時に、ああ、死んでしまったんだな、とことりと胸に落ちた気がした。



 こみあげるものを抑えながら、柚は内訳書に視線を走らせた。

 

 生存日数:9425


 生きただけでも徳が溜まるらしい。


「あの、これ、他者の業務引き受け代行、973回、これって、あってますか?」

 

 柚はたしかによく仕事を代わってあげることも、手伝ってあげることもしていた。

 それは、断ると面倒な空気になるから、とかそんな気持でやっていただけだ。しかも、お礼に珈琲くらいおごってね、と対価をもらった上でのことだから、それが徳だと言われると少し違うような気もする。

 そう言って尋ねると、三途は、そういうところですよ、と目を細める。

 

「足りないと怒る方はいても、多すぎて間違いではないかと尋ねる方はほとんどいらっしゃいません。徳はその方が世界や人に与えた影響の総量で決まります。基本的に、相手のためになった時に加算されると思えばいいです」

 

 わかるような、わからないような話で、柚は曖昧に頷いた。

 

「例えば、募金。相手のためを思うけれども一円も出さないのと、単なる売名行為で100万円寄付する。これは、後者のみ徳がつきます」

 

「やらない善より、やる偽善ってやつですかね」

 

 おっしゃる通りです、と頷いた三途は説明を続ける。

 

「相手を助けるために肩代わりをくり返したけれど、それで自身が体を悪くすれば、自身の健康を大切にしなかったということでマイナス評価となります。たくさんの小さなプラスマイナスの積み重ねで、この世界の財産が決まります」

 

「それにしても1億って……」

 

「寺門さんの場合は、日常の徳でも相当な累積額に及んでいますが、一番最後が大きかったですね。子どもたちを庇われたでしょう?」

 

「はい。あ、別に庇おうと思ったわけじゃなくて……なんというか咄嗟に」

 

「それだってご立派です。で、その中にですね、将来、素晴らしい薬を開発する方が含まれていました。つまりあなたがその子を救ったことで、未来の患者さんたちの多くも救われた、この加算もかなり大きかったですね」

 

「なるほど。私が死んだのは正解でしたね」

 

「それは違います。もしもあなたが子どもを庇うのが咄嗟の行いでなく、自身の命を軽んじたせいだったとしたら、おそらくこの加算は行われませんでした」

 

 一瞬戒めるように強い眼差しを向けた三途は、この徳のシステムは彼岸で生活する間も続くこと、行いによる増減があること、労働の対価としても与えられることなどを説明した。

 

「では、ご質問がなければ先ほどおっしゃっていた件ですが」

 

「先ほど?」

 

「恋人が欲しい、と」

 

「あ、はい。そうです」

 

「よろしければご紹介可能です」

 

「ホントですか?」

 

 徳が多いから、やはりここはご褒美が貰えるということだろうか。

 身を乗り出すようにして尋ねると、ファイルをぺらぺらとめくった三途が「ええ」と頷く。

 

「まあ、……少々難あり、あ、いえ、いまだに定期的にお供えも届く元青年実業家です」

 

「元……、今は?」

 

「……ホストです」

 

 柚、享年25才。

 生まれて初めて。

 死んでも初めて。

 ホストに行くことになるらしい。



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