第十一章 一年後
一年後。
悠也が意識を取り戻してから、一年という月日が流れた。
彼は、警察庁公安部を退職した後、一棟の小さな研究所にいた。
彼は、七瀬賢人博士の遺志を継ぎ、医療用ナノマシンの研究開発という新たな道を選んだ。彼自身の体内に流れるナノマシンは、その研究の最高のサンプルであり、最大の動機だった。
研究室のデスクで、悠也はナノマシン治療の論文を読んでいた。
体内に流れるアヤメのナノマシンは、彼の傷を完全に癒しただけでなく、彼の生命活動の精度を極限まで高めていた。
その時、研究室のドアが開き、アヤメが入ってきた。
彼女は、先月、高校を卒業し、今は都内の大学に通っている。
彼女の制服姿は消え、動きやすいカジュアルな服装をしていた。
「悠也さん、お疲れ様。今日、授業が早く終わったから、少し寄ってみたわ」
アヤメは、手にしていた大学のノートと、悠也の好物のコーヒーをテーブルに置いた。
彼女の顔には、学生らしい知的な輝きと、あの事件を乗り越えた強さが宿っている。
「ありがとう、アヤメ」悠也はコーヒーを受け取った。
二人は、命を共有する運命共同体として、常に互いの存在を近くに感じていた。
悠也が少しでも研究で無理をすれば、アヤメの大学の授業中に、微かな疲労感が共有される。
「この論文、博士が目指していた、ナノマシンによる自己治癒システムの最終目標に近いわね」
アヤメは、悠也の隣に座り、ディスプレイを覗き込んだ。
彼女は、適合者としての知識と、元々持っていた鋭い知性を活かし、悠也の研究における最高の協力者となっていた。
「ああ。如月会長やニャルラトホテプは、これを兵器として利用したがったが、僕たちはそうしない。これは、博士が命を賭して守ろうとした、人の命を救うための技術だ」
悠也は、体内に流れるナノマシンの微かな青い光を感じた。
その時、悠也のデスクに置かれていた、スマホが静かに点滅した。それは、公安を退職した後も、彼らがオルフェウス追跡班と連携を取るために残された、唯一の連絡手段だった。
悠也がスマホを取ると、公安の上司の声が響いた。
「七瀬君、アヤメ君。如月残党の新たな動きだ。
ニャルラトホテプが、地中海のリゾート島をターゲットにしたようだ。
ナノマシンの残滓を回収するつもりだろう」
悠也とアヤメは、顔を見合わせた。彼らの戦いは、終わっていない。しかし、その目的は、もはや追跡だけではない。
「わかりました。我々も、そちらへ向かいます。今度は、破壊ではなく、ナノマシン技術を回収し、守り抜くために」
悠也は、通信機を置くと、立ち上がった。
「行こう、アヤメ。博士と、七瀬賢人の最後の願いを叶えるために」
アヤメは静かに頷き、その瞳は決意に満ちていた。




