第一章 公安
深い青色の続編です。
あのルナ・コア島の悲劇から3年後生還した後、姿を消した。彼の居場所は、東京の喧騒の中にあった。
彼は、鏡の前で黒いスーツの襟を正した。
かつての学生らしい青さは消え、その眼差しには、厳しい訓練と経験を積み重ねた者特有の、鋭い光が宿っている。スーツの胸元には、控えめだが、確かに警察庁のバッジが光を放っていた。
彼が所属するのは、警察庁公安部の一角にある、極秘裏に設立された部署だ。
その部署のすべてのファイル、すべての議題は、五年前のルナ・コア島の『事故』、そして如月テクノロジーズの闇に関わるものだった。
彼のデスクには、簡潔な名札が置かれている。「七瀬 悠也」。
「七瀬、例のオルフェウス計画関連の残党について、新たな情報が入った。深海からのデータ解析は進んでいるか?」
上司の声に、悠也は椅子から立ち上がった。手元には、アヤメが命を賭して託したデータチップの解析結果をまとめた資料がある。
「はい。如月会長の資金の流れと、ニャルラトホテプが残した痕跡を照合しています。彼らは、まだ水面下で、適合体の技術を再構築しようとしています」
悠也は、冷静に答えた。
彼の体には、あの夜、アヤメを抱きしめた時に感じた、彼女の冷たさと、蘇生した瞬間の微かな温もりが、今も鮮明に残っている。
誰もいない部署の窓際で、悠也は一つ息を吐いた。夜のビルの灯りが、彼の瞳に映り込む。
彼は、そっと胸のバッジに触れた。この警察官という立場は、博士の遺志を継ぎ、そしてアヤメの願いを叶えるための、最前線だ。
彼は、まるで海の方角へ向かって話しかけるように、静かに、しかし力強く呟いた。
「アヤメ……やっとここまで来たよ。この戦いは、僕が終わらせる」
翌日の会議中、一人の情報分析官が、スクリーンに一枚の写真を共有した。それは、都心近くの私立高校の校舎の前で撮影された、日常的なスナップ写真だった。
「これは、如月会長の残党が最近接触を図ったとされる、都内の私立高校の写真です。
ターゲットは、この写真中央に写る女子生徒。
彼女の生体情報に、オルフェウス計画で使用されたナノマシン・シードと極めて高い一致率が確認されました」
悠也は、スクリーンに映し出された写真を見て、全身の血が凍るのを感じた。
写真の中央に写っているのは、制服姿で、友人と笑い合っている一人の女の子だ。彼女は、アヤメを彷彿とさせる、透き通るような肌と、どこか儚げな雰囲気をまとっている。
だが、その容姿は明らかに若い。ルナ・コア島で悠也と出会ったアヤメよりも、五歳以上は幼いように見えた。高校一年生か、二年といったところだろうか。
「……ッ」
悠也は、思わず息を飲んだ。彼の瞳は、写真から一瞬たりとも離れない。
「七瀬、どうした?」上司が訝しげに尋ねた。
悠也は、写真を食い入るように見つめながら、震える声で尋ねた。
「その、その子について、他にわかっていることは?」
「生い立ちについては極秘裏に処理されており、詳細は不明です。ただ、写真の通り、アヤメという名を持つそうです。我々は、彼女が、ルナ・コア崩壊後に再生された適合者、あるいはアヤメのクローンではないかと見ています」
悠也の胸に、激しい動揺と、新たな希望、そして悲しい予感が交錯した。アヤメは、海の底に沈んだはずだった。しかし、ナノマシン技術は、命の概念すら超越する。
悠也は、自らの頬を軽く叩き、平静を取り戻した。彼の瞳には、再び戦場へと赴く、強い決意が宿る。
「……直ちに、彼女の保護と、如月残党の接触阻止作戦を立案します。私が、この作戦の現場指揮を執ります」
彼は、静かに、しかし力強く上司に告げた。
すべては、あの青い海の底に沈んだ少女の、最後の願いを叶えるために。
悠也は、デスクの名札と、スーツのバッジに触れた。この警察官という立場は、博士の遺志を継ぎ、そしてアヤメとの再会を果たすための、最前線だ。
彼は、写真の若いアヤメに向かって、静かに、しかし力強く呟いた。
「アヤメ……待っていてくれ。今度こそ、君を助け出す」




