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十一 逢魔時に咲く黄の華

 八王子・タカオ邸──


 離れ家にいるのは留守番組の三人。

 縁側でタヌキを撫でている八雲。隣で夕食に使う食材の下ごしらえをしている茜。そして、池の傍らで鍛錬中の(コウ)


 現在、仲間が帝大医科付属の医院へ潜入中だ。その帰りを待っているところだった。


 日も暮れかけようとしている時刻、ようやく十里(じゅうり)と拓海が戻ってきた。

 しかし警護として同行していたはずの闘者(とうしゃ)たちの姿がない。


「おー、おかえり。虎丸と(あい)ちゃんは?」

「紅、ただいま。ごめん、じつは──」


 ハーフの青年は非常に言いにくそうに切り出した。


「敵に捕まっちゃった、かも?」


 なんとも曖昧な言い方であった。しかも、仲間が捕まったというわりには深刻な口振りではない。どちらかというと困っているような表情である。


「かもってなんだよ。つーかアイツらが揃ってて、そんな簡単にやられないだろ」

「それがさ~、僕らも遠くからチラッと目撃しただけなんだけれど……」


 十里らが医院で本郷(ほんごう)真虎(まさとら)の死亡記録を探しているあいだ、万が一敵に見つかったときのため、虎丸と藍は近くに待機していたはずである。

 説明に窮して口ごもる十里を、せっかちな赤髪娘が急かした。


「なんでもいーからはっきり言え」

「虎丸くんが敵の色仕掛けに引っかかったみたいで。無事に診断書を手に入れて待ち合わせ場所に戻ったら、巨乳の美人に自分からついていくのが見えたんだよね~」

「……ハァ?」


 紅の声があからさまに低くなった。

 薙刀の切っ先が地面に下ろされる鋭い音が響く。静かに漏れる殺気。

 八雲の膝で眠っていたタヌキのアンナ・カレヱニナがびくっと目を覚ました。


「いや、意味わかんねーし。莫迦(ばか)やろーなのか? 助けに行かなくていいか? 無事に帰ってきたとしてもまず殴っていいか?」

「流れるような力強い言葉だねぇ……」


 紅は十里の一歩後ろにいた拓海の間合いにずいっと入り、着物の衿を掴む勢いで問い詰めた。


「オイ、拓海。今のホントの話か? ジュリィが事実を面白可笑しく歪曲してんじゃねーだろうな」

「僕の信頼度低いな~☆」


 完全に日頃の行いのせいである。

 代わりに返答を委ねられた拓海は虎丸の幼馴染であり、一番近しい友人なのだ。

 庇ってやることもできるが、適当な嘘で誤魔化すのは頭の固い彼の信条に反する。もうしかたないといった雰囲気でため息を吐いて口を開いた。


「色仕掛け云々はよくわかりませんが、見たままですよ。虎丸が見知らぬ女についていき、藍所長がその後を追っていったんです。俺たちも追跡しようとしましたが、忽然(こつぜん)と消えてしまいました」

「あれはぜったい色香にやられてたよ~。鼻の下伸びてたもん」

「十里先輩、火に油を注がないでください。あいつは元々締まりのない顔じゃないですか」


 拓海もなかなかひどいが、一応フォローしているつもりだ。

 紅は据わった目で縁側のほうを振り返り、恐怖で逆立ってしまったアンナの毛並みを整えている八雲に向かって尋ねた。


「八雲ぶちょーは、巨乳美女ってどう思う?」

「はぁ。どうとは?」

「興味ある?」

「いえ、とくには」

「そ、そっか」


 紅はほっと胸を撫で下ろす。


「あ、本人の知らずうちに評価が下がってる。相対的に八雲部長が上がったね~」

「半分は虎丸の自業自得ですね。もう半分は十里先輩のせいですが」

「八雲さんはどんな異性にも興味ないと思うけれど、喜んでいいのかしら……」


 と、外野が(はや)す。

 それを聞いて、赤髪娘はぷいっとそっぽを向いた。


「まー、虎丸だし? ついてったところで怖じ気づいてなにもできないだろ。手繋いだだけで鼻血だすようなヘタレだからな」

「へえ、手繋いだんだ?」


 すかさず、十里が口を挟む。


「違う! あれは(ばく)阿呆(アホ)と戦ったときにしかたなく! 成り行きで!」

「男女関係なんてだいたい成り行きだよ~」

「とりあえずオマエの意味深な成り行きとは違う!」


 どさっと柔らかい音がして、全員の視線が一点に集まった。縁側の真下にかごが転がっている。

 のほほんとさやえんどうの筋を取っていたはずの茜が急に立ちあがり、声をあげた。


「まって、紅ちゃん、手を繋いだってなに? いつ? どんなふうに? どのように? ちょっとその話、詳しく……」

「死ぬほどなんでもないっつーの。ややこしくなるからもーこの話やめ!」


 虎丸との進展を応援しつつシスコン気味という複雑な弟のせいで、よけいにこんがらがっている。

 ぷりぷりと怒りながら、紅はブーツを脱いで縁側から離れの中に入っていった。


「虎丸くんに興味ないっていつも言ってるのに、怒ってるね」

「うん、怒ってる。興味ないと言いつつ、ちょっと悔しいんでしょうね」

「気づいていないだけで意識しちゃってるよね~。些細なきっかけからロマンスは始まるのさ」


 十里と茜が話していると、すぐに鍛練用から実戦用に薙刀を持ちかえた赤髪娘が戻ってきた。


「おいこら、くだらねーこと喋ってないで助けに行くぞ!」

「助けないんじゃなかったの? ほんと、乙女心は難しいね~」

「なんかイライラするし誰でもいいから()りてーだけだよ」


 不穏な発言をしながら、真剣を大きく振り回している。


 ちょうどそのとき──若干だが、空気が冷たく、重くなった。

 張りつめた気配を発したのは、静かな海のように理知的な瞳をした青年、拓海であった。

 正門の方角をまっすぐ見据え、静かに口を開く。


「紅さん、わざわざ出向く必要はなさそうですよ」

「え、ついに幼馴染を見捨てるのか?」

「そうではなくて。どうやら向こうから来たようです」


 拓海の言葉を聞いて、全員に緊張感が走る。

 彼は文字の気配に敏感だ。まだ何の音も聴こえないうちから、いち早く敵の来訪に気がついた。



 ***



 誰よりも(はや)く。

 紅が薙刀を携え、正門に駆けつけた。


 洋館には女主人がいる。敵に侵入される前に食い止めなければならない。


 いつのまにか霧が出ていた。この洋館の敷地だけを囲うような、嫌な濃さだ。

 逢魔時(おうまがどき)も相まって視界は悪く、門を出た先はほとんど何も見えない。


 馬のひずめの音が近づいてくる。

 少なくとも二頭。かすかな車輪の音から、馬車だとわかる。


「あれは……藍所長?」

「んん? なんで? どういう状況?」


 追いついてきた拓海と十里が首を傾げている。

 徐々にその姿を現した馬車の御者席には、なぜか手綱を握った藍が座っていた。


「着きましたよっと。おふたりさん」


 いつもの低い声で、藍は気だるそうに馬車の中に向かって到着を伝えた。


 ふたり?

 と、仲間たちのあいだに疑問が走った。


 藍、虎丸の他にいったい誰がいるというのか。窓には布がかかっていて車内の様子は見えない。まったくもって謎の状況だ。


 片側の扉が開き、まず虎丸が降りてきた。

 

「…………」

「…………?」


 紅たちはいったいなんなんだと視線で問いかけるが、当の虎丸もよくわからないと言いたげな締まりのない顔をしている。


 すると、中から鈴の鳴るような声が聴こえてきた。


「ほら手を貸して、くんなまし」

「あ、はい」


 反射的に頼みごとを聞いてしまう性格の虎丸は、素直に片手を差し出した。


 しなやかな白い手が伸びてくる。

 虎丸に寄りかかるようにして降りてきたのは、淡い黄の地にめずらしいチューリップ柄の友禅染を着た若い女性だった。


「お下がりなんし、油虫」

「オレのこと!? 虫!?」


 下ろして結った束髪のため一見普通の娘のようだが、喋り方は廓詞(くるわことば)だ。

 身体の線を抑えた和服の上からでもわかるグラマラスな体型と、妖艶な雰囲気。

 派手ではなく清楚で伏し目がちの顔立ちがかえって美しさを際立たせ、色香を漂わせている。

 両側の(なみだ)ぼくろが印象的な美女であった。

 

 先頭にいた紅が、虎丸に向かって口を開くが── 


「で、なんだよそのおん──」

「虎丸さん!! 誰よその女!! この浮気者!!」


 姉の言葉を遮って、弟のほうが怒りの叫び声を発した。


「茜、ちょっと静かに」


 誰よりも激高している弟をたしなめ、紅はあらためて敵の女と対面した。

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